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『最強出涸らし皇子の暗躍帝位争い』第9話「入れ替わりと、アルノルトの苦悩」は、暗躍を掲げた作品で、主人公が一度も暗躍しなかった回だった。公式が「前代未聞ともいえる暴挙」と呼ぶものの正体は、古代魔法でも銀仮面でもなく白旗である。そして副題の「苦悩」は、80人を助けるかどうかの迷いではない。弟の名前で決めた水準が、そのまま弟への請求書になることのほうだ。その間、題にある語は帝都に残った側のものになっていた。




入れ替わりは仕掛けではなく、外せない縛りとして置かれている
最初の一言で、もう綻びが出る
嵐を切り抜けた船の上で、彼は「レオナルト殿下」と呼ばれている。現在位置を報告され、航路の外れ具合を確かめたあとに出てくるのが「そうだね」「レオ……いや、アルノルト兄さんたちも心配だ」だった。心配しているのは弟のほうなのに、いまの自分は弟の名前を借りているので、口に出せる呼び名は「兄さん」になる。入れ替わりの不便が、最初の台詞ですでに露出している。
アルバトロ公国の船の残骸を見つけたときの反応も、まだ彼のままだった。「もう公女たちは生きていないだろうな」という見立てが先に立ち、続くのは「残念だ」である。この回の彼は、ここから正反対の位置まで歩かされる。
真似は片方向にしか成立しない
もう一方の船では、レオナルトがアルノルトを演じてつまずいている。船長の伺いを「またその話か」「このまま俺たちはロンディネへ向かう」「あと、気分が悪いんだ」「余計なことを聞いてくるな」「面倒だ」と払いのけたところで、エルナの採点が入る。「50点ね」「アルなら『船長に任せる』って言うはずよ」。出涸らしの型はなぞれても、面倒がりながら要点だけ拾う癖までは真似られていない。
エルナ自身が理由を言語化している。「アルがレオのフリをするのは簡単でも、その逆は難しいわね」。無能を演じ続けてきた人間には演技の在庫があるが、正道だけを歩いてきた人間には無い。「僕に兄さんの真似とか無理だよ」というレオナルトの弱音は、そのまま兄が何を積み上げてきたかの証明になっている。
エルナが毎日泣いていた理由が、一行で出てくる
「同じ皇子なのに、なぜ育ちが違うと感じるのかしら」というエルナの疑問に、レオナルトが子供時代を持ち出す。「兄さんは自由人だし、一時期はずっと城の外にいたよね」、そして「毎日なぜか泣いて帰ってきてた」。ここで慌てて答えたのはエルナ本人だった。「あれは、アルがやられっぱなしになってるから、なんとかしようと」。
第3話で語られてきたのは、いじめられていたアルノルトを助けた直後に「軟弱者」と言い放った側の話である。今回はその裏側が出た。彼女は代わりに出ていって、勝てずに泣いて帰ってきていた。心配が稽古の形でしか出てこない性格の出どころが、ここでようやく見える。レオナルトの締め方も律儀だ。「兄さんは明るいし、内心は頼りにしてるんだよ」「僕が保証する」。
彼は自分ではなく、弟の物差しで決めている
判断の主語が「レオナルト皇子なら」になる
生存者を見つけたとき、先に口を開いたのは部下のほうだった。「殿下、レオナルト皇子なら間違いなく生存者の捜索を命じます」。アルノルトは「海竜がいるかもしれないんだぞ」「さっさと離脱するに限るだろ」と抵抗するが、返ってくるのは「あなたはレオナルト皇子なんです」「それらしく振る舞わなければなりません」である。
ここがこの回の仕掛けの中心だ。彼は善人になったのではなく、善人の役を降りられない位置に置かれている。名前を借りたことの代償として、弟ならどうするかという基準で決めなければならない。演じることが、そのまま決断になる仕組みになっている。
危険は否定していない
命令の出し方はこうだった。「船長、これは全権大使としての命令だ」「アルバトロの生存者を救助する」「一人も見逃さない」。船長が「ですが、海竜が来たらどうするんですか?」と食い下がっても、彼は安全だとは一言も言わない。答えは「来たら、その時点で終わりなんだ」「監視よりも、素早く救助活動を終えたほうがいい」である。
