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最終回は、戦いの決着ではなく、一人の死をどう作るかという話から始まる。事故に見せかけるはずだった暗殺は、予定になかった敵の出現で崩れていく。その裏で流れるのは、神を恨み、それでも決断を引き受ける独白だった。友を失った男は参謀本部に戻り、誰よりも大きな権限を手にする。そして戦争が終わると信じた直後に、戦線は別の場所へ広がっていく。副題の「出口」は、最後に裏返される。




副題は「出口」、最終回は親友を殺す段取りから始まる
公式サイトが第12話に付けた副題は「出口」で、あらすじには、ルーデルドルフは人間であったから、友の手によって正される、と書かれている。最終回は戦いの決着ではなく、ある一人の死をどう作るかという話から始まる。
「殺してもらいたい」という依頼
冒頭で思い返されるのが、親友を一人「殺してもらいたい」という依頼だった。事情を知る者は「信の置ける副官のみ」に絞り、目撃者は最小限に抑えるという。最終回の最初の台詞が、戦争の勝敗ではなく味方の暗殺の手順であることが、この作品の締め方をよく表している。
「不幸な事故のタイミングを狙わねば」
狙うのは戦死ではなく事故だった。「あくまでも整備不良が原因の事故でなければならない」「パラシュート脱出の機会を与えてはならない」と条件が重なり、「絶対に失敗は許されない」で締まる。殺意を事故の形に包むための条件だけが淡々と並べられていくのが恐ろしい。
「虫の知らせというやつかもな」
一方で出迎えを待つ側では、ルーデルドルフが出発前に託していったものが届けられ、受け取った側がどこか落ち着かない様子を見せる。自分でも分からないと言い、「虫の知らせというやつかもな」と付け加える。計画を知っている側の胸騒ぎを、計画の説明より先に見せているのがうまい。
護衛の任務という隠れ蓑
ターニャ・フォン・デグレチャフの部隊が負っている表向きの任務は、大将を運ぶ機の誘導と警備である。守るふりをしながら死なせるという二重の役目が、そのままこの回の緊張の源になっている。
予定になかった敵と、崩れていく段取り
ところが空の上では、計画にない出来事が次々に重なっていく。事故を装うはずの時間に、本物の敵が割り込んでくる。
「どう考えても単なる偶発遭遇ではないな」
前方に敵の爆撃機が現れ、そこから魔導反応が感知される。ターニャの受け止め方は、都合のいい偶然などは嘘だ、というものだった。計画を隠している側が、敵の出現を偶然と信じられないという皮肉が効いている。
「外部の目は意識せざるを得ない」
部下からは、この際自分が直掩という口実で、という申し出もある。だが返事は「ダメだ 露骨すぎる」で、「外部の目は意識せざるを得ない」「護衛の手を抜くわけにはいかない」と続く。暗殺を企てている部隊が、誰よりも真面目に護衛をしなければならなくなる逆転が面白い。
「なぜだ どうしてこうなった」
やがて護衛の部隊が敵と接触し、ターニャの口から「なぜだ どうしてこうなった」が出る。最終回の最初の「どうしてこうなった」は、計画が狂い始めた瞬間に置かれている。
空の遭遇戦と、「ラインの悪魔」
遭遇戦は、別の国の思惑も巻き込んで広がっていく。敵の側にも、ターニャを知る者がいた。
「ラインの悪魔は引き受ける」
敵方では、連合王国の部隊を無事に受け入れることが最優先の命令として伝えられる。そこへ加わったミケル大佐は「ラインの悪魔は引き受ける」と言い、「ゲストのもてなしはホストの役目だ」と続ける。敵の側にも礼儀と筋道があり、それが戦いを長引かせる理由になっている。
「思えば思うほど気が楽になる」
狙われる側のターニャは、敵との差を考えるほどに「思えば思うほど気が楽になる」と感じ、狙われているのに不愉快とは程遠いと言う。追い詰められるほど落ち着くという戦闘狂の顔が、最終回でもまったく変わらないのがこの主人公らしい。
「あのデグレチャフですらも弱音を吐くか」
それでも苦戦は隠せない。その様子に「あのデグレチャフですらも弱音を吐くか」と言う声があり、続けて「いつかゼートゥーアのアホに話してやりたいものだ」と出てくる。計画を立てた側の名前が、親しげな悪口として口にされるのが、あとから思い返すと苦い。
「マッドはどこの国にもいるらしい」
新たに現れた連邦の魔導士について、ターニャは魔導反応の垂れ流しがひどいと評し、「マッドはどこの国にもいるらしい」と言う。自分のことを棚に上げたまま他国の狂気を笑う台詞が、最終回でも手抜かりなく置かれている。
祈る敵と、神を恨む独白
戦いの最中、二つの祈りが交互に重ねられる。一つは敵の魔導士の祈りで、もう一つは神に向けた恨み言である。
「一体何が正しかったのか」
長い独白は「義務 必要 友情」という三つの言葉から始まり、「一体何が正しかったのか」と問う。「いつでも自分は自分のつもりだったが」「流されて選ばされて」と続き、「あがくことのどこに自分がある」と結ぶ。親友の死を段取りした者が、自分の意志のありかを見失っていることを正直に吐き出している。
「祈りを返せ」「希望を返せ」
そして独白は「神よ」と呼びかけ、「祈りを返せ」「希望を返せ」と迫る。祈りそのものを取り返そうとする言い方に、信仰を失った者の怒りが込められている。
「もとより畜生となる覚悟はあった」
それでも独白は迷いで終わらない。「もとより畜生となる覚悟はあった」と言い、「甘んじて卑劣漢にすらなろう」と続ける。「祖国の未来と歴史だけが」「己を分かってくれればよい」と言い切り、「それ以上を望めば強欲が過ぎる」と締める。理解されることを最初から諦めたうえで決断するという覚悟が、あらすじの「友の手によって、正される」の意味を裏づけている。
