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『対ありでした。』第9話の副題は「遊びのプレイ」。これは勝った藤宮亜里沙が犬井夕に下した判定の言葉で、遊ぼうと誘った側が負け、断った側が勝つ。ところが同じ回の終わりには、勝ったgekidoのほうから「また遊ぼうや」と声がかかる。遊びであることは、弱さの理由にも強さの理由にもなる。三つの対戦が同時に動きながら、勝った三人が全員、相手の答えを壊しにいっている回だった。




副題は、勝った側が負けた側に下した判定だった
「遊びのプレイ」は本編の台詞から来ている
第9話の副題は、この回で起きた出来事の名前ではない。犬井夕を下した藤宮亜里沙が、勝負のあとに口にする言葉そのものである。「別に格ゲーなんてなくても生きていけるやつの遊びのプレイ」「何が何でも勝ってやるってプレイじゃないのよ」。
そして最後にこう続く。「だからあんたは弱いし脆い」。副題は描写の要約ではなく、勝った側が負けた側に貼ったラベルとして置かれている。この同じ言葉が、回の終わりではまったく違う意味で使われることになる。
誘っていたのは、負けたほうだった
夕は対戦の最中、何度も相手を誘っていた。弾の駆け引きに慣れきった相手を見て「好きだよ」「やべえ奴」と言い、さらに「好きなことを好きすぎてやべえ奴になっちゃってる人が好きだよ」と続ける。そのうえで「だからさ」「遊ぼうぜ」。
返事は勝ってから来る。「遊びませんよ」「あんたとは」「つまんねーから」。誘いは断られ、そのうえで断った理由まで説明される。この順番が、この回の骨格になっている。
同じ言葉が、最後にもう一度出てくる
回の終わり、深月綾を下したgekidoが席を立ちながら短く声をかける。「また遊ぼうや」。誘われた側は負けたばかりで、誘った側は勝ったばかりだ。
「遊び」という同じ一語が、負ける理由としても、勝ったあとの誘いとしても使われる。副題が判定として置かれているぶん、この重なりはよく効いている。
アバンで思い出されるのは「俺は弱い」と「俺は強い」の両方
息を吐き切ってから吸う
アバンは前回の続きから始まる。「なめねえだろ」「油断しねえだろ」と自分に言い聞かせる声があり、そこへ対戦相手の側から空手の呼吸法である息吹が入る。
すかさず説明が付く。「息を鋭く吐き切ってから吸うことで、息が乱れている状態でも深い呼吸ができると言われています」。さらに「そして呼吸とメンタルには深い関係があるという」と、格闘ゲームの話へ橋がかかる。
思い出したのは、追い詰めていた側だった
続く独白が印象に残る。「俺は弱いと俺は強い」「その両方が必要なんだ」「格ゲーってやつだよ」。第8話の終盤で優位を握り返し、勝ちを目前にしていた側の言葉である。
そして「てめえのせいで思い出しちまったろうが」「大事なことをよ」。追い詰めていたほうが、追い詰められているほうから基本を思い出させられている。
呼吸は格闘ゲームの技術ではない
夜絵美緒には空手の経験がある。第4話で母親との対決が描かれたときに背景として置かれたもので、格闘ゲームの腕とは本来関係がない。
それがいちばん追い詰められた場面で出てきて、しかも相手のほうが「大事なこと」を思い出す引き金になる。強さの説明がいつも別のところから来る人物だという描かれ方が、ここでも続いている。
意図せず出た一発が、名人芸とゴミの両方で説明される
公式のあらすじが先に種を明かしている
美緒は禍腐餌悪霊(カフェオレ)から1セット目を先取する。ただし公式のあらすじは、その決定打が意図せず放たれた技だったとはっきり書いている。狙って出したものではない。
ところが本編の実況は、その一発をまるで別のものとして扱う。「無敵技のパナシといい」「彼女はどこかgekido選手を彷彿させる」「gekidoもここぞという時は、年季の入った無敵ぶっぱで勝ってきましたからね」。
数行あとで評価がひっくり返る
無敵技を出しっぱなしにすることを、格闘ゲームでは「パナシ」と呼ぶ。その言葉を受けて、すぐあとに別の声が入る。「いやお嬢様のパナシは普通にゴミだったが」。
