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『幼女戦記II』第10話の副題は「活路」。イルドア侵攻に勝算はないと結論が出て、対話で活路を見出す方針に切り替わる。ところが帝国が差し出した無賠償・無併合・民族自決は、相手には露骨な挑発として届いた。譲歩が譲歩と受け止められないこともある、という外交の講義が、その場で実演されてしまう。しかも断られた本当の理由は、条件ですらなかった。




副題「活路」は、対話のほうを指して出てくる
回の頭に置かれるのは、イルドアの制圧を最高統帥府が真剣に検討し始めた、という話だ。ジリ貧を避けようとして無謀な大博打を望む上層部、という言い方で、上のほうの温度が説明される。存在Xが嘲笑うような結末は受け入れがたいが、犠牲の羊も御免こうむる。問題は抜け方だ、というところから始まる。
侵攻案は、最初の一撃に全部を賭けても届かない
検討の結果は明快だった。戦略的奇襲の第一撃に全てを賭し、国境部で敵の野戦軍主力を撃滅し、電撃的な進撃で北部を制圧する。そこまでやって「これで限界です」で、しかもすべてが非現実的なまでに都合よく運んだ場合の話だという。南方の兵力を東部へ回すなど夢のまた夢だ、と結論が出る。
相手が話の通じる国だという一点が、方針を決める
イルドアは徹底した風見鶏で、同盟国としての友情を謳いながら南方軍撤兵の受け入れは徹底拒否した相手だ。それでも、実力行使よりも先に口舌が来る国だ、という見立てが出る。イルドアとは話せる、ならば対話で活路を見出し得るわけだ、と副題がここで台詞になる。
「和戦両用」だが、重心は外交に置かれる
どちらに重きを置くのかと問われた答えが、残された時間の中で外交的努力に最大限傾注するしかあるまい、だ。だらだら交渉している間に前線の将兵がどれほど血を流すか、無駄にできる時間など皆無だ、という理由がその場で添えられる。外務省の新任参事官コンラートと組め、という指示までが一続きで出てくる。
イルドアの回は、二度とも同じ人が撮っている
公式サイトは話数ごとに脚本・絵コンテ・演出・作画監督まで載せている。第10話の欄を前の話と並べると、この回の位置がはっきりする。
絵コンテと演出の単独兼任は第3話以来
第10話の絵コンテと演出は、どちらも松原聡。一人で両方を担当するのは第3話以来の二度目で、その第3話の副題は「善意の仲介人」だった。イルドア王国が蠢動する回だ。イルドアと外交がいちばん前に出る回を、同じ人が二度とも担当していることになる。
脚本は十話続けて一人だけ
脚本は猪原健太。第1話からこの第10話まで、一度も分担していない。総作画監督も第2話以降はずっと細越裕治で、この回も変わらない。会話だけで二十分以上を持たせる回を、同じ座組で通していることになる。
「この戦争には勝てますか」と、正面から聞かれる
コンラートとの初対面の席に、レルゲンはターニャを同席させる。現場をよく知る人間として、という理由づけだ。挨拶が終わるとすぐ、コンラートは率直にいきましょう、と切り出す。
答えは「無理です、勝てません」
この戦争には勝てますか、直裁にお答えいただきたい、という問いに、返事は「無理です、勝てません」だった。これ以上は不毛と断言してもよろしい、とまで付け足す。悲観的すぎるのではという反応には、完全な勝利をご希望ならば詐欺師にでもお尋ねください、と返す。
根拠は敵の数だけで足りている
帝国軍は強力だが、世界を単独で殴り殺せるほど強力ではない。協商連合と共和国は退けたが、連邦と連合王国は牙を剥き続けていて、合衆国参戦の可能性も無視できない。いやはや敵だらけです、これでは勝ちきれません、で説明が終わる。出口なきジリ貧と評すのが論理的必然では、と締める。
「この化け物は勝手に育ったのだが」
