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『おっさん剣聖II』第10話の副題は「片田舎のおっさん、新年を迎える」。ガトガによる教都の街案内は、そのまま警備の下見になっている。打ち合わせで潰したのはパレードの経路と狙撃と霧で、危ないのは儀式のあとだと全員が見ていた。ところが阿鼻叫喚が響くのは、儀式の最中の大聖堂だ。しかもベリルは、その直前に二度も視線を止めている。一度は口に出して答えをもらい、もう一度は自分で流した。




副題は「迎える」だが、迎えたのは新年だけではなかった
第10話の副題は「片田舎のおっさん、新年を迎える」。二期の副題はここまで一貫してベリルを主語にした形で並んでいて、この回もその並びの上にある。ただし回の中身は、王女と王子の婚姻の儀だ。国家間の一大事が、ベリルの側からは「年が明けた日」としてだけ書かれている。
十話ぶんの副題は、全部ベリルの側から書かれている
並べると、新たな職場に行く、成長を見守る、老輩に己を重ねる、帰省する、雄叫びをあげる、父と対峙する、貴族に招かれる、求婚される、教都に行く、そして新年を迎える。この作品でいちばん大きな公式行事が起きる回でも、副題はベリルの暮らしの側からしか事態を見ていない。招かれる側、求婚される側と受け身が二話続いたあとでも、視点の置き場所だけは動かない。
「迎える」は、自分から動かない動詞だ
第9話の「行く」に対して、この回の「迎える」は自分の足で動く動詞ではない。向こうから来るものを、その場で受ける形になっている。そしてこの回で実際に向こうから来たのは、新年だけではなかった。能動形に見えて中身が受け身なのは、招かれる・求婚されるとはまた別の種類のねじれだ。
残っているのは終盤だけになった
公式の告知で、この作品が全12話であることは分かっている。つまりこの回は、物語が畳みに入る直前に置かれた一話だ。予定された式典という、日取りも段取りも決まりきったものを、終盤の入口に据えたことになる。決まりきっているからこそ、そこで狂ったものが目立つ。
街の案内が、そのまま警備の下見になっている
朝、宿舎にアリューシアとガトガが訪ねてくる。用件は打ち合わせと情報の共有、それに都市の把握を兼ねた散策だ。ガトガはこの街が初めてだろうと言って案内を買って出る。ここから始まる観光めいた場面が、途中で切れ目を作らないまま警備の話へ移っていく。
教会より高い建物は建てられない
道に迷う心配はない、とアリューシアは言う。高い建物を目指せば大きな通りに出られるからだ。ガトガはその理由を「権威を持ってんのは教会だ」「それより高い建物は許可がおりん」と説明する。宗教都市の景観の話が、そのまま見通しの話になっている。教会が一番高いという一行で、地理と監視の条件が同時に決まってしまう。
子供に道を教えるときも、まず教会から
ガトガは続けて「ここらじゃ子供に道教えるときも、まずは教会の場所からだ」と言う。ベリルは、教会の場所さえ覚えておけばおおよその地理は把握できる、と受ける。住人の生活の知恵として語られたものが、数分後には監視位置の話として使い回される。街でいちばん高いところが教会なら、屋上を見張るのに向いているのも教会だ。
観光案内と下見が、同じ説明で済んでしまう
この場面が効いているのは、ガトガが警備の説明をしているつもりで喋っていないところだ。彼が話しているのは街の成り立ちで、聞いた側がそれを守り方へ勝手に翻訳している。教都という街は、案内するだけで守り方の見取り図が出来上がる構造になっている。裏を返せば、攻める側にも同じ見取り図が渡っているということだ。
打ち合わせのほとんどは、パレードの心配で埋まっている
大通りに出ると、正面に婚姻の儀の式場になる大聖堂が見える。アリューシアは、儀式が終わり次第そこを起点に教都の主要な教会をめぐるパレードが行われる、と説明する。ここから会話は一気に実務的になり、案内の口調のまま作戦会議に変わる。
事前に発表された経路を、屋根なしの馬車で
狙われる可能性が最も高いのはその時だ、という見立てが返ってくる。理由は身も蓋もない。事前に発表されている経路を屋根なしの馬車で練り歩くのだから、守る側としては最悪だという言い方になる。それでもやらないわけにはいかない、とも言われる。式典は見せるためのもので、見せる以上は隙ができる。
潰せるものは、ひととおり潰している
対策は順番に挙げられていく。パレードのルートに交わる路地は全て封鎖。潜伏に適した場所は徹底的に潰す。狙撃については、射程に収まる建物を立ち入り禁止にして、住人にも一時的にどいてもらう。屋上の監視も常時行う。霧で視界を奪われた場合まで想定されていて、ヴェルデアピス傭兵団の手口はすでに共有され、風を起こす奇跡の使い手を何人か同行させることになっている。
