この記事の作品:
第十二番の副題は「初心」。御所では満開でなくなった花がすぐ取り替えられ、声の変わった鬼夜叉は求められるまま客の前で舞い続けていた。目を覚ますと、そこは数年ぶりの観世座だった。十二五郎やサツキと会い、子どもたちが自分の舞を真似して遊んでいる姿を見る。そして、仲違いしたまま別れた石也との対面で出てきたのは「舞が好きなのです」という一文だった。消えていた語尾も、この場面で戻ってくる。




副題「初心」と、この回を作った人たち
公式あらすじは「対面」で終わっている
第十二番の副題は「初心」。公式サイトのあらすじは「鬼夜叉が目を覚ますと、そこは懐かしの観世座だった。」で始まり、「数年ぶりに再会した十二五郎やサツキと共に時間を過ごすことで自分の初心に帰っていく鬼夜叉。」と続いて、「その一方で、仲違いしたまま別れた石也と鬼夜叉は対面することになる。」で終わる。帰ってくる話と、会いに行く話が、一つの回にまとめられている。
二文字だけの副題は、この作品では初めて
第五番「萌え出る鼓動」、第六番「結びつき」、第七番「狭間にて」、第八番「橋の向こうへ」、第九番「秘めたる想い」、第十番「溢れた世界」、第十一番「小望月」と並べてみると、今回の「初心」は最も短い。これまでの副題が場面や心の動きを言い表していたのに対して、今回は言葉が一つ置かれているだけだ。説明を削った副題が、そのまま「戻る」という内容に合っている。
絵コンテと演出を一人で担い、作画監督は六人
公式サイトの担当者は、絵コンテと演出がどちらも黒柳トシマサ、総作画監督が福元陽介と髙木晴美、作画監督が関みなみ、髙木晴美、山澤純玲、矢永沙織、福元陽介、黒柳トシマサ、制作進行が坂井優介。一人でコンテから演出までを担うのは、第五番、第八番、第十一番に続いて四回目になる。福元陽介は第九番で作画監督だった人が総作画監督に回っており、山澤純玲は第四番と第八番に続く登板だ。コンテ、演出、総作画監督、作画監督の四つの欄に同じ名前が並ぶ、人数の多い布陣になっている。
放送直前に出た、書き下ろしの主題歌の告知
主題歌を担当するマカロニえんぴつの告知は、第十二番の副題を「初心」と明記したうえで放送時刻を知らせている。作品の外側から副題が伝わってくる形で、放送前から今回の主題が置かれていたことになる。副題が先に示され、その言葉を回収するために二十数分が使われている。
御所の花は、しおれる前に取り替えられる
「毎日賑やかだったあの頃は幻だったのかもと」
回は御所の場面から始まる。御台様が「夢とも知らずと読んだ方もこんな気持ちだったのかしらね」と歌の話をし、「毎日賑やかだったあの頃は幻だったのかもと」と続ける。そばにいる相手に「あなたが大声でブンブンしていた日々が懐かしい」と言うと、「忘れていただきたく」と返ってくる。第六番で読み書きを習い始めた少女が、いまは歌を詠む人のそばで昔を懐かしがられている。
「お兄ちゃんののだも聞かなくなっちゃったし」
続く一言が効いている。「お兄ちゃんののだも聞かなくなっちゃったし」「寂しいわ」。第十一番で声変わりをした鬼夜叉は、口癖の「のだ」も使わなくなっていた。姿を見なくなったことではなく、語尾が消えたことが寂しさとして語られる。変わったのは境遇ではなく喋り方だという言い方で、本人の不在が示されている。
「でもすぐに新しい花に変えてしまうのよ」
場面には花瓶の花が置かれている。「あらまた捨ててしまうの」と聞かれて「ええ少ししおれ始めたからと」と答え、「でもすぐに新しい花に変えてしまうのよ」「満開でないとダメらしいです」「寂しいわね」と続く。第十一番で花の御所を建てさせた人の趣味が、花の入れ替えとして描かれる。満開でなくなった花が捨てられる場所に、いま鬼夜叉が置かれている。
「花は予感を楽しむものだ」
御所には公家が訪ねてくる。「罪なき公家を追い出すなど」「前代未聞」と抗議し、「少しばかり遅刻しただけではないですか」と食い下がる相手に、将軍は「俺は無駄が嫌いだよ」「無駄が積み重なれば」「本来見るべきものが遠のいていく」「未熟なもの過ぎたものなど」「もってのほか」と答える。対する公家の花の見方が「花は予感を楽しむものだ」だった。「芽吹く予感」「大輪の予感」「しなびる予感」、そして「それを味わう瞬間こそ」「至上の喜びにほかならない」。完成だけを見る人と、完成の前後を味わう人が、同じ花を挟んで向かい合っている。
