この記事の作品:
『幼女戦記II』第9話の副題は「観光旅行」。この言葉は前の回の締めで、ターニャ自身が口にしたものだ。通行を断られた側が、断った相手のところへ表敬訪問という形で乗り込んでいく。ところが着いてみると、嫌がらせをしに来たはずのこちらが一方的に見せつけられる。揺れない列車、色のある食事、明るい空気。そのどれもが、帝国に無いものの一覧になっている。そして最後に、見てきたものがそっくりそのまま攻める側の勝算へ化ける。




副題「観光旅行」は、前の回でターニャ自身が言った言葉
副題は公式のストーリー欄で確認できる
第9話の副題は「観光旅行」。公式サイトのストーリー欄に、あらすじと並んで同じ表記が載っている。
この作品の公式サイトは、あらすじだけでなく話数ごとの担当者まで毎回掲載している。脚本、絵コンテ、演出、総作画監督、作画監督が話数の下に並ぶ形式で、第1話から通して読める。
その言葉は、前の回の締めに出ている
第8話でイルドアは帝国軍の通過を拒み、代わりに寄港の時間制限だけを認めた。その規則の穴を突いて入り込むと決めたときの台詞が、ここは一つ観光旅行を楽しませてもらうとしよう、だった。
つまりこの副題は、公式が付けた要約ではなく、断られた側が皮肉として口にした言葉である。断った相手のところへ、断られた側が礼を言いに行く。その構図がそのまま一話ぶんに引き伸ばされている。
冒頭の独白が、訪問の性格を先に言ってしまう
開幕の独白は、イルドアの不義理に対する友好的な観光旅行、から始まる。続くのが、正直威圧だが、誰も死なない楽でマシな仕事だ。
嫌がらせであることも、それが安全な仕事であることも、本人が最初に認めている。公式のあらすじも嫌がらせを兼ねた表敬訪問と書いているので、ここに解釈の余地はない。
担当者の並びに、四話ごとの目印がある
第9話は脚本が猪原健太、絵コンテが三浦慧と山本貴之、演出が三浦慧、総作画監督が細越裕治。作画監督は社名込みで六枠が並ぶ。
監督の山本貴之が絵コンテに名を連ねたのは、第1話、第5話、第9話の三回だけで、きれいに四話刻みになっている。脚本は第1話から第9話まで全て猪原健太で、分担はいまだにゼロである。
車内の食事は、味の話をしているようで比較をしている
最初に比較されるのは、料理ではなく線路
列車の中で、置いたら振動で落ちる、と部下が言いかける。返ってくるのが、揺れない、である。
そこから、帝国では考えられん、保線状況がこうも違うか、と続き、平和の配当はかくも巨大か、で締められる。料理が一皿も出ないうちに、比較はもう始まっている。
前哨戦のタルタルで、舌のほうが基準を白状する
歓迎の宴で頼んだのが、軽い牛肉のタルタルと魚のマリネだった。感想は、凝縮された旨味、肉の甘さを引き立てるほのかに刺激的なスパイス、と続く。
そのうえで出てくるのが、まずいタルタルにありがちな胡椒で生臭さをごまかす小細工とは別次元、という一行である。褒め言葉の形をしているが、比べている相手はイルドアの料理ではなく、帝国で食べ慣れたブルストのほうだ。
炭酸水の一杯にまで、比較が入り込む
合間に出される軽めの炭酸水にも独白がつく。泥水に慣れた口にはミネラルの甘さが、いまいましいほどに感じ取れる。
おいしいと言うために、まず自分がどれだけまずいものに慣れたかを確認している。この回の食事の場面は、ほとんどこの形の繰り返しでできている。
魚のマリネで、比較がいったん止まる
メインの魚のマリネだけは違った。こちとら元来は日本人、魚料理に対する評価は厳しいぞ、と身構えたうえで、魚の旨味の限界すら超えた何か、と出てくる。
言葉で形容することさえ軽薄に感じる、まで言い切って、口から出たのが、生まれて初めて幸福という単語が頭をよぎりました。比較の相手が消えて、感想だけが残った唯一の場面である。
受け取った側は、それを戦いの言葉に翻訳する
