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第17話のサブタイトルは「負けざる者たち」。前回のラストで担ぎ出された戦闘神輿の中身が、まず明かされる。そして、戦を知らない公家がなぜここまでやるのかという答えが、後醍醐天皇との回想で示される回でもあった。ただし今回いちばん怖いのは神輿ではない。その騒ぎをおもちゃと言い切って裏山から下りてきた男のほうである。




戦を知らない公家が持ち込んだ戦闘神輿
これがマロ考案の、戦闘神輿じゃ
第16話のラストで担ぎ出された輿の中身が、冒頭で説明される。金で集めた屈強の猛者を担ぎ手兼護衛として並べ、清原本人は安全な輿の中から一方的に射殺する。本来なら後方から指揮を執るためのものを、そのまま前線に押し出したのが戦闘神輿だった。
最初に出た反応は「虚仮威しだ」「あんなデカブツ、的にされて終わる」だった。確かに、これだけ目立つものを戦場のど真ん中に置けば、否が応でも矢が集中する。普通に考えれば、自分から標的になりに来ているだけである。戦を知らない公家の思いつきという見立てで、この時点では誰もが片づけようとしていた。
虚仮威しでは終わらない、と時行は読んだ
ところが時行の見方は違った。「いや、案外そうでもない」。担ぎ手たちは重装甲を着せられたうえ、棒で互いを固定した密集陣形を組んでいる。近接戦でもそう簡単には倒せず、一人倒してもすぐ次の兵が肩代わりするようになっていた。
さらに厄介なのが、神輿を落とそうとして味方が一箇所に集まると、その隙に貞宗軍が背後に回り込めることだった。分断されれば壊滅もあり得る。時行がまとめた言い方が「武士の常識を外れた戦術は、ハマると危険だ」で、これが今回の戦の性格をそのまま言い当てている。
面白いのは、この神輿が別に精密な計算の産物ではないことだ。重い装甲を着せて棒でつないだ、それだけの代物である。それでも武士の側が対処に困るのは、彼らの積み上げてきた常識の外側にあるからでしかない。強いから効くのではなく、誰も想定していないから効く。この作品が繰り返し描いてきた「逃げ」の理屈と、実は同じ形をしている。
帝が清原に授けたもの
朕が最も愛するのは家柄ではない、気概だ
ここで回想が入る。清原はもともと、国司になどなれる家柄ではなかった。「我が清原家はもともと下級貴族。国司になれる家柄も器もないのでござる」と、本人が帝の前で自分から言ってしまうほどである。そのうえで「そもそもなぜ帝はマロごときを国司に」と問う。
後醍醐天皇の答えが、この回のいちばん重い台詞だった。「朕が最も愛するのは家柄ではない。気概だ」。時代を変革しようとする気概のある者だ、と続ける。そして、鎌倉の時代から清原が何を思っていたかを言い当てていく。幕府の武家に尻尾を振り、既得権益を貪るだけの怠惰な公家が、なぜのうのうと役職を占めているのか。自分ならもっと世界を変えられるのに、と。
「汝の目に秘めた情熱、野心、気概。当時から朕は汝を買っていたのだ」。そのうえで突きつけるのが「汝には家格はない。大舞台での実績もない。されど、天をもつく気概がある」。だから信濃を託す、その気概で信濃を統べよ、朕が作る世のために、と送り出す。見下されるだけだった男が、生まれて初めて自分の中身のほうを買われた瞬間である。
この回想が入ることで、前回まで小物として描かれていた清原の像が一気に変わる。彼は無能な公家が調子に乗っているのではなく、一度きり差し出された承認に全部を賭けているのだ。神輿という珍妙な兵器も、そう考えると笑えなくなってくる。戦い方を知らない人間が、それでも戦場に立つために持ち出せる形が、あれしかなかった。
帝の御世はこの血の上に咲く
戦場に戻った清原は完全に振り切れていた。「すべては帝の御世のため。帝の世界をこの信濃に作るのじゃ」。自軍の兵に向かっては「叫べ、愚民ども。その声こそが新しき御世の鐘ぞ」と煽り、「正しき世を築くには、まず汚れを祓わねばならぬ」と続ける。
