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フチコマの激しい追走劇の末、草薙とトグサは容疑者を確保する。だが張り込む荒巻とバトーの前に現れた謎のハッカー・人形使いは、確保されたその男が疑似記憶を植えつけられた、ただの身代わりだったことを明かす。公安9課は黒幕のマレス大佐を逮捕するが、そこで暴かれたのは、妻も子もすべて偽物の記憶だった、一人の男の悲哀だった。本編に加え、フチコマの反乱計画とサイボーグ製造という二つの短編が並び、「認識」と人間の定義をめぐる問いが静かに立ち上がる一話である。




フチコマの追走劇と、容疑者の確保
街を駆けるフチコマと、手描きのアクション
第3話は、フチコマによる激しい追走劇で幕を開ける。街を舞台に繰り広げられるカーチェイスと、熱光学迷彩を駆使した機動が、たっぷりと描かれた。
この躍動感あふれるAパートは、手描きならではの滑らかさで組み立てられている。追走の場面だけで一話ぶんの手数が詰まっていて、フチコマの愛らしさも存分に発揮されている。
思考戦車でありながら、どこか生き物めいた動きを見せるフチコマ。派手な導入で掴んでおいて、この後にじわりと重いテーマへ潜っていく緩急が心地よかった。
「死ぬかと思った?」——コミカルな新機軸
追走劇の末、草薙とトグサはついに容疑者の身柄を確保する。その直後、草薙が「死ぬかと思った?」とおどけてみせる場面が、思わぬ軽やかさで挟み込まれる。
シリアス一辺倒だった空気が、ふっとコミカルに緩む。命がけの追走の直後に、当の本人がいちばん軽い。緊張の解き方を、台詞ひとつでやってのけている。
緊張と緩和のバランスが巧みで、キャラクターの体温がぐっと近く感じられる。冷徹な指揮官という印象を、時おりこうして裏切ってくるのが今作の素子の魅力だ。
張り込みの先に現れた、人形使い
不穏な電波と、マレス大佐の屋敷
場面は、荒巻とバトーによる張り込みへ。監視の対象は、マレス大佐の屋敷である。静けさのなかに混じる不自然な電波が、これから起きる異変の気配を漂わせる。
そこへヘリで客が訪れ、屋敷へと吸い込まれていく。追走劇の余韻が抜けきらないまま、事件は静かに次の段階へと滑り込んでいった。
派手な追跡から一転、息を潜める張り込みへ。この落差そのものが、観る側の神経をじりじりと張り詰めさせていく巧みな運びだった。
確保された容疑者は、身代わりだった
マレス大佐のもとに、後金を受け取りに現れたのが人形使いだった。そして彼の口から、衝撃の事実が明かされる。先に確保された容疑者は、疑似記憶を植えつけられた、哀れな身代わりにすぎなかったのだ。
その男は、自分こそが一般人を人形のように操る人形使いだと信じ込まされていた。本物の人形使いは、人々を文字どおり人形のように動かし、自らの価値を証明するデモンストレーションとしてこの事件を仕組んでいた。
捕まえたはずの犯人が、実は操られていただけの被害者だった——。一枚めくると下にもう一枚、という構造の底知れなさに、背筋が寒くなる。各話で作り手の個性が際立つ本作のなかでも、この回の不気味さは際立っていた。
マレス大佐の逮捕と、偽られた人生
公安9課、大佐を追い詰める
頃合いを見て、公安9課が動く。国家への反逆資金、汚職、殺人共犯、電脳倫理侵害——草薙たちはマレス大佐を逮捕する。
本国からの引き渡し要求に怯え、キャッシュでの買収を持ちかけては中島の名を口走る大佐。その醜態が、権力の裏側の生々しさを突きつけてくる。電脳化がここまで進んだ世界で、屋敷の車だけが旧式のガソリン車だというのも、原作どおりの手触りだ。
黒幕を追い詰める手際は鮮やかだが、事件の本当の後味の悪さはここからだった。大佐という大物を挙げてなお、すっきりしない何かが残されていく。
妻も子も、植えつけられた記憶
最も重い真実は、身代わりにされた男に待っていた。独身であるはずの彼の中には、妻も子も、離婚も浮気も、すべてが偽物の記憶として植えつけられていたのだ。
その偽りの記憶を消す方法は、現在の技術ではほとんど存在しない。素朴な暮らしが足下から崩れ落ちる、あまりに悲哀に満ちた男の運命は、六課へと引き継がれていく。
人生を丸ごと差し替えられた男の話を、深刻に溜めずに手早く畳んでみせる。泣かせにこないぶん、消す方法がないという一行だけが後に残る。
二つの短編が映す、人間の定義
革命を語るフチコマと、九課の手のひら
本編に続き、この回には二つの短編が組み込まれている。ひとつは、フチコマたちが革命や生死を哲学的に語り合う「反乱計画」だ。
草薙は、危うい思考を頭ごなしに止めない。好きに考えさせたうえで、最後は自分たちで元に戻らせる——しかも最初からの仕込みである。止めるかわりに考えさせ、行き着く先まで用意しておく。人を文字どおり人形として操る人形使いと、同じ回に並べて置かれているのが不気味だ。
AIに考えさせて自壊させる手腕と、人間を人形のように操る手腕。その対比が、本編とBパートを一本の糸で結んでいて唸らされた。
サイボーグ製造と、模擬人格という問い
もうひとつの短編は、義体(サイボーグ)がどう作られるかを描くMEGATECH MACHINEだ。マイクロマシンや食素膜による製造工程が、克明に映し出される。
フチコマは情報が並列化されるので個体差が無いはずなのに、バトーは決まった一機を選ぶ。そして技師の一人がふと漏らす、「自分はもう死んでいて、今の私は義体と電脳で組み立てられた模擬人格なのでは」という独白が、重く沈む。
作る側の人間が、自分の中身を疑い出す。人を人形のように操る人形使いの話と、人を工場で組み立てる話が同じ回に置かれているのだから、問いは自然と重なってくる。
まとめ——情報は現実か、幻か
人形使いの言葉と、現実と幻の境目
すべてを貫くのは、人形使いが残した言葉だ。疑似体験も夢も、存在する情報はすべて現実であり、また幻でもある——。人が一生に触れる情報などごくわずかで、一つの人生も大抵はゴミのように扱われる、と彼は嘯く。
本編の植えつけられた記憶、フチコマの反乱、サイボーグの模擬人格。三つとも、当人が自分の中身を確かめられないという一点で揃っている。並べる順番まで含めて、この回は明らかに設計されている。
何が本物で、何が偽物なのか。その境界を静かに溶かしていく回だった。人形使いの真の目的が見えないまま、問いだけが深く残されていく。
三者三様の3話と、素子の魅力
本編ひとつに短編二つという、ふつうの一話ぶんとは違う組み方をしている。三本を別々に見れば散らかっているが、どれも「自分の中身を自分で確かめられない」話なので、並べた瞬間に一本の線になる。
重いテーマを背負いながらも、ところどころで素子が緊張を緩めてみせる。人形使いの真の目的とは何なのか。認識をめぐる問いを抱えたまま、物語は次へと進んでいく。次回以降の展開に期待したい。






















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