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公式サイトは第1話のあらすじから、この物語を「天下をかけた鬼ごっこ」と呼んできた。第18話は、その比喩が本物の遊びとして戻ってくる回である。しかも今回、逃げ上手の時行は「鬼」=追う側に立たされる。七歳で神を継がされた少年の敵意と、冒頭で縁起物だと説明された髪の使われ方から、この回の勝ち方を読み解いていく。




「天下をかけた鬼ごっこ」は、第1話から公式が使っている言葉だった
副題は「神になった少年」、挑まれる勝負は“鬼ごっこ”
第18話の公式副題は「神になった少年」。あらすじは、諏訪神党の戦が敗北に終わったこと、それでも人的損害は最小限に抑えられたこと、そして束の間訪れた平穏な日々に「時行は頼重の孫であり、諏訪時継の息子である少年・諏訪頼継と顔を合わせる」と続く。一見とても素直そうに見えるが「その性格は、どうしようもなくヒネていた」と書かれ、最後は「時行に“鬼ごっこ”勝負を挑む」で締められている(※1)。
引用符まで含めて写したのには理由がある。この作品にとって「鬼ごっこ」は、ただの遊びの名前ではないからだ。
第1話と幕間のあらすじに、同じ言葉が置かれている
公式サイトの物語ページをいちばん上まで戻すと、第1話のあらすじが「嵐のような運命に翻弄される少年の、天下をかけた鬼ごっこ」が始まる、と結ばれている。さらに第9話と第10話のあいだに置かれた幕間「歴史」では、頼重が視聴者に語りかける形で「逃げて、隠れて、生き抜いて。天下を目指す鬼ごっこ。鎌倉幕府滅亡から今日まで、本当にさまざまなことがありました」と始まる(※1)。
つまり公式はこの物語そのものを、最初から鬼ごっこと呼んでいる。逃げる者と追う者、捕まれば終わり、捕まらないかぎり続く。鎌倉を追われてからの時行の日々は、たしかにその形をしている。第18話は、ずっと比喩として使われてきたその語が、子供の遊びという文字どおりの意味で本編に戻ってくる回なのだ。
しかも今回、時行は「鬼」のほうに立つ
頼継が突きつけたルールは短い。「勝負は鬼ごっこ。お前が鬼だ!」「あそこに立てた御柱に僕が触れに行く。それまでにお前が僕を捕まえられなかったら僕の勝ち。お前は荷物をまとめ、出て行くです」。
タイトルからして逃げる側の人間が、この回にかぎって追う側の役を割り当てられる。比喩を文字どおりにするだけでなく、役まで裏返してくる。視聴者からも「テンポめちゃくちゃ良い…」という声が上がっていたが、それはこの回が、走り出したら止まらない構造で作られているからでもある。
冒頭で「縁起物」と説明された髪が、終盤の命綱になる
一度も切られていない髪は「縁起物の塊」
この回は、雫が時行を起こしに来る朝の場面から始まる。起きないと父様がずっと頬ずりしてますよ、と急かすくだりで、この回の頬ずりは一行目から出ている。激しい戦のあとなのに髪が傷んでいない、なぜ大人の髪型にしないのか。雫のその疑問から、髪の意味の説明が始まる。
いわく、「一度も切られていない髪は汚れなきものの象徴」であり、「子供には神聖な力が宿るとされており、髪を切ったことがない子供となれば、まさに縁起物の塊」。そのうえ「武士は戦に縁起を重視します」から、その髪の少年が軍を率いれば皆が心強く戦えるのだという。神事の言葉で軍事の効能を説いているわけで、いかにもこの作品らしい理屈である。
頼重の申し出は、烏帽子親になるという意味だった
説明はそこで終わらない。もしも天下の主となれば、いつまでも子供の長髪ではいられない、と続いたあと、頼重が時行にこう申し出る。「もしも天下を取り戻せたら、その…私があなた様の髪を切っても良いでしょうか?」。時行の返事は「ぜひ」の二文字だった。
時行は心の中で、髪を切るとは烏帽子親になるということだ、そしてそれに何の異存もない自分がいる、と受け止める。続けて並ぶのは、頼重という人の像だ。手のひらで自分を転がし、自分勝手で独裁的で、勉強勉強とうるさくて、強く抱擁し、血相を変えて助けに来る。最後の一つは、前々回で信濃仮面を名乗って救援に現れたあの人のことだ。つまりこの冒頭は、時行が頼重を父のように思っていると自覚する場面になっている。
