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東京への逃避行を終えた翌日、朔は明日姉とのデートで、幼い頃に夏休みを過ごした思い出の町を訪れる。そこで明日姉が語ったのは、引っ込み思案な少女がどこまでも自由な少年に憧れた遠い夏の初恋だった。そして明日姉は、東京への進学を懸けた三者面談に、自分の言葉で臨む。両思いだった二人、理屈なしのお願い、そして君は私の月まで、第16話を振り返る。




第16話 思い出の場所へ
第16話は、東京への逃避行を終えた明日姉が、朔と二人で幼い頃の思い出の場所を訪れる回だった。明かされたのは、二人が小さい頃に出会っていたという遠い夏の記憶。そして明日姉は、東京の大学への進学をかけて、父との三者面談に臨む。初恋の答え合わせと、夢を追う決意が描かれた第16話を振り返っていく。
先輩でもお姉さんでもなく
えちぜん鉄道に揺られて向かった先は、着いてからのお楽しみ。駅に降り立った明日姉は、朔に向かって「今だけ君の先輩でも」、「お姉さんでもなくなっていいかな」と問いかける。いつも余裕のある先輩として振る舞ってきた明日姉が、その殻を脱ごうとしている。そんな特別な一日の始まりだった。
久しぶり、と呼びかける明日姉の言葉に、朔はようやく気づく。もしかして小さい頃に会ったことがあるのか。背中ぐらいまで髪が長くて、もっとおどおどしていた。夏休みに一緒に遊んでいた。次々と問いかける朔に、明日姉はイエスと答え続ける。「なんでもっと早く言わねえんだよ」という朔の叫びが、驚きの大きさを物語っていた。
「おとぎ話みたいな現実だってあるんだよ」。前に明日姉が口にした言葉が、ここで本当の意味を持つ。ずっと憧れていた先輩は、遠い夏に出会っていた少女だった。
遠い夏の初恋
宝石箱みたいな街
ここは明日姉が小学6年生までを過ごした田舎町。幼い頃の明日姉は、とても引っ込み思案で面白みのない女の子だったという。4年生の夏休み、近所のおばあちゃんの家に遊びに来ていた男の子と友達になってほしいと頼まれる。それが、幼い日の朔だった。
案内してほしいと頼まれても、何もないよと答える明日姉。けれど朔は「何もないなんてことないよ」と笑う。それからの3日間、朔はどんなことでも楽しんでみせる天才だった。何もないと思っていた街が、「まるで宝石箱みたいに輝いて見える」。また同じ毎日に戻っちゃうと寂しがる明日姉に、朔は「じゃあ冒険してみよう」、「君が見たことないところまで」と手を差し伸べる。
川の管理をする施設をカッパの家だと言い張り、こっそりパイプを通って川に出る。見たことないものに出会えた、同じじゃなくなった。明日姉にとって、朔は「自由そのもの」に見えた。早く来年の夏になればいいのにと、何度も思うほどに。
白いワンピースと約束
5年生の夏休み、新しいワンピースを見せられるのが嬉しくてはしゃぎすぎた明日姉は、泥だらけになって泣いてしまう。せっかくの夏休みなのに。けれど朔は、なんて楽しそうなことを始めているのかと一緒に泥まみれになり、来年は短パンとTシャツを用意しときなよと笑った。
6年生の夏休み、二人でお祭りに行く約束は、父の反対で叶いそうになかった。朔が提案したのは、もう一度父を説得して、それでも許してもらえなかったら、こっそり左耳を触るのが合図だという作戦。「俺が君をさらってあげるよ」。泣き虫だな君は、と言いながら約束どおり迎えに来てくれた朔に、明日姉はずっとドキドキしていた。
お月様とお嫁さん
お祭りの夜、ラムネの瓶に沈んだビー玉を見て、朔は一人ぼっちでかわいそうだとつぶやく。けれど明日姉には、それがぷかぷか浮かんでいるお月様のように綺麗に見えた。朔と同じだと。遠くに行かないでと叫ぶ代わりに、明日姉は言った。いつか朔が一人ぼっちで寂しくなったら、「私がお嫁さんになってあげるよ」。朔の返事は「君の泣き虫が治ったらね」だった。
「これがたった7日間で終わった遠い夏の初恋」。翌年から会えなかったのは、明日姉が引っ越してしまったから。活発そうな子が好きかと思って、ばっさり髪を切ったのも無駄になってしまったという。ラムネ瓶とビー玉、そしてお月様。作品のタイトルにも通じるモチーフが、ここで二人の原点として描かれたのが美しかった。