それでも足りない分は「働き次第」に預けられる
備えとしてはこれ以上ない、という言葉のあとに残るのは人の話だ。あとは直衛にあたる自分たちとレベリオ騎士団の働き次第だろう、とガトガが締める。ここまでの対策は、ひとつ残らず儀式が終わったあとの時間に向けて組まれている。式そのものの最中について、この会話は一言も割いていない。
ロゼのその後は、居場所ではなく「幸せ」で語られる
昼食は精進料理だ。肉を使わずにここまで美味しくできるものがあるのか、とベリルが驚くと、ガトガは肉食が完全禁止というわけでもないが教会騎士団の長としては体裁もある、と返す。その席で切り出されるのが、ロゼのその後だった。
一身上の都合で騎士団を抜け、お咎めはなし
ガトガはまず礼を言う。あの時話していた線で収めることができた、と。ロゼは一身上の都合ということで教会騎士団を抜け、お咎めはなしになった。今はこの国のほうぼうを回って自分の目で見てみたい、と言っていたという。たまに手紙が来るくらいで、どこで何をしているかはガトガにも分からない。
狙われたのは、ロゼだけではなかった
続けて出てくるのが、あの事件のあとにガトガ自身が狙われたという話だ。大した連中ではなかったので一人で対処できた、と軽く流すが、誰の差し金かと問われると「手がかりはないが想像はつく」と答える。密命を果たせなかった以上、教皇としてはどんな手を使ってでもロゼを消しておきたいだろう、という見立てがそこに続く。表向きの話がついていても、それで終わる話ではない。
「幸せ」という語が、人の口を渡っていく
ベリルが「ただ逃亡者として生きるのは幸せではないでしょうね」と言うと、ガトガは「幸せか」と受ける。独りよがりなわがままだとは思うけど、と前置きしてから、幸せでいてほしい、と続ける。ここでこの回は、ロゼの居場所を追うのをやめて、幸せという語のほうを追い始める。行方の分からない相手について語れることが、もうそれしか残っていないとも言える。
見舞いの場面で、言葉のほうが出てこない
直後に場面が変わり、見舞いの礼を述べる声から始まる短い場面が挟まる。治癒魔法も万能ではないと分かってはいた、意識が戻ったとしても自分の足で歩けるようにはならない。そう告げられている。そこに「幸せを奪われた二人に言葉一つかけることもできなかった」という述懐が置かれる。前の場面で願われた幸せと、ここで奪われた幸せが、同じ一語で縫い合わされている。
ミュイの特訓は、できないことを前提に組まれている
場面はバルトレーンに移る。クルニとフィッセルがミュイに特訓をつけている。用意されていたのは、ベリルの道場でいつもやっていた体力作りのコースの再現だ。教える側が新しく考えたものではない。
コースはベリルの道場の再現だった
クルニは、だいたい同じだ、と言い添える。ベリルが遠く離れた教都にいる間も、彼のやり方だけが首都に残って動いている。ミュイは、こんなもので体力作りになるのか、と疑う。実演を見せられると、今度は自分にはできないと言う。
「最初からできる子は一人もいない」
返ってくるのは、できなくてもいい、という言葉だ。最初からできる子は一人もいない、繰り返しやっているうちにできるようになる、必ず、と続く。ここには才能の話も適性の話も出てこない。できないことは前提であって、判定の材料として扱われていない。
断った子が、その場で言い直す
ミュイは「分かった、やってみる」と言い直して走り出す。ポーションを勧められても「いらねえ」と断り、あと五周と言われてもやめない。この子の変化は、いつもこういう短い言い直しの積み重ねで進んでいる。ついてくると言われて「マジかよ」と漏らすところまで含めて、この場面だけは軽い。
密談の締めは、二人の記憶が食い違ったまま終わる
同じ首都で、ルーシーとイブロイが向かい合っている。話題は婚姻の儀と教皇派の動向だ。ただし二人の会話は、やり取りされる情報より口の減らなさのほうが目立つ。
単独行動が最も早いと教えたのは、相手のほうだった
王女一行はとっくに着いているだろう、と急かされたイブロイは、自分は一人で行くから間に合うと返す。そして「最も早く最も自在なのは単独行動」「そう教えてくれたのは君だろ」と付け加える。ルーシーは「さて、覚えとらんの」ととぼけて、自分が言ったかどうかを認めない。
打った手は「協力者を抱き込む」だった
教皇派は追い詰められている、という見立てで二人は一致する。摘発によって研究者を失い、実動戦力も大幅に削られたからだ。然るべき手は打ったのかと問われて、イブロイは協力者をいくらか抱き込んだ、結構な額が飛んでいったがそれも必要経費だ、と答える。足はつかないよう厳選したとも言う。何を抱き込んだのかは、この時点では語られない。
