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第7話(第七幕)のサブタイトルは「兄弟」。ドレゲネと手を組んだシタラが最初に持ち帰るのは、金国遠征の作戦と、モンゴルの各家が抱えた損得の計算だった。そして復讐のためにトルイの作戦を成功させなければならないという逆説にたどり着く。一方で大カアン・オゴタイは草原に都を建てる構想を語り、ラストでは手放した耳飾りの行方が、彼が寛大なだけの人物ではないことを静かに証明してみせる。




二人でなら嵐も起こせましょう
私があなた様の新たなジャダ石となりましょう
第七幕は、前回の最後に交わされた誓いをもう一度なぞるところから始まる。「しかし私たちに何ができると」というドレゲネに、シタラが差し出したのは「知恵がございます」の一言だった。そのうえで「私があなた様の新たなジャダ石となりましょう。二人でなら嵐も起こせましょう」。武力も身分も持たない二人が手を組む根拠が、最初から知恵ひとつに絞られている。
印象的なのは、この場面でシタラがドレゲネに向ける感情が同情でも打算でもないことだ。「ドレゲネ様は私以上に長い時間、痛みに慣らすことなく耐えてきたんだわ」。慣れなかったこと自体を敬意の対象にしている。自分がこの土地に少しずつ慣れてしまったことへの後ろめたさが、そのまま相手への評価に裏返っていた。
アバンの夜空が良かった、という感想に強く頷く。抽象的な線と面だけで描かれているのに、モンゴルの月はこう見えるに違いないと思わせる。この作品はときどき、説明ではなく画面の質感だけで土地の感触を渡してくる。
予定より活動しやすいところに潜り込めた
天幕を出たシタラは、相棒のシラに報告を頼む。「ソルコクタニ様に伝えて。予定より活動しやすいところに潜り込めたって」。命じられていたのはチャガタイ陣営への潜り込みだったので、大カアンの妃の側についたのは命令違反にあたる。シラが「ソルコクタニ様の命令まで無視して」と慌てるのも当然だった。
それでもシタラは引かない。「大丈夫。今の私にはわかる。何をしたらいいのか。間違っていない」。命令に従う駒でいることをやめた瞬間で、ここから彼女は自分の判断で動き始める。シラの「そ、そうか。ならいいけどよ」という引き下がり方も、この二人の距離感が出ていて良い。
天幕を後にする背中を蛾が横切る、という読み解きは見事だった。この作品は台詞で心情を説明しないぶん、画面の隅に置かれた一匹が全部を言ってしまう。守られる場所を自分から出た、という一点が、このあと最後まで効き続ける。
これをもって許す
死刑でも甘んじて受けましょう
本編が動き出すのは、チャガタイが大カアンの前に平伏する場面からだ。詫びの中身が突拍子もない。「恐れ多くも大カアンに賭け事を挑み、あまつさえ勝ってしまうなど不敬の極み」。賭けに勝ったことを謝っている。しかも「死刑でも甘んじて受けましょう。どうかお裁きを」とまで言う。
オゴタイの返しは「これをもって許す」。そのあとの本音が「俺があんなことで怒るわけないだろ」で、本人はまったく気にしていない。それを受けて周囲が「オゴタイ・カアンがお許しになった。寛大な御心を讃えよ」と唱和し、その場が儀式に変わっていく。
北極星の鎖から外れた天の家畜はどこへたどり着くのか、という一文が添えられていたが、今回はまさに、鎖の張り方そのものを見せる回だった。誰が誰に縛られ、どこが緩んでいるのか。その配置図を一話かけて広げてみせる。
チャガタイ様なりのパフォーマンスですよ
この茶番の意味を、シタラがきちんと言語化してくれる。「チャガタイ様なりのパフォーマンスですよ」。続けて「オゴタイ・カアンは即位されたばかり。何よりも名声が必要な時なのです」。草原の部族の長にとって重要なのは何か、と問われて返る答えが「寛大さ」。兄がわざと罪をこしらえ、弟がそれを許すことで、新しい大カアンに寛大さの実績が一つ積まれる。
つまりあの謝罪は、弟の即位を支えるための贈り物だった。「ちょっとやりすぎだよ」と呆れる声が出るくらい大げさなのも、見せるための儀式だからだ。そしてこの「寛大さ」という単語が、この回のもう一つの軸である耳飾りの話まで一直線につながっていく。
