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『逃げ上手の若君 第二期』第20話の副題は「かけがえがないもの」。第二期の副題八本で、人も物も名指ししていないのはこの一本だけである。賭場で大敗した玄蕃を助けるため、時行は自分を賭けて勝負の席に座る。雫が「私たち郎党は命に代えても兄さまを守る」と言い切る一方、締めでは人の命はかけがえがないから使い潰せ、という理屈が通る。同じ一文が、正反対の結論に使われている。




副題だけが、何も名指ししていない
第二期の八本を並べてみる
公式サイトに並ぶ第二期の副題は、第十三回「もう一度、食べタイ!」から始まり、「亜也子のドキドキ大作戦!」「時行と三大将」「愛の戦士!信濃仮面」「負けざる者たち」「神になった少年」「ぼくのおじさん」と続く。
人か、物か、どちらかが必ず題に入っている。ところが第二十回だけが「かけがえがないもの」で、その「もの」が何を指すのか言っていない。
賑やかな記号が、途中で消えている
前半四本には感嘆符やハートが付いていて、見ただけで賑やかだと分かる。第十七回からそれが消え、語だけが残る。
京へ入る回で、副題から飾りが完全に落ちた。今回の中身が飾りの話だと考えると、この並びは面白い。
公式のあらすじは、最後だけ問いかけになっている
公式のあらすじは「広さも経済も何もかもが段違いの都を前に気圧され、刺激を受ける時行たち」と説明したうえで、玄蕃の大敗と魅摩の登場を告げる。
締めが「時行は厳しい京の荒波を乗り越え、自らの糧とできるか」で終わる。結果を書かずに投げているのは、この回のあらすじだけである。
放送直後の投稿を並べておく。
京は、広さと落ちぶれ方が同じ画面に入っている
まず段違いだという感想が来る
都に着いた時行の第一声が「広さも経済も 鎌倉より段違いだ」。そのあとに続くのが「尊氏は こんな都で 権力争いをしてるのか」。
敵の居場所として都を見ている。観光の目と、天下を狙う目が同時に働いている。
変人まで段違いだという落ち
道すがら、びわの種が憎いという理由で「どうか仏様 この世のすべてのびわから 種を消滅させてくださいませ」と願い出る人物に出くわす。
感想が「さすが 京だ 変人っぷりも 信濃とは段違いだぜ」。段違いという同じ言葉が、二つ目では笑いの側に落ちている。
吹雪だけ働きに出ている
一行が都を見て回っている間、吹雪は「お金ないから まず稼ぐ」と言って現れない。理由の説明が「あちこちで建物新築してるから 人足の仕事もすぐ見つかる」「賃金も諏訪や鎌倉より 全然高いよ」。
前の回で懐を空にした人が、そのまま金策に回っている。都の景気の良さが、観光ではなく求人の話として入ってくるのが良かった。
同じ都を、腐っていると言う人もいる
後半で絡んでくる武士の言い分が「まったく 京の都は腐っとる」「公正な判決は 下せないわ」「武士も小娘も 卑猥な服だわ」「昼から酒飲んで 管を巻く」。
同じ町が、片方には段違いに見え、片方には腐って見えている。どちらも本当のことを言っている。
郎党のために、主君が即座に座る
賭場での負け方が徹底している
玄蕃の状況が「無一文どころか もう借金20貫」。しかも身ぐるみ剥がされていて、返済が終わるまで山奥で強制労働だと言い渡されている。
説明役の見立てが「博打に負けて 身ぐるみ全部剥がされた絶望と 女たちの監視の中で 全裸すごろくをする興奮で 心が壊れたんだ」。負けたうえに壊れている、という二段構えだった。
「金じゃない 自分賭けでさ」
一行が金で解決しようとすると、返ってくるのが「戦の負けは戦で 賭けの負けは賭けで返すが 世の決まりだよ」。そのうえで席を指して「金じゃない 自分賭けでさ」と言う。
時行の返事が「すごろくはよく知らない 教わりながらでいいのなら」で、断らない。ここで雫が「兄さま!」と割って入る。
値踏みしていたのは相手のほうだった
この一連を見ていた魅摩の内心が「郎党も迷わず従い 金を出す 東国武士か」。主君が間を置かずに座り、郎党がそれに従う。その一続きを数えている。
「田舎者だが なかなかの家の坊ちゃんとみた」と当たりを付けている。誇り高い田舎侍を汚してみたい、という言い方までする。助けに入った行動が、そのまま次の獲物の証明になっている。
相手の素性が、諏訪まで届いていた
名乗りを聞いた側の反応も早い。相手は佐々木道誉の娘で、ナレーションの補足が「佐々木道誉 京の裏を握る西国武士 その名は 遠く諏訪の地にまで 轟いていた」。
都の人物としてではなく、田舎まで名が届いている人物として紹介される。時行たちの側から見た距離感で書かれている。
新しい相手についての反応も多かった。
運がほぼすべて、と説明された勝負で、運以外が効く
まず簡単な遊びだと説明される
選ばれたのは「すごろくの中でも この柳は至極単純」なもので、「交互に賽を振り すべての駒を 端まで進めたほうが勝ち」。ぴったりの数でないと余った分だけ戻る、という決まりも添えられる。
結論が「つまり サイコロの運が ほぼすべてさ」。ここで運の話だと宣言されている。
神力の説明が、運の上に乗る
続けて神力の説明が入る。常人が使っても「おぼろげな未来や 見えない存在が見えたり 少し運が良くなったりする 程度の力」でしかない。