「多くを惹きつける完成された花を用意する」
将軍の言い分は明快だ。「わたしは将軍として」「多くを惹きつける完成された花を用意する」「ただそれだけ」。公家は「随分と高尚な趣味をお持ちで」と受け、「気を抜けば首が落ちる」「予感を味わっている間に死んでしまいそうだ」と切り返される。それでも公家は引かず、「どこもかしこも大輪ばかり」と庭を評し、「皆始まりは」「凡下でございます」「そんな凡下に高尚な心を芽生えさせるのが」「雅なる者の務めでございますゆえ」と言う。大輪だけを並べる庭に、大輪でないものの側から異議が出ている。
「わたしは藤若のためなら何でもするぞ」
公家の言葉はさらに踏み込む。「いじめてこそ」「その先でどんな姿を見せてくれるのか」「わたしはそれが見たい」「何が何でも見たいのじゃ」。そして「わたしは藤若のためなら何でもするぞ」と言い切る。第十一番で「お前の望むものは全てを与え、お前の憎きものは全て消し去る」と言った人と同じ熱量だ。見守るというより、育つところを見たい欲として語られているのが、この人の愛し方になっている。
目を覚ますと、そこは観世座だった
運んできたのは、殴った本人
目を覚ました鬼夜叉に、座の長老が「ずいぶん寝てたな」「久々のお前さん家だよ」と声をかける。事情は「お前さんがフラフラだっつうから」「こいつに迎えに行かせたんだよ」「まさか寝たまま運んでくるとはな」。運んできた側は「若全然起きねえんですよ」「一発殴っただけだっつうのに」と言う。第十一番の最後で拳を振るった相手が、そのまま家まで運んできた形になっている。
「うらやましかったです」
庭では幼い子が稽古をつけてもらっている。「視線を遠くにゆっくりやんな」という声に、鬼夜叉が「腰を悪くしてご隠居なさったとは聞いていたが」「あんな幼い子を教えているのか」と尋ねると、「あれは近所のガキです」「近くの村が野盗にやられて」「孤児だらけになって」「いや時々教えてるだけです」と返る。子の稽古を見て「ぎこちないけども頑張っているな」と言う鬼夜叉に、十二五郎は「昔のあんたもあんなんでしたよ」「できねえできねえ言いながら」「なんやかんやまっすぐしか見てなかった」「うらやましかったです」と続けた。第三番で殴りかかるほどの嫉妬をぶつけた相手が、その嫉妬を過去形で口にしている。
「大人になったな」と「いやでも殴られたな」
鬼夜叉が「大人になったな」と言うと、「少し優しくなった気がした」と続けて、すぐに「いやでも殴られたな」と付け足す。十二五郎の答えは「俺はもともと優しい男ですよ」。拳の話をしながら、どちらも怒っていない。殴った側と殴られた側が、その一発を仲直りの合図として扱っている。
宴の席で「のだはどうした」
座は宴の支度をして迎える。「おかえりなさい若」「ささ宴の支度はできてますよ」と迎えられ、「ちょっとでかくなりましたか」「俺抜かれてないですよね」と背比べになり、「立派になられて」「ご活躍我々も伺っております」と口々に言われる。そのなかに「のだはどうした」と聞く声が混じる。御所で寂しがられていた語尾が、観世座では面と向かって催促されている。
変わった声と、変わらない人たち
「ほぼ別人っすよ」
町では十二五郎とサツキに声変わりを驚かれる。「さっき声聞いてびっくりしましたよ」「全然違うんだもん」と言われ、「そんなに違うか」と返すと「ほぼ別人っすよ」「高い音もう出せねえよな」「背も急に伸びてあちこち痛えだろ」と畳みかけられる。第十一番では舞台の出来として嘆かれた変化が、ここでは体の話として笑われている。
十二五郎は左馬助の代わりに舞台へ
話は相手の変化にも及ぶ。「頼もしくなったよな」「今は弟弟子もいるし」「左馬助さんの代わりに舞台に上がることだってあるんすよ」と聞いて、鬼夜叉は「五郎頑張った」と言う。第三番で鼓を打っていた少年が、鼓方の代役を任されるところまで来ている。離れていた数年のあいだに、置いていかれたのは自分だけではなかったと分かる場面になっている。
