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『出涸らし皇子』第10話の副題は「それぞれの役割」。入れ替わったままの兄弟と帝都の三か所が、同時にそれぞれの持ち場を動かす回だ。アルバトロ公国では兄が弟の名で休戦同盟を提案し、その運び手として自分を差し出す。ロンディネ公国では弟が兄の名で名乗るだけにとどめ、実務をエルナに預ける。そして帝都では、二時間待ったフィーネが駆け引きそのものをやめてみせる。




副題は、三か所で別の役をやっている回の名前だ
「それぞれの役割」という言葉は、この回では二重の意味で働いている。
舞台が三つに割れている
アルバトロ公国には弟の名を使っている兄がいて、ロンディネ公国には兄の名を使っている弟がいて、帝都には二人の留守を預かるフィーネとリンフィアがいる。入れ替わりの「役」と、持ち場としての「役割」が同じ言葉に重なっている。
公式のあらすじも二本立てで書かれている
公式サイトの紹介文は「アルバトロ公国へ接岸したアルノルトは、目覚めた海竜に対抗すべく壮大な休戦交渉へと身を投じる」と始まり、「一方帝都では、留守を預かるフィーネがリンフィアと共に、危険な吸血鬼ユリヤ率いる『亜人商会』と資金援助を懸けた交渉に臨んでいた」と続く。この回の見どころは戦闘ではなく、二つの交渉だと最初に宣言されている。
前回まで名前が出せなかった商会に、名前がついた
前回の時点では、フィーネたちが会いに行く相手は「これから帝都に本格進出したい商会」「率いているのが吸血鬼の女性」としか分かっていなかった。今回は公式の紹介文で「亜人商会」と「ユリヤ」がはっきり書かれている。相手の名前が出た途端に、交渉の中身まで具体的になっている。
交渉は、礼を受け取らないことから始まる
アルバトロ公王との会談は、感謝の言葉を断るところから動き出す。
名乗りは相手のほうが先だ
「アルバトロ公王、ドナート・ディ・アルバトロと申します」と名乗ったうえで、「危険を顧みず遭難者を助けていただいたこと、深く深く感謝申し上げます」と続く。玉座に座らないまま礼を述べている。助けられた側が先に頭を下げる形で、この会談は始まっている。
受け取らない返し方が用意されている
アルノルトの返事は「このようなお礼は不要でございます」で、理由は「我が帝国の船が沈めば、貴国は同じことをしたでしょう」だ。恩を売らないと明言している。断る言葉が、そのまま相手を対等な位置に戻す言葉になっている。
そのうえで、要求は二つ出てくる
一つ目は「ならば我が船に食料と水をいただけないでしょうか」で、二つ目が「そしてもう一つ、貴国の抱える悩みをお話しいただきたい」である。礼を断った直後なので、二つ目のほうが断りにくくなっている。しかも「この問題、大陸全土に波及いたします」と、聞く理由まで添えてある。
公王が黙っていた理由は、正しさではなく経済だった
打ち明けられる中身は、海竜そのものの話から始まる。
眠っていたのではなく、眠らせていた
説明は「我がアルバトロ公国の海域には海竜がいる」「海竜の名はレビアターノ」「200年以上も眠っていた竜なのだ」と進む。ところが「休眠したのではなく眠らせたのだ」「古代の魔道具を使ってな」と訂正が入り、「我が祖先は200年前この魔道具で封印した」「だが先日、杖の宝玉が割れた」と続く。自然現象だと思われていたものが、代々の管理業務だったと分かる。
冒険者ギルドに言えなかった理由が挙がる
理由は二つだ。「海竜の討伐となれば、莫大な報酬を支払わねばなりません」、そして「しかも大陸全土に情報が回ってしまいます」。公王は「その通りだ」と認め、「我が国は海洋貿易で成り立っている」「海竜が現れたなどと知られれば立ち行かなくなる」と続ける。隠していた動機が保身ではなく、国の商売そのものだった。
責めずに、言語化してみせる
アルノルトの応じ方は「分かります」「公王陛下を責めることなど僕にはできません」だ。責めない代わりに、相手が言いにくかった理屈を自分の口で並べ直している。相手の弱みを、相手より上手にまとめてみせることで信用を取っている。
提案は同盟で、運び手は自分だと言い切る
ここからが、この回でいちばん交渉らしい交渉になる。
先に相手の答えを言わせる
「公王陛下はこの後、どのような対応手段をお考えですか」と聞き、「結局は冒険者ギルドに頼るしかないと思っている」という答えを引き出したうえで、「それしかないでしょう」と一度肯定する。相手の案を否定しないまま、そのあとに自分の案を置いている。
提案の中身は、敵国との休戦だ
続けて出るのが「ただ一つ提案があります」で、内容は敵対するロンディネ公国と休戦の同盟を結ぶことだった。理由も具体的で、「向こうは事情を知りません」「貴国が混乱しているという情報だけで、攻め入ってくるやもしれません」と説明される。海竜の話をしていたはずが、いつのまにか隣国対策の話に変わっている。
断り文句を、自分で消してしまう