相手の返しが、帝国の銀翼持ちを降伏させるか、だった。
続けて、貴官らは銃で戦い、シェフは包丁さばきで戦うというわけだ。もてなしの席で出た冗談だが、料理を戦力として数える言い方でもある。この回の食事が単なるグルメ描写でないことを、もてなす側のほうが言葉にしている。
空気が明るい理由が、その場で名指しされる
明るさに気づいたのは、こちら側だった
宴の途中でターニャが漏らすのが、空気が明るいですな、である。直前には、他人に嫉妬など非生産的の極みだ、という自制も入っている。
楽しんでいる最中に、楽しさそのものを分析し始めているのがこの回のターニャだ。料理の味を測る目盛りが、そのまま国の状態を測る目盛りになっている。
理由は、嘆く相手がいないこと
出てくる答えが、戦没者を嘆く必要がない、である。続けて、死者への負債が無い世界は何とも、と言葉が途切れる。
明るいのは国民性でも気候でもなく、単に死んだ身内がいないからだ、という身も蓋もない結論になっている。そのうえで相手は、改めて首都にようこそデグレチャフ中佐、と歓迎の言葉を重ねてくる。
土産の色が、同じことを別の言い方で言う
帰りの車内で、部下が買い込んだ土産を並べる。チョコや白砂糖まで手に入ったと報告があり、ワインは多すぎて副長らと開けてこいと渡される。
その報告の途中で出るのが、それに、なんというか、色が豊かでした、という一言である。味でも量でもなく色で言い表されているところに、比べている相手の乏しさが出ている。
中立には、きちんと値段がついている
差し出されるのは、査証と小切手と燃料
首都で渡されるのが入国査証と身分証明書、そしてイルドア参謀本部からの小切手だった。上限なしとはいかんがね、という但し書きもつく。
そのうえで、諸君らが航空用ガソリンでもガブ飲みしない限りな、と冗談めかして燃料の話が滑り込む。贈り物の列の最後に、軍需物資が何気なく混ぜてある。
共に血を流す代わりに、燃料を流す
帝国は友人だ、友人が燃料事情に困窮していると聞けば、良き同盟国として貢献の一つもするものさ、と説明される。
ターニャの返しが、共に血を流す代わりに燃料を流すというわけですか。感謝の言葉の形をしているが、支援の性格をそのまま言い当てている。
秘密は、公然でも秘密のままにしてほしい
広く触れて回りましょう、と申し出ると、勘弁してくれ、と止められる。理由が、たとえ公然の秘密でも秘密は秘密なのだ、である。
帝国の敵には睨まれ、帝国軍人はほとんど感謝しない支援、という自己評価まで相手のほうから出てくる。援助していることを言わないでほしい、という頼み方に、中立の立ち位置の苦しさが出ている。
誰の敵でもないということは、誰の友でもない
詰めの一言が、誰の敵でもないということは誰の友でもないと申しますが、だった。返ってくるのが、恨み事はやめてくれ、イルドアはあくまで厳正中立だ、良き隣人でありたいと願うばかりのな。
そしてターニャ自身の独白が、イルドアは正しい、戦争から距離を取れるならば取るべきだ、と続く。皮肉を言った直後に、相手が正しいと認めてしまっている。
「次を考えながらも」が、三度つぶされる
一度目は、書類でつぶされる
国境を越える場面で、レールのきしみ具合で国境越えを実感か、同じ世界の国ながらこうまで異なるとは、と独白が入り、そこに、次を考えるべきなのか、が続く。
ところが直後に出てくるのが、次を考えながらも、V2運用の報告書やイルドア滞在時の見聞記を提出せねばならない、である。決意の一行が、提出物の一覧に上書きされている。
二度目は、挨拶回りと土産配りでつぶされる
二度目の、次を考えながらも、に続くのは、組織人としての挨拶回りやお土産配りは欠かせない、だった。
同じ書き出しが、今度は雑務で終わる。しかも土産は、さっき比較の材料にしていたイルドアの品である。見てきたものを配って回る作業が、そのまま次を考える時間を潰している。