名人の勘と、ただの暴発。同じ一発が、数行のあいだに正反対の説明を与えられる。第8話で解説が美緒の強さを「シックスセンス」「オカルトスキル」と呼んで匙を投げたのと、地続きの扱いである。
2セット目は、負けた側の修正で決まる
対する禍腐餌悪霊の2セット目は、弾をことごとく飛ばれ、無敵技もガードされたと語られる。とどめの形まで説明が入る。「相手のドライブゲージを枯渇させ、連続ガードからのSA」「相手にSAで割り込ませない」。
総括が「彼女側に問題があったというよりも、カフェオレの回答が見事でした」。負けた側が答えを持ち帰ってきたという評価で、この回に三度くり返される形の一つ目にあたる。
誘った側から、先に崩れていく
待ちの型が「子供のプレイじゃない」と認定される
亜里沙の戦い方は徹底した待ちである。レバーを後ろ斜め下に入れっぱなしにして横と下の溜めを同時に作り、牽制と弾を撒きながら飛んできた相手を落とす。実況は溜め時間の精度にまで踏み込む。「必要最小の溜め時間である45フレジャストを体で覚えているな」。
締めが「絶対に上は通さんという殺意がみなぎっている」「これは子供のプレイじゃないぞ」。見た目で侮られる位置にいる相手を、まず技術の側から否定してみせる導入になっている。
夕は距離を無視して弾を抜く
対する夕は、飛び道具無敵の技で弾を抜き続ける。しかも普通なら反応が間に合わない至近距離から抜いてみせるので、周囲の見立ては「見てから反応できる距離じゃねえだろ」で止まる。
本人の説明も要領を得ない。「反応には自信あるんでね、とか言いたいとこだけど」「これはそれともちょっと違うな」「自分でもどこまで見てるのかよくわからない」「わからないけど集中すれば不思議とできる」。
好意の表明が、そのまま宣戦布告になっている
夕は相手を嫌わない。むしろ「好きなことを好きすぎてやべえ奴になっちゃってる人が好きだよ」と褒めたうえで誘う。亜里沙の側も「この会場にいる時点で私たちは敵」と線を引きつつ「嫌いじゃないけどね」「そういうの」と返している。
互いに嫌っていないのに、遊ぼうという申し出だけが噛み合わない。この回の対戦が単なる勝ち負けにならないのは、二人の関係がこの位置に置かれているからだ。
狙われたのは技ではなく、集中が続く時間だった
攻めをやめて、待つ
最終セット、亜里沙は攻めるのをやめる。周囲の実況が戸惑う。「なんか単純に攻めなくなったな」「フェイントばっか」。体力で負けている側が待つのは普通ではない。「体力リードされてるのに待つ」「なぜ」。
答えの手前までは、実はもう出ていた。夕の常識外れの弾抜けについて、「そんな集中力が、一体どのくらい持続するものなんだろうか」という疑問が置かれていたのである。
時間切れを狙われていた
やがて夕の弾抜けがガードされる。「思ったよりもろかったな」「逆手に取られた」。種明かしが続く。「フェイントで弾を意識させながらのらりくらりと」「集中モードの時間切れを狙ってたのか」。
対策されたのは技ではなく、その技を出せる状態そのものの持続時間だった。強さを消す必要はなく、切れるまで付き合えばよい、という発想である。
判定と敗因が一本の線でつながる
最後は、追い詰められた場所から逃げるための飛びを空中で投げられて終わる。「やっぱり最後は飛びだより」。開幕から五連続で飛びを落とされ、それでも飛んでいた展開が、ここで一周する。
そして亜里沙の判定が置かれる。続かない集中と、遊びであることを、亜里沙は同じ一本の線でつないでいる。勝った理由の説明としては、これ以上ないほど筋が通っている。
判定より先に、本人が知っていた
弟たちの対戦を見ていた記憶
対戦の合間、夕の回想が入る。「昔から大抵のことをさらっとこなせるたちだった」「これもそう」。格闘ゲームも同じで、家では「喧嘩にならないよう適度に負けてあげる」側だった。
ただし弟同士の対戦になると、そううまくはいかない。泣くほど本気になる弟たちを前に、言おうとした言葉がある。「あんたたち、泣くほど本気でやらなくてもいいじゃん」「所詮ゲームなんだから」。
言わなかったほうを覚えている
