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第6話のサブタイトルは「猫じゃらしの夜」。森に住む猫の好みは十猫十色だが、猫じゃらしだけはどの猫も好きになる。その希少な草を畑にしてしまったのが初代モシャモシャで、以来その名は畑を継げる猫だけが名乗れる襲名になった。今回は四代目の一年につきあう回で、初代を覚えているのが猫竜だけという一点が静かに効いてくる。




みんな違って当たり前なのだ
だがどんな猫でもこれだけは好き
第6話は猫竜のナレーションから始まる。「森に住む猫の好みは十猫十色」。晴れの日が好きな猫、曇りが好きな猫、高い木が好きな猫、地面の上が好きな猫。「みんな違って当たり前なのだ」と言い切ったうえで、彼はこう続ける。「だがどんな猫でもこれだけは好き。そんなものが一つだけある」。今回は、この一文の答えを一話まるごと使って説明する回だった。
答えはもちろん猫じゃらしなのだが、ナレーションによれば猫じゃらしは森では希少な植物だという。日当たりが良く風通しの良い場所を好むので、木の茂った森では育ちにくい。だから森の猫たちは、たまに見つかる猫じゃらしを「ある時は分け合い、時には奪い合って」楽しんでいた。奪い合いという言葉がさらっと混ざるのが良くて、これが猫にとって単なる嗜好品ではないことが、最初の三十秒で伝わってくる。
四代目が師匠になってから猫じゃらしが増えた、という見方には頷ける。この回の四代目は一度も自分を偉いとは言わない。叱る理由はいつも一つで、「猫っつう猫が楽しみにしてるからよ」。自分の畑ではなく森全員の楽しみを預かっている、という前提で仕事をしている。
でも、爪を引っ込められないから壊しちゃう
ナレーションのあと、場面は遠い日の回想に移る。「珍しい。この森に猫じゃらしなんて」と言うのはママにゃんで、隣で「なにこれ」「初めて見た」と反応しているのが幼い猫竜だ。ママにゃんは「不思議ね。どんな猫もこれだけは好きなのよね」と笑い、「ほら、私たちも遊びましょ」と誘う。
ところが幼い猫竜は乗ってこない。理由が「でも、爪を引っ込められないから壊しちゃう」。竜である自分の体が猫の遊びに向いていないことを、この時点でもう自分で分かっている。対するママにゃんの返しが「お前は優しいね。でも大丈夫よ。この猫じゃらしは大きくて強いわ。ほらやってごらん」。壊すのが怖くて手を出せない子に、壊れない猫じゃらしを差し出す。
引け目に感じている、という読み方がぴったりの場面だった。そしてこの短い回想は、後半のお祭りにきちんと効いてくる。猫竜が今も猫じゃらしで遊んでいるのは、あの日の「大丈夫よ」があったからで、彼が広場に通う理由は最初の一分ですでに提示されている。
一匹の変わった猫が現れるまでは
その年の収穫を見届けると森へ戻った
分け合い、奪い合う時代を終わらせたのが初代モシャモシャである。ナレーションは「一匹の変わった猫が現れるまでは」と一度区切り、そこから初代の来歴を語り始める。彼が最初にやったのは、畑を耕すことではなく、森を出て人間の住む町の方へ出向くことだった。
目的は人間の畑を見ることだ。「ここには毎年作物が生え、一度刈り尽くしてもまた育つ」。この一文だけで、初代が何に驚いたのかが分かる。森の猫にとって植物は見つけるものであって、生えてくる仕組みではない。しかも初代は、その年の収穫を最後まで見届けてから森へ戻る。珍しがって帰るのではなく、一年分の工程を通しで確認してから帰るところが、すでに研究者の動き方だった。
人間から学び、そのうえで自ら研究した。この二段構えが本当に偉いと思う。町のやり方は森ではそのまま使えないので、初代が持ち帰れたのは答えではなく問いのほうだった。
あいつ、変わり者だからな
森に戻った初代は、一角の土地の改良を始める。周りの反応は冷ややかで、「モシャモシャ、この前から何をやってるんだろう」「あいつ、変わり者だからな」の二言で片付けられてしまう。ナレーションも「それは試行錯誤の連続だった」「モシャモシャは諦めなかった」「また一から始めたのだ」と、たった三行で何年分かを流していく。