賢い人物の行動は目的達成のための心理操作とポジショントークだ、という見方がそのまま当てはまる。この作品の登場人物は、ほぼ全員が誰かに見せるために振る舞っている。その解像度の高さが、今回もいちばんの見どころだった。
都を作ろうかと思う
損をしない役回りを手に入れたいわけだ
場面はクリルタイへ移る。ナレーションが「モンゴル帝国では、こうした政治の場に皇后たちも参加していた」と補足するのが効いていて、ドレゲネが情報を取れる理由がここで説明される。議題は次の遠征の計画で、標的は東方の金国。
面白いのは、その場で交わされる各家の値踏みだ。最大の軍事力を持つトルイ家、大カアンが信頼を置くチャガタイ家、当主を失ったうえ領地も遠いジュチ家、そして金国に近いテムゲ家。どの家も領民を抱えている以上、「損をしない役回りを手に入れたいわけだ」という身も蓋もない説明が入る。「新しいカアンは俺たちをどれだけ納得させられるかな」という値踏みつきで、即位したばかりの大カアンが試されている構図が最初に示される。
覇道のトルイと王道のオゴタイ、という整理が分かりやすい。兄弟が仲違いしていないからこそ、周りが勝手に危うくなるという設計で、この回に悪役らしい悪役は一人も出てこない。全員が自分の家を守ろうとしているだけで、それが勝手に不安定さを生んでいる。
俺たちが住むわけじゃないよ
戦の話が始まる前に、オゴタイが唐突に切り出す。「都を作ろうかと思う」「草原に都市を建設する。天幕じゃなくて、動かない建物のね」。当然もめる。「まだ見ぬ地を求めて山を越えてこそ誇り高きモンゴル族だ」「定住民の真似なんて汚らわしい」と、価値観の根っこから反発が飛ぶ。
ところがオゴタイの構想は、遊牧をやめる話ではなかった。「都といっても俺たちが住むわけじゃないよ。欲しいのは武器や宝物を作る工場、それから外国の商人たちが集まる交易拠点だ」。自分たちは今まで通り遊牧で暮らし、「けど、たまに都でドーンと買い物してやるんだ。気前よく、寛大な態度でね」。すると噂を聞いて世界中から人とモノが集まる、というところまで一続きで語られる。
ここで「寛大さ」がもう一度出てくるのが上手い。先ほどは兄弟間の政治用語だったものが、今度は買い叩かない客でいることが最大の宣伝になるという経済の言葉に変わっている。「何言ってるのかわからん」と言われても引かず、「ダメかな?」と首をかしげるだけなのが、この大カアンらしい。
交易中心の国作りを志向する人物として描かれた、という指摘の通りだった。これまで鷹揚さしか見せてこなかった人が、初めて設計図を出してきた。シタラにとっては、憎むべき相手が国を良くしようとしている姿を正面から見せられる場面でもある。
この戦争はまさに巻狩りだ
叔父上には東から住民を追い立てる役を頼みたい
そして作戦が開示される。「この戦争はまさに巻狩りだ」。狩場に見立てられたのは金国の都、開封。大カアンには黄河を挟んで開封の北に陣取ってもらい、トルイ家が南から挟み撃ちにする。
恐ろしいのはここからだった。「叔父上には、東から住民を追い立てる役を頼みたい。獣たちを狩場に追い立てるように」。狙いは兵ではなく人口で、「俺たちよりずっと多い兵士や民が、孤立した都市に閉じ込められるんだ。冬が過ぎ、食料の尽きた後、街の中はどうなっているかな?」。巻狩りという比喩が、そのまま兵糧攻めの設計になっている。
役割分担も細かい。チャガタイはモンゴルに残って留守を預かる。「本拠地はやっぱり、大カアンが一番信頼を置く人に任せなきゃ」という理由付きで、ジュチ家には「今回は出番なし。その代わり、西への遠征の主役はお前たちだぜ」と先の約束が渡される。誰も損をしていない、と全員に思わせる配り方だった。
トルイのやろうとしていることを理解したうえで、それでもトルイに勝ってほしいと判断する。この矛盾を飲み込むところから、シタラの本当の戦いが始まる。複雑ですね、という言葉が本当にその通りだった。
険しい山道については…頑張れ!
