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第6話のサブタイトルは「囮」。包囲されたソルディム528陣地に救援は届かず、B集団の司令部は命令を盾に動こうとしない。しびれを切らしたゼートゥーアが選んだのは、自分の司令部そのものを餌にすることだった。しかも戦場に出た囮は、それ一枚では終わらない。




「連邦に魔導師」で始まる第6話
ヴァイス少佐を落とした一撃
第6話は、包囲されている側の悲鳴から始まる。「少佐殿、ご無事ですか」という声が飛び、撃たれた本人は「あいつは…」と言いかけたきり言葉を切ってしまう。203大隊の副長ヴァイス少佐が、開始早々に落とされたのだ。後半でターニャが「ヴァイス少佐に指揮を執らせろ」「口を動かすくらいはできるだろう」と言うので、傷の程度もそのあたりで見当がつく。
撃った側に画面が移ると、「お見事です、ミケル大佐殿」とたたえる声が上がる。当の本人は「党のご指導よろしきを得たおかげだ」と受け流すだけ。ターニャのほうは最初、「多国籍義勇軍ごときにやられるとは何事だ」と怒っている。ところが、そこから読み直しが入る。「連邦では旧体制の象徴と粛清されて久しいはずだが」「連邦に魔導師」「ラーゲリからの叩き上げか」。そして「コミーどもめ、そこまで我々に固執するとは」。
敵の新顔を、名乗りでも肩書きでもなく「味方がやられた事実」から逆算して紹介するのが良かった。ミケルという名前より先に、この人は強い、という一点だけが視聴者に渡される。第5話の引きが「連邦に魔導部隊」だったので、その答え合わせを最短距離でやってのけた導入だと思う。
「我々が党から受けた命令は包囲だ」
ところがミケルは、そこから追撃をかけない。食い下がる部下が「なぜ敵を見逃すのですか」「連中もろとも、ラインの悪魔が率いる部隊も全て撃ち落とせば」と迫っても、「我々が党から受けた命令は包囲だ」の一点張りである。「目の前の好機を無視ですか」「命令は命令だ」「我々の党が間違っているとでも」「命令を守るだけで勝てると」。見かねた上官が「そこまでだ」「他軍の指揮官殿だぞ、敬意を示せ」と割って入って、ようやく若い士官が引き下がった。
この一分に満たないやり取りが、今回の裏側の骨組みになっている。腕が立つのに命令の枠から出ようとしない大佐と、戦果のほうを見ている若い士官。しかも二人は別々の軍に属していて、片方はもう一方の上官ですらない。強い敵が出てきたのに、その強さが素直に前へ出てこない構図で、個人的にはここでもう今回の勝負がついたと思っている。
動かない救援と、ゼートゥーアの決心
「ならば失敗しなければよいだけのこと」
場面はB集団の司令部へ。ゼートゥーアは「諸君、なぜ救援部隊を動かさない」と切り出す。「包囲された味方を助けに行く。至極単純な話であろう」「レルゲン戦闘団を包囲した敵野戦軍を叩けば、我々の主戦力たるA集団の援護ともなる」「アンドロメダ計画、作戦成功のための英雄的な第一歩だ」。対する幕僚は「我らB集団に課せられた命令は戦線防衛ですよ」「帝国の現状をお考えください。我々は一度の失敗で破綻しかねないのです」と譲らない。
ここで返ってくるのが「ならば失敗しなければよいだけのこと」だった。続けて「決心、それこそが指揮官の務めだ」「心を使うとすれば、迷うためでなく決するためであろう」。それでも空気が動かないと見るや、「これ以上は時間の無駄だ」「諸君らが懸念する点は私も理解する」「よって、君たちは君たちの理屈で動きたまえ」と話を打ち切ってしまう。
説得を諦める速さが良かった。怒鳴りもしないし、命令で押しつぶしもしない。君たちは君たちの理屈で、と言い切った時点で、この人はもう別の道具を数え始めている。直前のミケルの場面と並べると、命令の枠に収まる人と、枠の外に手を伸ばす人が、きれいに向かい合わせで置かれているのが分かる。
「中尉、散歩は好きかね」
次にゼートゥーアが呼んだのは、前回あずけられたグランツ中尉だった。出頭してきた相手への第一声が「中尉、散歩は好きかね」である。続けて「すでに戦略予備のクラム師団長には声をかけておいた」「他の師団長らも同行する」。「失礼ですが、おっしゃる意味が」と戸惑うグランツに、行き先だけが短く告げられる。「ソルディム528陣地だ」「レルゲン戦闘団が包囲されたのは知っているだろう」。
ここが今回の分かれ目で、B集団の司令部を説き伏せるのをやめた将軍は、参謀本部から委託された権限を持ち出して戦略予備の師団を直に動かしてしまう。グランツは「お任せください」「すぐにクラム師団長と合流し救援に向かいます」と即答した。
