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『令和のダラさん』第11話の副題は「禁断の肝試し」。前半は筆木の飼い猫からの恋愛相談、後半はおろちが仕掛けた肝試しで、どちらもダラさんが見誤る話になっている。保健の志穂先生が「楽になりました」と返した意味に、言われた本人と祟り神だけが気づかない。そして宿敵を目の前にして、その子孫だと思い込み、礼まで言ってしまう。過去編では、縁を切らさないために血を外付けする術が語られる。




副題「禁断の肝試し」は、仕掛けた側が場所選びで負ける話だった
第11話の副題は「禁断の肝試し」。公式サイトのあらすじは、筆木の飼い猫アラレの相談と、おろちが周をそそのかして肝試しをさせる企みの二つを並べて紹介している。前半が恋の話、後半が肝試しという、はっきり二つに割れた回だ。
「禁」の字が副題に入るのは二度目だ
これまでの副題を並べると、第三怪「禁足地の掟」があり、今回が第十一怪「禁断の肝試し」になる。「禁」の字を持つ副題は、この二つだけだ。第三怪で掟として示された土地が、今回は肝試しの会場として使われる。
前の回から、怪異の側の言葉が戻ってきた
第十怪「二人だけの文化祭」は、怪という単位で数えながら怪異の言葉が一つも入らない副題だった。今回は肝試しという、怪異に近づくための遊びの名前が題に戻っている。ただし肝試しを仕掛けたのは人間ではなく、怪異の側のおろちだった。
企んだのは、助けに入れる肝試しだった
公式のあらすじは、おろちの狙いを、自分が助けに入れそうな肝試しをさせようと企んでいた、と書いている。怖がらせてから助けて感謝を集める、という筋書きが最初からあった。その会場を選んだのが、よりによって日向だったところで話が転がる。
三つの話が、どれも縁の話になっている
恋愛相談の場面では、こういうのはご縁やから、という台詞が出て、ダラさんは、いずれは良縁にも恵まれよ、と締める。過去編では縁が切れないよう血を継ぐ術が語られ、最後にダラさんは宿敵を前に、奇妙な縁よ、と言う。恋と過去と宿敵という三つの話を、同じ一語が通っている。
恋愛相談は、相談する相手を間違えたところから始まる
冒頭で筆木は、学校で使うカット絵をいとこに手伝ってもらっている。そこへ母親から連絡が入り、いい人おらへんの、結婚はまだ、という催促だと二人で言い合う。筆木の返事は、まあこういうのはご縁やからな、だった。
猫が、祟り神に恋愛相談を持ち込む
心配しているのは本人ではなく、飼い猫のアラレだった。主人にええ感じの彼女ができないかって、と聞かされたダラさんは、相談する相手を間違えておらんか、と戸惑う。返ってくるのは、ほかに話し通じるヒューマン知らんしーみたいな顔、という一枚だけだ。
猫の服は、ご主人のお手製だった
アラレが着ている服について、ご主人お手製、という顔を見せる場面がある。公式サイトの登場人物欄は、筆木を、裁縫が得意で趣味でコスプレ衣装を作っている人物として紹介している。恋人がいないことを猫に心配される人が、その猫の服は自分の手で縫っている。
知らないと言いながら、全部知っている
呼び出された薫は最初、小学生男子が学校の大人の年齢と婚姻状況を知ってると思わない方がいいです、と突っぱねる。その直後に、独身らしい先生の名前を三人ぶん挙げてみせ、知ってるやん、と返される。情報屋としての腕前は、断ったその口ですぐに証明されてしまう。
初めて、使う側に回る
薫が聞き込みに出ていったあと、ダラさんは、初めてあやつを使ってやったわ、と得意げに言う。アラレに、じゃあ今までは何かやらされてばっかりだったんですかって顔、をされて、うん、と認めてしまう。いつも子どもたちに振り回されている神様が、猫の相談をきっかけに一度だけ指示する側に立っている。
確かめ方は、軽く祟ること
担任と仲がいいのかどうかは、分からないからぶつけてみよう、という薫の一言で、確かめ方が決まる。ダラさんは、じゃあ軽くたたってみるか、貧血とかそういう感じになるかも、と応じ、薫は保健室へ運ばれる。語りは、そこそこガチの体調不良を決められました、と結果だけを報告する。
「一緒にいて楽な相手」の条件に、その場で当てはまっていた
保健室の場面が、この回の前半の山になる。薫が見ている前で、筆木と保健の志穂先生が短い会話を交わすのだが、その中身を正しく受け取れたのは、ベッドの上の小学生だけだった。