作戦への異論も出る。「開封の南へ回り込むには、南宋の領内を通過しなければなりません。何より、険しい山道になりますが」。オゴタイの答えは即座で、「問題ないね。南宋にとっても金国は敵だ。敵の敵は味方」。外交の見通しはきちんと立っている。
ところが山道のほうは、「険しい山道については…頑張れ!」で終わってしまう。この一言だけ精神論なのが可笑しくて、同時に、この人が細部を人に投げる型の指導者だとも分かる。投げられた側が最大の功績を得る、という構造もここで決まった。
報告を聞き終えたシタラの反応が重い。「作戦が成功すれば、開封の人たちはいずれ、飢えと寒さで…私は、それを知りながら…」。ドレゲネに「大丈夫? 震えているわ」と気遣われても「平気ですわ」と押し隠す。知恵を武器にすると決めた以上、彼女はこれから何度もこの震えを飲み込むことになる。
金国の戦を利用するという非道な選択へ踏み出している、という一文が的確だった。復讐の相手を倒すために、まず相手の戦争を勝たせなければならない。しかもその代償を払うのは、かつての自分と同じ立場の人たちである。
私のことはファーティマとお呼びください
私もここではナイマン人で通してるの
この回でいちばん静かな山場が、名前をめぐるやりとりだ。「シタラ」と呼ばれた彼女が「私のことはファーティマとお呼びください。シタラは、奴隷だった頃の名前ですので」と訂正する。賤しい者が大カアンの妃の近くにいるのはどうか、という理由づけまで添えて、亡き主人の名を盾に使っている。
するとドレゲネが、頼まれてもいない秘密を差し出してくる。「私もここではナイマン人で通してるの」。メルキト族に嫁いだのだからメルキト人だと言いたいけれど、モンゴルにはメルキト嫌いが少なくないから、メルキト人だったことは誰にも言えない秘密にしたのだという。そして「あなたも秘密にしてね、ファーティマ」。
二人とも、いま名乗っている名前が本当の出自を隠すためのものだった。違うのは、シタラが名前を武器として選び直しているのに対し、ドレゲネは会ったばかりの相手に致命的な弱みをあっさり預けてしまうことだ。シタラの内心も危なっかしい人だという評価で、この同盟が対等ではないことがすでににじんでいる。
シタラが獲得していくのは腕力ではなく洞察力だ、という指摘がそのまま形になった場面だった。誰が何を隠し、何を恐れているのかを見抜くことが、この世界で唯一、身分のない人間が持てる武器になる。
トルイ様の作戦が成功しなければなりません
シタラの読みは明快だった。「やはり、大カアンとトルイ家の間には力のねじれがありますね」。モンゴル最大の軍事力を持つトルイ家と、最高権威である大カアン、そしてそれを支えるチャガタイ家。この間に不和を起こす、というのが方針である。
そのための手順が恐ろしい。「そのためには、トルイ様の作戦が成功しなければなりません」。功績が大きくなりすぎれば、周りが勝手に怖がり始める。つまり敵を弱らせるのではなく、敵の一部を勝たせすぎることで壊す。剣を一度も抜かずに帝国を割ろうとする発想が、この作品の主人公らしくてぞっとした。
方針が決まると動きは早い。大カアンが出征し、チャガタイが草原で留守を預かるなら、混乱を起こすにはチャガタイ家が欠かせない。「では私がドレゲネ様のお使いとして、チャガタイ様へご挨拶に伺いますわ。ファーティマにお任せくださいまし」と自分から手を挙げる。命じられて動いていた少女が、自分で任務を作るようになっていた。