そのあいだに、興味半分で様子を見ていた猫たちもやがて飽きて近寄らなくなった。この一言が、今回いちばん静かに刺さる。反対されたわけでも、笑われたわけでもない。ただ誰も見ていないところで、何度も一からやり直していた。そして何度目かの季節が巡り、猫じゃらし畑はついに完成する。
畑は主の名を取ってモシャモシャ広場と呼ばれるようになり、さらに竜の支援を受けて特別な縄張りになった。以後、猫じゃらしをしっかり育てられる猫だけが、その名とともに広場を受け継いでいく。地名があって主が付くのではなく、一匹の変わり者の名前が土地の名前になり、やがて役職の名前になった。
広場の名前の由来が素敵、という感想に完全に同意する。モシャモシャという間の抜けた響きが、この森でいちばん重い名前になっているのが良い。人間の前ではじっとしているだけに見えた猫が、裏でこれをやっていた、という順番も効いている。
私が生きてるうちに紹介しておきますわ
ここは許可なしに入ってはいけない
初代の伝説のあとに挟まるのが、猫竜が子猫たちへ広場のことを教える場面だ。「そうだ、お前たちに教えておく。ここは許可なしに入ってはいけない」。理由は「モシャモシャが猫じゃらしを育ててるからだ」と、子猫にも分かる形で示される。
「じゃあ、ここは遊んじゃダメなの? ずっと」という質問に、猫竜は「いや、特別な日がある」と答える。「その日は主のモシャモシャが、森の猫たちみんなを招待してくれる」。立入禁止の畑が、年に一度だけ全員に開かれる。禁止と解放がセットで語り継がれているから、誰も畑を荒らさないし、その日をみんなが待つ。
畑を作ったこと自体より、それを襲名という形で続けたことのほうが発明だと思う。一代で終わっていたら、ただの変わり者の逸話で片付いていた。代替わりしていくと知って驚いた、という反応がそのまま正解だった。
ほう、初代を思い出すな
襲名の場面も回想として描かれる。「羽のおじさん、お久しぶりだよ」と声をかけてくるのが三代目モシャモシャで、「私が生きてるうちに紹介しておきますわ。こいつが次の四代目モシャモシャになるんで」と、後継者を猫竜に引き合わせる。存命のうちに顔つなぎまで済ませているあたりが手堅い。
このとき猫竜が漏らすのが「ほう、初代を思い出すな」で、若い四代目は「初代ですか」と聞き返す。四代目にとって初代は伝説でしかないが、猫竜にとっては会ったことのある相手だ。そして現在の場面で、猫竜は同じ相手にもう一度言う。「ますます初代に似てきたな」。本人が知りようのない評価を、一匹だけが下せる。
渋めにいきやした、という演者の言葉がそのまま画面の三代目だった。四代目の一つ前がきちんと存在していて、しかも生きているうちに引き継いだという描写があるだけで、襲名が制度として回っていることが伝わってくる。
あとな。声がでけえ
野郎ども、仕事だ
現在の四代目は、弟子を抱える親方である。畑の前で「まったく、うちの弟子たちと来たら」とぼやいてから、「野郎ども、仕事だ」と号令をかける。素人でも仕事始めの時期だと分かるのに、弟子は誰も動き出していない。演じるのは上田燿司で、低く粘る声がそのまま親分の貫禄になっていた。
新入りへの最初の教えが良い。「分からねえことがあったらすぐに引け」「分からねえのにとりあえずやっちまうのが一番あぶねえからな」。理由もはっきりしていて、「何しろ猫じゃらしっていうのは、猫っつう猫が楽しみにしてるからよ」。失敗が自分の恥になるのではなく、森中の猫の楽しみを潰すことになる、という言い方をする。
そのあとの落ちが最高で、「あとな」「はい」「声がでけえ」「はい」と、注意された直後にまた大声で返事をしてしまう。親分が「え?」と固まり、結局そのまま笑って流す。粋な親分という感想がよく分かる、緩急の付け方だった。
重要なのは根っこだ
畑仕事の説明が、驚くほどきちんとしている。四代目いわく「猫じゃらしってな、でかけりゃでかいほどいい。なんせみんな激しく遊ぶからな」。ではどうすれば大きくなるか。答えは根っこで、「草木は根っこから飯を食う。飯を食うところがでっかくなりゃ、自然とその上に乗っかってるところもでっかくなるって寸法よ」と続く。
