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第8幕でシタラが大カトゥンに植えた疑いは、一つも新しいものではない。公式のキャラクター紹介を開くと、ボラクチンの欄にはもともと「権力の偏りを憂い、密かに策を巡らせる」と書いてあり、ソルコクタニの欄には「軍事力と権威のねじれに伴う危うさを見抜く洞察力」と書いてある。シタラがしたのは、すでに書かれている二人の性質を互いに向けることだけである。だからこの幕のシタラは、嘘を一つもついていない。




シタラが使った材料は、公式のキャラクター紹介にもう書いてある
第8幕は、シタラが大カトゥンの懐に入り、最後に疑いを一つ置いて帰る幕である。ここで気になるのは、その疑いがどこから調達されたのかという点だ。公式サイトのキャラクター欄を開くと、答えが先に書いてある(※2)。シタラは新しい火種を持ち込んでいない。もともと二人が持っていたものを、互いに向け直しただけである。
ボラクチンの欄には「権力の偏りを憂い」と書いてある
公式のボラクチン紹介はこうだ。「オゴタイの第一皇后(大カトゥン)。常に冷静沈着で威厳があり、「政治は水面下であちこちに手を回すことが重要」と語るなど、帝国の未来や権力の偏りを憂い、密かに策を巡らせる底知れぬ女性」。第8幕でシタラが突いたのが、まさに権力の偏りだった。「以前チンカイ様は書記官が足りないと言っていました。どうしてでしょう」に対して、ボラクチンは自分から「モンゴルが手に入れた知識人たちの多くが、トルイ家のものになっているからなのだ」「兵力と同じだ。トルイ家はオッチギンだからな」と答えている。問われる前から憂いていた人が、問われて言葉にしたという順番である。
ソルコクタニの欄には「軍事力と権威のねじれ」と書いてある
もう一方の欄も見ておきたい。公式のソルコクタニ紹介は「トルイの正妃。「世界は草原よりも広い」と考え、西方の知識である『原論』を求める聡明な女性。軍事力と権威のねじれに伴う危うさを見抜く洞察力も兼ね備えている」。第8幕のソルコクタニは、留守の天幕で「私もトルイが戦いで負けるなんて思わないわ。けれど、災いは戦場以外にもあるかもしれない」「力を持ちすぎると、恐れられ恨まれるもの」と言う。紹介文に書いてある洞察が、そのまま台詞になって出てきている。
同じ一つの危うさが、二人の欄に別々の側から書かれている
並べると形がはっきりする。ソルコクタニは持ちすぎている側から、ボラクチンは持たれている側から、同じ一つのねじれを見ている。この幕で二人が同じ場面に出ることはないのだが、公式の紹介文の上ではとっくに同じ盤面の両端に置かれていた。シタラがしたのは、その両端を一本の線でつなぐことである。ボラクチンに偏りを口に出させ、「トルイ様も同じ思いでしょうか」と質問を一つ置き、別れ際に「あの方は諦めておりません」と名前を出す。どれも嘘ではないし、どれも新情報ですらない。それでも並べ替えるだけで武器になる、というのがこの幕の怖さだ。
第8幕「大カトゥン ボラクチン」で起きたこと(要点だけ)
公式のあらすじは「病身のボラクチンを見たシタラは、これまで得た知識を使ってその原因と治療法を言い当て、懐に入り込むことに成功。モンゴル帝国を内部分裂させる計画を水面下で進め始める」と書いている(※1)。内部分裂という言葉を公式が先に出しているのが、この幕の性格を表している。
- 読み書きの能力を買われ、シタラは書記官のチンカイのもとで帳簿仕事に回される
- 書物の山にジャービルの錬金術の書が混じっていて、万能薬アル・イクシールの話になる
- それを聞いたモゲが早とちりし、シタラは大カトゥンのボラクチンの前へ連れていかれる
- 帰り際にモゲが打ち明ける。「ボラクチンは誰かに毒を飲まされてる」