ドレゲネという仲間を得ても帝国は依然として強大だ、という評価に同意する。シタラの読みは正しいのに、読んでいる相手のほうが常に一手先を見ている。その差が、この回の後半でじわじわ効いてくる。
トルイ家は…強すぎる
政治はクリルタイのみで決まるものではない
場面が変わり、床に伏せている女性のもとへモゲが訪ねてくる。第一の妃であるボラクチンで、「お前の顔を見たら、少し気が晴れたよ」と迎える。手にしているのは全真教の同志たちが持ってきた医学書で、「肉体は生きてるうちに元初の気を徐々に失い、やがて病や死に至るが、修行によってこの気の流れを止めることができる」という不老不死の術が説かれている。
「その術があれば、ボラクチンは良くなるの?」というモゲの問いに、彼女は名前を呼ぶだけで答えない。モゲが悔しがるのは自分の身のことではなかった。「本当なら、クリルタイでは、あなたが大カアンの隣に座っているはずだったのに。誰よりも賢いあなたが」。
表舞台の裏で黒幕が動いている、という読み方がここで裏打ちされる。ボラクチンの答えが「政治はクリルタイのみで決まるものではない。水面下であちこちに手を回すことが重要なのだ」。そして「さあ、お前が聞いてきたことを教えておくれ」。座れない場所の情報を、若くて好かれる娘に取ってこさせている。やり口がシタラとまったく同じで、この時点で対戦相手が確定した。
私もきっとモンゴルの一人ね
そこから始まるのが、この回のいちばんの見せ場だった。シタラとボラクチンが、別々の天幕で、同じ結論を交互に言い継いでいく。負担が大きいぶん成功すれば功績も最大になるのはトルイで、そしておそらく成功する。なぜならトルイ家の軍勢はモンゴルで一番強いから。
ここから先が本題だ。敵から見れば鮮やかな作戦でも、モンゴル内の諸王家はこう思う。トルイ家は、強すぎる。たとえトルイ自身に二心がなくとも、その強さを恐れた諸王家が疑念を抱き、トルイ家に対して結託したら。「モンゴルは分裂して、いずれ崩壊しますわ」とシタラが言い、「争いの種を蒔こうとする者も出てくるだろう」とボラクチンが受ける。種を蒔く当人が、敵側の口から予告されている。
ボラクチンの手はすでに動いていた。「モンゴルがバラバラにならないよう、人と人との心を繋ぎ止めるために、私の代わりに動き回っておくれ」とモゲに託す。分裂させたい側と、繋ぎ止めたい側が、同時に同じ盤面を読んで別々に走り出す。しかも両方とも、表に出られない女性が代理を使って動いている。
そして直後に置かれるシタラの独白が、今回いちばん重かった。孤立した都市に追い込まれ飢えと寒さで死んでいくのは、かつてのトゥースの人たちだったかもしれない。「開封の人たちからしたら、私もきっとモンゴルの一人ね」。奪われた側だった人間が、いつのまにか奪う側の陣営で作戦を聞いている。復讐の物語でこの自覚を主人公に言わせるのは、相当に厳しい。
「兄弟」まとめと考察
いずれまたこの耳飾りは君のところに戻ってくる
チャガタイのもとへ向かうシタラに、カダクがついてくる。「お前一人で行かせられるかよ」と言うので優しいのかと思えば、「違う。お前を信用してないの」。ドレゲネ様は信用してくれました、と返すシタラに「俺の主人はあの人じゃない。話せば長くなるなぁ」とはぐらかす。この男が誰に頼まれて動いているのかは、今回も明かされない。