その髪を、いちばん敵意を向けてくる子供に掴ませる
ここが実にうまい。終盤、鬼ごっこの最中に頼継が崖から落ちかけたとき、時行が差し出すのがその髪なのだ。縁起物だから切らずにおいた、天下を取ったら頼重に切ってもらうと約束した、その髪を自分でほどいて垂らし、掴ませる。
冒頭で丁寧に価値づけしたものを、終盤でためらいなく差し出す。説明された小道具が、説明された価値のまま使われるから効く。血の絆がある孫と、血の絆がない居候。この回が扱っているのはその差なのだが、時行が握らせたのは「神聖」と説明されたばかりの、自分の体の一部だった。
七歳で神になるのは、その子のためではない
「万一、現人神が戦で死ねば」
頼重は神の座を息子の時継ではなく、孫の頼継に一本化しようとしている。こんな幼子が継ぐものなのか、と面食らう時行に、時継が理由を明かす。「万一、現人神が戦で死ねば、諏訪大社全体が途絶えてしまう」。だから「私と父が大戦に参加する以上、戦と無関係な頼継に神を譲っておかねばならない」。つまり頼継が神になったのは、大人たちが戦に出るからなのだ。
ウィキペディアの人物解説も同じ書き方をしていて、諏訪頼継は「時継の息子にして頼重の孫」「1335年時点で7歳」、「現人神が戦死するリスクを考慮した頼重と時継から、新たに諏訪大社の神職を引き継ぐ」とある(※4)。ちなみに公式サイトの人物ページには、頼継も時継もまだ載っていない(※2)。前回に大きく動いた望月・海野・祢津の三大将が並んでいるのに、である。
「我らは引け目を感じているのです」
見逃せないのは、時継が自分たちの側を責めていることだ。息子の非礼を詫びたうえで「我らは引け目を感じているのです」と言い、父と祖父の都合でまだ幼い身に重責を背負わせることになる、と続ける。神になる宿命を重く受け止めすぎたのか、「我々には良い顔をするが、他者に本音を見せなくなった」とも。
押しつけている自覚がある大人と、押しつけられている自覚がない子供。頼継のひねくれは、この非対称からまっすぐ生えている。
二年前まで、この子が「未来の諏訪の主役」だった
頼継の独白は身も蓋もない。「二年前まで、この僕・諏訪頼継は、未来の諏訪の主役だった」。回想では、北条の若君が落ち延びてきたと諏訪じゅうが沸き、お迎えに参りましょうと促された頼継が「僕はいいです」とだけ返す。
だから敵意の出どころは神の座ではない。祖父の隣という席であり、頬ずりの長さであり、くすぐりの本気度である。「そもそも、なんでお前がお爺上の隣に座る? そこは本来、僕の場所です」——この一文がすべてを説明してしまっている。
ひねくれの描き方が、顔とCGと原画でそろっている
頼継の顔だけ、絵柄が変わる
この回でいちばん目を引くのは、頼継の顔が場面ごとに別人のように崩れることだろう。猫をかぶっているときの整った顔と、本音が漏れたときのゴツゴツした顔が交互に出る。視聴者の側も同じところを見ていて、「ゴツゴツ劇画の変顔を添えることで、ぷにぷに美形が際立つ匠の技」「頼継どのの顔はもう漫☆画太郎先生」と、複数の反応が同じ指摘をしていた。
崩し方が笑いのためだけではないのは、崩れた顔が出るのは必ず本音の側だからだ。素直そうな顔のほうが嘘で、劇画の顔のほうが本当という配分になっている。
詰め寄る大人二人は、3Dモデルを歪ませて描かれている
制作に参加したCG会社のアカウントが、この回の素材を一部公開している。曰く「頼重と時継が時行に文句を言うシーン。画面の迫力とダイナミックな奥行き感を出すため、3Dモデルを歪ませて表現しています」。CGアニメーター、背景モデル、キャラクターモデルの担当がそれぞれ別に立っていることまで書かれている。
つまりこの回の誇張は、手描きの変顔だけで作られているのではない。大人が子供に無茶を頼み込む場面のほうも、わざわざモデルを歪めて撮られている。父と祖父にそろって頭を下げられ、友達になってやってくださいませと言われる時行の圧迫感は、その歪みの産物である。
讒言と、太もも
頼継の仕掛けは陰湿でもある。時行に突き飛ばされたふりをして騒ぎ、「俺は北条だ。この諏訪で俺より尊いやつはいねえ。明日勝負しろ。敗者は追放だ」と言われたと訴える。物真似の声色まで付けてくるので、時行は「言わないっつうの! ていうか今の、誰?」と叫ぶしかない。