野戦帰りの軍人がそこまで言えるとは、帝国軍の教育は大したものですな、というコンラートの感心に対して、レルゲンの内心の返しが置かれる。この化け物は勝手に育ったのだが、という一言で、褒められた側が褒められた理由を否定している。この回で唯一、声を出して笑える場所だ。
軍を引きずっているのは、死者への負債だった
損切りに入るべき段階だ、という言葉を受けて、では守るべきラインはどこか、軍の肌感覚ではどこまで許容できるのか、と問い返される。ここからしばらく、答えられない側の話になる。
現場ですら意見が違う
正直、何と答えたものか、というのが内心だ。あいにく現場ですら意見が異なる、肌感覚と言われても困る。鬱屈した世論ほどではないが、軍ほど死者への負債に引きずられる集団も稀だ、という自己分析がそこに続く。損切りできない理由が、勘定ではなく死者の側にあると分かっている。
「願望のホッチキス」
それでも叩き台を作ってくれ、と頼まれたときの返しが強い。最高統帥府からの要望は願望のホッチキスで、しかも参謀本部ですらまとまらない、と言う。要望を綴じただけの束であって、方針にはなっていない、という意味だ。ここで、綴じるものと綴じられないものの話が始まる。
外務省の側も一枚岩ではない
奇遇ですね、我々も我々で一枚岩とは程遠い、とコンラートが受ける。くだらない派閥争いに信念のないポピュリズム、前任者たちが幾重にも固めたしがらみ。それを解く時間はもはや残されていない、という診断まで、二つの組織で完全に一致してしまう。
「外交とは内交でもあります」
詰まったところで方向が変わる。ならば一層逆でいきましょう、というのがターニャの提案だ。
既成事実のほうを先に積む
上の合意を待つのではなく、こちらで既成事実を積み上げてしまう。イルドアと軍同士で実務レベルの擦り合わせをやる、という筋だ。前回それは頓挫した、条件を釣り上げるべくさらに勝利せよと言われて今に至る、というレルゲンの指摘がすぐ入る。
前任者が更迭された席に座っている人の言い分
コンラートの返しがいい。お忘れですか、私は前任者がクビになったおかげでここにいます、と言う。結果が欲しいのはどこの組織も同じですよ、と続けて、自分のほうで囁きましょう、と引き受ける。人事のほうが方針より先に動く、という理屈になっている。
違法かどうかも、その場で処理される
軍が国家の外交方針に容喙するのは明白な違反だ、という指摘に対して、軍が国家に助言するのは義務であり、私案と叩き台として提示するだけだ、と整理される。官僚のささやかな手札ですからな、とコンラートが受けたうえで、外交とは内交でもあります、と言い切る。内部の調整なくしてはどんな外交も頓挫する。だから屈辱的な譲歩まで用意してほしい、という話になる。
軍が拒んだのは、条件ではなく名誉だった
出来上がった素案は、軍の上層部に一蹴される。論外だ、話にならん、から始まって、言葉が次々に重なる。
反対の理由が、全部おなじ場所を向いている
降伏でもするつもりかね。こんな素案が流出すれば国内は覆るぞ。戦死者に何というのだ。軍の名誉を何と心得る。国辱だ。敗北主義者め。ここに並ぶ言葉の中に、条件が不利かどうかを論じたものは一つもない。問題にされているのは、全部が体面と死者だ。
レルゲンの反論は「前方への脱出」
レルゲンは、あらゆる艱難辛苦を甘受し、耐えがたき譲歩も必要悪として受け入れ、出口を目指すべきだと説く。前方への脱出が必要なのです、我々は勝ち取るのです、出口を、平和を、というのがこの人の言い方だ。後退ではなく前進として言い直している。
それでも「名誉ある出口以外は許されん」
返ってきたのは、軍は名誉ある出口以外をくぐることが許されん、国軍の尊厳にかかわる、戦没将兵に顔向けできるのか、だった。締めが、勝利なき出口など空虚でしかあるまい、という一言になる。出口という語は共有されているのに、そこに付ける形容詞のところで話が止まっている。
「譲歩が譲歩と受け止められない」が、その場で実演される