だから最初の仕事は、土を柔らかくすることになる。兄弟子たちが魔法で土をぼこぼこにして見せ、新入りが「柔らかい土のほうが根っこがでっかくなりやすいんですね」と自分で答えにたどり着く。説明してから見せるのではなく、見せてから言わせる順番になっていて、この親分は指導が上手い。
新入りの得意は土の魔法。やってみるものの「うーん、全然かたいや」で、「最初はみんなそんなもんさ」と慰められる。そこへ「真打登場だ!」「親分の土の魔法は天下一品よー!」と弟子たちが囃し立て、四代目が広場の残り半分を一匹で耕してしまう。任侠ものの空気を猫でやるとこうなる、という見本のような場面だった。
魔法が残ってると猫じゃらしが化け物になっちゃうんだって
土から魔法が抜けるのを待つ
耕し終わってからが長い。何日経っても種まきの許可が出ないので、新入りが兄弟子に理由を聞く。返ってきたのが「親分が、土から魔法がなくなったって判断するまでね」。魔法で耕した土には魔力が残っていて、それが抜けきるまで手を出せない。
さらに重ねて聞くと、兄弟子は「実際見たことはないんだけど、魔法が残ってると猫じゃらしが化け物になっちゃうんだって」と答える。見たことがないのに言い伝えとして残っている、という言い方が絶妙で、そのあとに「初代親分はたくさん失敗したんでしょうね」「そんで学んだ正しいやり方を、オイラたちが継いでくわけだ」と続く。初代の失敗が、そのまま今のルールになっている。
技能実習生という言い方が的確すぎて笑ってしまった。この畑が面白いのは、理由の分からない手順を、理由が分からないまま正しく守っているところだ。分からない部分を空欄のまま渡す、というのは相当に難しい継承の仕方である。
猫じゃらし作りで一番の大仕事がこの種まきだ
種は去年摘んだ猫じゃらしから取る。「毛の下のところについてる小さな粒が種だ」という説明で、あのふさふさが花穂なのだと今さら気付かされた。新入りが「どうやってまくんです? 風の魔法とかで?」と聞くと、親分の一喝が飛ぶ。「野郎、それじゃあ、せっかく魔法のもとがなくなるまで待ったっつうのに台無しじゃねえか」。
つまり種まきだけは魔法が一切使えない。猫じゃらしを咥えて走り回り、体力だけで撒く。「これが大変なんだよね」「いっちゃん体力使うからな」と兄弟子たちも認める重労働で、ナレーションも「猫じゃらし作りで一番の大仕事がこの種まきだ」と念を押す。新入りは「魔力も体力も全然足りてないんだな、オイラ」と早々に音を上げていた。
魔法が当たり前にある世界で、いちばん大事な工程だけ魔法が使えないという設計が効いている。便利な力を持っているほど、それを使わない判断のほうが難しくなる。原作では第2巻に収録されたエピソードとのことで、この理屈っぽさは原作由来なのだろうと思う。
全部なくしちゃいけねえ
初代が同じことを考えたみてえでな
芽が出たあと、新入りが気を利かせて聞く。「親分、この別の草は引っこ抜いた方がいいんじゃないですか?」。親分は「おお、よくそれに気がついたな」と褒めたうえで、「それはやらねえ方がいいみてえなんだな」と止める。
続く説明が、今回の白眉だった。「初代が同じことを考えたみてえでな。でも他の草を全部抜いちまうと、なぜか大きな猫じゃらしが出てこねえんだと」。理由は誰も知らない。分かっているのは結果だけだ。だから基準も「全部なくしちゃいけねえ。今ぐらいの感じが一番いいわけだな」という、感覚でしか渡せないものになる。新入りが「今ぐらいか」と繰り返し、親分が「そうやってしっかり覚えな」と返して終わる。
襲名という形でなければ絶対に残らない知識だと思う。書き残せない「今ぐらい」を伝えるには、同じ畑で何年も並んで働くしかない。視聴者から見れば地味な畑作業でも、猫たちの間でモシャモシャが尊敬される理由はここにある。
モシャモシャを継ぐってすごい
平和な畑仕事に、一度だけ戦闘が入る。ハサミイナゴの襲来だ。第5話で少女の採取地に出ていた魔獣と同じ名前で、今回は十匹以上が群れで畑に降りてくる。四代目の啖呵が「おい、てめえら! ここをモシャモシャ広場だって知ってやんのかい!」で、そのまま「先手必勝だ!」と自分から突っ込んでいく。