道中でモゲに見咎められるのがまた厄介だった。「さてはあんた、未だに天幕の位置が覚えられないんだな。前にうろついてた時も怪しいと思ったんだ」。迷子ということにして切り抜けるが、うろついているところを以前から見られていた、という事実だけが残る。案内してやるよ、と言いながら、モゲはすでにシタラを覚えている。
その道すがら、シタラはモゲの耳飾りが以前と違うことに気付く。無くされたのですか、と聞くと「いや、大カアンが売っちゃったんだ」。回想では、メロンを売りに来た貧しい男にオゴタイが「モゲ君の耳飾りを、この人におやり」と命じていた。落ち込むモゲに掛けた言葉が「いずれまたこの耳飾りは君のところに戻ってくると思うよ」で、本人は「分かんないよ、私、大カアンのこと何も分かんない」と首をかしげるしかない。
寛大なだけだと思っていた人が、巡り巡って戻るところまで読んでいたように見える。この耳飾りの一件だけで、大カアンという人物の底が一段深くなった。同じ場面を、モゲは思い出として、シタラは謎として受け取っているのも良い。
みんな聞いてくれるかな
答え合わせは唐突に来る。呼び出されたモゲにオゴタイが差し出したのは、失われたはずの耳飾りだった。持ってきたのはホラーサーンから来た商人で、飢えが限界まで来た貧しい男がパンと交換したものを、ウイグル人の街でたまたま手に入れたと説明する。そして「このような立派な耳飾りは世界の支配者にこそふさわしい」と献上しに来た。
オゴタイは「ホラーサーンか。思ったより遠くへ行ったね」とだけ言い、商人には「よく届けに来てくれたね。お前と仲間の商品、全部俺が買い取ろう」「今後も商品を持っておいで。損はさせないよ」と告げる。都の構想で語っていた「たまに都でドーンと買い物してやる」を、都が建つ前に自分で実演してみせた形だった。
さらにシタラが商人に直接聞く。なぜモンゴルへ来たのか、怖くはなかったのか。返ってきたのは「モンゴルが今一番稼げる場所だからに決まってる」、そして「いやむしろ、前よりも安全に旅ができたぞ。モンゴルは征服した土地に役人を置いて、商人の通行を守ってくれているんだ。あの皇帝は大したお方だよ」。故郷を焼いた相手が、故郷の商人から感謝されている。
そして最後のひとことで、すべてが裏返る。「君の耳飾りのおかげで、うまく機能してることが確認できた」。あれは施しではなく、目立つ品物を一つ流して、どこまで届き、どれだけの速さで戻ってくるかを測る実験だった。寛大さも、気前のよさも、交易路が生きているかどうかを確かめるための投資だったことになる。
続く独白がまた効いている。「考えてることを、金国を滅ぼしたら、みんな聞いてくれるかな」。この人が戦争を望んでいるのは領土のためではなく、都と交易路の構想を通すための発言力が欲しいからだった。おおらかな笑顔の下に王としての計算が透ける締め方で、復讐劇の敵側をここまで魅力的に描いてしまうのが本作の恐ろしさだと思う。
副題の「兄弟」が指しているのは、賭けに負けたふりで弟の名声を作る兄と、危険な役回りを引き受けて最大の功績を取りに行く弟、そして留守を託される兄という、いまのところ何一つ壊れていない関係である。壊れていないものを、外から壊しにいく。シタラが選んだのはそういう戦い方で、しかも彼女の読みはボラクチンにすでに先回りされている。次回はそのボラクチンが正面に出てきそうな引きで終わった。知恵しか持たない者同士の戦いが、いよいよ始まる。




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