そして「帝の御世はこの血の上に咲く」。血潮こそが忠義のしるしにございます、と天に向かって申し上げる。忠義そのものは本物なのに、向け方を教わらなかったせいで、ここまで歪んでしまう。この作品はここで清原を嘲笑させない。気概を買った帝も、その気概で領民を踏み殺す男も、同じ一本の線の上に置いている。
実際、ナレーションが挟まる。後醍醐天皇もまた比類なき覇気とカリスマを備えた英雄であり、その覇気が乗り移ったかのように、多くの貴族が慣れない武器を持って命がけで戦場に出たのも、この時代の異常な特色の一つだった、と。清原は例外の狂人ではなく、時代がまとめて生んだ一人だった、という置き方である。
終盤に差し込まれる回想も効いていた。京での昇進の場で、清原はただ名前を呼ばれない側に座っている。「才ありても家柄のせいで出世の道が続かぬというのもつらいですな」「鎌倉に下らねば出世できぬのも悲しいものです」という会話に混じって、彼が言うのが「それでも、家柄のないものも出世が叶う日が来るのを待つのみです」。その日が来たと思ったから、彼は信濃まで来たのだ。
神輿はどう崩れたか
左手で太刀を扱える者は多くない
押されていたのは保科・四宮軍のほうだった。「数が多すぎる」「倒しても倒しても地の底から這い出てくるようだ」という声が上がる。それでも時行は「大丈夫、このまま続けて。そろそろ、頃合いのはずだ」と落ち着いていた。耐えている間に、崩し方の当たりがついていたからである。
答えは左だった。「左手で太刀を扱える者は多くない。そこを狙えば、担ぎ手たちの陣形を崩すことができる」。重装甲も密集陣形も、担ぎ手が人間であることまでは変えられない。「左だ、左! 左から集中して攻撃しろ!」の号令で兵が寄せると、神輿はたちまち揺れ始めた。
輿の中の清原は「なんじゃ、しっかり支えぬか!」「代わりの兵はどうした!」「さっさと立て直せー!」と怒鳴り続けるが、揺れる足場では弓が引けない。一方的に射殺すための箱は、揺らされた瞬間にただの重い箱になる。公式が公開した制作資料でも、保科と四宮が清原を追い詰める場面は特に力を入れて作られていた。
所詮は公家のお遊びか
神輿は崩れ、清原の猛攻はそこで止まった。「終わったな。所詮は公家のお遊びか」という声が漏れ、兵たちは「とっとと帰って褒美もらおうぜ」「あの国司を討ち取ったんだからよ」と浮かれ始める。「自分の手柄みたいに言うな!」「えー、違うの?」というやり取りまで含めて、勝ちの空気が完全に出来上がっていた。
ここが今回の分かれ目だった。神輿は確かに退けられたし、対処も見事だった。しかしそれはあくまで神輿という一つの道具を潰しただけで、戦そのものが終わったわけではない。勝ったと思った瞬間に全員の視線が同じ方向へ向いてしまったことのほうが、はるかに高くついた。
壊れた神輿のそばに、清原が一人で立っている画も置かれる。倒れた武士たちに囲まれて、自分の考えたものが砕けた跡を見ている。彼はここで討ち取られてはいない。混乱の中を生き延びて、取り逃されている。それが後にどう響くのかも、この回では答えが出ないまま置かれた。
裏山から来た軍略
根拠はないのですが、とにかく早く退却を
最初に気づいたのは時行だった。玄蕃に「どうした、坊?」と聞かれて口にしたのが「いや、四宮本陣の背後の山が、今何か」。周りは取り合わない。四宮軍の背後は延々と深い山で、あんな場所にまとまった軍が入り込めるはずがないというのが常識である。しかも敵方の主だった武将はもう出尽くしているはずだった。
それでも時行には心当たりがあった。狡猾で用意周到、山伝いの奇襲を得意とする知略の将。けれども根拠を問われれば何もない。「根拠はないのですが! とにかく早く退却を!」と食い下がるしかない。返ってきたのは「国司を倒して勝つ寸前だぞ」「こんな時に本陣を動かすな」という真っ当な反論だった。
周りの気分も勝ち戦のそれである。「神を信じる我らが土地で、神輿とは片腹痛いわ」「神輿に乗れるのは神様だ。この信濃で、お一人だけだぜ」と、諏訪の神を持ち出して笑っている。時行が最後に出した理由が「逃げ好きの勘です! どうか!」で、この回でいちばん切実な台詞になっていた。彼が持っている唯一の武器は、勝っている最中には誰にも通じない。