散歩という言い方が効いている。任務の重さを説明しないまま人を巻き込むのは、見ようによってはずいぶん身勝手なやり方だ。ただ、この人が同じ調子で自分自身も散歩に連れ出す気でいると分かるのは、もう少し先になる。
将軍が、自分で前に出る
「帝国軍は建軍以来、常に指揮官先頭が大前提だろう」
出発しようとしたグランツを、ゼートゥーアが「ああ、待ちたまえ」と呼び止める。「閣下、わざわざお見送りに来てくださらなくとも」という言葉に返ってきたのは、たった三文字の「却下だ」だった。見送りに来たのではない。一緒に行くのである。「帝国軍は建軍以来、常に指揮官先頭が大前提だろう」「さあ諸君、泥に飛び込もう。共に戦争を始めようではないか」。
前線に出てからも、この人は下がらない。「お答えを何とぞ」とすがるグランツに「心配は無用だ。護衛役として魔導師を借りている」と言い、「お言葉ですが、いくら何でも」「光栄ですが、どうか交代を」と食い下がられても、「敵がいるのは分かるとも」「貴官らが何とかしてくれたまえ」で押し切ってしまう。
借りている魔導師というのが、要するにグランツの中隊だけである。将官の護衛としてはあまりに薄い。その薄さを本人が誰よりも分かったうえで前に出ているのが、この場面のいやらしいところだと思う。
「あれこそ正しい参謀将校の姿だ」
案の定、車列は敵に捕まる。「新手です」「11時方向」「閣下、突破は不可能です」という報告に、ゼートゥーアは「敵が飛び出してきたのならば、私が囮となろう」「車を止めてくれたまえ」と応じた。そして状況を説明する。「我々の到着の前に、お相手からわざわざお出迎えくださった」「ここでレルゲン戦闘団が我々に呼応するぞ」「敵を挟撃だ」。
グランツは「なるほど、デグレチャフ中佐と打ち合わせされていたのですね」「そういうことであれば、事前に一言を頂きたかったのですが」と受ける。ところが返事は「即興だが」。絶句する部下に、「あのデグレチャフ中佐だ。即興劇も朝飯前」「今頃支度しているだろう」と平然と言ってのける。極めつけが「デグレチャフ中佐を化け物呼ばわりすると聞くがねえ」「私に言わせてもらえば、あれこそ正しい参謀将校の姿だ」だった。
敵からも味方からも化け物扱いされている部下を、この人だけが職能の言葉で評している。しかもそれを、打ち合わせなしで背中を預ける根拠にしてしまう。信頼という言葉を一度も使わずに信頼を描いた台詞で、今回いちばん唸らされたのはここだった。
露呈した司令部という餌
「今度は閣下が囮となるつもりなのだよ」
陣地の側では、まず朗報が届いていた。「救援軍が動きました」「ようやくか」「しかも、ゼートゥーア中将がこちらに向かわれているようです」「何、閣下自らが」。届いた命令は「速やかに行動を開始せよ」の一行だけで、ターニャは「つまり作戦行動を起こせ、最適な行動を選択しろという意味か」「ゼートゥーア閣下は何を考えている」と首をひねる。
答えは敵の無線から来た。「救援軍が迎撃されています」「混戦のようです」「それどころか重要目標、司令機能」「軍の司令部が露呈したと」。司令部が露呈、という言葉のところでターニャの手が止まり、そして腑に落ちる。「今更、隠れんぼうもできぬ間抜けなものか」「まだ分からんのかね。今度は閣下が囮となるつもりなのだよ」。「一体何のために」と聞かれれば、「敵の意識を一方に集める理由など、背中を蹴飛ばす仕込み以外に何がある」。
そこからは早い。「魔導師以外は防衛戦を継続」「ヴァイス少佐に指揮を執らせろ。口を動かすくらいはできるだろう」「203大隊は魔導反応を抑えて進出する」「連邦の包囲網をかいくぐって救援軍のもとへ向かい、背後から敵の尻をぶちのめすぞ」。打ち合わせが本当に無かったことが、この即応の速さで逆に証明されてしまうのがおかしい。先ほどの「即興劇も朝飯前」は、身内びいきでも何でもなかった。
敵の側でも、命令と建前がぶつかる
面白いのは、同じ時間帯に敵側でも会議が起きていることだ。包囲を続ける連邦側は「敵に動きは」「変わりありません」「我々の包囲にビビって震えて隠れているんじゃ」と油断しかけ、「ラインの悪魔がそんな玉か」とたしなめられる。一方で多国籍義勇軍のドレイク中佐は、「それで敵指揮官は本当にハンス・フォン・ゼートゥーアなのか」と確かめ、「高価値目標すぎる。我が隊だけでも討ちに行かせてもらわねば」と動き出す。部下の「ドレイク中佐殿、失礼ですがご再考を」も「我が隊は自由裁量権を持つ」で押し切られた。
