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「よい」に魅せられた鬼夜叉は、石也とコガネを連れて白拍子のもとへ通い始める。だが二度目の舞に彼は何も感じない。才能がないと嘆く少年へ、身ひとつで生きる彼女が投げ返したのが「あんたには身体があるじゃないか」だった。父・観阿弥が初めて「よいぞ」と口にした一方で、鬼夜叉は取り返しのつかない過ちを犯してしまう。第2話「あんたには身体があるじゃないか」を、本編の台詞をたどりながら振り返る。




魚の形と、川に落ちた少年
「良いとは形、ということか」
第2話は、水の中を泳ぐ魚から始まる。「魚。ヘンテコな形と思っていたが、なるほど。これは水の中で生きるための形なのだな」…前回、鳥の骨と馬の足から「形は何のためにあるのか」を考え続けていた少年が、そのまま思索を継いでいる。「しなやかな体、気持ちよさそうに見えるな」と眺めながら、彼はひとつの仮説にたどり着く。「良いとは形、ということか」。
この冒頭が、実は第2話そのものの見取り図になっていた。ネットでも「客層や需要に合わせて『時代の中で生き続けるための形』へ変化してきた猿楽を、『水の中で生きるための形』へ進化した魚で見せてくる」と指摘されていたとおりだ。生き延びるために形が変わる。この後に起きることは、全部その一言に含まれている。
そんな鬼夜叉に、素性の知れない相手が声をかけてくる。「まさに諸行無常」「その様が、なんとも儚い」…芝居がかった物言いで彼をからかい、「ああ、そういえば泳げないのでございましたね」と言い残して消えていく。鬼夜叉の「お前は本当に何なのだ」という反応から、初対面ではないらしい。案の定そのまま川へ落ち、石也とコガネに引き上げられる羽目になった。「あの世の橋を渡っていたかもしれないんですよ」と石也が叱る一幕である。
「私はまたよいを見たいのだ」
鬼夜叉の頭を占めているのは、前回のあの舞だけだった。「私はまたよいを見たいのだ」「あの舞をもう一度」…コガネの返しは至極まっとうで、「じゃあそいつに頼めばいいだろう」。ところが鬼夜叉は口ごもる。「しかしあれは…妖怪」。納屋で舞っていた相手を、彼は本気で人ではないと思っていたのだ。
三人で訪ねていくと、当然そこにいたのは生身の人間だった。「あんたたち、上等なもん着てんじゃないか。肌ツヤもいい。いいもん食わせてもらってんだろ。肝試しが終わったんなら帰りな」…身なりだけで素性を見抜かれ、追い返されかける。それでも彼女は歌い、舞ってみせた。「遊びをせんとや生まれけむ」…古くから歌い継がれてきた今様の一節で、人はなぜ遊び、なぜ舞うのかという問いそのものが歌詞になっている。
ところが鬼夜叉の口から出たのは、最悪の一言だった。「何も感じぬ」…「このガキ、おちょくってんのか」と怒るのが当たり前である。石也が「悪気はないんです」と庇っても、「あるようにしか見えないね」と切り返される。ここで彼女に客が来て、「ガキの相手もするようになったか」と冷やかされる。彼女がどういう暮らしをしているのかが、この一言で分かってしまう作りだった。
あんたには身体があるじゃないか
「ごぼう程度で買われる体と、ふらついた舞だけだ」
通ううちに、三人と彼女の距離は縮んでいく。石也が「恥ずかしながらできないのです。痛むのがここなので」と足のことを打ち明けると、彼女は「ああ、悪い」と素直に詫び、石也も「私にとっては普通のことですから」と受け流す。客が来ても「ちょっと待ってちょうだい。この後、友達が来るかもしれないんだ」と言うようになる。三人はいつのまにか「友達」になっていた。
一方で、彼女の身体は確実に弱っていた。「ずっと寝ているの」「疲れが取れなくてね」「たまには団子でも食いたいもんだね」…鬼夜叉が「今度街で買ってくるのだ」と約束するのが、後々効いてくる。ネットでも語られていたとおり、肺を病みながら身を売って生きるという境遇で、日々の食事すら「ごぼう」で取引される。
そんな彼女に、鬼夜叉は自分の舞を見せることを拒む。「私には才能がないのだ」「私の舞を良いと思わない」「だいたい良いとは何なのだ。わからぬことだらけなのだ。人が舞う理由すら見当がつかない」…そのうえで縋るように言う。「でも一度だけ、あなたの舞を良いと思った。あの舞をもう一度見られれば、私は良いとは何かわかる気がするのだ」。持てる者の言い分である。
「一輪でいい、そんな花が私にあったなら」
返ってきたのが、この回の題名だった。「さっきから聞いてれば。私に何があるってんだ。贅沢する金も、男を殴れる力もねえ。あんなごぼう程度で買われる体と、ふらついた舞だけだ」…そして、才能がないと嘆く少年へ突きつける。「才能がないなんて笑わせんじゃないよ。あんたには身体があるじゃないか」。
彼女は続ける。「でもね、だからこそ得られるもんだってあるんだ」…何のために舞うのかと問われれば、答えは飾り気がない。「人として生きるためだよ」「芸人には、それしか道がないから」。舞は表現である前に、人間としてこの世に留まるための唯一の手段なのだ。鬼夜叉が「人はなぜ舞うのか」と悩んでいる間、彼女は「舞わなければ人ですらいられない」場所に立っていた。
そのうえで漏らす願いが、後の展開を全部背負っている。「一度だけでいい。華やかな舞台で舞えたなら。一輪でいい、そんな花が私にあったなら」…贅沢でも復讐でもない。たった一輪でいいと言うのである。声を担当した沢城みゆきの芝居が絶賛されたのもここで、投げやりな口調の底に、まだ死んでいない願いが確かに残っていた。
