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『天幕のジャードゥーガル』第11幕の副題は「不器用な石」。これは誰かが石を評した言葉ではなく、ボラクチンが石に自分を重ねて言った台詞そのものだ。回想で分かるのは、彼女もまた夫の死後に義理の息子へ引き取られて第一妃になった人だということ。その人がいま、夫を亡くしたソルコクタニに同じ形の再婚を条件として突きつけている。過去編がそのまま現在の手口の説明になっている。




副題「不器用な石」は、本人が自分に貼った言葉だった
公式の副題は「不器用な石」。第5幕の「蛇のまだらは外側に 人のまだらは内側に」のような諺でも、第10幕の「知恵」のような主題語でもなく、今回は本編の台詞がそのまま題になっている。しかもそれを言うのは石を評した誰かではなく、その石を買った本人だ。
宝石が似合わないと言った人が、宝石になれない石を選ぶ
回想の入り口は市の場面。西へ出した小隊が戻り、宝石が並んでいると誘われたボラクチンは、いったん断る。「私は宝石が似合うような容姿じゃ」。耳飾りを勧められても乗らない。この一言が、このあとの回想を丸ごと支える。
目に留まるのは、店主が売りたがらない石のほうだ。「その石はやめた方がいいようございますよ」「実は仕入れた時、宝石に混じっていた石でしてね」「光に当たると砕けてしまう厄介な石なの」。そして独白が入る。「この時、きらびやかな宝石の中でみすぼらしく見えたその石が、私は妙に気に入った」「それが全ての始まりだった」。
選んだ理由が、価値でも珍しさでもなく「みすぼらしく見えた」ことなのが効いている。自分は宝石が似合わないと言った人が、宝石になりきれなかった石を選ぶ。買い物の場面が、そのまま自己紹介になっている。
「まるで私のようではないか」
数日、日の光に当てていただけで石は粉を吹く。調べさせると、その石は雄黄といって、東方では薬とされていることが分かる。適量なら腫れものを癒し、身が軽くなる。ただし火で熱すれば白い姿に変わり、これは水に溶けて無味無臭の猛毒になる。感想が「宝石にもなりきらぬ脆い石が、なんと、なんと面白い」。
副題が出るのはその先だ。白い毒のように水に溶けるわけでもないと分かったとき、「どこまでも不器用な石だ」「まるで私のようではないか」と言う。副題は他人の評でも作品側の要約でもなく、本人が自分に貼ったラベルだったことになる。
そして、その不器用な石が帝国の力関係を丸ごと動かす。宝石になりきれなかった石のほうが、並んでいたどの宝石よりも遠くまで効いた。題の付け方が、そのまま今回の筋書きになっている。
義理の息子に引き取られた人が、同じ形の再婚を持ちかけている
回想の中で、いちばん静かに置かれているのに効いてくるのが、彼女が第一妃になった経緯だ。ここを押さえると、現在の場面で出される「条件」の見え方が変わる。
「こんな私がなぜ」
市の翌年の夏にチンギス・カンが崩御し、妃だったボラクチンとモゲは、義理の息子であるオゴタイに引き取られることになる。そしてボラクチンはオゴタイの第一妃になった。本人の受け止めが「こんな私がなぜ」で、答えを自分で用意する。「きっと単に年長だからだと思った」。
つまりこの人は、夫を亡くしたあと夫の息子のもとへ移り、しかも自分ではその扱いを「順番が回ってきただけ」と読んでいた。選ばれたのではなく、割り振られたと思っていたわけだ。
同じ話が、今度は自分の口から出てくる
現在の場面で、ボラクチンがドレゲネの解放と引き換えに出す条件は二つ。一つ目がドレゲネを「グユク様の所領で穏やかに過ごされますよ」、つまり宮廷から遠ざけること。二つ目が「グユク様には、トルイ様の第一妃ソルコクタニ様と結婚していただきます」。
夫を亡くした妃が、夫の血縁の男のもとへ移る。形は、ボラクチン自身がたどった道と同じだ。しかも彼女はそれを政治の手として差し出している。自分が「年長だからだろう」と受け止めた扱いを、今度は相手に割り振る側に回っている。
押しの言葉も静かで、「何がモンゴルにとって最良か、よくお考えくださいませ」だけ。断る理由を潰すのではなく、断ったら公の利益を損なう形に組み替えてから置いていく。トルイ家の側の反応が「大カアン家もずいぶん露骨な手を使ってきたね」で、息子のほうは「グユクを父と呼ぶなんて」と嫌がる。事情を知らない側から見れば、ただの露骨な政略でしかない。
選ばれた理由は、年長でも家柄でもなく「欲しがっていたこと」だった
「きっと単に年長だからだと思った」という読みは、回想の中であっさり否定される。しかも否定するのはオゴタイ本人で、言い方がこの作品らしい。
「欲しいものがある。それが世界を動かす心ですから」
光で砕ける石を見られてしまい、ボラクチンは隠すように言う。「どうかお気になさらず。つまらぬ趣味です」。オゴタイは否定しない。「確かに、俺には難しい趣味だ」。そのうえで続けるのが「だけど、あなたの好きなものが分かってよかった」「今度また欲しい石があったら言ってください。届けさせます」。