交渉に出る前、コンラートは外交についてひとしきり喋る。この講義が、そのまま後半の答え合わせになる。
外交は錬金術に似ている
外交とは無から有を生み出すという点で錬金術に似ていて、肝心なのは信用という素材だ、と言う。原則は正当性と等価交換、あるいは両者がそう信じること。戦争が究極の現実だとすれば、外交は究極の非現実です、というのがこの人の定義だ。
先に言われていたのは「解釈のずれ」
見ているものが同じでも解釈が往々にして異なる、折り合うのは容易くない、と続く。そして、譲歩が譲歩と受け止められないこともある、だからこそ大胆な譲歩が必要だ、と言う。この一文が、この回の残り全部の説明になっている。帝国が用意したのは、賠償の要求放棄という事実上の白紙講和だった。
「今、受け入れるとおっしゃいましたか」
交渉の席で提示されるのは、無賠償・無併合・民族自決の三つ。本当に賠償なしでまとまるとお考えですか、と問われ、帝国は甘んじて受け入れます、と答える。ここでカランドロが、今、受け入れるとおっしゃいましたか、と聞き返す。念のため整理させていただきたい、と前置きが入る。
「無賠償」の意味が、まるごと逆だった
帝国が言う無賠償とは、帝国に対する請求の拒否ではなく、帝国が請求しないという意味か。その通りだ、と答えたところで、では貴国が賠償を払う意思はないのですね、と返ってくる。賠償ですと、我々が。馬鹿な、我々が請求を放棄するのですぞ、という驚き方で、食い違いの深さが分かる。
和を乞う提案が、傲慢そのものとして届く
賠償も領土割譲も拒否では、交戦諸国からしてみれば露骨な挑発だ、と言われる。帝国にとっては和を乞う屈辱的な提案でも、第三者には少しも譲っていない申し出に見える。見ている世界が違いすぎる、というのがレルゲンの内心だ。大胆な譲歩が必要だ、という助言のとおりにしたのに、大胆さが伝わっていない。
断られた理由は、条件ですらなかった
話は開戦責任の押し問答に移る。こたびの戦争は協商連合の越境行為が契機で、帝国は挑まれた戦いで自分を守ったにすぎない、という主張が出る。
「初めに撃ったのも帝国だ」
カランドロの返しは短い。水かけ論でしょう、それは。初めに宣戦布告したのは帝国で、初めに撃ったのも帝国だ。越境侵犯に対する当然の自衛権だという反論には、それは帝国の正義であって、違う立場からの正義もありましょう、と返す。相当な譲歩を申し出て初めて交渉の基礎ができる、とも言われる。
「強すぎて怖い。怖い奴には、滅んでいただきたい」
平和の回復という大義のもとで歩み寄ることは不可能なのか、というレルゲンの問いに、カランドロは前置きを置く。あなたは誠実な軍人だ、それを踏まえて一つ私見をよろしいか。そのあとに来るのが、要するに帝国は強すぎる、強すぎて怖い、怖い奴には、滅んでいただきたい、だ。条件を組み替えても届かない理由が、ここで明かされる。
帝国が願っていたのは、力による着席だった
この回の中ほどに、二つの攻勢を説明する語りが入る。東部では大胆な機動戦で作戦次元の勝利を挙げ、西方では敵国世論を狙った奇襲を仕掛けた。帝国は願ったのだ、実力を示せば対話の席に相手を引きずり出せる、と語りは締める。ところが実力を示すほど、怖い国として滅ぼす対象になっていく。
最悪の報せが、出口の材料になる
終幕、届いた書類を見た反応が二つに割れる。これでは我々に選択肢などない、という声と、状況は最悪だ、実に素晴らしいことだ、出口はやはり作れる、という声だ。選択肢が消えたことのほうを、出口が作れる理由として受け取っている。まだ拳は頑強で、まだ世界を殴り飛ばせる。だが今殴らなければ、殴る能力さえ失ったとき、世界は帝国をどう遇するのか。対話で活路を、と始まった回が、殴れるうちに殴るしかない、という場所へ戻ってくる。




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