危険を否定せず、見張りに人を割く時間があるなら救助を早く終えろという計算だけを置いている。ここは弟の真似ではなく、彼自身の頭の使い方が出ているところだ。そして船長が返すのが「噂には聞いていましたが、あなたは正真正銘のお人よしですね」だった。噂の持ち主はレオナルトである。演技が成功している証拠が、皮肉の形で本人に返ってくる。
「宝を惜しむな、命を惜しめ」で、外交の手土産が海に消える
積み荷を捨てるのは、全権大使の権限で
左舷にさらに50人が見つかり、「この船があれだけの重量に耐えられるかどうか」という報告が上がる。アルノルトは「そうなるだろうと思っていたさ」と受け、対策を問われて即答する。「水と食料以外、全ての積み荷を投棄する」。念を押されたのが「ロンディネへの手土産もですか?」で、答えは「全部だ」だった。
この航海の目的地はロンディネ公国であり、手土産はその会談の道具である。全権大使の仕事に必要なものを、全権大使の権限で海へ捨てている。しかも捨てる決定を下しているのは、その肩書きを本来持っていない兄のほうだ。誰の損になるかで言えば、いちばん損をするのは弟である。
この回の台詞は、どれも短くて言い切りになっている
続く一言が「宝を惜しむな」「命を惜しめ」だった。そして「生きている者は一人たりとも死なせはしない」「分かったな」で終わる。普段のアルノルトの台詞は説明が長く、回り道と皮肉で相手を煙に巻く形をしている。ここでは対句と言い切りしかない。飾りを落とすと弟の喋り方に近づく、というのも今回の入れ替わりの効き方のひとつだ。
現場での号令も同じ調子である。「第三騎士隊、集まれ!」「救助続行だ!」「救える者は救うんだ!」「責任は僕が持つ!」。一人称が「僕」になっていることに注意したい。責任を取ると言っている主語まで、弟の名義で発行されている。
二度目に引き上げられた男と、風呂で溺れた話の回収
最後の一人が「負傷者の救助を先に」と言う
前回、進路変更を頼みに来た公女の弟が、ここで再び出てくる。ジュリオ公子は救助の順番を譲り、「負傷者の救助を先にお願いします」と言う。答えは「分かった」「少し待っていてくれ」だった。そして「ジュリオ公子以外、救助完了いたしました」の報告のあと、最後の一人を取りに海へ飛び込んだのは皇子本人である。3隻の乗員は合計87人で、全員が引き上げられた。
冒頭で「もう公女たちは生きていないだろうな」と言った船が、生存者を一人も落とさずに拾い切った。演じるためだけに始めた判断が、結果として全員の生還に届いている。この作品がこれまで積み上げてきた暗躍の手つきとは、まるで違うやり方である。
「ずぶ濡れのあなたを引き上げるのは慣れていますから」
濡れて戻ってきたアルノルトに毛布を渡した騎士が、妙なことを言う。「ずぶ濡れのあなたを引き上げるのは慣れていますから」。理由はこうだった。「あなたが勇爵家の風呂で溺れた時、引っ張り上げたのは私です」「元々私は勇爵家に仕えていた騎士ですから」。第7話でアルノルトが「俺はこの家の風呂場で溺れかけたんですが」と口にした、あの話である。
受け答えがまた良い。「俺が何かしたみたいな言い方はやめてくれ」と言ったあとに、彼は自分で並べてみせる。「一度目は殴られて沈められ、二度目は人助けだ」。溺れかけたのは事故ではなく、沈められた結果だったことがここで確定する。前回、船室で体調を崩したエルナに休めと言った場面まで含めて、水にまつわる短い伏線が一本につながった。
名乗りは救助が全部終わってからだった。「第三騎士隊副隊長、マルク・タイバーと申します」「以後、お見知りおきを」。アルノルトの返事は「できれば短い付き合いで終わることを願っているよ、マルク」である。相手を嫌っているのではない。この男と縁が続くということは、また誰かに引き上げられる事態が起きるということだ。
前代未聞の暴挙の中身は、帝国船が白旗を掲げることだった
止めている側が、一度も間違ったことを言っていない
アルバトロ公国の10隻に囲まれ、名乗りを上げても返ってくるのは「その場で待機していただきたい」だった。治療が要ると訴えても「待機していただきたい」「決まりなのです」「許可なき船を港に入れるわけにはいきません」で動かない。アルノルトは正面から言う。「僕は多くの者を犠牲にして彼らを助けた」「危険も犯した」「理由は一つ」「彼らを死なせたくなかったからだ」「どうか英断を」。それでも答えは「たとえ何があろうと決まりには逆らえません」である。
