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『令和のダラさん』第10話の副題は「第十怪 二人だけの文化祭」。十の怪のうち、副題に神も妖も場所も出てこないのはこの回だけである。薫が山で開く文化祭も、そのあとのクリスマスも、供えるものは全部が俗っぽい。ところが締めのひとことで、そのセンスが母親と同じだったことが分かる。過去編では、その母が「子子孫孫ともどもをお守りください」と祈っていた。




十の怪のうち、副題に神も妖も出てこないのはこの回だけ
副題は公式サイトのあらすじ欄で読める
第10話の副題は「第十怪 二人だけの文化祭」。公式サイトのあらすじ欄に、話数と一緒に並んでいる。
公式のあらすじは、薫がメインの文化祭から抜け出し、ダラさんのために手作りの「山文化祭」を開催する、から始まる。そのあとに、ダラさんには小学生の姿になってもらい、メイド服でコーヒーやカレーをふるまっていく、だが、そこへ千夜が来てしまい、と続く。前半の顛末がそのまま書かれている。
ほかの九つは、全部が神か妖か場所の名前
第一怪から並べてみる。忌み地の屋跨斑、初めての学校訪問、禁足地の掟、復活の谷跨斑、山守の系譜、幻影の水神様、在りし日の紙芝居、奮闘のおろち、学校の七不思議。
神の名、妖の名、土地の決まり、家の役目、古い出来事と、どれも怪異の側の言葉になっている。そこへ十番目として置かれるのが、二人だけの文化祭である。怪という単位で数えておきながら、この回の題には怪異がひとつも入っていない。
第二怪と裏返しになっている
並べると、対になる回も見つかる。第二怪が初めての学校訪問だった。
神のほうが学校へ出かけた回に対して、第十怪は学校の行事のほうが山へ来る回である。しかも出張所という言い方まで用意されている。向きが入れ替わっているだけで、やっていることは同じ、人と神が同じ場所に居座る話になる。
それでも「二人だけ」では終わらない
題は二人だけだが、この回に出入りする顔ぶれは多い。母が来て、日をまたいで姉が加わり、そのあとに過去の話まで挟まる。
むしろこの回は、二人では収まらないことを見せるために二人だけと名乗っている。最後に効いてくるのも、その場にいない人の話である。
山文化祭は、出張所という体裁で始まる
抜け出してきたのに、出るところには出ている
開口一番、顔を出さなくてよかったのか、と聞かれる。返ってくるのが、行ってきたよ、朝9時からチヤホヤされに行ってきた、だった。
受けの一言が、こいつ、自分の武器をあまりにも理解しすぎているである。抜け出してきた側が、出るべきところにはちゃんと出てから山に来ている。
小学生の姿になってもらう
名乗りが、北小の文化祭出張所なので小学生になってください、だった。断りは、わし、変化苦手って言うたよねである。
服はうちのがある、と押し切られ、ほかになかったのか、と聞き返すと、もちろんあるけど、なるだけえげつないのを持ってきた、が返る。誇らしげ、という一言が添えられる。
メニューは一個しかない
品書きを差し出されて、一個しかねえ、と言いながら注文する。出てくるのが特製の焙煎コーヒーで、苦い、となると、牛乳とお砂糖を足します、が来る。
今は牛の乳を飲むのじゃな、うまい、牛乳とは良いものじゃなと続く。現代のものを神の側が素直に受け取る、というこの作品の基本の型が、ここでも動いている。
カレーは、実物を食べるのが初めてだった
次に出てくるのがカレーライスで、人類の英知の一つの到達点、という紹介がつく。すかさず、小学生の語彙力、と突っ込まれる。
種明かしが、五パックセットの安い出来合いのものだった。それでも、見たことはあってもさすがに実物を食うのは初めてじゃと返る。供えられてはいたが、食べたことはなかった、という話になっている。
母が来て、名乗りが二重になる
「山田です」はすでに使っている名前