声が、急に跳ね上がる
フリーなのは志穂先生だけだと聞き出したあとの薫は、筆木に後を頼まれた志穂先生の返事には、声急に跳ね上がるやん、という突っ込みが入る。薫に向ける、何ですか、という平らな声とは、はっきり調子が違っている。薫にはこの一言で十分だった。
お見合いに失敗した人と、猫にかまける人
少しして差し入れを持ってきた筆木に、志穂先生は、お見合いに失敗しまして、と打ち明ける。無愛想でずっと機嫌が悪そうだったと、よく言われます、子供は嫌いではありませんが、親が急かすほど恋愛に必死にもなれません、と続く。筆木も、僕も趣味は猫にかまけてしまって、そういう話とはとんと縁がないですからね、と返す。二人とも、親に急かされながら恋に熱心になれないという同じ場所に立っている。
条件を口にしたのは、筆木のほうだった
筆木は、結婚しなきゃなんて無理に考えなくていいんじゃないですかね、と言ったあとで、一緒にいて楽な気分になれる相手でもいりゃ別ですが、と付け足す。結婚を急がなくていい理由と、急いでもいい例外を、一息で両方言っている。
返事は、「楽になりました」だった
志穂先生は、楽、とその言葉だけを繰り返してから、少なくとも今、おかげさまで少し気分が楽になりました、と返す。相手が挙げたばかりの条件に、その場で当てはまると答えている。言った本人は、その返事を自分の条件と結びつけていない。
祟り神の見立ては、普通の同僚
様子を見ていたダラさんの結論は、仲が悪くないというのは良かったが、まあ普通の同僚といったところであったの、だった。アラレは、そやなって顔、で受け、薫だけが大声を上げる。何を怒っておるのじゃ、と不思議がるダラさんは、いずれは良縁にも恵まれよ、と筆木の先行きを祝って話を閉じてしまう。良縁を願う言葉が、目の前の良縁を見落とした直後に出てくる。
最後に動くのは、小学生だった
語りによれば、神様も化け猫も当てにならないと判断した薫は、筆木の情報をいろいろと横流しした。恋の気配に気づけたのは、大人の婚姻状況を知らないはずの小学生ひとりだった。反応でも、恋愛の機微への感性が小学生以下、と祟り神のほうが笑われている。
縁が切れれば術が意味をなさない、だから血を継ぐ
冒頭と中盤に挟まる過去編は、第10話で語られた、十郎太の直系を呪術的に作るという話の中身だ。今回はその術の仕組みと、それを受け入れた人々のことが語られる。
縁があるうちに、血で固める
過去編の説明は、ヤマタギマダラと強い縁がある十郎太が祀られるならば、土地に縛る術は効果があるのだろう、しかし術が定着するまで何十年かかるかもわからない、と始まる。彼の血を受け継ぐ子孫であれば可能だろうが、縁が切れれば術は意味をなさなくなる、だから血を継ぐ。一代では足りない縛りを、血筋という形で何代にもわたって持たせる発想だ。
「外付けの血脈」
その手段として出てくるのが、外付けの血脈、と呼ばれる術だ。飲んだものはお前の血を引くことになり、子や孫にもお前の血が混ざることになる、と説明される。血のつながりを、生まれではなく飲むことで後から足すという、身も蓋もない仕組みになっている。反応の画像にも、黒い玉を口に含む過去編の一場面が写っている。
名乗り出た理由は、ばらばらだった
ここいらでは子が生まれぬことで悩む夫婦がいくつかおってな、という話に続き、語りは、中には父親が妹巫女殺害に関わった者の罪滅ぼしや、十郎太の友人、妹巫女への恩や情から名乗りを挙げた者もいた、と明かす。彼らはこの日、十郎太の一族になった、と語りは結ぶ。望み、償い、恩と、入口がそれぞれ違う人々が、同じ血筋に入っている。
九つの家と、十の字
語りはさらに、九つの家が十郎太の血筋を身に宿したことで、子孫の住む山を守る義務が生じ、十郎太の死後もヤマタギマダラは土地に縛られることになる、と続ける。そして、彼らは十郎太の十の字を担ぎ、その十文字は時を経て名に宿ることになる、と告げる。九つの家がどこなのかは語られないが、山守の三十木谷家の名にも、十の字が入っている。公式サイトの登場人物欄を見ると、そのご近所の五十子家の名にも同じ字がある。
人の手の備えのあとは、神頼み
神域として人の領域と区別することで、神と扱われた者は神の土地からそうそうは出てはくるまい、と備えの理屈が語られ、そのあとに、ここから先はまさに神頼みだな、という一言が続く。祟り神を土地に縛るための段取りの最後が、神頼みで締められている。
首を取り戻そうとする半身