相手は悪役として書かれていない。連絡もなく現れた他国の軍船を、許可なしに入れないのは筋の通った職務である。この場面が残すのは、正しい手続きがそのまま人を死なせうるという形だけだ。悪人がいないほうが厄介だ、という書き方をこの作品は何度もやってきた。
最強の皇子が使った手は、負けましたの合図だった
アルノルトの判断は「向こうのルールに従っていたら人が死んでしまう」「公子と公女がいる以上、撃沈はされない」「入港だ」だった。そのうえで、絶対に撃たれない策があるという申し出が出て、掲げられたのが白旗である。アルバトロ側の反応がこの回の答え合わせになっている。「帝国の船が白旗を挙げるなんて、聞いたことがない」「しかも、我々の仲間を救うために」。
公式のあらすじが「前代未聞ともいえる暴挙」と呼ぶものの正体が、これだった。古代魔法でも銀仮面でもなく、降参の旗である。撃たれないためにいちばん確実な方法は、撃つ理由を消すことだった。相手側から「帝国にはあのような皇子がいたのか」という評が出るところまでが一続きで、名前を借りている側にとっては、その評価が全部弟の口座に入る。
強行する場面で、いちばん丁寧な言葉を使っている
見落とせないのが、入港を決めたあとの頼み方である。「船長、この船はあなたの船だ」「すべての乗組員はあなたに命を預けている」「そんなあなたから舵を奪い、勝手に船を操作する無礼をさせないでほしい」。命令ではなく、無礼をさせないでくれという言い方をしている。強行突破の場面で、この回いちばん丁寧な言葉が出てくる。
船長の答えは「あなたのことを甘ちゃん皇子だと思っていました」「ですが、それだけではないようだ」「あなたのことが好きになってきましたよ」だった。最初は「承服しかねますが」「命令とあらば」と渋々従っていた男が、最後は自分から号令をかけている。この回で人物が動いたのは、実はアルノルトよりも周囲のほうかもしれない。
副題の「苦悩」は、弟にできないことがあってはならないという縛りだった
忠告は二度あって、二度とも将来の話をしている
一度目は「やりすぎですよ」「レオナルト皇子はここまでしません」だった。アルノルトは否定しない。「そうだろうな」と認めたうえで、「だからどうした?」「いい機会だ」「レオの代わりに印象付けてやる」「レオナルト・レークス・アードラーはただの甘ちゃんではないのだと」と続ける。弟の評判を上乗せするための計算である。
二度目の忠告が痛い。「そのようなことをすれば、レオナルト皇子はいつかより難しい決断を迫られます」。今日ここで上げた水準は、そのまま弟に課される最低ラインになる。それに対する答えが「平気さ、俺の弟だ」「俺にできてあいつにできないことなんて何一つとしてない」だった。
この一言を誇りとして読むこともできるが、内容としては請求書に近い。今日の判断は弟の名前で記録され、支払いは後日弟が行う。だから副題の「苦悩」は、目の前の遭難者を助けるかどうかで悩んだことではない。弟がこの水準を超えられると信じ切るしかない、という側の苦しさである。
退路の計算だけ、きれいに後回しにされている
忠告はまだ続く。「入港したが最後です」「逃げられませんよ」「最悪の場合、投獄されることも」に対して「分かっているよ」。「帝位争いをされているのでしょう」「政治的材料にされれば皇帝の座は遠のきます」に対して「それはその時考えるよ」。第7話でザンドラの数年越しの計画を横取りし、仕掛ける時期まで逆算していた男の台詞とは思えない。
締めの一往復も同じ調子である。「これで一段落ではありますが、我々は捕虜ですね」に「そうだな、白旗挙げたしな」。そして「行くぞ」「海竜についてアルバトロ公王と話す必要がある」「向こうもそれを望んでいるだろうしな」。結果だけ見れば、閉ざされていた国に入り、相手の望む議題で会談の席まで手に入れている。捕虜という立場が、そのまま入口になっている。
暗躍していたのは、帝都に残ったほうだった
ザンドラが読み負けている