二十年か、幼子か
雑談に見える一往復が、この場面でいちばん引っかかる。この仕事に就いて何年かと聞かれたイブロイは二十年ほどだと答え、ルーシーは出会った頃は年端もいかぬ幼子だったのに、と懐かしがる。ところがイブロイは、知り合ったのは自分が成人してからだと記憶している、と訂正する。ルーシーはそれを「どちらでもよかろ」で流してしまう。
別れ際の言葉だけが、生き死にの話になる
見送りはいらないと言うイブロイに、ルーシーは「死ぬなよ」と声をかける。お主をよみがえらせることは、さすがのわしにもできんからな、と続く。軽口の応酬で通してきた場面の最後だけが、はっきり生き死にの話に切り替わる。イブロイは、自分が死ぬ時は穏やかにと決めている、今はその時じゃない、と返す。
この回には、二種類の「誓い」が置かれている
教皇派の側の場面が挟まる。罪を告白しなさい、という声から始まり、口の利けない傭兵は不便だ、という愚痴が続く。指示通り勤めを果たせば報酬は出す、とも約束される。会話の相手は最後まで声を返さない。
命を差し出す側は、即答している
そこで報告されるのが、摘発された研究者が残したもう一つの研究の解析結果だ。その奇跡は、何者かの命を捧げなければ成立しない。町を蹂躙し、尊き者を害する魔物を作り、それを討ち取る者が救世主になる。そして、それを成せる大きさの魔物を作るには、さらに大きな命が必要になる。この説明を受けた側の返事が「はい、喜んで」だった。
大聖堂では、生涯を共にすると誓われる
場面が変わって婚姻の儀。神の御前で、愛し合う二人が生涯を共にすると誓う、という言葉が読み上げられる。同じ一話のうちに、生涯を共にする誓いと、命を差し出す誓いが並べて置かれている。片方は式場の中で段取り通りに、もう片方は式場の外で即答で交わされている。どちらも神の名のもとで行われているのが、この回のいやなところだ。
ベリルが考えているのは、自分の番のことだ
そのときベリルの頭にあるのは、警備でも王女でもない。俺はいつか誓うことができるのか、あそこにいる二人のように、かつておやじがそうしたように、と考えている。第9話でシュステの申し出を保留したときに挙げた三つ目の理由が、他人の式の最中に戻ってきている。今考えることじゃないんだろうけど、と本人も分かっている。
危ないと見た場所は、襲われなかった
儀式当日。路地の封鎖と警備の配置はヘンブリッツが最終確認中で、儀式が始まる前には合流して直衛に加わる予定になっている。外の警備体制も万事問題ないと報告される。準備は、下見の日に決めた通りに進んでいる。
教皇が来ないことに、最初に引っかかったのはアリューシアだった
司会が、本日の儀式は大司教が執り行うと告げる。アリューシアはすぐに「妙ですね」と漏らす。教皇が来られず大司教というのは、と。ベリルは、ご高齢と聞くので体調不良ではないか、と常識的な答えを返し、話はそこで終わってしまう。国家間の婚姻という格の式に、その国の宗教の頂点が姿を見せない。
参列者は武器を預ける決まりになっている
その少し前、ベリルは参列席のほうを気にして、あの人たちはいいのか、とアリューシアに尋ねている。近隣の貴族が抱えている騎士が、主と共に来場しているのでしょう、という答えが返る。警備に当たる者は別として、参列者は武器を預ける決まりなので問題はない、というのが根拠だ。ベリルも、なるほど確かに、と引き下がっている。
ベリルは二度、視線を止めている
ところがその直後、アリューシアが「先生、どうなされましたか」と声をかける。ベリルの返事は「いや、なんでもないよ」だ。一度目の引っかかりは口に出して答えをもらい、二度目は自分で打ち消している。この人が続けて二度も目を留めた回で、その二度目だけが説明されないまま残される。
潰した場所からは、来なかった
誓いの言葉が届き、光冠をもって証とする段になって、大聖堂に声が飛ぶ。参列者は側面の出入り口から逃げるよう指示が出て、襲撃側が身体強化魔法を使っているという報告が上がる。路地も、狙撃の射程も、霧の対策も、全部パレードのために潰したものだった。襲撃はその一つも使わないまま、儀式の最中に式場の中で始まっている。
終盤、言葉のほうが止まる
そこから先、台詞はほとんど残らない。耳に残るのは「邪魔すんじゃねえよ、おっさん」という一言と、それを受けたベリルの短い息だけだ。イブロイが抱き込んだという協力者が何だったのかも、この回では言葉にされない。新年を迎える、という副題の通り、ベリルは向こうから来たものを、その場で受けている。




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