ここでミケルが「ならば我々がお付き合いすべきでしょうな」と乗るのだが、そのために彼は政治将校を説き伏せなければならない。自分たちは党の軍隊であり、党から連携を指示された部隊が動く以上は見殺しにできない、という筋を通して、ようやく「やむを得ませんね」「私も命令書に副署いたします」を引き出す。そして「では肩を並べて出撃ですな」の直後にこぼれるのが、「馬鹿げた話だ。作戦の議論ですら建前が必要とは」である。
さらに敵陣は自分から崩れていく。203大隊の離脱に気づいた側が「敵の援軍を叩く前に相手の陣地を落とせる」と方針を変えようとすれば、「朝令暮改は困ります」「すでにゼートゥーア将軍を仕留める前提で段取りを組んでおります」と止められる。そこへ、真っ先にラインの悪魔へ突っ込んでいったメアリーを追いかける羽目まで加わった。「あの先走り娘め」「三時方向に魔導反応」「見捨てるわけにもいかんか」。政治将校からは「党から最優先です」「連合王国軍の援護を。そしてラインの悪魔がいれば撃墜し、何としても確保せよと」。遠くでは「もう少しだよ。もう少しで会えるね、妖精さん」という声まで挟まる。三つの都合が同じ戦場で引っ張り合って、結局どれも間に合わないというのが、今回の敵の負け方だった。
「囮」まとめと考察
囮は、一枚では終わらなかった
203大隊が包囲網を抜けようとした頃には、敵もすでに気づいていた。ラインの悪魔が消えた、と分かった瞬間に真っ先に飛び出したのがメアリーである。ところが、彼女が食いついた相手は本物ではなかった。ヴィーシャが流したデコイのほうである。ターニャは「急げ、敵に感づかれるぞ」と急かしながら、「これで留守番部隊の負担も減る」「うまい手だ」と副官の手際を評した。
それでも本命が無傷で通れたわけではない。ミケルの部隊だけは狙いを読み切っていて、ターニャは「例の連邦魔導師か」「こちらの目的を読んでいたようだな」と歯噛みすることになる。命令の枠から一歩も出ない男が、こと戦場の読みでは誰よりも鋭い。押し込まれた状況をひっくり返したのは、上と下からの挟み込みだった。上空のターニャと、地上を進んできたグランツの側が同時に噛みつく形になり、ミケルの部隊をようやく振り払う。そこへゼートゥーアの側からの援護が重なって、あれほど厚かった連邦の戦線が崩れていった。
その間、被害の報告が「連隊長クラスですら死傷しています」まで届いても、ゼートゥーアは「泣き言はやめたまえ」「この状況で後退すれば、全軍が崩壊しかねん」と動かない。むしろ「旗を掲げろ」「私がここにいると」と、自分の居場所をもっと目立たせろと命じている。餌である以上、目立たなければ意味がないという理屈である。
第5話でターニャが出した案は、劣勢の側は主導権を取りに行くしかない、そのために囮で敵を引き込んで叩く、というものだった。今回、その囮は一枚では済んでいない。将軍が自分の司令部を差し出し、副官がデコイを流し、そのどちらもが本命を通すためだけに使われている。サブタイトルの「囮」が誰を指しているのかが最後まで確定しない作りで、しかも言い出しっぺが一番危ない役を引き受けていない。そこを将軍が自分で埋めにきたのが、今回のいちばん気持ちのいいところだった。
戦場でお茶に誘う人
戦線が崩れ、場が落ち着いたところで、ゼートゥーアはデグレチャフ中佐の戦いぶりを見物して「見事だ」と褒める。そして口にするのが「この場が片付いたら、お茶の誘いでもさせてくれ」だった。ターニャの返しは「それは風流な」「戦場なのに奇妙なことです」。
これに対する答えが振るっている。文化こそが人と獣を分けるものであり、日常と非日常の区切りでもある。そう思わんかね、という問いかけだ。さんざん人を釣り餌に使っておいて、戦いが一段落した途端にお茶の話を始めるのである。
そして最後の場面。帰路につく車で、ゼートゥーアとグランツが並んで座っている。そこで将軍が漏らすのが「戦友愛が足らんな」で、グランツは「えっ」「な、なんのことでしょうか」と慌てるほかない。散歩に誘われ、砲火の中に置き去りにされ、打ち合わせなしの挟撃まで付き合わされた相手に言う台詞ではない。この人の食えなさが、最後の最後まで一貫していた。
包囲、救援、囮と、今回の第6話はほとんど命令と権限の話で埋まっている。動けない者は命令があるから動けず、動けた者は権限を先に押さえていたから動けた。その乾いた構造の最後に、お茶という戦争と何の関係もない一語が置かれる。この作品が戦記でありながら妙に人間くさいのは、こういう置き方をちゃんとやるからだと思う。




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