ただし「そのわずかな力が 賭け事では勝敗を左右する」。ほんの少しの上乗せが、運だけの勝負では決定打になる、という理屈になっている。
神力は心の状態で出入りする
さらに条件が加わる。「神力は 心の状態にも左右される 神のごとく泰然とすれば 神力は寄りつき 人間くさく動揺すれば 離れていく」。
だから「賭け事において 張ったりとは 相手の心を乱して 神力を奪う行為」だという。勝負の中身が、賽の目の話から心の話へ移し替えられる。
実際に効いていたのは、手のほうだった
差が詰まっていく理由を見抜くのが玄蕃である。「周囲の注目が雫の口元に集まる間に 他の駒も握り込んで進めてる」。
心を乱す張ったりと、手元のいかさまを、同時に使っていた。運がほぼすべてと説明された勝負を、運以外の二つで取りに行っている。
崩れたのは、説明した側だった
実際に動揺するのは、仕組みを丁寧に説明していたほうである。「やばい 心が乱される 運が逃げていく」。
神力が離れる条件を自分で口にした人が、その条件どおりに離される。教えた手順で負けているのが、この勝負のいちばん気持ちのいいところだった。
勝負そのものへの反応も並べておく。
「一つだけ嘘ついてた」
先に否定させておく
勝負の途中で、魅摩が雫に絡む。「兄様 兄様 言ってるけど 兄じゃないでしょ」「なのに身代わりで あんたの身を賭けるってことは 男として好きとか?」。
雫の答えが「全然」「主君だから 身代わりになるのは当然だけど 男性としては 全然の全」。ここで一度、はっきり否定している。
主君を推す言葉が、そのまま郎党の話になる
続けて雫が並べるのが、力になってあげたいと思わせるだけの事情があり、仕えるに足る将来性があり、何より穏やかな主君に巡り合えたのは幸せだ、という理屈である。
締めが「だから私たち郎党は 命に代えても兄さまを守るの」。個人の気持ちではなく、郎党全体の話として言い切っている。
嘘の申告のあとに、本当が来る
そのうえで付け足すのが「それと 一つだけ嘘ついてた」。何を嘘だと言ったのかは、言葉ではなく行動で示される。
張ったりの定義がそのまま実演されている。相手の心を乱して神力を奪う行為だと説明されたことを、いちばん効く形でやって見せた。
勝ったあとに、また嘘へ戻す
決着後の念押しが「好きじゃないから 兄さまのことなんて 全然」である。時行のほうは「何か気にさわること言ったかな」と首をかしげている。
本当を見せて勝ってから、元の建前に戻して終わる。勝負の作法としても、この人の普段の態度としても筋が通っている。
郎党の側から見た投稿も並べておく。
同じ言葉が、守る側と使い潰す側の両方から出る
負けたほうが気前よく引き渡す
決着後の魅摩の反応が早い。「気に入ったわ 持ってけ!」「なかなかのバサラじゃん あんたら!」と言って、賭けた分をそのまま渡してしまう。
理由が身なりのほうにもある。身ぐるみを剥がされたままの格好で歩かせては「名門佐々木家の名に 傷がつく」というのが言い分だった。負けを認める言葉が、そのまま自分の家の面目の話になっている。
バサラという言葉の説明が入る
大口袴の説明から、ナレーションが本題に入る。幕府を倒して京に入った武士たちが過激な服装を始め、貴族までが真似をした。人呼んでバサラ。
締めが「武士が生み出した 日本で最初のファッションブームである」。そして仕掛け人が魅摩の父だという。政治の話が、流行の話として説明される。
「今は 自由な奴の天下だよ」
魅摩の勧めが「古い武士観なんて 捨てちゃいなよ 若ちゃん」「時代も常識も変わってる」。そして「今は 自由な奴の天下だよ」。
天下という言葉が、ここでは自由な者のものとして使われている。時行が目指してきた天下とは、同じ字でまるで別のものを指している。
時行が、自分は古いと認める
絡んできた武士に対して、時行が考えるのが「君は 良家の子女だろ 顔に傷でもついたら大事だ」。そのすぐあとに続くのが「なんて考えも古臭いか」。
結論が「どうも 私は バサラに向いてないらしい」。捨てろと勧められた側が、捨てられないと自分で認めている。
郎党のほうは、切り替えが早い
絡んできた武士を前に、時行が確かめるのが「騒ぎになる前に この侍を落とせるか」で、弧次郎の返事が「もちろん」。亜也子も同じ調子で構えている。
古臭いと自嘲した直後に、始末の相談だけは即決している。捨てられない感覚と、迷わず捨ててある判断が、同じ人の中に並んでいる。
都に着いてからの時行は、気圧されっぱなしのように見えて、必要な場面では一度も遅れていない。
使い潰す側の口から出る
締めの場面では、戦に疲れた側が「もう戦は嫌でござる」と弱音を吐く。そのすぐあとに置かれるのが「いかに無能でも 人の命はかけがえのない大切なものです」である。
ところが続きが「最後まで絞って使い潰さねば 御仏もお怒りになりましょう」だった。同じ言葉が、守るためではなく使い切るための理由として並べられている。
副題が二つの意味を持っている
雫は郎党として「命に代えても兄さまを守る」と言い、締めの場面では人の命がかけがえのないものだから使い潰せ、という理屈が通る。
同じ回の中で、命はかけがえがないという一文が、正反対の結論に使われている。副題が何も名指ししていないのは、そういうことだったのかもしれない。
対比を見ていた投稿もあった。




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