両思いだった二人
私が憧れたのは君
「なんだよ俺たち両思いだったのか」。朔の言葉に、明日姉はいつから気づいていたのかを明かす。去年の9月、河川敷で出会ったときからだった。いつ打ち明けようかとそわそわしていたのに、朔はうんとややこしい人間になっていた。だから明日姉は、自分の思いは後回しにして、素敵な先輩のままでいようと決めたのだという。
朔が憧れてくれた明日姉は、明日姉が憧れた朔そのものだった。「君が見ている私は幻なんだと」、「本当にかっこいいのは君なんだよと」。がっかりされても、何を今さらと思われてもいい。ここからもう一度歩けばいい。「遠い遠いその背中に追いついてみせるから」。それは、明日姉にとってのスタート地点の確認だった。
大好きなんだよ
けれど朔は、夏休みに遊んだ子どもに憧れたぐらいでそんな風になれるわけがないと言う。前回明日姉が言ったように、朔は何一つ物語にすることを許さなかった。だったら今の自分を物語のおかげにする必要もない。「俺との出会いがあろうがなかろうが」、明日姉はどうせ明日姉だった。
泥んこになって子どもを笑顔にできる。過去の自分を救ってくれた。今の自分を肯定してくれた。そんな今の明日姉に、「俺はもう一度惹かれて憧れた」。「俺はずっと前から君のことが」、「大好きなんだよ」。まっすぐな告白に、明日姉は思ったよりずっと惚れられていたのだと笑う。
「ずっと大切にしていた小さな初恋はこれで終わり」。憧れを追いかけるだけの過去も、これで終わり。ここからは正真正銘、西野明日風の物語だ。初恋を終わらせることで前へ進むという選択が、切なくも清々しかった。
父との三者面談
ありふれた動機
三者面談の席で、明日姉は東京に行きたい、小説の編集者になるためにと切り出す。この世界には、自分が見つけなければ埋もれてしまう物語が、言葉があるのかもしれない。それを届ける手伝いがしたい。けれど父は「ありふれた動機だ」と一蹴する。
教え子にも夢を語る者は大勢いたが、ほとんどは普通の社会人になった。それならまだいい。「不幸なのは中途半端に本気だった時だ」。夢にしがみつき、自分が選ばれなかった側だと悟ったとき、普通に就職し、普通に家庭を築いた同級生を見て、「まるで自分だけが世界から取り残されてしまったような感覚になるんだ」。「いい加減、現実を見なさい」。それでも諦めたくないと訴える明日姉に、父は「なら家族の縁を切るか」、「その代わり家には帰ってくるな」と突きつける。
理屈なしのお願い
何かを諦めるときの感覚が、明日姉を包みかける。そのとき、朔が立ち上がった。憧れている後輩の立場として、頭を下げる。明日姉を東京に行かせてあげてください。父の考えも間違っていないと思う。だから「理屈なしのお願いです」、「ただのわがままです」。
「好きってだけではダメですか」、「叶えられる根拠がなきゃ許されませんか」。大人になるたびに何かを諦め、折り合いをつけなければならなくなるのはわかる。「だけど夢の終わりは自分で決めなきゃダメだ」。そうでなければ、熱く生きている誰かを見たとき、世界から取り残されたような感覚になる。父の言葉をそのまま返しながら、朔は「月にだって手が届くと信じていたいんですよ」と訴える。
夢に敗れたとき「責任を取れるのか」と問う父に、朔は「あんたがそこまで娘を信じられないって言うなら」、「俺が」と言いかける。その言葉を遮ったのは明日姉だった。「ふざけないで」、「そんなプロポーズは死んでもごめんだから」、「するなら10年後にちゃんとして」。緊迫した場面に差し込まれたこのやり取りが、二人らしくてたまらなかった。
明日に向かって吹く風
そして明日姉は、自分の言葉で決意を告げる。私は編集者になる。夢を叶えた人は、最後までそれを追いかけ続けたということだけは、「誰にも否定できない真実だと思うんだ」。両親がくれた大切な名前に恥じないように、「明日に向かって吹く風になるよ」。それでもダメなら、「認めてくれるまで一生お父さんとは口聞いてあげないんだから」。