三度目で、この繰り返しが何なのかを本人が言う
三度目の、次を考えながらも、の後に置かれているのが、まさにブラックな職場で転職活動すらもままならない状況そのもの、という一行だった。
三度繰り返して初めて、この形が転職活動の比喩だと明かされる。私は一体どうすれば、で場面が切れる。前を向く言葉が三回とも尻切れになる構成そのものが、この回の閉塞感になっている。
帰った先で待っていたのは、部下の拘束だった
留守中に陣地が襲撃を受け、砲撃準備を打ち切って近接戦闘に移った部下たちが、独断先行を理由に拘束されていた。釈放は憲兵司令部へねじ込んで済ませたと知らされる。
ターニャの言い分が、私の部下が提言した予防策を聞き流した挙句、というものだった。そして、軍務とは現実に対処することだとばかり思っておりましたが、他人の幻想を満たすことだとは。詫びの代わりに叙勲の話が出るが、お情けのメダルばかりぶら下げても仕方ありますまい、と受け流している。
反対しながら、勝算のほうを見つけてしまう
上が見ているのは、新領土と賠償の夢
帝都の夜、最高統帥府には夢があるそうでな、と切り出される。中身が、新領土と巨額の戦時賠償獲得の夢、である。
理由が、戦争で血を流しすぎた分を補填したいそうだ、だった。払ったものが大きいから降りられない、という説明がそのまま国家の方針になっている。同じ世界の話とは思えません、と返すしかない。
政治の話は、年齢で切り返される
国内をどう説得するかを考えるべきでは、と踏み込むと、政治が語りたいならば退役してからにしたまえ、と止められる。
退役させていただけるのであれば即刻文民として議会でも目指しますが、と返すと、参政権には年齢制限がある、知らんのかね、で終わる。失礼いたしました、あまりにも年配の人間がだらしないもので、つい、という嫌味だけが残る。
見たいものしか見つけない、と評した直後に返される
酒場の場面には、人は見たいものだけを見て見たいものしか見つけない、という評が置かれている。そのあとに、それはルーデルドルフ閣下とて同じだろう、が続く。
ところが直後に返ってくるのが、中佐、見えるものだけが全てと思うなよ、という声だった。見えていないものがある、という警告が、見たいものしか見ないと切り捨てた側へ向けて置かれている。
無茶ですと言った口で、今ならやれると気づく
イルドアの制圧を最高統帥府が真剣に検討し始めた、と知らされる。ターニャの答えは即座に、無茶です、イルドア全土を一撃で制圧しない限り南方方面軍は泥沼にはまります、だった。
ところが同じ場面の独白が、イルドアの連中、戦争への覚悟と備えがあるのか、と続き、いかん、今なら作戦次元ではやれるかもしれない、に着地する。戦略的には愚行も愚行だが、と自分で打ち消しても、気づいたことは消えない。
観光旅行の見聞が、そのまま勝算になっている
ここで効いてくるのが、前半のすべてである。揺れない線路、豊かな食卓、嘆く相手のいない明るさ。それは同時に、この国が戦争を想定していないという観察記録でもあった。
嫌がらせのつもりで出かけた表敬訪問が、結果として下見になっている。所詮検討だ、気にしすぎるな、と言われても、とはいえ活路が欲しいのも事実だ、が最後に足されるので、話は閉じない。
締めの「なんでもない」は、行きの裏返し
帰りの車内で、買いすぎた土産を叱られた直後に、イルドアでの滞在が今日までだと思うと名残惜しいな、と振られる。返事が、そ、そうですね、と歯切れが悪い。
どうしたのかね、と重ねても、いや、なんでも、で終わる。行きの車内では、いかがされましたか、と気づかった側が、案ずるな、大事ない、で流されていた。同じやり取りが、問う側と答える側を入れ替えてもう一度置かれ、そのまま、さ、我らが愛する帝国に戻るぞ、で回が閉じる。




関連作品:



















コメント