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『きみが死ぬまで恋をしたい』第9話の副題は「わたしの魔法」。ミミが差し出した蘇生魔法を、アリは断る。けれどその返事は新しい答えではなく、第4話で同じことを聞かれたときと変わらないものだった。オープニングも新曲ではなく、同じ曲の別バージョンに差し替わっている。そしてシーナがようやく見つけた自分の魔法は、ミミの母が持っていたのと同じ魔法だった。この回は、ほとんどが二度目でできている。




副題は「わたしの魔法」だが、この回はほとんどが二度目でできている
副題は公式サイトと公式アカウントの二か所で確認できる
第9話の副題は「わたしの魔法」である。公式サイトのSTORYページと、放送直後に出た公式アカウントの投稿の両方に同じ表記があり、シーナが自分の魔法を見つける回であることは題名の時点で示されている。
ただし見終えたあとに残るのは、新しいものを手に入れた話という感触ではない。この回に出てくるものは、答えも曲も魔法も、そのほとんどが二度目である。
冒頭は前回のいちばん最後の場面から始まる
開幕は、第8話の終盤にアリのもとを訪れた兵士との別れ際だった。「あなたが無事でよかった」「あの子があなたを守りきれてよかった」「教えてくださって、ありがとうございます」。前回そのままの言葉が、もう一度置かれる。
兵士を見送って廊下に残ったアリへ、ミミが切り出す。「もう一度会いたい?」。前回の最後にミミがアリへ持ちかけた話の中身が、ここでようやく言葉になる。
提案には、ためらいも駆け引きも入っていない
続く言い方が容赦ない。「ミミ、知ってるんだよ」「死んだ人を生き返らせる魔法」。そのうえで、セイランを生き返らせる、と自分から名乗り出る。
さらに「使えばセイラン戻ってくるし、もう二度と死んだりなんかしないよ」と重ねる。提案の形をしているが、内容は第4話で国家機密として説明された禁忌そのものである。
いちばん重い提案を、いちばん軽い口調で差し出す
「できるよ」で仮定の話が終わってしまう
アリの受け方は慎重だった。「それって蘇生魔法のこと?」と確認し、「もしもそんなことができるなら」と仮定の形に置き直そうとする。話をそこで止めるための言い方である。
そこへミミが割り込む。「できるよ」。仮定を仮定のまま置いておくことを、この子だけが許さない。断る側は、比喩ではなく現実の選択として答えなければならなくなる。
誰が差し出しているかで、提案の重さが変わる
蘇生魔法は使い手の命と引き換えに死者を戻す魔法で、数百年前に禁じられている。第4話でフランがシーナに説明した内容がそのまま効いてくる。
その魔法を差し出しているのが、死ぬことのできない子である。本編はこの一点について何の注釈も置かないまま、会話を先へ進めてしまう。
悪意がないぶん、断る側の負担が大きい
ミミの提案に企みはない。仲の良かった相手が初めて命を落とした、というだけの理由から出ている。第8話で笑っているアリを見て困惑していた子が、そのまま行動に移した形になる。
悪意がないものは、悪意を指摘して退けることができない。だからこの場面では、断る理由をきちんと言葉にする責任のほうが断る側に回ってくる。
アリの答えは、その場で考えた答えではなかった
「二度目ね、この話」
ここで短い回想が挟まる。セイランが「もし蘇生魔法が使えたとして」「いつか私がアリの目の前で」と言いかけ、アリが先に遮る。「二度目ね、この話」。
第4話で二人が交わしたやり取りである。アリはセイランが生きているうちに、同じ問いをすでに二度受けている。相手が縁起でもない話を持ち出す癖まで含めて、聞き慣れていたということになる。
断り方の中身が、そのまま関係の説明になっている
現在に戻ってアリが答える。「そんなことができるなら、絶対誰にも使わせない」。理由は「セイランの命はセイランだけのものだもの」で、所有の話として組み立てられている。
さらに「彼女の魂を好きに扱う権利は誰にもない」と言い、少し置いてから付け足す。「もちろん、私にも」。禁じる相手の一覧に、自分を最初から入れている。
そして、同じ答えだと本人が明かす
締めは「誰かの命と引き換えに生き返らせたりしたら、それこそ怒られちゃう」「その魔法は必要ないわ」。ここまでなら強がりとも読める。
ところが最後に一言、同じ答えではないかな、と自分で言う。相手が死んだあとになっても答えを変えなかった、という確認をわざわざ口に出している。そのうえで「ありがとう、ミミちゃん」「あの子を思ってくれて」と続けて、提案そのものは受け取っている。
曲は変わっていないのに、まるで別の曲として鳴る
公式サイトが「Another ver.」と書いている
この回からオープニングが差し替わっている。公式サイトにはOPとOP2という二つの項目が並んでいて、OP2の表記はReoNaの「Amore」のAnother ver.である。作詞・作曲・編曲も同じ顔ぶれのままだ。
新しい主題歌に替わったのではなく、同じ曲の別バージョンが充てられている。歌が変わったのではなく、歌の入り方だけが変わったことになる。
映像は別の人の手で組み直されている
OP2の絵コンテと演出は榎本直央、作画監督は油布京子。通常版の絵コンテ・演出が堀雅歩だったので、担当そのものが替わっている。
副監督が自分でコンテを切った差し替えということになる。同じ素材を使って、始まる場所と見せる順番だけを入れ替えている。
何も足していないのに、前の回の分だけ重くなる
箱に届いた反応も、そこにきれいに集中していた。急に途中から始まったこと、笑顔のカットが置かれていること。第8話を見た直後だと同じ絵の意味が変わってしまう、という書き方が並ぶ。
