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第7話のサブタイトルは第七番「狭間にて」。捕らえられた徳さんが湯起請にかけられ、鬼夜叉もコガネも手が届かないまま見ているしかない。そして「敗者が忘れ去られる、そんな世界であってたまるかよ」という叫びが、そのまま第二回の舞比べへ流れ込んでいく回だった。




牢の一晩と、湯起請という裁き
噛みついた先が私で、よかったです
第7話は、鬼夜叉が閉じ込められた場所から始まる。前回、徳さんが連れて行かれるのを止めようとして、彼は屋敷の者に噛みついていたらしい。その相手が笑いながら言うのが「でもよかったです、噛みついた先が私で」「そうでなければ今頃、あの老人と同じ道を辿っていただろうな」だった。
裁定そのものは、あっさり下りている。「鬼夜叉はあくまで潔白、間違いないな」「私にはそう見えました」「朝が来たら開けてやれ」。そして続くのが「その頃には老人の湯起請も終わるだろう」。同じ夜に捕まった二人のうち、片方は朝になれば出され、片方は朝までに片がついている。この回はもう冒頭で、線がどこに引かれているかを見せてしまっていた。
たぎった湯に手を入れれば誰でも火傷する
その湯起請について、劇中で説明が入る。「室町時代に行われた裁判方法の一つ」「神に誓い、熱湯に手を入れる」「邪悪な者は火傷し、正しい者は救われると信じられていた」。見張りの一人が「あれって意味あるんでしょうか」とこぼし、もう一人が「僕に聞くなよ」と流すのがなんとも嫌な感じだった。
鬼夜叉の反論もまっとうすぎる。「南に同行した、なんてこと、徳さんもしてないのだ」「それに湯起請なんて、たぎった湯に手を入れれば誰でも火傷する。当然なのだ」。ここが今回いちばん残酷なところで、この神事は結果が最初から決まっている。無実かどうかを調べる仕組みではなく、処すと決めた相手に手続きを与えるための仕組みになっている。
そして誰かに、こう諭される場面が入る。「離れていても思ってくれる人がいること、当然のことと思っていないかい」「自分の存在を受け入れてくれる居場所も、自分に思いを馳せてくれる人も、どちらもあるなんて」「君は恵まれている。忘れてはいけないよ」。前回の締めの語りが「自分の生まれ、体、心がいかに恵まれているか」だったので、同じ言葉がまた頭から落ちてくる。この「恵まれている」が、今回は三回、別々の口から出てくることになる。
コガネの夜と、忘れろという約束
斬るのは縄ではない、わしとの縁じゃ
夜、屋敷の内で物音が起きる。「なんだ? 屋敷内からか」「俺が見てこよう」と人が動いたその隙に、コガネが徳さんのところへ辿り着いていた。徳さんの第一声は「なぜ来た?」で、コガネの答えは「来ないわけないじゃないか」。
縄を切ろうとする手を、徳さんが止める。「斬るのは縄ではない。わしとの縁じゃ」。逃がしてくれるなというのではなく、助けようとした側が失うもののほうを先に言うのが徳さんらしかった。前回、深い縁は人を助けもすれば縛りもすると鬼夜叉に説いた人が、自分の番でも同じ物差しを使っている。
全て忘れると約束しろ
そのうえで出てくるのが、この回のもう一つの軸になる言葉だった。「全て忘れると約束しろ」。コガネは食い下がる。「俺にはもう、徳さん以外残されてないよ」。これは重い。コガネは元の座を追われ、縁を切られる形で外に出された人間なので、残りが本当に少ない。
徳さんの返しは「お前には鬼夜叉もいる」「生きていれば、新しい縁も生まれるだろう」。コガネの「でも」「でも徳さん」「俺の…」は最後まで言い終わらないまま、人が駆けつけてきて追われることになる。助けに来た側が何一つできずに逃げるしかない、という終わり方が、そのあとの湯起請の場面をよけいに苦しくしていた。
同じ頃、鬼夜叉のほうは石也が迎えに来ている。「若、迎えに来ましたよ」。石也が「そういえば、再戦の題目聞きましたか?」「観世座にももう迷惑かけられないですしね」と切り出すと、鬼夜叉は「分かっているのだ」「分かりたくないのだ!」と言い捨てて飛び出していく。分かっている、と分かりたくない、を続けて言わせる書き方がうまい。止まらないと分かっていて走る人の言い方だった。
湯起請の釜の前で
