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第8話のサブタイトルは第八怪「奮闘のおろち」。宿題のお泊まり会に紛れ込んだおろちが薫の霊力を狙い、ぬいぐるみに返り討ちにされる——という笑える回に見えて、最後に本命が出てくる。この怪異が本当に欲しかったのは霊力ではなかった、という話をしたい。




公式サイトは「屋跨斑」と「谷跨斑」を書き分けている
ダラさんは屋跨斑、おろちは谷跨斑
第八怪のサブタイトルは「奮闘のおろち」(※1)。ここで一度、名前の話をしておきたい。この作品の「ヤマタギマダラ」は漢字表記が二つあって、どちらが正しいのかがずっと分からなかったのだが、公式サイトを頭から読むと二つとも正しくて、指しているものが違うことが分かる(※2)。
公式の人物紹介で、ダラさんは「半人半蛇の身体と6本の腕を持つ祟り神・屋跨斑(ヤマタギマダラ)」。対しておろちは「谷跨斑(ヤマタギマダラ)と呼ばれた化物の霊」で、「現在、頭部は西の村に、胴体は東の村に祀られ、封じられている。その頭部の分霊のようであるが、どうしてか周に取り憑いている」と書かれている。姉巫女の紹介も「妹とともに谷跨斑(ヤマタギマダラ)を討伐し、その首を落とした」だ。
あらすじページも同じ使い分けをしている。第一怪は「忌み地の屋跨斑」で、これは日向と薫がダラさんに出会う回。第四怪は「復活の谷跨斑」で、こちらは周が編入してくる回だった。ダラさん側は屋、おろち側は谷で、全ページを通して一度も混ざっていない。
違うのは「何を跨いだか」だった
なぜ字が分かれるのかも、第七怪でダラさん自身が説明していた。名前の由来は生き残りの噂で、「雨音すら引き裂き響く悲鳴に飛び出し目にした、家々を跨ぐ邪神の影」。これが「ヤマタギ」だ。つまり屋跨=家々を跨いだ影のほう、谷跨=谷を跨ぐ大蛇そのもののほうという分け方になる。
同じ音で呼ばれているが、討伐された化物と、討伐したあとに生まれた祟り神は別の存在。その二体が、第八怪では同じ家の中に居合わせている。しかも片方はぬいぐるみに負ける。この回の可笑しさは、そこから来ている。
お泊まり会は、おろちにとって行きたくない場所だった
「三十木谷の家と関わらぬようにするのだ」
回の頭で、おろちは日向を値踏みしている。「霊力が高く強い魂を持つゆえに、支配するには時間がかかる」「いずれ我が半身となるものよ」。そのうえで方針を立てる。「まだ魂の癒着が浅い今、三十木谷の家と関わらぬようにするのだ」。ところが取り憑いている相手は日向のことが大好きな周なので、その舌の根も乾かないうちに、宿題のお泊まり会で三十木谷家に連れてこられてしまう。
家に入ったおろちの内心が細かくて可笑しい。「しかしこの家、馴染みと違和感を同時に感じるな」「元は我の山であり、あの巫女が山神に居座った山でもあるからか」。そこにダラさんが「この家はわしの領域。妖力も霊力も隠蔽することはできぬ」と乗ってくる。第五怪でやった「家は住人の明確な領域=一番身近な結界」という説明が、そのまま効いている。
「蛇を助けたことある?」という軽口が、全部当たっている
お泊まり会の会話は完全に日常回のノリで、友人たちが周に「昔、蛇を助けたとかある?」と聞く。恩返しのつもりの軽口だ。そのあとも「じゃあ、チンアナゴを助けたことは」「乾燥したミミズを助けたことある?」「助からなくない?」と延々ふざけ続ける。本人たちは冗談のつもりだが、周に取り憑いているのは本物の大蛇なので、最初の一問はほぼ正解している。
おろちの側も「たとえ高い霊視能力があっても見えはせぬ」「見えておったとしても、谷跨斑とつながることはない」と余裕を見せるのだが、会話の外側では確実に外堀が埋まっていく。こういう、怪異の内心と人間の雑談が噛み合わないまま進む作りが、この作品のいちばん美味しいところだと思う。