公王の返事は「それは私も考えたが、ご存知の通り、長年の戦争で他の国とは国交がないのだ」だ。そこへ即座に「この同盟案、僕がロンディネに持っていきましょう」「帝国の全権大使が間に入ったとなれば、向こうも無下にはできないはずです」と重ねる。国交が無いという断り文句を、自分が国交そのものになることで消している。
言い切った理由は、あとで明かされる
会談が終わったあとの説明は身も蓋もない。「ただ、ああでも言っておかないと、なかなか決断しそうにないからな」である。断言したのは自信があったからではなく、相手に決めさせるためだった。
演じ切ったあとの楽屋が、いちばん短い
会談が終わった瞬間の第一声が、この回の主人公をよく表している。
出てくるのは「疲れる」だけだ
立派でしたと労われた本人の返事は「無理して背伸びするのはしんどいよ」「出涸らしている方がよっぽど楽だ」である。作品名になっている言葉が、本人の口では休憩の意味で使われている。ここまで一分の隙もない交渉をしていた人が、終わった途端に元に戻る。
弟の名前だけは、即答で出てくる
ロンディネが攻めてくるかと聞かれると「どうかな」と濁しつつ、「向こうにはレオとエルナがいるから、いざとなれば止めてくれるだろうさ」と続ける。自分の交渉の保険が、弟と幼馴染だという計算になっている。
報告書の書き方まで、弟の名義で考える
報告書の相談も「レオなら、帝国にどう報告する?」という形で始まる。返ってきた案を受けてから、「ただ、報告書が届く頃には、レビアターノによってもうこの国が消えている可能性がある」と付け足す。書式まで弟の名義で組み立てているのが、前回からの続きになっている。
評価は、いちばん届いてほしくない名前に届く
助けられた側からの礼が、この回では二度届く。
公女の礼は、まず賞賛から入る
エヴァ公女が伝えるのは「レオナルト王子のおかげだと、皆が口を揃えて賞賛しておりました」だ。返事は「過ぎた評価ですね」「賞賛を与えるなら、救出に奮闘した船の乗組員にこそふさわしいですよ」である。受け取らない断り方が、公王のときとまったく同じ形になっている。
弟のほうからも、同じ評価が届く
続くのは「弟のために、海竜がいるかもしれない海に飛び込んでくださったと聞きました」「まさしく英雄の行いです」で、目を覚ましたジュリオ公子の言葉として「あなたは理想の王子だと、自分もいつかあなたのようになりたい」が伝えられる。英雄の名前は弟のもので、海に飛び込んだのは兄のほうだ。
処理の仕方が、いつも通り情けない
好意を向けられたと察した本人の内心は「まずいまずいまずいまずいぞ」から始まり、どう弟に説明するかで大混乱する。落ち着けと自分に言い聞かせ、そのうち気持ちは冷めていくと結論づけ、最後は「あー、めんどくさい」「後で考えよう」で打ち切る。交渉では一度も詰まらなかった人が、私事になった途端に全部あとまわしにする。
第8話の時点で、そう書かれていた
下に置いた反応は第10話のものではなく、第8話を見た時点の投稿だ。海の上で船酔いの弟として公国の公女に会った場面を「後の伏線になりそう」と書いている。二話ぶんあとに、その伏線がそのまま回収されている。
弟のほうは、兄を演じて何も言わない
同じ日、ロンディネ公国では正反対の演技が行われている。
事前の指示が徹底している
エルナの指示は細かい。「今のあなたはレオじゃなくてアルよ」「それを忘れないで」から始まり、「普通に挨拶していいわ」「けど余計なことは言わないで」「褒めちゃダメ」「本当に最低限の挨拶だけよ」と続く。兄を演じる方法として指定されたのは、喋らないことだった。
名乗りだけで、役目が終わる
実際に彼が口にするのは「帝国第七皇子、アルノルト・レークス・アードラー。ロンディネ公王陛下に拝謁いたします」という名乗りと、聞かれたことへの短い返事だけだ。援助の可否という本題に入ると、答えは自分ではなく同行者から伝えると引き取ってもらう。人に任せることが、そのまま兄らしさとして通用している。
前回の採点結果が、そのまま作戦になっている
前回、兄の真似をした弟にエルナがつけた点は50点で、理由は「アルなら『船長に任せる』って言うはずよ」だった。今回はその指摘どおりに、任せる形だけを実行している。下手だと言われた演技が、下手なまま正解になっている。
断りを、贈り物の形にして渡す
援助要請への回答は、断りだ。ただし断り方に工夫がある。
断る理屈が、相手の利益で説明される
「アルバトロ公国というライバルがいるように、我が帝国にもライバルがおります」から入り、「もしも帝国が正式に貴国に力を貸したとすると、ライバルの国々は喜んでアルバトロ公国に手を貸します」と続ける。結論は「よって皇帝陛下は貴国の援助要請にお答えできません」「貴国が優勢であればなおさらです」だ。断る理由が、相手にとっての損得として語られている。
代案が、断りの直後に置かれる
すぐに「ですからこれから親善を続け、少しずつ助力できればと皇帝陛下はお考えです」が続き、公王も「要は焦るなということだな」と自分でまとめる。断られた側が、断られたと感じないまま話が進んでいる。