お主の身、神仏に誓い間違いないな
薪がくべられ、湯が沸かされ、儀式が始まる。問いは「お主の身、神仏に誓い間違いないな」で、徳さんの答えは「そうである」のひと言だけだった。慌てもしないし、命乞いもしない。前回「かつて足利方と剣を交えた」と語った人の座り方が、ここで効いてくる。
そこから徳さんは、裁く側に向かって言葉を投げ始める。「人が勝敗から抜け出せぬ性(さが)、それは仕方のないこと」「だが、その勝利に意味を与えるのは人の所業」「中身のない勝者など、何の意味をなさない!」。裁かれている最中に勝者の側の資格を問い返しているわけで、「この無礼者!」と怒鳴られるのも当然だった。
聞こえるか、足利の孫
そして名指しになる。「聞こえるか? 足利の孫!」「お前はどうだ? 世界を勝ち得た勝者として、敗者をどう救い上げる?」。叫びの最後が「敗者が、もう忘れ去られる! どんな世の中であってたまるかよ!」だった。
この場面の作りが今回の白眉だと思う。徳さんが最後の力で暴れ、押さえつけられ、「さっさと立て!」「もたもたするな!」と急かされる一方で、義満はそちらを見向きもしない。叫んでいる側は相手の名を呼んでいるのに、呼ばれた側には届いていない。鬼夜叉にできたのは「見、見るのだ」「せめて」と自分に言い聞かせて、目をそらさずにいることだけだった。そしてこの日、徳さんは還ってこない。
だがお前もこちら側だろう
何の話だ、と義満は言った
鬼夜叉は将軍に直談判へ向かう。「将軍様に会わせて欲しいのだ!」と門前で押し問答になり、「怒りだけで将軍様にお会いしても、なんにもなりませんよ」と止められても引かない。通されたあとの義満は、開口一番で牢の一晩をからかってくる。「うちの者のおかげで一晩ぶち込まれただけで済んだんだ。感謝しろよ」。
そして本題。鬼夜叉が「先日の、湯起請の老人なのだが」と切り出すと、返ってきたのが「何の話だ?」。ここで鬼夜叉の内心が入る。「本当に、見ていなかったのだな」「将軍にとってあのような訴訟沙汰は日常茶飯事」「この世界の頂点、生まれながらの勝者」「この人は、本当に知りもしないのだな」。悪意で切り捨てたのではなく、そもそも見えていなかった、というのがいちばんこたえる形だった。
弱きは捨て、強きに力を
義満の言い分は、彼なりに筋が通っている。「湯起請にかけられるものなど気に留めるな」「不満か? だがお前もこちら側だろう」「生まれに恵まれ、食うに困らず、いつだって与えられ、そして奪う側」。「私が、奪う側」と鬼夜叉が繰り返してしまうのがきつい。河原で「ここは楽なのだよ」と言っていた人が、自分の立ち位置を突きつけられている。
そのうえで出るのが「お前も弱きを振り払う強さを持たねばならん」「弱きは捨て、強きに力を」「そうして初めて、世界は大きくなっていく」「覚悟を持て」。徳さんの「敗者をどう救い上げる」への答えが、本人の知らないところで「捨てろ」だったことになる。しかも前回、細川頼之に「あなたは、まだ弱いのです」と言われた人が、弱さの切り捨てを説いている。この人の強さへのこだわりは、余裕ではなく焦りから来ている気がした。
舞比べの話も、この場で出る。「今回は判定人が代わるとお聞きしました」に対して「うむ、判定人は俺一人だ」。そして「次の題目は将軍義満。判定できるのは俺以外いるまい」。お題も自分、審査も自分。締めの「いつまでこちら側でいられるか、おまえ次第だ」まで含めて、これは勝負ではなく踏み絵だった。見送りの「増次郎はもっと前に訪ねに来たぞ」も嫌味が効いている。
あなたを忘れて進めるわけがない
一方、屋敷では石也が千晴に読み書きを教えていた。「ずっと棒を足していくだけの方がいいじゃない!」と暴れる千晴に、石也が「始めたばかりは誰でも難しいものです」と付き合う。ここで出てくる昔話がよかった。「若も幼い頃は、学ぶことも稽古もあまり好きではなくて、よく逃げ出していました」「私は、見張り役としておそばに」。千晴の「今と変わんないじゃん!」が的確すぎる。
そして千晴が石也の足に気づく。「前よりもっと悪くなってない?」「鬼夜叉はなんて?」答えが「それは…」で止まるので、伝えていないのが分かってしまう。千晴が「石也を雑に扱いすぎなんじゃない?」と怒っても、石也は「いいんです。私が悪いですから」「若はそのまま、そのままでいいのです」と譲らない。重い場面が続くなかで、この二人の稽古だけが、静かに縁が増えている側の絵になっていた。