薫のぬいぐるみが、第五怪の仕込みを回収した
髪を詰めた「ダラダラダラさん」が八つ裂きにする
深夜、おろちは薫の霊力を奪おうと部屋に忍び込む(※1)。ところが待っていたのは、薫が作ったぬいぐるみだった。語りによれば、おろちは「霊力を喰らうために伸ばした枝を八つ裂きにされ、妖力の多くを逆に失い」、そして「妖力を喰らったダラダラダラさんは、ちょっと肥えた」。この一連に日向たちの「KO」「地味にクソ強い」「7000は出とるな」が乗る。
翌朝のダラさんの反応も良い。「そういえば、わしの髪を詰めたあのぬいぐるみ、何も言われなかったのか?」→「むしろお母さん気に入ってた。今度は型紙欲しい言うてたよ」。祟り神の髪の毛入り人形が、母親に好評で量産を検討されている。
「目的を持って使えば、新たなものになる」
ここは第五怪の仕込みがそのまま効いた場面だった。第五怪でダラさんは、自分の一部は七日で妖力を失って消えること、しかし目的を持って使えば「新たなもの」になること、そして髪は念がこもりやすいことを説明していた。蚤の市で刈り込まれた髪は回収されて薫の手に渡り、あの回では「薫のもとで新たな役目」とだけ言われて終わっていた。
その役目が、三話ぶんの間を置いて「弟を守る番犬」だったと分かる。しかも守った相手は、公式サイトが「三十木谷家の長男」と書いている薫だ(※2)。設定の説明を先にやっておいて、回収のときには何も説明しない。この作品はこの呼吸が上手い。
「長い間かたじけない」──第七怪の礼が、本人に届く
くじ引きの結果を、たぶん誰かがいじっている
子供会のお楽しみ会に、日向がダラさんを連れていく。人間の姿の「山田ちゃん」は子どもサイズに縮んで登場し、「連れのサイズ調整に手間取って」と説明される。プレゼント交換はくじ引きで席を決め、右隣の子に渡す方式だった。
そこでダラさんが「11……こやつは確か富田の……」と番号を確認する。交換が終わったあと、日向のツッコミが二段構えで飛ぶ。「そもそも相手選べへんくじやん」「ていうか、さっきまで持ってたやつと違わへん」。ダラさんの返事は「気のせいちゃうか!」。席もプレゼントも、渡したい相手に届くように直されている。
第七怪の「いつもありがとうな」の宛先
そのうえでダラさんが言うのが、「何代にもわたり守ってきた富田の娘」「直接こうして言葉を交わす機会が来ようとはな」「長い間かたじけない」だった。
第七怪の締めを思い出したい。富田の家は毎年この時期に山へ行き、誰を弔っているかも分からないまま何百年も墓を守り続けていた。ダラさんはその墓を見て「わしの墓かもしれぬな」と言い、「何百年もの間参ってくれている富田には、感謝せねばならぬな」と続けて、誰にも聞こえないところで「いつもありがとうな」と言った。あの独り言が、一話またいで本人の前で言い直されている。しかも当の富田さんは「かたじけないって時代劇でよく聞くけど」「時代劇大好き」と返すだけで、何を礼を言われているのかは最後まで分かっていない。第七怪の「覚えていてくださいまし」が中身を忘れられたまま形だけ続いた話だったので、ここでも礼だけが届いて中身は届いていない。それでいいのだ、という書き方になっている。
十郎太に与えられたのは、七年の猶予と基礎の座学だけだった
夢が、木簡として残っていた
過去編は第七怪の直後から始まる。十郎太が目を覚ましたのは初夏の昼過ぎで、枕元には見慣れぬ木簡があった。「時間がなかったのか、荒れた文字が固いもので書いたように刻まれており」「それは妹巫女だった者が残した三つの術の説明書」。第七怪で十郎太が「夢……あの方がくれたのだ」と言っていたものが、物として実在していたという念の入れようだった。
