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最終回の副題は、作品名と同じ「令和のダラさん」。前の回で名前を思い出したダラさんは、その直後に姉の椿に身体を奪われる。魂が逃げ込んだ先は、髪の毛の入った人形だった。日向は「うち お姉ちゃんやから」と、自分の身体を差し出す。そしてダラさんは、取り戻した名前ではなく「ダラさんと呼べ 人間」と言い放つ。後半はカードゲームとプールの日常で、いつもどおり負けて終わる。




副題は作品名そのもの、「令和のダラさん」
公式サイトの第十三怪の副題は「令和のダラさん」で、作品名がそのまま最終回の題になっている。前の回の最後に名前を思い出したダラさんが、その直後に身体を奪われるところから話が始まる。
名前を思い出した途端に
公式のあらすじは、ダラさんが自分の名前を思い出した途端、因縁の相手に身体を乗っ取られてしまう、と書いている。第12話で洞窟の術の板から出てきた「木春」という名前が、救いではなく引き金として働いてしまう。名前を取り戻すことが、そのまま昔の役目に縛り直されることでもあった、という苦い始まり方である。
「この女の姉 椿と申します」
ダラさんの身体を使って現れた相手は、「この女の姉 椿と申します」と名乗る。姉巫女は、妹が山神の座についていることを見下し、自分がその座についてやると言い出す。これまで回想の中の人物だった姉が、現代の洞窟で、ダラさんの顔のまま話し始めるのが不気味である。
姉を名乗る怨念と、怒る姉弟
相手が誰か分かった瞬間、日向と薫は引かなかった。公式のあらすじにあるとおり、二人は怒りをあらわにして真っ向から立ち向かう。
「極悪犯人」と言い切る姉弟
姉弟は相手に向かって、ダラさんを殺した極悪犯人だと言い切り、手を合わせる気はないと突っぱねる。相手が神さまの身体を使っていても、この姉弟にとっては友だちを乗っ取った悪人でしかない。
頼みの綱が使えない
一方で状況は厳しい。閉じられて逃げ出せない場所で、頼みにしていたお守りも、今は相手がヤマタギマダラである以上は力を借りられないと告げられる。これまで何度も姉弟を守ってきた仕組みが、そのまま相手の側に回ってしまったのがこの回の怖さである。
髪の毛の入った人形と、ちょうどいい棒
身体を奪われたダラさんには、逃げ込む先が残っていた。ここから最終回らしからぬ緩さが混ざり始める。
「丸腰よりはマシじゃろ」
ダラさんの魂が逃げ込んだのは、髪の毛の入った抱き枕の人形だった。ダラさん自身も「丸腰よりはマシじゃろ」と言い、「何にせよ一時でも魂を逃がす先があったのは幸運じゃった」と振り返る。これまで日常の小道具として出てきた人形が、最終回で命綱になる流れが気持ちいい。
棒を振るう薫
薫は、手に入れた棒で相手の伸ばしてくる手を払っていく。触れただけで悪いものが消し飛んだ、という声も上がる。山で遊ぶ男の子の得意技が、そのまま怨念と戦う力になっているのがこの作品らしい。
それでも長くはもたない
ただし相手は、人形の身で何ができるのかと見下し、切り落とされた髪に残る力などたかが知れていると言う。人形の中のダラさん自身も、長くはもたないと分かったうえで刀を構えている。緩い見た目のまま、状況がじわじわ追い詰められていく緊張感がきちんと残されている。
「うち お姉ちゃんやから」、神下ろしの打開策
公式のあらすじが書く「とんでもない打開策」は、日向の身体を使うことだった。
「神下ろしに近い」
日向の提案を聞いたダラさんは、今の自分が日向の身体を使うのは、ただの憑依ではなく神下ろしに近い行いになると止める。どんな弊害や後遺症が出るか分からない、という心配である。乗っ取られた側の神さまが、まず子どもの身体の心配をしているのがこの主人公らしい。
「うち お姉ちゃんやから」
日向の答えは軽かった。「弟を守らんと」と言い、続けて「うち お姉ちゃんやから」と言い切る。ダラさんは「どうなっても知らぬぞ」と応じる。姉が妹を道具にしてきた因縁の前で、別の姉が弟を守るために身体を差し出すという対比になっている。
霊力の高い日向だからこそ
日向の身体に入ったダラさんの力は、相手の予想を超えていた。相手は、この霊力が小娘一人のものなのかと驚く。これまで何度も触れられてきた日向の霊力の高さが、最終回の決め手として回収される。
「ダラさんと呼べ 人間」
力で押し返したあと、ダラさんは姉に向かって、自分が何を学んだかを語る。この回の、そして作品全体の山場である。
「600年近くかかりましたが」
ダラさんは、自分が名を思い出したことで姉の道具であることを受け入れてしまった、と認めたうえで、「600年近くかかりましたが」「この子らから学んだのです」と言う。学んだ中身は、わがままを言うこと、嫌なことは嫌と言ってよいということだった。神さまが子どもから教わったのが、強さではなくわがままだったというのが温かい。
名前ではなく「ダラさん」を選ぶ
姉に名前で呼ばれたダラさんは、それを打ち消すように「ダラさんと呼べ 人間」と言い放つ。第12話でようやく取り戻した名前よりも、令和の子どもたちに付けられた呼び名を自分として選んだ瞬間であり、副題の意味もここで決まる。
あっけない決着