「でも、なぜ私にそこまで」と聞かれて返るのが、「欲しいものがある。それが世界を動かす心ですから」。第一妃に選ばれた理由は、年長でも家柄でもなく、欲しがっていたことだった。しかも本人は最後までそれを「年長だから」と読んでいた。
続けて語られる構想が、この人らしい。「俺はこの草原を、東と西をつなぐ大きな市場にしたいと考えています」「そこでは東西のさまざまな民族が行き交い、交易をする」「そうすれば、わざわざ戦って奪いに行かなくとも、人も物も自分から来てくれるでしょ」。第7幕で耳飾りを使って交易路の機能を測っていた人と、同じ頭の中身だ。
理解者が欲しいという一言が、動機になる
決定的なのはその次だ。オゴタイは「トルイやみんなは、きっと分かってくれないでしょう」と言い、「だから、あなたみたいな理解者に、そばにいて欲しいんです」と続ける。求愛でも取引でもなく、孤立の申告に近い。
それを受けたボラクチンの独白が「トルイ家の権力は、あの方の自由を奪う。なんとかできないものか」。この一行で、第10幕までに起きたことの動機が全部つながる。夫が一度こぼした弱音を、妻が何十年もかけて解こうとしていたことになる。
ついでに書いておくと、この回想でボラクチンが石より先に欲しがるのは本だ。「石もいいですが、本が欲しいのです。石の性質をもっと知りたいので」。第10幕でシタラに『原論』を差し出したのは、本を欲しがる気持ちを誰よりも知っている人だった、ということでもある。
占いの場が、そのまま毒の製造現場だった
中盤は、実験の記録になる。ここで描かれるのは残酷さより手続きの正確さで、そのぶん怖い。
自分の身で、境目を測る
きっかけは東方から来た医者との会話。「熱や光で、姿も性質も変わる石たちが好きでな」と水を向けると、「道教には外丹という思想がありましてね」「お集めになっているような石を、火や水で精錬し、不老不死の霊薬とするもので」、そして「ただし、方法を間違えると、毒にもなり得ましょう」。独白が「この時、私の中にある計画が湧き上がった」。
そこからは自分の体で量を測る。飲んで、確かめて、「こうなる量は分かった」。問題はその先だった。「次の問題は、治し方だった」「養生をすれば毒は三月ほどで抜ける」「だが、もっと早く、鮮やかに治す方法はないか」。そして続く一言が「奇跡に見えるような」。
ここで初めて分かる。ドレゲネが必要だったのは、毒を運ばせるためだけではない。治り方を奇跡に見せるための仕掛けとして要るのだ。だから「そんな時、あの娘が現れた」で回想が現在に折り返す。第9幕以降ドレゲネが背負わされてきた役は、毒を盛った容疑ではなく、劇の一部だった。
「焼くのは骨ではない」
白眉は占いの場面だ。「占いをする。誰かついてまいれ」と外へ出て、供の者が困る。「あの、占い用の羊の骨がありませんが」。返ってくるのが「焼くのは骨ではない」。
続く指示が実務的で、「よいか、鼻と口を布で覆え」「風下に立つでないぞ」、そして手が止まっている相手に「何をしている、早く布で覆え」。占いの体裁を借りて、火にかけると白く変わるほうの毒をその場で作っている。第9幕と第10幕で何度も映された祈祷の場面が、ここでいっぺんに別の意味を持つ。
第9幕と第10幕が保留にしたことが、推理の形で埋まる
この作品は原因を確定させない書き方をしてきた。第10幕のナレーションは「トルイは大カアンの身代わりになって死んだ。それは真実かもしれないし、真実ではないかもしれない」と言ったきり、結果だけを確かめて終わっている。
ナレーションが決めなかったことを、登場人物が組み立てる
グユクのもとに集まった側で、条件の意味が読み解かれていく。「つまり全ては大カトゥンの思惑だったわけだ」「目的はトルイ家の力を削ぐこと、そして大カアンの権威を高めること」。そして肝心なのが次の一段で、「そのためにはトルイ様をただ亡き者にするんじゃなく」「大カアンの身代わりになったとアピールする必要があった」。
第10幕で確定させなかった死因に、ここで筋が通る。ただし通すのはナレーションではなく登場人物の推理で、作品としては最後まで断定していない。原因は人の口を借りてしか出てこない、という書き方が徹底している。
第9幕の宿題への答え
第9幕から持ち越されていた問いは「ドレゲネは実際に毒を盛ったのか」だった。今回の答えは、盛った・盛らないのどちらでもない。「まさか、大カアンのご病気って」に返るのが「ドレゲネ様を利用して毒を盛ったのだ」「死なない程度の毒を」。使われた、という三つ目の答えが出てくる。
そして「じゃあ、あの方はこのために自分で毒を試して」に続いて漏れるのが「錬金術で人の生死を操るなんて、まるで魔女だわ」。題に入っている語が、主人公にではなく敵に向けて口にされる。復讐のために魔女になろうとしてきた側が、先に本物を見せられた形だ。