後で頼重たちに「子供の嘘だと分かりますよね? さっきの」と確かめる場面もいい。はい、と返ってくるので、では「私の太ももが、ちょいちょい犠牲になってたことは?」と重ねると、「見て見ぬふりしてました」と即答される。大人たちがどちら側に立っているのかが、この二往復で分かる。
神の力と、逃げの実績が、そのままぶつかる
「神罰を下すと、頼継様が!」
鬼ごっこが始まると、諏訪大社の人々が次々と時行の行く手を塞ぐ。止める側も本意ではないらしく、「あなた様を止めなければ神罰を下すと、頼継様が!」と謝りながら立ちはだかる。頼継のほうは得意満面で「こいつらは全て僕の思うがまま。人は神に届かないですよ!」と言い放つ。
神になったばかりの子供が最初に使う力が人を動員する力だというのは、なかなか意地の悪い描き方だ。第10話の副題が「変態稚児と神力騒動」で、あちらが頼重の神力が一時だけ利かなくなる話だった(※1)ことを思うと、神の力の扱われ方が第一期からずっと一貫していることも分かる。
家臣の解説が、二人の差をそのまま言葉にしてしまう
面白いのは、無理だと悟った家臣がその理由を口に出してしまうところだ。「ああ見えて時行様は、非公式に幾多の戦場を駆け巡ったお方」。かたや「頼継様は神になってまだ間もなく、言うことを聞くのは非戦闘員がほとんど」。止められるわけがない、と。
つまりこの鬼ごっこは、肩書きと実績の勝負になっている。頼継の側にあるのは神という肩書きと、生まれてからずっと歩き回ってきた土地勘だけ。実際、彼は地形を使って時行を大きく遠回りさせる作戦に出るのだが、戦場を走り抜けてきた足はそれを苦にしない。
「逃げながら追うと、力が湧くみたいだ」
追いついた時行の第一声が、この回の核だと思う。「逃げながら追うと、力が湧くみたいだ」。そして続けて、「今回は誰も傷つけなくていいから、楽しくのびのび動き回れた!」。
前回、時行は伝令に徹しながら味方の敗北を最初から最後まで見ていた。人が死ぬ場所を走り回った直後に、誰も傷つかない場所を走り回る回が来る。同じ「逃げ」の才能が、片方では戦の道具になり、片方ではただ楽しい遊びになる。この並べ方は偶然ではないだろう。
この回でいちばん重い一言は、勝負の途中で出てくる
「君が人を傷つけるのは、もう少し先でいいと思うよ」
追いついた時行は、追い出されたくないから捕まえに来たのではないと明かす。「でもこの先、私は傷つけることを前提に、戦の象徴にならなくてはいけない」。そして、私を追い出せば君にその役が回ってくるかもしれない、と続けたうえで、「お互い幼くして象徴になる宿命だが、君が人を傷つけるのは、もう少し先でいいと思うよ」と言う。
副題「神になった少年」の中身は、たぶんここだ。神になるとは、担がれるということであり、担がれた者はいずれ人が死ぬ場所へ運ばれていく。それを先に知っている子供が、まだ知らない子供に、順番を譲っている。勝ち負けの話をしているようで、していない。
崖の縁で、髪を垂らす
直後、頼継は足を滑らせて落ちる。引き上げられた頼継の第一声は「馬鹿な奴です。見殺しにすれば邪魔者が消えたのに」だった。時行の答えは、「何より頼重殿が悲しむ」。
そして、こう続ける。「私は頼重殿を父のように思っているが、君が持っている血の絆には到底及ばない」。冒頭で烏帽子親の申し出を受け取ったばかりの相手について、自分は血縁ではないと、当の孫に向かって認めるわけだ。取り合いに勝つのではなく、最初から勝てない部分を先に申告する。
黒いオーラから涙まで、ひとりの原画が繋いでいる
この回に原画で参加したスタッフが、担当箇所を明かしている。「頼継の周りに黒いオーラが出るところから、涙を流すカットまで担当してます!」とのこと。つまりいちばん嫌な顔をするところと、いちばん素直な顔をするところが、同じ人の手で描かれている。
顔が別人のように崩れる回だと書いたが、その振れ幅を一続きの芝居として保証しているのはこういう作り方だ。黒いオーラも涙も、同じ子供の同じ日の出来事なのである。
勝ち方は「勝つ」ではなく、「祖父を三日返す」だった
敵意の正体は、神の座ではなく面会の回数