最後の一言が父に一番効いたのが、なんともおかしかった。娘からそんな台詞を言われるのがこんなに応えるとは、と父がこぼす中、明日姉はちょっとみんなひどいと頬をふくらませる。副題の明日の風が、明日姉の名前そのものから生まれた決意だったと気づかされる、印象的な場面だった。
父の本音
「私の負けだな」。諦めるならそれまでと思い、「あえて厳しい態度を取り続けた」のだと父は明かす。家族の縁を切るというのも、「つい熱くなって言い過ぎた」。そして父は、本当は「バリバリのロックミュージシャンになりたかったんだよ」と打ち明ける。現実を見ろの一言で諦めた過去があったからこそ、娘に同じ思いをさせたくなかったのかもしれない。
「夢を追う理由なんて好きだからでいい」。必要なのは、誰が何と言おうと「自分だけは自分の可能性を信じるという鉄の意志だ」。「好きなように生きなさい」。厳格に見えた父の言葉には、娘への深い愛情が込められていた。さらに父は、朔のことも覚えていた。「大事な娘を二回もさらっていった男を」、「父親が忘れるわけないだろう」。お祭りの夜も、東京への逃避行も。父はすべてお見通しだったのだ。
君は私の月
ありふれたただの寂しさ
東京で夢を叶えてよ、と送り出す朔の言葉は、なぜかさよならに聞こえた。明日姉はそこで悟る。「この感情は」、「ありふれたただの寂しさだ」。いつもの河川敷で朔を待つことも、思いつきでデートに誘うことも、もうきっとない。この人のお嫁さんになることも、きっとない。
泣き出しそうな明日姉に、朔は「治ってないな」、「泣き虫」と笑う。遠い夏の日々と何一つ変わらないその仕草と言葉。手を繋いで帰った道、泥だらけの白いワンピース、ラムネのビー玉、並んで眠った東京の夜。ずっと見守り、行く先を照らしてくれた朔に、明日姉は「君は私の」、「月だ」と告げる。けれど朔は違うと首を振る。蓋の開かない瓶に沈んでいたとき、「どうしようもなく美しく輝いていた月が」明日姉だったのだと。
誰かの月
明日姉は東京で夢を叶えると誓い、朔の輝きが確かに自分を照らしてくれたことを証明してみせると約束する。「私の一生分は」、「ここに置いてくから」。寂しくて涙したり、迷ったり、誰かにもたれかかったりしないように。その決意の強さに、心が震えた。
帰り道、お月様を眺めながら明日姉は思う。お月様は、ただ涼しい顔で微笑んでいるだけではない。誰かの期待や祈りを全部受け止めながら、それでも自分らしくあろうと踏ん張っている。「きっとみんな誰かの月なんだ」。だからもしまた朔が迷子になったら、名前を呼んでほしい。どんなに辛い物語でも、「私がハッピーエンドに変えてみせるから」。「私はあなたのお月様になれるかな」という問いかけで、明日姉の物語は静かに幕を閉じた。
第16話のまとめ考察
初恋の終わりと物語の始まり
振り返ってみると、第16話は明日姉と朔が遠い夏の初恋の答え合わせをし、明日姉が自分の物語を歩み始めた回だった。互いが互いに憧れていたという事実は、運命のように美しい。けれど明日姉は、その初恋を終わらせることを選んだ。憧れを追うだけではなく、自分の足で夢へ向かうために。
父との三者面談も見応えがあった。父の厳しさは、夢に敗れた自分を重ねたゆえの愛情であり、朔の理屈なしのお願いは、その父の言葉をそのまま裏返したものだった。そして最後に父を動かしたのは、明日姉自身の決意と、名前に込められた思い。明日に向かって吹く風という言葉が、副題と見事に重なっていた。
ラムネ瓶のビー玉とお月様というモチーフも、今回で一つの答えを得た。瓶に沈んだビー玉だった朔を照らしたのは明日姉という月で、明日姉にとっての月は朔だった。きっとみんな誰かの月なんだという言葉は、この作品全体に通じるメッセージなのだろう。
寂しさを受け入れながら、それでも前を向いた明日姉。その姿は切なくも、誰よりも眩しかった。明日姉の物語に一つの区切りをつける、美しい一話だった。




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