折れている相手を見て、復讐する側のほうが動揺する
後半の柱は、シタラとソルコクタニの三年ぶりの対面だ。ここは筋を動かす場面ではなく、人物の芯が入れ替わる場面として置かれている。
使者の役を、恩返しの形で取りに行く
ボラクチンが「これからソルコクタニの元へ使者を送るところだ」と言った瞬間、シタラは手を挙げる。「では、そのお役目、どうか私にお命じください」。理由の出し方が上手い。学者の家に生まれた自分がずっと欲しかった本をもらった、そのご恩に報いたいと言う。
第10幕でボラクチンが差し出した『原論』は、懐柔の贈り物であると同時に、ドレゲネが秘密を守っている証拠でもあった。それが今度は、敵の使者として送り出してもらうための口実になる。同じ一冊が三度、別の役目を果たしている。
道中の独白は威勢がいい。「お会いするのは三年ぶりだわ」「私が行ったら、どんな顔をなさるかしら」「さすがに怒る? 私を責める?」「上等じゃない」「あなたに対して感じた怒りは、そんなものじゃないんだから」。ぶつける準備をして向かっている。
「顔を上げなきゃ」
ところが着いてみると、相手が用意していた喧嘩を受け取らない。「トルイ様のことはお役に立てず、申し訳ございませんでした」に「いいのよ」と答え、再婚の話にも「ご意向に従います」「それでモンゴルのためになるのなら、私の身はいかようにも」と返す。
シタラの内心がそこで崩れる。「何よそれ」「奪ったあなたが、傲慢なあなたが、大切な人を失って絶望したっていうの」。続くのが「どうしたの、顔を上げなきゃ」「いつものように笑っていればいいの」「いつもみたいに」。憎んできた相手に、いつも通りでいてくれと願っている。
そして口に出すのは、やはり突き放す形になる。「もうあなたを守る人はいません」、屈するなら勝手にしろ、そのうえで「でも、私は大切な人を奪われても、考え続けますから」。言っている本人は宣戦布告のつもりだが、内容は励ましと見分けがつかない。
日取りの段になって、初めて外から止まる
終盤は会議の場面だ。ここまでボラクチンの計画は一度も外から止められていない。第9幕も第10幕も、動いた結果を後から確かめる形で進んできた。
承諾は、もう報告されていた
議題は淡々と進む。「グユク様とソルコクタニ様の再婚についてですが、すでにソルコクタニ・ベキは承諾している」「グユク殿下もご異存はありませんね」。グユク側も「この結婚を、オゴタイ家とトルイ家の新たな絆にしたいと思う」と乗り、「良い話だ」で場が固まる。
崩れるのは最後の一段だ。「では最後に、婚儀の日取りについてですが」に「お待ちください」「そのお話、進める必要はありません」が重なる。承諾したと報告されている本人が、日取りの段になって現れて断る。「必要ない? どういうことだ」に返るのが「この結婚、やはりお断りさせていただきます」。
手続きの上では、これ以上ないほど間の悪い止め方だ。承諾を前提に全員が動いたあとで、当人が公の場でひっくり返す。ボラクチンの謀略が初めて外側から止まる瞬間が、密室でも策でもなく、ただ本人が口を開くことで起きている。
「あの子もそうだったのかしら」
断る直前の独白が、この回のいちばん深いところだ。「ねえ、トルイ。初めて失うことを知ったわ。絶望することも」。奪う側にいた人が、奪われる側の言葉をようやく自分のものにする。
続くのが「トルイ、あの子もそうだったのかしら」。思い出しているのは夫ではなく、さっきまで目の前にいた娘のほうだ。シタラは怒りをぶつけたつもりで、相手に自分の絶望を通訳させてしまった。第10幕でシタラが「私の生きる目的も、もう叶ってしまいました」と行き止まりに立ったのと、ちょうど裏表になっている。
はじまりを書いた人たちが、そろって戻ってきた幕
公式サイトの各話スタッフを並べると、この幕の顔ぶれが目を引く。脚本は加藤還一で、この人の担当は第1幕「天にあるもの 地にあるもの」、第2幕「サファルに咲く薔薇」、第5幕「蛇のまだらは外側に 人のまだらは内側に」、そして今回。シタラの原点、奪われた原点、ドレゲネとの出会い、そしてボラクチンの原点と、担当がすべて誰かの始まりを描く幕になっている。
絵コンテは愛敬亮太、山田尚子、Abel Gongora の三人。山田尚子は第2幕の絵コンテ・演出、Abel Gongora は第1幕の絵コンテ・演出を務めた人で、第1幕と第2幕を作った二人がそろってコンテに戻っている。演出は井分詢也。作画監督は八人で、これまで最多だった第9幕の七人を上回る。
過去編を丸ごと一本立てる幕に、はじまりを担当した書き手と描き手を並べる。並べたことに意味があるかは分からないが、少なくとも今回が「もう一人の主人公の第1幕」として作られていることは、表からも読める。




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