サツキの子守り「一人になるってつらいことだよね」
サツキは子を背負っている。「村の人みんなで交代しながら子守りしてんだ」「いろんなとこに預けたりしながらさ」「最初は泣き喚いて大変だったんだ」と説明し、「一人になるってつらいことだよね」「私らが一人にさせないよって教えてあげなきゃね」と続ける。締めは「誰だってできないことがある」「だから一緒に生きていくんだ」。できないことを数えて落ち込んでいる人の前で、できないことを前提にした暮らし方が語られている。
子どもたちが真似していたもの
道の先では子どもたちが舞の真似をしている。「またやってる」と笑うサツキの説明は「昔見に行ったんだ」「鬼夜叉の舞」「それでああやっていっつも真似してんの」「舞なんてなかなか見ないからさ」「楽しかったんだろうね」。鬼夜叉は「サツキ殿は変わらないな」と言い、サツキは「風が出てきたね」「そろそろ行こっか」と歩き出す。御所の客に褒められる舞とは別のところで、自分の舞が子どもの遊びとして残っていた。
千晴が数え上げた、三つの舞台
「替えのきく花なのかもしれません」
御所では座の者が「すっかり俺たち隅に追いやられちまったな」「御所様は日吉座にお熱だからよ」とこぼしている。将軍に問われて「座で休ませております」「以前より体調がかんばしくなく」と答える声もある。そこへ千晴が「鬼夜叉は戻ってきます」「だから待っていてください」と言い、続けて「替えのきく花なのかもしれません」「花の価値も人の価値も御所様がお決めになる」と口にする。冒頭で捨てられていた花瓶の花が、ここで人の喩えとしてはっきり名指しされる。
ざわめき、ゆらめき、ときめき
千晴の訴えは具体的だ。「私は舞台の上の彼を見てきました」「心の臓がおかしくなる」「すっごく変なの」「ずっと感じていました」と言い、「御所様はいかがです」と問い返す。数え上げられるのは「獅子が手を広げる度に来るあのざわめき」「煙の向こうを見た時のあのゆらめき」「姉妹と共に海辺で月を見た日の」「あのときめき」。第五番の獅子舞、第八番の舞台、第十番の汐汲が、観客の側の三つの感覚として並べ直される。舞比べの勝敗ではなく、見ていた人の体に何が起きたかで舞台が数えられている。
「忘れてしまったのだ」
将軍の答えは短い。「忘れてしまったのだ」。そして「今の私には見る目がないとは思うか」「答えろ」と迫られた相手が「ぶっちゃけ」「はい」と答えると、周りは「お前殺されてもおかしくないぞ」と慌てる。将軍は「面白い」と笑い、「聞き入れてみるか」「雅なる者の意見とやらを」と言う。第十番で「俺の隣に並び立つ者はない」と言った人が、並ばない相手の意見を聞く側に回っている。
石也との対面
「石也の歌は変わらずきれいだ」
石也は宴に入らず外にいる。「入らないのか」と聞かれて「洗濯物を干していたことを忘れていました」「取り込んできます冷えてしまうので」と席を立とうとし、「それは後でいい」「久しぶりだろう」と止められる。再会の場では「遊ぶ子供の声聞けば」の歌が出る。「懐かしい歌だった」「一緒に稽古をつけてもらってましたもんね」「すごくきれいな歌声だった」と言い合い、鬼夜叉が「石也の歌は変わらずきれいだ」「昔からずっと変わらず」「私とは違うな」と言う。第二番で白拍子が歌っていた今様が、二人の共通の思い出として戻ってくる。
「初めて褒めてくれた」
石也の反応は意外なものだった。「初めて褒めてくれた」。鬼夜叉が「いやずっと褒めてただろ」と言うと、「歌ってくれとしか言ってないですよ」と返される。「それは上手いからだ」と言い足しても、伝わっていなかったことは変わらない。十年以上そばにいた相手に、褒め言葉が一度も届いていなかったと分かる。
「ずっと逃げていたんです」
そこから石也が自分の話をする。「ずっと逃げていたんです」「いろんなことを諦めました」「この体に生まれたから仕方ないと」。だが本心は違った。「でも本当は怖かったんです」「ひどいことを言われたくない」「悲しい気持ちになりたくない」「だからそうなる前に笑って」「気にしない顔で逃げた」。逃げた相手には「若からも」が含まれる。第十番で「私なんか役立たずですよ」と身を引いた言い方の中身が、ここで本人の口から言い直されている。