大荷物を抱えて山に向かうのを見た母が、様子を見に来る。見たことない子だけど薫のお友達、と聞かれて、山田です、と名乗る。
これは初めての偽名ではない。母のほうも、蚤の市の時のお嬢さんと似てるし苗字も同じだけど妹さんやね、と受ける。地の文の突っ込みが、息を吸うように嘘をつきよる、だった。
下の名前だけ、その場で作られる
続けて、お名前は、と聞かれて詰まる。出てきたのが、かやのちゃん、である。
受けの一言が、小学生がとっさにつける偽名じゃないだった。姓は前から使っている名前で、名のほうだけがその場の思いつきになっている。
母の話は、怖がらせる方向に進まない
そのまま母が山の話を始める。おまたぎ様って怖い神様がいる、と聞いたことがある、と答えると、この奥には神様の土地があってそこに立ち入るとたたりがある、この町の古い家にはそう伝わっている、と続く。
ところが、そのあとが違った。何をする神様なのかは実は誰も知らない、おばさんはそれが怖いことばかりじゃないと思ってる、だから怖がらずにまた薫と遊んであげてね、になる。本人を前にして、その神の話をしている。
「お母さんは少し嬉しい」
さらに踏み込む。お母さん知ってるよ、薫と日向がごっそりお山の奥で遊んでること、あなたたちも会ったことがあるのかもしれない、と言う。
締めが、お母さんは多分もう見れないけど、もしも山に一人でおられるあの神様が、山で遊ぶあなたたちで気を紛らわせられたなら、叱らなきゃいけないだろうけど、お母さんは少し嬉しいだった。見えなくなった人が、見えている子どもたちに向かって言っている。
クリスマスは、やらせておいて自分がもらう
断る理由が、神の側の事情になっている
十二月の話になる。町を飾り付けたりする祭りのようなもの、と説明されて、正解、と返される。
サンタの説明を聞いた感想が、ずいぶん太っ腹な怪人じゃなだった。そのうえで、ジャパンのゴッドもクリスマスくらいは海外文化に日寄ったりせんから、と言われる。断ろうとした理由のほうが、神の側の事情として先に潰されている。
煙突はない、なら作る
十二月二十四日の丑三つ時。煙突はない、なら作る、で一応それらしい飾り付けができあがる。
ちゃんとサンタをやった証拠がないとうるさそうじゃからのと言いながら現れる。動機が善意ではなく、あとで文句を言われないため、になっている。
リボンを巻いて寝ている
枕元にいたのは、全身にリボンを巻いた小学生だった。なんでこいつは全身にリボン巻いとるんじゃ、こんな格好じゃなかったよね、と呆れられる。
そのうえで、担任教師も毎度こんなもん作らされて災難じゃのと続く。作ったのはお母さん、と訂正が入る。前の回で担任が振り回されていたことを、そのまま持ち出している。
サンタをやった側がケーキをもらう
起きた薫が渡すのが、ダラさんの分のクリスマスケーキだった。どうせ明日お供えするから今食べちゃおう、という理屈がつく。
返しが、サンタさせたのに、わしが貰う方なのなんなのである。贈った包丁についても、お前はまあわしの時代では嫁入りの年頃じゃからな、守り刀は銃刀法違反じゃろうから、と説明が入る。渡す側と受け取る側が、この回では何度も入れ替わる。
部屋を見せてもらっても、侵略はしない
「ダラさんの部屋ってないの」
話の流れで、部屋の話が出る。ないが、と即答されるが、嘘をつくのが下手すぎると見抜かれる。
家探しした時にそれらしい部屋はあらへんかったけどな、と押されて、出てくるのがガレージだった。今さら入るなと追っ払ってもふてくされるじゃろうしな、が入場の許可になる。
「神社で言うたら本殿のようなもの」
案内の言葉が、ここは神社で言うたら本殿のようなもの、神の降りる場所であるゆえなだった。
ところが中身は生活の場である。天気が崩れた時などは服を汚さぬよう、ここをよく使うようになったの、と説明が続く。本殿と呼ばれた場所が、雨宿りの部屋として使われている。