様子を探った結果として、なんというか、意志というものを感じられんのです、という報告が入る。見立ては、半身の妹巫女殿はオロチの首を封じる左腕を気にしており、半身のオロチは己の首を取り戻そうとしておる、というものだった。首を探すという目的は、この時点ですでにオロチの側にある。後半の現代で、おろちが同じことを口にする。
「私の浅ましさなのでしょうな」
かような形であれ、あなたがまだこの世におられることを喜ぶのは、私の浅ましさなのでしょうな、という独白のあと、語りは、その後十郎太は危険を顧みず接触を試みたが、残念ながら望んだ反応はなかった、と続ける。変わり果てた相手がまだいることを喜んでしまう自分を、浅ましいと呼ぶ独白だ。その行動が二か月で終わった理由として、二つの亡骸が山で発見されたことが告げられ、過去編はそこで切れる。
信心が届かない蛇は、自分を直接崇めさせようとした
後半はおろちの側から始まる。周の友人たちは、壁紙白蛇にしたっす、神社で売ってたエトのやつつけてる、と蛇にまつわる話で盛り上がっている。
信者はついたが、力は集まらない
語りは、シャッター街の怪奇現象以来、周を含む4人の女子中学生は、一応形としてはオロチを信奉する存在になったが、と説明する。当のおろちは、せっかく信者がついたのに、なんか集まる力少ないなあ、とこぼす。第9話の語りが、ここでも気づかなかった、と締めた件に、おろち自身がようやく手触りで気づいている。
信心の宛先は、神社の祭神が使う蛇
理由は、現段階での信心は、あくまで神社の祭神が使役する蛇へのもの、ゆえにオロチにはほとんど流れてこないのだ、と説明される。第9話では、うちの神社の神様は悪い蛇を退治したあと改心した蛇を使う、という言い伝えが話題になっていた。おろちは信じられてはいるが、誰かに使われる蛇として信じられている。
「ならば我を直接崇めさせればよいのだ」
そこで出てくるのが、ならば我を直接崇めさせればよいのだ、という思いつきだ。そこへ、賢い、という合いの手と、それができれば苦労はせんがなあ、というぼやきが交互に重なる。作戦の出発点からして、話の中で一度笑われている。
夢告げで、肝試しに誘わせる
力は、学校で生気を集め、夢告げを使える程度には得ていた。夢告げは、精神に干渉し暗示をかけたりする時に使われる妖術だと説明される。周に肝試しの楽しい思い出の夢を見せ、みんなで肝試しに行こうとそそのかし、そういう場所にたまった力を使って自分が姿を現す、という段取りだ。怖がらせる役と助ける役を、一匹で両方こなすつもりでいる。
会場を決めたのは、日向だった
周が、最近なぜか無性に肝試しがやりたいんですけど、と持ちかけると、日向は、だったらちょうどいいつてあるけど、と応じる。そのつては禁足地で、ダラさんは、禁足地の肝試しじゃと、と驚きつつ、時間早めでわしの言うことをちゃんと聞くならまあ、と許してしまう。日向の頼みは、コース指定で外れそうになったら鈴鳴らして追い払ってくれればいいから、というものだった。おろちが仕込んだ誘いが、よりによって宿敵の土地へ行き先を変えている。
賢かったゆえの敗北
おろちは、禁足地を預かる三十木谷家の小娘が来るであろうから、あの山は避けると思ったがまさか、とうろたえ、語りが、賢かったゆえの敗北、と締める。三十木谷家なら避けるだろうと読んだ賢さが、そのまま外れている。避けるどころか、管理している家の子どもが自分から案内役を買って出る。
肝試しの会場は、祟り神が仕切る禁足地だった
肝試しの当日、案内役として出てくるのは薫だ。ベストにネクタイという出で立ちで、逢魔が時にようこそ、と一行を迎える。
「レバーテスト」の案内役
薫は、この度は当家管理下の禁足地にお越しいただき誠にありがとうございます、と頭を下げ、本日のレバーテストをご案内させていただく当家嫡男、薫でございます、と名乗る。肝試しを英語に直訳したような言い方で、禁足地の行事を遊園地の案内のように仕立てている。
しおりの注意書きは、本当のことだった
しおりには、コースから外れず迷っても祠の場所には近寄らないでください、鈴の音を聞いたらすぐに逃げてください、と書かれている。以上のルールを守らないと最悪死にますって書いてあるけど、と笑う友人に、返ってくるのは、死ぬよ、の一言だ。冗談の注意書きに見えたものが、ここでは事実の説明になっている。そっか、禁足地ってやっぱちゃんと禁足地なんだ、という納得の仕方がおかしい。