崖のあとで、頼継がようやく本音を出す。「お前が来てから、お爺上は僕の知らない信濃の武士と会うことが増え、前ほど会いに来てくれなくなった」。神を継ぐことへの不満でも、北条への敵意でもない。祖父に会えなくなったという、それだけのことだった。
時行はここで大戦の準備が理由だと察し、「私に任せてくれ、頼継殿」と請け合う。根拠として持ち出したのが、「仮にも私は、君の父と祖父の主君にあたる。たまには無理を聞いてもらうさ」。
主君という立場を、はじめて私事に使う
そして下される命令が振るっている。三日間、諏訪の主としての仕事は時継ひとりでこなすこと。頼重には三日間、ずっと孫を可愛がるよう命じます——それだけ。「これで頼重殿は三日ずっと君のものだ。好きなだけ甘えたらいい」と頼継に渡してしまう。
この作品の時行は、自分のためにはほとんど権限を使わない少年だ。その彼が主君の立場を持ち出したのが、戦でも領地でもなく、子供に祖父を返すためだった。鬼ごっこの決着を、追いかけっこの外側でつけている。頼重のほうも「そうか、寂しかったのか、頼継」「早く言えばよかったのに」と受け止めるので、すれ違っていたのは大人の側でもあったことになる。
締めはサンドペーパー1500番
ただし、この作品はいい話のまま終わらせてくれない。三日三晩の頬ずりが始まったところで、例のナレーションが入る。頼重の年齢肌はおよそサンドペーパーの1500番に相当し、数分なら問題ないが三日三晩続ければ皮膚は破れ、肉は裂け、骨は削れる。なお頼重自身は神の加護でダメージゼロ、と。
第15話で海野幸康の武勇を偽ドキュメンタリー調の実写で解説していたのと同じ型で、真面目な顔で数字を出すほど嘘くさくなるという笑わせ方である。望んだものを手に入れた頼継が、その代償で削られていくところまでが一続きになっている。
次回への予想と、シリーズの位置
ここからは予想になるが、この三日間は伏線として置かれた気がする。戦と無関係でいられるように神を継がされた子供が、その戦の当事者と友達になってしまったからだ。時行が「君が人を傷つけるのはもう少し先でいい」と言った以上、その「もう少し先」がいつ来るのかは、いずれ画面の側から示されるはずである。なお公式サイトの物語ページは第18話までしか公開されておらず、次回の副題はまだ出ていない。
最後にこの回の作り手も置いておく。第18話は脚本・枦山大/絵コンテ・演出・丘城鋭/作画監督・鈴木咲花、石田一将(※1)。注目したいのは枦山大の担当回で、この人が書いたもう一本に第8話「かくれんぼ戦争」がある。子供の遊びの名前を副題に据えた回は全話を通してこの二本だけで、しかも第8話の作画監督にも鈴木咲花が入っている。かくれんぼの回で吹雪と出会って剣技を授かった作品が、鬼ごっこの回では頼継と向き合う。同じ書き手と同じ作画監督が二度呼ばれているのは、遊びの形で子供同士を結ぶ回が、この作品の一つの型になっているということだろう。
シリーズ全体の位置も添えておく。原作は松井優征の同名漫画で、『週刊少年ジャンプ』2021年8号から2026年12号まで、およそ五年の連載を経て完結している(※4)。単行本は既刊26巻、最終27巻が2026年10月2日に発売予定(※5)。アニメ第二期は監督・山﨑雄太、シリーズ構成・冨田頼子、アニメーション制作・CloverWorksという座組み(※3)で、原作が完結したあとに、まだ1335年の信濃を丁寧にやっているという珍しい状況にある。だからこそ、戦と戦のあいだにこういう一話をまるまる使えるのだと思う。
出典
※1 TVアニメ『逃げ上手の若君』公式サイト STORY(第18話「神になった少年」あらすじ・各話スタッフ/第1話・第8話・幕間「歴史」のあらすじ)公式 STORY
※2 同 CHARACTER(掲載人物一覧・北条時行/諏訪頼重)公式 CHARACTER
※3 同 STAFF&CAST(監督・シリーズ構成・アニメーション制作)公式 STAFF&CAST
※4 ウィキペディア『逃げ上手の若君』(諏訪頼継・諏訪時継の人物解説/各話リスト/連載データ)ja.wikipedia.org
※5 『逃げ上手の若君』コミックス一覧(少年ジャンプ公式サイト)少年ジャンプ公式




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