決着の付き方が笑える。弟子たちが「何匹倒した? オイラ1匹」「あたしも1匹」「オイラも1匹」と報告し合い、そこで「じゃあ残りみんな、親分か?」と気付く。十匹以上いたうち、弟子三匹が仕留めたのは合わせて三匹だけだった。そのうえ親分は倒したイナゴを「そのへんに捨ててこい」と命じ、「こいつらまだ生きてますもん! 起きたらどっか行きますって!」と渋る弟子に「バカ野郎! また猫じゃらしを食うかもしれないだろ!」と怒鳴る。
運び方にも制限がある。「転がしちゃダメですかね?」と横着しようとした弟子は、畑の土が傷むという理由で却下される。咥えて運ぶしかなく、しかも行き先に選ばれたのが羽のおじさんの洞窟のあたりだった。「こっから離れてるし、あそこなら悪さもできねえだろ」という理由で、まだ生きている大量のイナゴが猫竜の家の近くに置かれる。この扱いのひどさが良い。
そして途中で力尽きた新入りが、休みながら漏らすのが今回の答えだった。「知識、経験、魔力、体力…モシャモシャを継ぐってすごい。すごい猫なんだ」。一年つきあってようやく出てくるのがこの一行で、四つ並べたうちの二つが知識と経験なのが良かった。魔力と体力は鍛えればいい。知識と経験だけは、初代から数えて四代分の時間がないと手に入らない。
「猫じゃらしの夜」まとめと考察
森中の猫が集まる特別な夜
収穫の日が来る。「明日か!」「今年も特別な日が来たぞ!」「モシャモシャ広場でお祭りだ!」と森じゅうが沸き、当日は昼のうちから猫が集まり始める。「久しぶり!」「今どこにいるの?」という挨拶が飛び交い、「ねえ、今の子、オイラの妹だよ」と紹介が始まる。森を出た猫まで帰ってきていて、収穫祭であると同時に同窓会でもあった。
いちばんの人気は猫竜だった。「みんなおじさんに挨拶したがるからな!」「あれじゃ、おじさんが猫じゃらしを楽しめねえ!」と弟子たちが心配するほどの行列で、遊びに来たはずの本人がずっと挨拶を受け続けている。そこを助けるのが四代目で、「ようこそ、羽のおじさん」「こちらへ。こいつは今年一番の大きさなんで」と、いちばん立派な一本の前へ案内する。
猫竜が「四代目、今年も見事だな」と返すだけで、この畑の一年が報われる。初代を知っている唯一の猫からの見事だな、なので、四代目にとってこれ以上の評価はない。昼間から集まっていた、という指摘の通り、夜を待ちきれない猫たちの様子もずっと可笑しかった。
さて、この頼りない弟子たちをどうやって鍛えようか
締めのナレーションはこうだった。「この祭りの日の猫たちを見ることが、モシャモシャの楽しみだ。そんな彼の今の悩みといえば、次のモシャモシャを選ぶことになるだろうが。それは、まだまだ先のこと」。そして四代目本人の最後の一言が、「さて、この頼りない弟子たちをどうやって鍛えようか」。
この二つが並ぶと、第6話が何の話だったのかがはっきりする。猫じゃらしの話ではなく、名前の受け渡しの話だった。初代が一代で作り上げた農法は、どこにも書き残されていない。「今ぐらいの感じ」も「魔法が残っていると化け物になる」も、隣で働きながらでなければ渡せない。だから四代目は弟子を叱り続けるし、次を選ぶことが最大の悩みになる。
そのうえで、この森の時間を一匹だけ違う速さで生きているのが猫竜だ。初代の畑作りを支援したのも、三代目から後継者を紹介されたのも、同じ一匹である。猫たちが四代を重ねるあいだ、彼はずっと羽のおじさんのままだった。冒頭でママにゃんに「ほらやってごらん」と言われた子が、いまは森中の猫に囲まれて猫じゃらしを勧められている。
事件はほとんど起きない。起きたのはイナゴの襲来だけで、それも大半は親分が片付けてしまう。それでも一話ぶんの重さがあったのは、この回が「続いていること」そのものを主役に据えていたからだと思う。変わり者が一匹いて、飽きられながら諦めず、名前が土地の名前になり、役職の名前になり、四代目まで来た。切なさと充足感、という感想がいちばん近い。なお公式によれば次回予告はナレーションがすべて猫語になっているとのことで、母猫が帰ってくるのではという予想も出ていた。次回も楽しみに待ちたい。




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