供物がビーズクッションになる
持ち込まれたのが、父が買って母に怒られた大きなクッションだった。捨てるなら欲しがってた友達にあげていい、と言ってもらってきた、という経緯までつく。
受け取る側の反応が、名前からして多分、祟り神に献上する代物じゃないな、それである。それでも、供物ということか、さようさよう、お納めくだされ、で収まる。
それ以上は持ち込まない
もっとお前らの私物を持ち込むと思っておった、と言われる。ここで返事が変わる。
ダラさんが一人でくつろげる場所でないとあかん、そんな神域をうちらが侵略したらダメやと思うだった。受けの一言は、その思慮深さがどうしてたまにしか出てこないかな、である。押しかけている側が、線だけはきちんと引いている。
過去編は、祈りと、覚えていたことの話
弟子入りの話が、五年目で終わる
過去編が挟まる。妹巫女の両腕のために、左腕を祀る祠と、呪詛を石に封じ込めた右腕を祀る神社が建てられる。
そのあとに、十郎太に連れ立って家を出てから五年目の秋のことであるという語りが入る。第8話で弟子を取った老術師は、その時点で残り六年ほどか、と自分の残りを数え、おそらく俺はその六年後は生きられない、とも言っていた。言ったとおりに終わっている。
「神を散らす」が指していたもの
老術師の見立てが、さすがにそろそろ限界が近いな、だった。対策として出てくるのが、神を散らす、である。
ところが指しているものが違った。山神のことでなく、と聞き返されて、返ってくるのが、あんたの直系を作る。呪術的になだった。神の力を薄めるのではなく、受け取る側を増やす、という話になっている。
「山守の系譜」の始まりがここにある
続けて説明される役割が、太陽を祀り大地に縛る、加護を受けた十郎太には山守についていただき、土地守と神主の役割をしてもらう、だった。
その神域をご神体として祀ることで、ヤマタギマダラと呼ばれるアレに過剰な力が流れることも多少は抑えられようと続く。第五怪の副題が山守の系譜だった。その系譜の初日にあたるものが、ここで組み立てられている。
鈴は、ただの警報だった
母の代の話になる。役目を継いだ千夜が、山の外で倒れる。原因不明の昏睡、と言われ、運ばれた時に強く握っていたものです、よほど大切なものなのでしょう、と医師が差し出す。
助けに来たダラさんの説明が、その鈴はただの警報、祠によるものを知らせるだけじゃがだった。第五怪で先代から渡された、鈴の音が聞こえたら何もかも捨てて帰りなさい、という言いつけの中身が、ここで明かされる。助けた理由のほうは、わしの土地の世話役がよそで喰われてはかなわぬな、である。
「眠れ。今宵を忘れ」が効いていない
そのあとに置かれるのが、眠れ。今宵を忘れという言葉だった。記憶を消して帰す処理である。
ところが直後に、忘れてねえ、が来る。受けが、意識朦朧、夢うつつじゃなかったんかい、だった。第9話は記憶にたどり着けない怪異の回で、目覚めたあとに全員で覚えている内容をチェックする場面が置かれていた。二回続けて、忘れなかったほうが描かれている。
供物のセンスが、そのまま受け継がれている
千夜の祈りが残る。あなた様が今聞いていらっしゃるか分かりませんが、私のみならず、願わくば子子孫孫ともどもをお守りください。答えは、気が向けばな、だった。聞いていないかもしれない、と思って言った言葉に、返事だけがついている。
現代の千夜も、いつも生米やお酒ばかりでは神様も飽きるでしょ、と言って俗っぽいものを供えている。そして最後、家から持ってきたじゃがいもを差し出して、早いとこ一緒に食べよ、と言う薫を前にして出るのが、千夜もやってることはまともじゃったが、供物のセンスが独特じゃったのう、である。子子孫孫ともどもを、と祈った相手の前に、その子が同じ調子で座っている。




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