決着そのものは短い。長く続いた姉妹の因縁が、ここでほとんど一息に片付けられてしまう。重い過去を引きずらず、今のダラさんの強さとして片付けたのは、この作品の軽やかさを守る判断だったと思う。
名を椿殿に寄せた理由と、封じられた姉
戦いのあとには、十郎太の時代の回想が挟まれる。妹巫女がなぜ名を持たずに祀られたのかが、ここで語られる。
「椿殿だけに寄せ」
回想では、妹巫女を祀るにあたって、巫女の名声をすべて姉の椿殿だけに寄せ、妹の名は祭神に宿るのみにする、という考えが語られる。いつかふさわしい名で自ら名乗る日が来るかもしれないから、という理由が添えられる。名前を伏せたのは忘れさせるためではなく、自分で名乗り直す余地を残すためだった、というのが最終回らしい回収である。
「封じるしかなかった」
力を失い石となった姉の怨念について、ダラさんは「完全に取り込む度胸も」「完全に滅する覚悟も」「わしにはなく」「封じるしかなかった」と明かす。勝ったあとで、姉を消しきれない自分の弱さを正直に認めているのがこの主人公の良さである。
後日談、短くなった尻尾とカードゲーム
事件のあとは、いつもの調子に戻る。最終回の後半は、ほとんどが日常の場面に使われる。
ボインの余韻
神下ろしから戻った日向は、あの重量感と今の開放感を比べて「今度またやろかー」と言い出し、ダラさんに「絶対やらんからな」と返される。命がけの打開策の感想がそこに向くのが、日向という人物の図太さである。
約80センチ短くなった尻尾
語りによれば、椿の怨念が作り上げた部分はダラさんの尻尾から消費され、「約80センチほど短くなり」と説明される。本人たちはこのとき誰も気づいていない。大事件の代償を、尻尾の長さという数字でさらっと片付ける語りが可笑しい。
「毒蛇カヤノ」
後日、姉弟の友だちとのカードゲームにダラさんも加わる。語りによると、ダラさんは毒系のカードを主軸にしたいやらしいデッキで無双し、「毒蛇カヤノ」という二つ名をつけられた。神さまが子どもの遊びで本気を出して、しっかり二つ名までもらってしまうのがこの作品の日常である。
市民プールと、十郎太の血の一滴
季節は一気に夏へ飛ぶ。最終回の最後の日常は、市民プールで過ごす一日だった。
プールの監視員は巫女の姉ちゃん
プールでは、町内会のボランティアで監視員をしている巫女の姉ちゃんと会う。場が妙に清められていると感じたダラさんは、その理由に納得する。これまでの話で出会った人たちが、最終回の日常にもそれぞれ顔を出している。
「とても嬉しい」
プールの人々を見ながら、ダラさんは街のあちこちに十郎太の血が残っていることを感じ、今なおこの地をあの方の系譜が守っていることが「とても嬉しい」と心の中で語る。詫びるべき相手の子孫に囲まれていることを、罪悪感ではなく喜びとして受け取れるようになったのが、これまでの日々で起きた変化だと思う。
ダラさんは負けた
姉弟と勝負をしたダラさんは、負けたときの約束を並べられ、自分が勝ったときの条件まで細かく決めておく。しかし語りの答えは「ちなみにダラさんは負けた」だった。山場の余韻をきれいに締めずに、いつもの負けで落とすのが心地いい。
鈴に込められたもの
最後にもう一度、十郎太の時代に話が戻る。これまで何度も鳴ってきた鈴の由来が明かされる。
「最も強い気配に反応して鳴る鈴」
ヤマタギマダラが土地神として落ち着くにつれ、鈴は近づかなくても鳴るようになってしまった。そこで、最も強い気配に反応して鳴る鈴にできないかという相談がされる。何気なく使われてきた小道具にも、ちゃんと過去の工夫があったと分かる。
十郎太の血と髪を編んだ縄
その鈴には、十郎太の血と髪などを練り込んで編み上げた縄が使われていた。語りは、曖昧な意識のまま過ごすことになったヤマタギマダラにとって、年老いていく十郎太の姿が「彼女の支えになったことは間違いない」と締める。今回のダラさんを救った人形の髪の毛と、十郎太の髪を編んだ縄が、同じ形で重なっている。
まとめと考察
第13話は、取り戻した名前よりも「ダラさん」という呼び名を選ぶことで、作品名そのものを副題にした最終回だった。重い因縁は短く片付け、残りの時間はほとんど日常に使われた。その配分そのものが、この作品が何を大事にしてきたかをよく表している。
名前より呼び名を選んだ意味
姉に名前で呼ばれて、ダラさんは「ダラさんと呼べ 人間」と返した。昔の名前は姉の道具だった頃の自分につながり、ダラさんという呼び名は令和の子どもたちとの日々につながっている。どちらを自分とするかを選んだのが、この最終回の答えだった。
二組の姉
妹を道具として扱った椿と、弟を守るために身体を差し出した日向。日向にとって姉であることは役目ではなく、自分で引き受けた関係として描かれている。同じ「姉」という立場を正反対の形で並べることで、因縁の決着に説得力が生まれている。
遊びに誘う呼びかけで終わる
最後の場面では、姉弟が禁足地の水場へ連れて行ってほしいとねだり、声をそろえてダラさんを呼ぶ。ダラさんは「ああわかったわかった」と応じる。祟り神を呼ぶ声が、最後は遊びに誘う声になっているのが、この作品の到達点である。




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