敵の魔導士の祈り
並行して、敵の魔導士は神に呼びかけ、「われは汝の矢」と祈りながら撃ってくる。神を恨む祈りと神にすがる祈りが同じ空で交錯しているので、どちらの祈りも報われない構図が際立つ。
ルーデルドルフの最期
事故を装うはずだった計画は、結果として敵の攻撃による戦死という形で終わる。その最期は、短い言葉だけで描かれる。
「それでいい」
機内では脱出を促す声が上がるが、返ってくる言葉は「それでいい」だった。自分の死を受け入れる一言が、計画した側ではなく死ぬ側の口から先に出てくるのが重い。
「ああ 私を狙うだろうと思っていた」
最期の場面では、狙われることを分かっていたという言葉と、友を疑った自分を恥じなければならない、という思いが続く。疑いながらも最後まで友を信じようとしていたことが、わずかな言葉だけで伝わってくる。
「他人が手を汚してくれるのであれば」
一方でターニャの受け止め方は冷ややかで、「他人が手を汚してくれるのであれば」「それに越したことはない」と考える。主人公だけが最後まで感傷を持ち込まないので、この場面の悲しみが周囲の側に集まって見える。
参謀本部に戻ったゼートゥーア
友の死のあと、ゼートゥーアは帝都に戻ってくる。その扱いは、それまでとまるで違っていた。
「懐かしの参謀本部だな」
輸送機には乗りたくなかったと冗談めかしてから、ゼートゥーアは「懐かしの参謀本部だな」と言い、「よろしく頼むよ、諸君」と続ける。親友の死の直後とは思えない軽さが、かえって何かを押し殺している様子を伝える。
「友人を失ったんだからな」
そのまま仕事に戻るよう促す姿に、訓示の一つもなしかという声が上がり、「仕方ないだろう」「友人を失ったんだからな」と返される。そっけなく見える振る舞いを、周りが友を失った人のものとして受け止めている会話が切ない。
前代未聞の肩書き
ルーデルドルフの後任はゼートゥーア以外に考えられないというのが参謀本部の総意で、前代未聞の肩書きが与えられたと語られる。本人は「おかげで一元指導という名目は立つか」と受け止める。権限を手に入れた理由が友の死であることを、本人がいちばんよく知っている。
「奴には向こうで詫びればよかろうて」
葬儀には出ないのかと問われて、ゼートゥーアは仕事があると答え、「奴には向こうで詫びればよかろうて」と言う。弔うことより、友が残した仕事を続けることを選んだという宣言に聞こえる。
「生まれて初めて連合王国人に感謝した」
続けて出てくるのが「生まれて初めて連合王国人に感謝した」という言葉で、それ以上言うべきことはないと締められる。手を下したのが結局は敵だったことへの、皮肉な安堵がこの短い一言に込められている。
葬儀と、ターニャの勝利宣言
最終回の後半は、葬儀の報道と、それを受けたターニャの独白で進む。ここで物語は、いつもの形へ戻っていく。
クルト・フォン・ルーデルドルフの葬儀
報道は、クルト・フォン・ルーデルドルフ大将閣下の葬儀が執り行われると伝える。帝国の人々の一人として無言の帰宅を果たした、という言い方がされる。暗殺の真相を知る者が一人も口を開かないまま、英雄の葬儀として片付けられていくのが冷たい。
「思い知ったか存在X」
そのうえでターニャは、味方殺しの不条理さえ乗り越えたと言い、「強固な自由意志だけが未来を切り開く」と宣言する。締めは「思い知ったか存在X」だった。最終回の独白が神への勝利宣言として置かれているので、このあとに来るものの落差が大きくなる。
「これで戦争も終わる」
独白はさらに「これで戦争も終わる」「私もやっと足を洗える」と続く。だがその直後、画面は別の場所に移り、帝国に撃たれる側の兵士の叫びが入る。「あいつら本気で俺たちまで撃つのか」と言い、ぼろぼろになった緑と白と赤の旗が映る。戦争が終わると信じた瞬間に、戦線が別の国へ広がっていたと分かる結末になっている。
まとめと考察
第12話は、「出口」という副題を最後に裏返して終わった回だった。ルーデルドルフにとっての出口と、ターニャが思い描いた出口は、まったく別のものだった。
友の手によって、正される
あらすじが書く「友の手によって、正される」は、ゼートゥーアが親友の死を段取りしたことを指していた。独白の中身を聞くと、それが友情を捨てたのではなく、友情の形を変えた決断として描かれていると分かる。冷酷な決断を、冷酷な人物にさせないという描き方が最終回を重くしている。
「どうしてこうなった」が何度も出てくる
この回では、計画が狂い始めたときにも、敵の援軍が現れたときにも「どうしてこうなった」が出てくる。そして勝利を宣言した直後に、いつもの嘆きで物語が終わる。お決まりの台詞を重ねていくことで、この作品らしい最終回の締め方に落ち着いている。
出口はどこにあったのか
ターニャにとっての出口は戦争の終わりで、ゼートゥーアにとっての出口は祖国の未来だった。ルーデルドルフにとっては、友を信じたままの最期が出口だったのかもしれない。三人の出口が一つも重ならないことが、この戦争が終わらない理由として置かれている。
燃えていくタイトルの数字
最後に映るタイトルロゴでは、数字の部分が燃えて消えていく。原作小説やコミカライズでは物語が続いていくと、公式の告知も添えられた。画面の上では終わらせず、戦争が続いていることだけを残して閉じたのがこの作品らしい。




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