鈴の決まりは、三十木谷家の役目の決まりだった
鈴の音を聞いたら逃げる、という決まりは、第5話で千夜が先代から言い渡された、鈴の音が聞こえたら何もかも捨てて帰りなさい、という言葉とそっくりだ。第10話ではダラさんが、その鈴はただの警報、と中身を明かしていた。家の役目として伝わってきた決まりが、そのまま肝試しのルールに流用されている。あとで友人の一人は、鈴が鳴った時にすごく泣いていた、とからかわれている。
手をつないだ時点で、作戦は崩れていた
二人一組で進むことになり、日向は周に、暗くて危ないし、こっからは手繋いでいこっか、と手を差し出す。おろちは、二人組の段階で我の作戦効果薄だし、こいつと組んでたら意味ないし、と早々に見切りをつける。日向と並んで歩く周のほうは、作戦の失敗よりもずっと嬉しそうにしている。
墓場で、おろちは宿敵の情を見抜く
折り返し地点は旧集落跡の墓所だった。おろちはそこを、怒りに焼かれた虐殺があった西の集落の墓場だと見抜き、数百年経てなお墓地の体を保っておるのは、今は管理者がおるゆえやもしれんが、決してそれだけではあるまい、と言う。怨霊となり果ててなお、情を捨てきれぬとはめんどくさい奴よ、あやつもとっとと人の心なんぞ捨ておけばいいもの、と続く。ダラさんの情を、いちばん正確に見抜いているのは宿敵のおろちだった。
怖がらせたのは、ダラさんの演出だった
帰ってきた一行は、しめ縄とロウソクの道を進むだけで普通に怖かったな、と言い合い、しめ縄の向こう側をのぞいたら、マジでダッシュで逃げたわ、と盛り上がる。あれって薫くんの仕込み、と聞かれた薫は、どうですかね、とはぐらかし、ダラさん演出うまいな、という声が出る。肝試しの怖さを用意したのは、おろちではなく禁足地の主のほうだった。
宿敵を「子孫」と見誤り、礼まで言って帰した
帰り道、一行についてきた霊を、おろちは周に取り憑いたまま喰らう。淀みがなければ、この程度の霊を喰らうにも、こいつらからの信心を使わねばならぬとは、不甲斐ない、とぼやいたところへ、見送りに来たダラさんが現れる。
存在は、日向から聞いていた
ダラさんの第一声は、お主が日向の言うておった蛇のあやかしじゃな、だった。第9話の終わりで、日向は家で、友達にちっちゃい蛇がついてて、と話していた。隠れているつもりのおろちは、雑談ひとつでとっくに宿敵に知られていた。
「似すぎている」まで、たどり着いていた
うろたえたおろちが、これは山の主様、先ほどは山に入るもご挨拶もなく、と取り繕うと、ダラさんは、似すぎている、かのオロチの妖気と、とつぶやく。見抜く一歩手前まで来ていながら、次の一言で結論を別の方向へ曲げてしまう。
出した答えは、子孫だった
ダラさんの見立ては、あの大蛇が荒神となる前に残した子孫が、今は人のために力を使って生きている、というものだった。奇妙な縁よ、力は比べるべくもないが、と付け加える。本人を前にして、本人の子孫だと思い込み、しかも力が比べものにならないと言っている。反応でも、子孫と勘違いして煽ってたけど本人だからめっちゃ悔しそう、と受け取られている。
礼を言われて、どういたしまして
そのうえでダラさんは、いかなる理由でその娘についておるかは知らぬが、以前から日向らを救うてくれたこと、礼を言う、と告げる。おろちの返事は、どういたしまして、だった。感謝を集めて力にするはずだった企みの最後に、いちばん受け取りたくない相手から感謝が届いている。
見抜けなかった神と、忘れていた蛇
おろちは、正体を気取られぬのなら、あの山で我の首を探すのもはかどろうというものよ、と立ち直る。語りは、変わり果てた姿のオロチを不倶戴天の宿敵と見抜けなかったダラさんだが、と前置きしたうえで、こいつはこいつで、そもそも宿主の周がいないと禁足地に入れないことを忘れていた、と落とす。見抜けなかった側と、自分の制約を忘れていた側が、同じ一文の中で並べて笑われている。
縁という言葉だけが、全部の話に残った
筆木は恋を、こういうのはご縁やから、と言い、ダラさんは、いずれは良縁にも恵まれよ、と祝った。過去編では縁が切れないよう血を継ぐ術が組まれ、最後にダラさんは宿敵を前に、奇妙な縁よ、と言う。ダラさんは縁を言葉にするたびに、その縁の中身を見誤っている。目の前の良縁にも、目の前の宿敵にも気づかないまま、この回は終わる。




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