同じころ帝都では、ザンドラが苛立っている。「不甲斐ないわね」「どうなっているのよ」に、側近が「こちらの打つ手がことごとく読まれているようです」と返す。彼女が理解できないのはその点だ。「レオナルトやアルノルトがいないのよ」「それなのに」。そして口をついて出たのが「あの世間知らずなブラウメーベが、私を翻弄しているとでも」だった。旗印として残されたフィーネのことである。
判断は撤退だった。「しばらくはレオナルトの勢力に手を出すのはやめて、ゴードンの相手に力を注ぎましょう」。側近の「公務大臣を奪われた恨みは、また後で晴らせばよいかと」という一言も効いている。第7話でアルノルトが数年越しの計画ごと横取りしたあの件は、相手側で恨みとして残り、まだ清算されていない。
読み方の出どころがモンスターだった
種明かしはすぐ来る。「お見事ですな」と唸られ、わずかな情報でよく相手の狙いが分かるものだと感心されたリンフィアの答えが、「モンスターの攻撃を読むのと同じです」だった。手口も説明される。ザンドラがレオナルトの勢力へ攻勢をかけたタイミングで、ゴードンの陣営へ情報を流す。狙いは「ザンドラ様の勢力に攻勢をかけさせるために」であり、結果としてザンドラは自分の支持者を守るのに手一杯になる。
つまりこの回で「暗躍」という語を担当しているのは、主人公ではなく冒険者のほうである。第7話で「民のために戦うのが冒険者の本分ですから」と言った人が、宮廷の潰し合いを設計している。しかもその技術の出どころは、貴族の教育ではなく討伐の現場だった。題に掲げられた語が、本人不在の帝都で別の人物のものになっている。
自己評価と、敵の評価が正反対になっている
同じ屋敷の中で、フィーネはリンフィアに「すごいですリンフィアさん」と素直に感心している。リンフィアが「どうしてそこまで私を信用するのか気になったので」と聞くと、答えは「アル様があなたを信用しているからです」だった。新参者が出しゃばっているのではないかと気にするリンフィアに、フィーネは「私がお役に立っても、リンフィアさんがお役に立っても、一緒ではないですか」と返す。そばの従者が横から解説する。「フィーネ様は他の人が一番、自分が二番なのです」。
続くリンフィアの質問は容赦がない。「あなたはどうして帝位争いに加わっているんですか」「失礼ですが向いているとは思いません」。フィーネは「そうですよね、自分でもそう思います」と認め、理由を「いつまで経ってもアル様たちのお役に立てませんから」と言う。ところが同じ回で、ザンドラは彼女を自分を翻弄している黒幕として名指ししているのだ。落ち込んでいる本人だけがその評価を知らない。
彼女の決め方が、海の上の判断とそっくり同じ
盤面を作ったのもリンフィアだった。「では、役に立つとしましょう」から始まり、帝都で絶大な人気を誇るフィーネの支持を欲しがっているのは商人だと示し、狙い目はこれから帝都に本格進出したい商会だと絞り込む。従者が「あなたへの評価をもう一つ上げなければいけませんな」と唸り、二人の皇子も目をつけながら接触していない理由を出す。率いているのが吸血鬼の女性だからである。
「帝国の民はキールの事件で吸血鬼への印象がよくありません」という説明に、フィーネはこう応じる。「その方と会ってみましょう」「人柄を見てから判断をしたいと思います」。肩書きで切らずに、目の前の相手を見てから決めるという手順である。同じ日に海の上では、敵国の遭難者を「生きている者」として数え直した判断が下されていた。離れた二か所で、同じ形の決め方が同時に起きている。
入れ替わりと苦悩は、結局ひとつのこと
副題は「入れ替わりと、アルノルトの苦悩」である。前半が入れ替わりで後半が苦悩、という並びに見えるが、実際には二つで一つだった。弟の名前で決めるかぎり、称賛も負債もすべて弟の記録になる。だから彼は迷わず助け、迷わず捨て、迷わず白旗を掲げ、そのうえで「俺にできてあいつにできないことなんて何一つとしてない」と言い切るしかない。
そして、その間ずっと帝都では、この作品の題にある語が別の人物のものになっていた。暗躍する皇子が一度も暗躍しなかった回に、留守番を任された二人が盤面を動かし、片方はそれを自分の手柄だと思っていない。名前と働きが持ち主から離れていく話として、今回はきれいに揃っている。




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