「コガネ殿はもういない」
話はコガネにも及ぶ。「コガネ殿のこともそうです」「許されないことから」「私は逃げたんだ」。そして「無理だとは分かっているんです」「同じようには歩けない」「コガネ殿はもういない」「知っているんです」と言いながら、「でも諦められない」「消えてくれない」「私は今でもずっと」と続ける。第十番で自分の分身のように思っていたと語った相手のことを、諦めきれないまま抱えている。諦めた人の言葉として語られていたものが、諦めきれていない人の言葉として出てくる。
「舞が好きなのです」に戻るまで
「あんたには体があるじゃないか」がもう一度出る
子どもたちの舞を見た鬼夜叉は「あんな時が私にも」とつぶやく。そこで思い出されるのが第二番の白拍子の「あんたには体があるじゃないか」だ。続く独白は「あの人はあの時」「自分の体に終わりを見ていた」「どうにもならない」「どこにも行けない虚しさを」「そしてそれは」「今の私も同じ」。さらに「私が私である限り」「この体の限り」と、体を理由にした行き止まりが語られる。体があるじゃないかと励まされた側が、体があるからこそ進めないと考えている。
「父上にも」「犬王殿にもならなくていい」
石也との場で、鬼夜叉はついに音を上げる。「もう限界だ」「私は父のような大きさも」「石也のような良い声も」「犬王殿のようなしなやかな手足も持たぬ」。返ってきたのは「父上にも」「犬王殿にもならなくていい」「才能のある何者かになる必要などない」だった。第十一番で「あなたのような強い花があれば」と犬王に教えを乞うた問いに、正面から否を出す言葉になっている。誰かのようになることを目標から外したところで、残ったものが初心だった。
「私はずっと」「舞が好きなのです」
残ったものは短い言葉だった。「それでも私は」「私はずっと」「舞が好きなのです」。続けて「舞だけが居場所の人が」「舞でしか想いを伝えられない人が」「舞がただ楽しい人が」「ずっと舞えれば良いと思う」「いつまでも」「続けば良いと思う」と広がり、最後に「世界を変えたいのだ」と言う。消えていた語尾の「のだ」が、世界を変えたいという一文で戻ってくる。
犬王と同じ日に、花の御所で
締めには将軍からの命が届く。「御所様から急な命が下りましたので」と告げられるのは、花の御所での舞台を「犬王日吉座の舞台同日」に、観世座の鬼夜叉も「舞を披露せよ」という内容だ。語りは「限界を感じるその体」「その声」「その瞳で」「いざ歩みを進めよ」と結ぶ。第十一番で教えを乞うて断られた相手と、同じ日に同じ場所で舞うことになる。
まとめと考察
取り戻したのは技ではなく、好きだという理由
この回で鬼夜叉が取り戻したものは、技でも自信でもなかった。声は戻らず、背丈も戻らず、舞台の評判も「昔の輝きは失われたな」と言われたままだ。それでも「舞が好きなのです」という一文だけが残り、そこから「ずっと舞えれば良いと思う」という願いが伸びていく。初心という副題が指していたのは、上手かった頃ではなく、好きだった理由のほうだった。
花を替える人と、予感を楽しむ人
冒頭から花の話が繰り返される。しおれ始めた花はすぐ取り替えられ、将軍は「完成された花を用意する」と言い、公家は「花は予感を楽しむものだ」と言う。千晴は「替えのきく花なのかもしれません」と心配し、将軍は「忘れてしまったのだ」と認めた。満開の一瞬しか値打ちを認めない見方の下では、声が変わっただけで価値が消えることになる。
変わった体で、変わらないものを探している
石也は「同じようには歩けない」と言い、鬼夜叉は「この体の限り」と言う。二人とも自分の体を理由に諦めてきたが、この回では諦めきれないほうを口に出した。子どもたちは舞を真似し、サツキは「一緒に生きていくんだ」と言う。体が変わっても消えなかったものだけが、次の舞台に持っていけるものになっている。




関連作品:
























コメント