手土産は、本人だった
決め手は「その手始めとして皇帝陛下は私を送ったのです」「貴国の武力の底上げになればと」である。そのうえで「帝国近衛騎士団所属、第三騎士隊隊長、エルナ・フォン・アムスベルグと申します」と名乗り、勇爵家の聖剣使いだと知られると「ご安心を。帝国の外では皇帝陛下の許可なく、聖剣を使うことはできません」と釘を刺してから、「ですが、私の力にご興味はありませんか」と誘う。援助はできないと言った口で、自分自身を差し出している。
実演の仕方が容赦ない
手合わせの提案も「複数でも構いませんよ」から始まり、「同時にかかってくることをお勧めするわよ」まで進む。結果は一方的で、「模造刀じゃなかったら命はなかったわね」「さあ立ちなさい」と続く。見ていた弟の感想は「まるで教官と生徒ですね」「ですが、国の兵にとってまたとない経験となるはずです」だ。援助を断った直後に、断った相手の兵を鍛えている。
二時間待った人が、駆け引きをやめる
帝都側の交渉は、待つところから始まっている。
待つ理由が、戦術ではない
待たされていることを無礼だと思わないのかと聞かれたフィーネの答えは、「会っていただくのはこちらの方ですし、待つのは当然でしょう」だ。そのうえで「今日、都合が悪いのであれば明日」「明日も、とりあえず待ちましょう」と続き、締めが「私にはそれくらいしかできませんから」である。待つことを手札ではなく、自分にできる唯一のことだと言っている。
待たせた側には、目的があった
現れたユリヤの第一声は「驚いたわ、まだ待っていたのね」で、名乗りは「私が亜人商会の代表のユリヤよ」「見ての通り吸血鬼ってわけ」だ。謝罪はないのかと言われても「待つのが嫌なら帰ればいいだけでしょ」と取り合わない。この時点では、まだ交渉相手として認められてすらいない。
待たされていたのは、一人ではなかった
種明かしは「あえて待たせて相手の動向を観察していた」で、内訳は「帝位を争う四人の有力候補者が、それぞれ亜人商会の協力を求めてきたの」「それで今日、全員と会う約束をしてたってわけ」だ。そして「2時間を過ぎたあたりで他の使者は怒って帰っていったわ」「残ったのは(あなただけ)」と続く。試験だと言われていない試験に、一人だけ合格している。
提示できるものを聞かれて、自分を出す
商売の話に入ると、条件は明快だ。「他の候補者たちは大商会が後ろについているから、資金じゃ勝てないものね」「あなたたちについた場合、あたしたちにどんなメリットがあるか、何か提示できて?」。フィーネの答えは「私を好きなように利用する権利を差し上げます」である。資金で勝てない側が出したのは、金額ではなく本人だった。
差し出すものが無くなった側が、降参する
ここからの数往復が、この回でいちばん見応えのある場面になる。
値段を吊り上げようとする問いが続く
ユリヤは何度も脅す。公爵家の令嬢にはできないようなこともさせるかもしれない、と言われても返事は「どうぞお構いなく」「理解しています」だ。弱みでも握られているのかと聞かれても「いいえ。ただお役に立ちたいだけです」で終わる。脅しの言葉が、一つも値切りの材料になっていない。
条件を対等にした瞬間、相手が折れる
決め手は「あなたが私と同等の何かを差し出せるなら、私は喜んでこの身を差し出します」という一言だった。返ってきたのは「無理ね」「私にはあなたと対等の何かを差し出せない」「あなたの勝ちよ」である。続けて「困った子ね」「まったく、駆け引きも何もあったもんじゃないわ」とこぼす。駆け引きをしないことが、駆け引きに勝っている。
要求を出すのは、隣に立っている人だ
何が欲しいかと聞かれたフィーネは「細かいことは私ではなくリンフィアさんが」と譲る。出てくる要求は二段で、まず「私たちの要求は資金です」、次に「私たち以外の帝位候補者と深い繋がりのある商人、商会に打撃を与えてください」だ。ユリヤの受けは「商人のフィールドで打ち負かせってことね」「いいわよ」、そして「暗躍は望むところ」である。作品名に入っている言葉が、また主人公以外の口から出ている。
一つだけ、差し出さなかったものがある
交渉が終わったあとの雑談で、ユリヤは最後の質問をする。双子のうち、聡明な弟と出涸らしの兄のどちらが好きなのか、という問いだ。フィーネの答えは「それは秘密です」だった。この回で彼女が差し出さなかったのは、これ一つだけである。別れ際に置かれる「自分を大事にしない人は他人も大事にできないわ」という忠告も、そのまま次に効いてくる言い方をしている。
そして、海が鳴きはじめる
三つの交渉が形になった一方で、船の上では別の音が聞こえ始める。海が鳴いていると気づいた場面で出るのは「静かにするんだ」「逃げるにはもう遅い」「やり過ごすしかないんだよ」という短い指示だけだ。交渉でどれだけ準備を整えても、相手が話を聞く相手ではない。




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