続きが効く。「と言おうとしてやめたのを、なぜかいまだに覚えてる」。実際に口から出たのは、まったく別の言葉だった。「そろそろご飯だし」「続きはまた明日ね」。
言った言葉ではなく、飲み込んだ言葉のほうを覚えている。言い切れなかった時点で、その考えを本当には持てていなかったということでもある。
「泣くほど何かに夢中になってみてえなあ」
回想の締めが、この一行である。「泣くほど何かに夢中になってみてえなあ」「私も」。うらやましがっている側に自分を置いている。
つまり亜里沙の判定は当たっているが、新しい情報ではない。夕は自分がその外側にいることを、指摘されるずっと前から知っている。指摘されて崩れたのではなく、知っていたところを正確に突かれたのだ。
心の距離は、画面の中に出る
答えを持っていたから攻められた
綾がgekidoから1セット目を取れた理由は、観客席の分析で説明される。gekidoの対戦は配信で公開されていて、スト6を好む者ならみな見ている、というのが前提にある。要所で無敵技を出すこと、対空の癖、最近は投げ抜けが多いこと。全部が公開情報として積み上がっている。
だから「あの子は1セット目、それ踏まえて確信持って攻めとったやろ」となる。「そういう自分の中に答えがあれば爆発力を発揮するタイプ」。第8話の「何かを持ち帰りたい」が、下調べの厚みという形で結実していた。
その答えを、一発の投げが壊す
gekidoが返したのが、起き上がりざまに前へ歩いて投げるという選択だった。前に動くということは、置かれた打撃も投げも全部食らうということでもある。「頭おかしいんか」という声が漏れる。
効いたのは体力ではなく気持ちのほうだった。綾の内心が「気持ちの隙間に緊張が滑り込んできた」「体が冷えて」と続く。大したダメージもない投げ一発で流れが変わった、と実況も認めている。
立て直しても、次の答えは間に合わない
綾は「まだ私はこんなもんじゃないのに」と自分を奮い立たせ、実際に立て直す。ところが観客席から間合いの変化を指摘される。「なんとなく遠い、最初に比べて」「あれはあの子の心の距離や」。
続く言葉が厳しい。「画面の中ではごまかしが効かへんからな」。そして「自分を奮い立たせることには成功したけど、次の答えを用意する余裕まではなかったようやな」。第8話では顔に出ていたものが、今回は間合いに出た。
遊びかどうかではなく、その遊びが一番かどうか
勝った三人は、全員が相手の答えを壊している
三つの対戦を並べると、勝ち方の形がそろっていることに気づく。禍腐餌悪霊は1セット目の敗因を踏まえて割り込ませない形を作り、亜里沙は技ではなく集中の持続時間を的にし、gekidoは綾が持っていた自分の中の答えを一発の投げで壊した。
逆から見れば、負けた三人は全員、次の答えを用意する時間を与えられなかった。この回が試合中継のようでいて群像劇として成立しているのは、三つの敗北が同じ形で説明されるからである。
「会話やからな、格ゲーってもんは」
常識外れの選択について問われた観客席の男は、こう答える。「会話やからな、格ゲーってもんは」。そして勝っている側の表情をこう説明する。「遊んどる顔や」「悪い意味ちゃうで」「対戦を楽しんどるってことや」。
この見方を置くと、三人の台詞が並んで見えてくる。夕の「遊ぼうぜ」は申し込み、亜里沙の「遊びませんよ」は拒否、gekidoの「また遊ぼうや」は継続にあたる。遊びという言葉が、そのまま会話の可否を指している。
副題への別解が、同じ回の中に置かれている
締めの言葉が効く。「校則違反のゲーセン遊びが、時代が変わって競技やらeスポーツやら言われるようになろうが」「昔も今も俺らにとってこれが一番の遊びやから」「楽しまんとな」。競技化を否定せず、遊びだと言い切っている。
亜里沙の判定は、格闘ゲームがなくても生きていける人間の遊びだ、というものだった。ならば分かれ目は本気か遊びかではなく、その遊びが自分にとって一番かどうかにある。副題は判定として置かれたが、その別解まで同じ回の中に用意されていた。



























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