変わったのは映像の側なのに、変わって聞こえるのは曲の側である。この作品はもともと日常の側を丁寧に描く手つきで来ているので、その蓄積がそのまま効いてくる。
ミミが初めて手にしたのは、名前のついていない感情
説明できないところから始まる
提案が断られたあと、ミミはうまく言葉にできない。「頭の中ぐるぐるしてて気持ち悪い」「なんでこんな気持ちになるの?」「わかんないよ」。順番として、まず体調不良のように出てくる。
悲しいという言葉が、この子の手元には最初から無い。第8話で笑っているアリに「悲しいって思っちゃいけないの?」と尋ねたときの位置から、まだ一歩しか進んでいない。
名前をつけるのはシーナの役目になる
シーナの答えは短い。ミミがセイランを大切に思っていたから、その気持ちが出てくるのだと説明する。理屈ではなく順序の話として置いている。
するとミミが、大切に思っていたのかな、と自分のことを疑問形で確かめ直す。感情に名前がつくことと、その名前が自分のものだと分かることは別なのだと分かる返し方である。
重さを寿命ではなく回数で数える
そのあとに入るシーナの独白が、この回でいちばん引用されていた。寂しさを覚えたミミは、あといくつの寂しさと向き合っていくのだろう、と。
不死であることの重さを、長さではなく回数で数えている。しかも同じ独白のなかで、自分がいなくなったあとも何度も、と自分の側を勘定に入れてしまっている。
おにぎりの練習は、いなくなる前提で行われている
この作品で三度目のおにぎり
場面が変わって食事になる。おにぎりはこの作品で三度目で、第3話では二人の距離を縮める道具として出て、第5話では夜食の約束として置かれていた。
今回はシーナがミミに握り方を教える場面として使われている。手に塩をつけること、強く握りすぎると固まっておいしくなくなること、間に空気を残すような感じで握ること。手順がやけに丁寧に描かれる。
「一人でも作れるように」
食べ終えたミミが、もう一個食べるかと聞かれて「シーナが作って」とねだる。ここまでは第3話からの甘え方と同じである。
ところがシーナは断る。「ダメ」「ちゃんと練習しよう」「一人でも作れるように」。優しさの形をした一行だが、前提には自分がいつかいなくなる日が入っている。
悲しい回なのに、しっかり腹が減る
直前まで人が一人死んだ話をしていたのに、握って食べるだけの場面にたっぷり時間が取られる。昨日の夜から何も食べていなかった、という説明まで入る。
食事の場面が長いほど、その食卓が一つ空いていることのほうが目に入る。この作品は悲しみを説明する代わりに、生活のほうを止めないという描き方を続けている。
修復と治癒は、似ているようで全然違う
夜のノックから始まる
その夜、シーナはフランの部屋を訪ねる。「私の魔法、見てもらえませんか」「今の私にできることを知りたいんです」。眠れなかったからではなく、それもあるけれど、という言い方をする。
フランはまず止める。自分の成績は分かっているのか、戦場に出たら一瞬で命がなくなる、変なことを考えるな。ここでシーナが返すのは、感情ではなく学年の数え方だった。
14から17までを数え上げる
来年は15クラスになり、その次の年には16になる。そしてこのまま戦争が終わらなければ、いずれ17クラスになって戦場へ向かうことになる。
逃げられないという事実を、時間割の話として言い切っている。だから今のうちに、戦い以外にできることがないかを知りたいのだ、と続く。相手の忠告を否定せずに前提として飲み込んでいる。
外側から治す魔法と、内側に効く魔法
植物を元気にするのが得意だという申告から、フランが引き出したのは治癒魔法だった。「修復魔法が外側から魔力によって肉体を治す術なのに対して、治癒魔法は内側に作用していく術」。
「病は気からって言うでしょ」と続き、怪我や病が治るときにいちばん大きく影響するのは本人の心なのだと説明される。効き方が心の側にあるぶん、使い方次第では絶大な効果があるとも言われている。
受け継いだのではなく、同じところへ戻ってきた
使い手を一人しか見たことがない
人間の怪我や病気も治せるのかと聞いたシーナに、フランは無理だと答える。内側に作用するということは心に触れるということで、人間相手には相応の魔力がいる。人間を治癒できる使い手は、自分でも一人しか見たことがない。
その一人が誰かと聞かれて、フランはあっさり答える。ミミの母親である。蘇生魔法を成功させ、禁忌を犯した犯罪者として扱われている人物と、シーナの適性がここで同じ線の上に並ぶ。
くっつきたがる理由が、性格の話ではなかった
続く雑談がこの回でいちばん効く。ミミが人にくっつくのは母親の影響ではないか、というシーナの推測に、フランは魔法の影響ではないかと返す。誰彼構わず抱きついているわけではないだろう、という指摘つきで。
根拠は本人の言葉で、ママみたいな匂いがした、とミミが言っていたという。ミミがシーナのそばを離れたがらない理由が、性格ではなく相性のいい魔法の側にあったことになる。第3話から積み上げてきた関係が、ここで一度別の説明を与えられる。
二度目ばかりの回で、最後の一行だけが初めてだった
答えは第4話と同じ、曲は同じ曲の別バージョン、魔法はミミの母と同じ属性。この回に出てくるものは、たいてい一度どこかで出たものの二度目である。ミミの提案でさえ、蘇生魔法という言葉としては第4話の再登場だった。
そのなかで、最後にシーナが口にする言葉だけが初めて出てくる。もう逃げない、という短い一行が、二度目ばかりのこの回の唯一の一度目になっている。副題が「わたしの魔法」であることの意味も、そこで決まる。




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