鬼夜叉が出した答えが、この回の到達点だった。「飢えたことがなく、帰る場所もある。それは変えようのない事実なのだ」「お前の死も」と自分に確かめたうえで、「あなたを忘れて進めるわけがない」「徳さんの願いではない。これは私の願い」「こんな寂しい世界、私が変える」「舞うのだ。あの人に向けて」。「全て忘れると約束しろ」への返事が、忘れないことだった。しかも「徳さんの願いではない」とわざわざ断るところがいい。遺志を継ぐのではなく、自分の願いとして引き受けている。
第七番「狭間にて」まとめと考察
与一殿、また手を貸してほしいのだ
動き出した鬼夜叉は、まず頭を下げに行く。「与一殿、また手を貸してほしいのだ」。与一は「なんだ、てっきり今回はお一人でやるのかと思ったぜ」と軽口を叩きつつ、「全力でやらせてもらおうか」と受ける。敵方の座の人間が二度目も付き合ってくれるのは、前回の「公平な舞比べにするためだ」という筋がそのまま続いているからだった。
さらに囃子にも声をかけ、戻ってきた石也にも「石也も手伝ってくれ」「知恵を借りたいのだ」と頼む。一人で抱え込まなくなったのが今回の変化で、第5話の「君は誰に見せるつもりで舞った」という増次郎の批評から、ちゃんと地続きになっている。会場は「前回より盛況ですな」「やはり再戦への期待は高かったようだ」と埋まり、客席では「今回の題目は将軍様だろ」「ずいぶん派手なものが見られそうだ」と噂されていた。
なぜ卒都婆小町だったのか
幕が開いて出てきたのは、意外な演目だった。旅の僧が道行きをうたい、その途中に「過去未来の狭間の夢で」という一節が入る。サブタイトルの出どころがここで、しかも本人の口からではなく謡の中にある。そして僧が、桜の朽ち木に腰掛けた百歳の老婆と出会う。卒都婆小町である。
問答が始まる。「その桜は仏なる塚」と僧が問えば、「今は朽ちていようとも、春となれば花が咲く。仏は花を見に参る」。老婆は退かず、「私の心は仏」「あなたの種はいつ芽吹く」と押し返していく。言葉の応酬に強い調子の曲を乗せた見せ方で、客席の「まあ面白いけどよ」「これのどの辺が将軍様なんかに」という反応も、そのまま画面の中に入っていた。
卒都婆小町ではない
答えはすぐに説明される。「この話は、真言の僧と禅宗に帰依する老婆の問答合戦だ」「んで、坊主は老婆に言い負かされて、軍配は老婆に上がる」「今の幕府は禅宗推しだよな」。つまり幕府の側が勝つ話を選んでいる。「今回の題目は将軍義満。これは確かに幕府、御所様に向けられた舞台」というわけで、お題としては満点の答案だった。
だが、そこで終わらない。老婆は小野小町のなれの果てで、かつて彼女に思いを寄せ、もてあそばれて死んでいった深草の少将が取り憑き、小町は舞い狂う。「卒都婆小町にこんな演出あったのか」という声に、返ってくるのが「いや違う。卒都婆小町ではない」。ここで幕が下りる。お題に満点で答えた顔をしておいて、その先を勝手に書き換えている、という引きだった。
こうして通してみると、第7話は「恵まれている」を三度突きつけられる回だった。冒頭で「君は恵まれている。忘れてはいけないよ」と諭され、自分でも「飢えたことがなく、帰る場所もある」と確かめ、最後に義満から「生まれに恵まれ、食うに困らず、いつだって与えられ、そして奪う側」と言われる。三度目でようやく、恵まれていることが免罪ではなく責任に変わった。
そして副題である。牢の内と外、生きて出る者と出られない者、こちら側とそうでない側、勝者と敗者。この回はずっと線の話をしていて、鬼夜叉はそのどちらにも立てないまま、線の上で舞うことを選んだように見えた。取り憑いた者が舞い狂う演目を選んだのも、忘れられた側を舞台へ引き上げるにはそれしかなかったからだと思う。「敗者をどう救い上げる?」という問いに、義満は「捨てろ」と答え、鬼夜叉は舞台で答えようとしている。次回、その答えが最後まで映るはずで、今からかなり怖い。




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