これが軍略だ
勘は当たっていた。裏山から下りてきたのは瘴奸。第一期で時行が退けた相手が、今度は小笠原方の将として戻ってきた形になる。「奴は俺が追う! 四宮は本陣へ行ってくれ!」という声が飛ぶが、本陣はすでに突き崩されていた。
瘴奸が自分の口で組み立てを説明する場面が容赦なかった。三つの戦場で始まった戦は、数日で北と南の兵力が最適化され、双方の戦力が中央に集中して決戦になるはず。本陣への兵力を分析した結果、決戦の時は四日目と予測し、それに合わせて山の中を進んでいた、というのである。
そのうえで神輿についてこう言う。国司が作った秘密兵器の情報を聞き、策に組み込んだ。「戦場の注意を集めるには最適なおもちゃだ」。皆の注意が神輿に向いている隙に、一気に本陣へ接近して奇襲した。帝から授かった気概も、命を賭けた忠義も、この男の口の中では最初から囮の道具でしかなかった。清原が犠牲になる前提で背後を突く算段だったわけで、そこを不憫だと受け取った声が反応でも多かった。
時行への言葉も刺さる。「小物の大将を逃げ回って討ち取り、小さな村を守れても、大きな戦の流れを読めなくては、君は将来大きなものを手にすることはできないだろう」。そして「楠木殿にでも戦を習えばよかったのにな」「だが残念! 良い子は死ぬ時間だ!」と斬りかかってくる。時行は馬で振り切って逃げ延びるものの、言われたこと自体には一つも反論できていない。
戦況はここで完全に裏返った。貞宗が「さすがだ、瘴奸。貴様の策がピタリ当たった」と称え、「この隙にわしも防衛線を突破できた」と続ける。時行の実感が「一人の武将のたった一手で、全ての戦局がひっくり返されてしまった」。神輿という派手なものに全員が気を取られている間に、地味な計算のほうが勝っていた。
負けをどうまとめるか
この戦、逃げるが勝ちと心得よ
本陣に戻った四宮の言葉が良かった。時行が「ごめんなさい! 私がもう少し早く気づいていれば!」と詫びると、「馬鹿言うな! そこまで子供を頼るようじゃ武士が廃るぜ!」と一喝する。そのうえで「今考えてんのはこの負けをどうまとめるかだ」と切り替えた。一度瓦解した軍は立て直せない、というのが彼の判断である。
とはいえ、領地をそう簡単に捨てるわけにもいかない。だがこの混乱の中で踏みとどまれば全滅は必至。そこへ響いたのが「諏訪神党三大将より、四宮党に伝令する! この戦、逃げるが勝ちと心得よ!」という声だった。殿は我らが引き受けて一時を稼ぐから、一族を連れて保科領へ退け、と続く。
さらに「いずれ必ず諏訪明神が立ち上がられる! 生きながらえてその時を待て!」。兵たちの反応が「おお! 諏訪明神だ! ありがたや!」「その時のためならどんな屈辱も今は耐えよう!」「三大将の言葉は説得力が違う!」で、総崩れになりかけていた場が一気に退却の隊列に変わる。撤退を恥ではなく約束に変えてしまう手際だった。
なんかつまらん、と言って山を下りてきた父
駆けつけたのは北にいるはずの望月だった。なぜこの戦場に、という問いに答えたのは亜也子である。中の戦場のことを父に伝えに行ったら、報告を聞いた途端に「なんかつまらん!」と言ってすぐ出発してしまった、という。
本人の説明が「ここの戦場の敵の動きがつまらなすぎた! だからなんか面白いどんでん返しがある気がして心配になってな」。「ざ、雑!」と突っ込まれるのだが、この雑な勘が結果として四宮軍を救っている。第16話で砦を捨てた判断といい、この人は理屈ではなく戦場の匂いで動いている。
そして望月の口から、今回の戦の設計が明かされる。もともと勝ち目の薄い戦だった。頼重がまだ表立って動けない以上、それは仕方がない。犬甘と常岩には負けた時に山奥へ潜むよう言い渡してあり、そのための物資も住居も頼重の手ですでに用意されている。