そこから期限が示される。妖力を失ったおろちが妹巫女の肉体を支配するまでの時間と、山に封じた腕の縛りが保つ期間。「これらが再び牙を剥くまでの猶予は、およそ七年」。十郎太はまず半年をかけて資料から腕と首と半身の位置を割り出し、育ての親である親方にその位置と危険性を伝えてから、集落を出る。向かったのは巫女たちが残した荷にあった古い紹介状の地、京だった。
「おそらく俺はその六年後生きられないが」
京で会うのは、巫女たちの師匠筋にあたる老術師。「わざわざこんなうさんくさい老人をお尋ねとは、物好きなのか、はたまたよほど追い詰められたか」から始まり、事情を聞いて「残り六年ほどか」と数える。十郎太の頼みは「その間にそれほどの呪物をどうにかするための知恵と術を教わりたい」「無理は承知の上です。どうか」。
ここでこの老人が差し出すものが良い。教えられるのは「基礎の座学、呪の持ち運び、管理、修繕」だけだとはっきり言う。怪異を斬る術ではない。そのうえで自分の来歴を語る。「悪どいこともずいぶんやった」「仕事で呪殺に手を染めた時期もあった」。そして「めんどくせえが、教えた術で弟子がやらかしたなら、ケツを拭くのも師の務め」「お前さんの期待に応えられるかも分からん上に、おそらく俺はその六年後生きられないが、最後にもう一人くらい弟子を取ることになるのも、やむなしか」。自分が結末を見られないと分かったうえで引き受けている。
祠の腕は、恨みより「ここを守りたい」を選んでいた
打ち籠という術
十郎太たちが真っ先に対処すべしとしたのは、切り落とされた腕のほうだった。「四肢を断たれたという恨みの権化」「巫女の怒りとおろちの瘴気で変異した呪物」=最悪の呪物という前提で山に入る。ところが現地を見た老術師のほうが驚く。「おろちの封の管理をしておった巫女の一家が殺され、なんぞ問題が起きておるかと思ったが、封はむしろ強固になっておる」。
理由は妹巫女が自分でかけた術だった。「打ち籠という術は小さな結界で覆い、腕の感知範囲と溢れ出る呪いをその中に閉じ込める」。そして老術師の見立てが「恨みよりも、ここを守りたいという意識が強かったのであろうな」。十郎太の返事は「あの人は……その人らしいです」だけだった。
第七怪では、妹巫女が残した三つの術は効果しか分からず、名前は聞き取りにくいままだった。第八怪はそのうちの一つに名前と仕組みの説明を与えている。ついでに、あの回で「知らん間におらんかった」と言われていたもう片方の腕の話でもある。
「別の何かになってしまった」
処置そのものは単純で、打ち籠を改良した術符で腕を包み、かつての姉巫女ゆかりの場所の近くへ移して、そこで祀る。「邪魔さえせねば、この左腕は祟るよりも巫女の責務を優先するやろう」。瘴気を抑えたうえで祀れば害は及ばず、おろちの封は強固になる。祟り物を封じるのではなく、役目を与えて祀るという解き方だった。
ただし語りは、ここに不穏な一行を足している。「この処置は現代まで代々受け継がれているが、かなりの年月祀られたことで、元の宿主とは別の何かになってしまったのは、誰にとっても想定外だったのかもしれない」。祠の中身は、もうダラさんの腕ではない何かになっている。第七怪でダラさんが「ほんま祠の中には手を出すなよ」「あればっかりは、わしとて助けられぬ」と強く止めていた理由が、ここでようやく説明された。
化け猫が飼い主を弱らせる怪談に、この作品なりの答えが出る
猫をやめれば、猫の病から切り離せる
薫が「先生がね、最近めっちゃ元気ないんよね」と言い出す。理由は担任の筆木が飼っている猫の具合が悪いことだった。会いに行ったダラさんの見立ては「陰気がまとわりついておる」で、「陰気を払っても一時的なもの。わしではお前を救うことはできぬ」と正直に言う。そのうえで出す案が「じゃが、猫をやめれば、猫の病から切り離すことはできよう」だった。