「よいぞ」と父が言った日
「足運びの癖が少々強すぎる。白拍子の影響か」
彼女のもとへ通ううち、鬼夜叉の舞は変わっていた。それを最初に見抜いたのが父である。稽古を見ていた観阿弥が口にしたのは「よいぞ」…そして続けて「だが足運びの癖が少々強すぎる。白拍子の影響か」だった。褒めながら、どこで何を仕込まれたかまで言い当てている。
座は大騒ぎになった。「今、頭が褒めた! 褒めた!」…厳しさしか向けてこなかった父が、初めて息子の舞を認めた瞬間である。前回、舞台を止めた息子に「何がだ」としか返さなかった相手が、である。しかも観阿弥は、鬼夜叉が抜け出していることを最初から把握していた。連れ戻そうとする者に、彼はこう言っていた。「かまわん。若のことはそっとしておけ」。
父の視線の意味が、ここで少しだけ形を変える。理解されていないと思い込んでいた息子は、実は泳がされていた。もっとも当の鬼夜叉はそんなことは知らないままで、この行き違いが第2話の悲劇を加速させることになる。
「舞を教えた教育料だってさ」
約束の団子を持って訪ねると、彼女は上機嫌で迎えてくれた。そして見せられたのが、思いがけないものだった。「これ、あんたの父上から。舞を教えた教育料だってさ」…観阿弥は息子の外出を黙認していただけでなく、教えてくれている相手へきちんと謝礼を渡していたのだ。「最近来てくれなくなったじゃないか」と言われて、鬼夜叉の胸が痛む場面でもある。
懐が温かくなった彼女は、団子屋の店先で「どれ、一つ舞おうかね」と気前よく舞ってみせる。人が集まり、笑いが起きる。楽しい光景のはずだった。だが鬼夜叉には耐えられない。あの必死さが、彼女の舞から消えていたのである。あれほど求めていた「よい」が、金を得た途端に手の届かないところへ行ってしまった。
公式のあらすじが言う「変わったのは鬼夜叉の舞だけではなかった」とは、このことだ。生きるための形が変わったから、舞の形も変わった。冒頭の魚が示していたとおりである。皮肉なことに、その変化を招いたのは父の善意であり、そこへ通わせた鬼夜叉自身の熱意でもあった。
「返してよ、私の金」
そして鬼夜叉は、やってはいけないことをする。彼女の金を取り上げてしまうのだ。「何すんだ」「返してよ、私の金」…この短い台詞に、彼女が積み上げてきたものと奪われたものの全部が乗っている。ネットでも「色んなものが込められていて凄かった」「お金を取るのは流石になかった」と、この一幕を語る声が並んだ。
鬼夜叉に悪意はない。ただ、もう一度あの舞が見たかっただけだ。だからこそ質が悪い。良い飯を食い、良い衣を着て、何ひとつ不自由なく暮らしている少年が、他人の生活費を取り上げて「必死に舞ってくれ」と願う。彼が第1話から抱えてきた「人はなぜ舞うのか」という問いは、ここで最も醜い形をとった。ネットでも「今回はとんでもなく傲慢だった」と評されていたが、その傲慢さこそが芸に取り憑かれた人間の本性でもある、という見方まで出ていたのが面白い。
そのまま鬼夜叉は父にも食ってかかった。「なぜ銭なのだ」「あの人は何も持たない」…返ってきたのは「芸には対価を払え」という一言である。芸を尊ぶからこそ銭を払う父と、銭が芸を殺したと思い込んだ息子。どちらの言い分も間違っていないのに、噛み合わない。座の者たちが「若が頭に立てつくなんて初めて見たぜ」と驚くほどの荒れようだった。
「あんたには身体があるじゃないか」まとめと考察
弔いの舞と、一輪の花が咲くはずだった舞台
荒れるだけ荒れて眠った鬼夜叉は、夜中に目を覚まして気づく。「あの人に謝らなくては」…見張りの目をすり抜けて外へ出る少年に、座は「誰も気づかなかったのか」と騒然となる。だが、間に合わなかった。第2話は、彼女との別れで幕を下ろす。
残された鬼夜叉が選んだのは、舞うことだった。故人を悼むその舞は、思いを爆発させるかのように、という言葉がそのまま当てはまる激しさだった。第1話で「舞ったって世界は変わらぬではないか」と言い切った少年が、変わらないと知ったうえで舞っている。誰かのために舞う理由を、彼はここで初めて手に入れた。
そして最後に、残酷なほど噛み合った一手が置かれる。観世座に舞い込んだのは、新熊野の水無月会で将軍の前で舞ってほしいという依頼だった。将軍や貴族の並ぶ、この時代でいちばん華やかな舞台である。鬼夜叉の頭に蘇るのは、あの願いだ。「一輪でいい、そんな花が私にあったなら」…彼女が一度でいいと望んだ舞台の切符が、彼女がいなくなった後に、自分のところへ転がり込んできた。締めのつぶやきは「私はどうすればよいのだ」。
第1話が「よい」に出会う話だったとすれば、第2話は「よい」を自分の手で壊してしまう話だった。魚は水の中で生きるために形を変える。彼女も生きるために舞の形を変え、鬼夜叉はそれを許せずに壊した。持てる者が持たざる者の必死さを消費しようとした、という構図まで含めて容赦がない。第1話で石也が言った「頭の舞を見ているとどこまでも行ける気がする」という言葉が、いま鬼夜叉自身の舞に返ってくる番でもある。「才能がない」と言い続けた少年に本当に足りないのは、型に収まる才能のほうなのかもしれない。その不器用さが、やがて猿楽を能へ押し出していくのだから。




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