結論が「これはあくまで前哨戦。人の犠牲を極力抑え、諏訪神党の結束を高めるのが頼重様の狙いだ」。負けることを織り込んだうえで、負け方だけを設計していたことになる。「そこまで頼重殿は計算して」という驚きに対して、「瘴奸とはまた別の深遠な軍略だ」と評されるのが正確だった。瘴奸は一戦を取りに来て、頼重は次の戦を取りに来ている。
望月が時行に向けた言葉も、この回の収穫だった。諏訪神党のため、昼夜を分かたず命がけで走る献身的な姿を見て、仲間たち皆が深く感じ入った。だから「次の大戦、我ら信濃の民は、あなた様への協力を惜しまぬと約束しましょう」。戦闘を禁じられ、伝令だけをやり続けた少年が、土地の代わりに人を得た瞬間である。
第17話「負けざる者たち」まとめと考察
禊の小屋と、温泉
逃若党の最後の任務は、中の戦場の敗北を南へ伝えることだった。伝令を聞くなり海野と祢津が中へ急行し、三大将の奮戦で窮地の四宮勢が救出される。人的損害は最小限に抑えられたものの、北の常岩と南の犬甘は山中へ逃れ、国司清原は混乱の中で取り逃がされ、領地は大きく奪われた。
戻ってきた時行は気が重い。「負け戦を報告するのは心が重い」とこぼす彼に、雫が小屋を指して教える。頼重は時行が戦場に行くたびにあそこに小屋を作らせ、誰も入れずに禊を行い、無事を祈っていた、と。この季節に冷水をかぶるのかと、時行の見る目が変わる。
その流れで出てくる独白が良かった。「私の目標は頼重殿の目標と同じなんだ。北条の再興は、すなわち、信濃の民を助けること。落ち込んでる場合じゃない。私はあの人と一緒に天下を目指すんだ」。負けて帰ってきた回の中で、いちばん前を向いた台詞である。
そして扉を開けると、頼重が温泉に入っている。自力で掘り当てた湯に酒とつまみを持ち込んで、完全にくつろいでいる。「さっきまで禊してたし」「お湯かぶっても気持ちいいだけじゃん」「冷水でやるなんて決まりないし」という言い訳まで完備で、時行の結論が「やはりこの人とは一緒にやれないかもしれない」。直前の感動を自分で全部台無しにしていくのが、この人らしい。
負け戦の報告に来た側と、湯に浸かって待っていた側。この落差を最後に置くのがこの作品の温度だと思う。禊の小屋を見せられた直後だからこそ、ふざけているように見えるほうが本気で心配していたのだと分かる。時行が呆れながらも結局この人と天下を目指すと決めているのが、そのまま答えになっていた。
そう、に見えた
今回いちばん効いていたのは、三者三様の「負けざる」形が並べて置かれていたことだと思う。清原は家柄で負け続けた人生の果てに気概だけを持って戦場に立ち、瘴奸は一度負けた相手に軍略で勝ちに来て、時行たちは負けること自体を設計に組み込んだ。サブタイトルの指す相手が一人に定まらないのが上手い。
締めくくりの二人の場面は反応でもよく取り上げられていて、中には自分で続きの掛け合いを書き起こしている人までいた。本編の台詞そのものではないが、あの場面が視聴者に何を書かせたのかが分かる反応なので、ここに置いておきたい。
戦の結果だけを見れば完全な敗北である。土地は奪われ、清原は取り逃がし、瘴奸と小笠原の軍もかろうじて食い止めただけ。それでも諏訪方は、信濃の民からの協力の約束と、三大将の中に生まれた次への意識を持ち帰った。「朝敵のレッテルを貼られ、戦に敗北した諏訪神党。このまま行けば土地を全て奪われてしまう。一か八かの大乱に賭けるしかない」という覚悟が共有される。
そして最後のナレーションである。今回の戦で諏訪方は領地を失い、代わりに絆を得た。何よりも時行と頼重がより強く目的を共有し、諏訪陣営が大戦に向けて一枚岩となった。そう、に見えた。
この最後の四文字がすべてを引っくり返しにかかっている。一枚岩に「見えた」だけだとすれば、この回で積み上がった結束のどこかに、まだ本人たちの気づいていない裂け目があることになる。神輿に気を取られている間に裏山から来られた回の締めが、同じ形の予告になっているのが怖い。勝ったつもりでいるときがいちばん危ない、というのを一話まるごと使って見せられた一本だった。




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