化け猫になるとどうなるかの説明も丁寧で、「従来の寿命の間はそれほど変わらぬが、少しずつ妖力を身につけていく」「天命が尽きた時、魂は抜けず変質し、その身は徐々に妖しとなってゆくじゃろ」。この間、猫は一言も喋らない。かわりに「化け猫になったらどうなるの?っていう顔」「飼い主憑かれて死んじゃわない?っていう顔」と、顔のほうがナレーションされる。喋らせないままで会話が成立している。
「今どきは多分、餌代がめっちゃ増えるだけじゃ」
ここが第八怪でいちばん面白かったところだ。化け猫が飼い主を衰弱させるという怪談について、ダラさんはこう説明する。そういう妖しがいたのは事実だし、恨みから人間の精気をすする者もいた。ただ「今に比べれば昔の食生活は貧しかったゆえ」、多くの妖力や生命力を必要とする妖しの身では足りず、足りない分を飼い主の生命力で補うことになり、結果として飼い主が衰弱した——という筋道だ。だから結論は「今どきは多分、餌代がめっちゃ増えるだけじゃ」になる。
怪談を否定するのでも肯定するのでもなく、成立していた条件のほうを説明して、現代では条件が外れていると言う。この作品がずっとやってきた種明かしの型が、いちばんきれいに出た場面だった。猫は「化け猫になりまーす!」と即決し、ダラさんは「主人との縁が深いお前であれば、夢見に多少は干渉できよう」「寄り添って眠り、病に打ち勝つこと伝えてやるがよい」と妖力を分ける。後日、担任は元気になっている。
まとめ|おろちが狙っていたのは、霊力ではなかった
「こいつらを失ったとしても、お前は今のままでいられるかな?」
お楽しみ会の終わり、周は間に合わなかったプレゼントを日向に手渡す。「代わりに渡せるもの何もないんよ。明日でいい?」「はい、明日どちゃくちゃ期待してます」。この作品でいちばん柔らかい部類のやり取りだ。そのすぐあとに、おろちの独白が来る。
「我にとって厄介な人間ではあるが、この二人……」「随分とお気に入りのようだな、ダラさん」「こいつらを失ったとしても、お前は今のままでいられるかな?」「ひょっとしたらまた怒りと恨みに飲まれて、己を失ったあの頃に戻ってくれるかもしれぬよな」。
ここで第八怪の見え方が変わる。おろちがお泊まり会でやっていた霊力の吸い食いは、本人が「学校とやらでは騒ぎにならぬ程度の吸収量だった」と言うくらいの小遣い稼ぎで、しかもぬいぐるみに逆に食われて終わっている。この怪異の本命は霊力ではなく、ダラさんを祟り神に戻すことだった。そのために日向と薫を「失わせる」という手が見えている、というのが今回の引きになる。「奮闘のおろち」というサブタイトルは、半分は笑いで、半分は本気だ。
第四怪と同じチームが作った回
ついでに作り手の側も見ておきたい。第八怪は絵コンテが藤原良二さん、演出が加藤顕さんで、この組み合わせは第四怪「復活の谷跨斑」とまったく同じだ(※3)。作画監督の草薙美穂さん・星美賀子さん・鈴木知里さんも第四怪と重なる。第四怪はおろちが周に取り憑いて動き出した回で、第八怪はそのおろちが空回りする回。おろちを描く回が、二度とも同じ班に振られていることになる。脚本の石田勝也さんは第二怪・第五怪に続いて三度目で、第五怪は現代と過去編を並走させた「山守の系譜」だった。現代のコメディと過去編を交互に走らせるこの回の作りは、そこと同じ手つきだ。
笑って見ていられる回ほど、この作品は最後に一段暗いところへ足を掛けてくる。ぬいぐるみに負けた大蛇が、負けたその日に一番怖いことを言って帰る。第八怪はそういう回だった。
出典
※1 TVアニメ『令和のダラさん』公式サイト あらすじ(第八怪「奮闘のおろち」)darasan-anime.com
※2 同 公式サイト 登場人物(ダラさん=屋跨斑/おろち=谷跨斑の表記)darasan-anime.com
※3 ウィキペディア「令和のダラさん」各話リスト(第八怪の脚本・絵コンテ・演出)ja.wikipedia.org




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