- ドレゲネが帰り道でこぼす。ボラクチンとモゲはチンギス・カンに嫁いでいたのをオゴタイが相続した/子もなく実家も大きくない/「正直、なんであの人が大カトゥンなのかわからないわ」
- 二度目の謁見でシタラが診断する。「鉱山の埃をお召しなのではないでしょうか」=毒を盛られたのではなく、不老不死のために自分で飲んでいた
- 毒消しとして差し出されたのがジャダ石。ペルシアではベゾアール石という飲む薬だった
- 金国侵攻が始まり、トルイ軍が南宋に通過許可を求めるが使者が殺される
- 留守のソルコクタニが「災いは戦場以外にもあるかもしれない」と言う
- 回復したボラクチンの天幕で、シタラが質問を一つ置いて帰る。「トルイ様も同じ思いでしょうか」
毒は盛られていない。飲んでいたのは本人のほう
この幕の推理部分は、訴え自体が誤読だったと分かる形で組まれている。犯人捜しの答えが「犯人はいない」なのだから、謎解きとしてはかなり意地が悪い。
モゲは、警告を告白として聞いていた
モゲの訴えは「ボラクチンは誰かに毒を飲まされてる」「でも私はボラクチンの医者が怪しいと思ってる」だった。根拠は回想で示される。医者は外丹について「硫黄や水銀などを調合して丹薬という薬を作る」「その丹薬を飲めば、肉体は黄金のごとく不朽のものに変わるとか」と説明し、続けて「実際に飲んだ者は皆、毒にやられて命を縮めました」「とっくの昔に廃れた試みですよ」と否定している。モゲが覚えていたのは「その時、確かに毒って言ったんだ」の一点だけだった。危険を説明した人が、毒を盛った人に見えてしまったわけである。
公式のモゲ紹介には「ボラクチンを深く慕っており、自らを「頭は悪い」と評しているが、無邪気で素直な性格」とある(※2)。誤読の出どころが悪意ではなく、慕っている相手を心配する気持ちのほうだったのは、この紹介文と一致している。この幕でいちばん人を動かしたのが、正しくない推理だったことになる。
鉱山の埃と、ヒポクラテスの少量なら薬
シタラの診断語が「鉱山の埃をお召しなのではないでしょうか」である。火山から生まれる赤い石で、アル・イクシールにも丹薬にも共通の基本材料だと説明される。決め手に置かれたのが古代の医師の名前だった。ヒポクラテスによれば、鉱山の埃は少量なら薬になるが、取り続ければ食が細り、皮膚がただれ、出来物ができる。この三点は、モゲが毒を疑った観察とまったく同じである。同じ症状から、片方は犯人を、片方は材料を読み取った。
動機は野心でも狂気でもなく、年をとったこと
証拠はあっさり出てくる。ボラクチン自身が「その棚の引き出しを開けてごらん」と言い、鉱山の埃が出てくる。そして理由が「ああそうだ。私も年だからな。長生きしたいんだよ」だった。敵役として置かれた人物の内側が、野心でも狂気でもなく、年をとったという一点だったのが効いている。第7幕でこの人が読んでいた医学書も、病人の慰めではなく実行の準備だったことになる。
西の錬金術と東の外丹が、同じ材料と同じ理想でつながる
この幕の骨組みは、二つの土地の同じ夢を並べて置くところにある。シタラが持ち込んだ西の知識と、ボラクチンが飲んでいた東の薬が、材料の段階で一致する。だからシタラは、初めて見る病気をその場で言い当てられた。
ジャービルの書は、堂々とは置けない本だった
帳簿の山に混じっていたのが錬金術の書である。シタラの説明が「ジャービルはずっと昔、トゥースに住んでいた人なの」「あまり堂々と置くものじゃないのよ」。故郷の学者の本で、しかも表に出しにくい本、という二重の位置づけになっている。鉱物などの材料を熱して混ぜ、不朽の肉体を作る秘薬アル・イクシールを作り出すのだという。終盤の講義では「この世は物質と性質が結びついてできていますが、性質を操作することで、物質を別のものへ変化させることができる」と要約され、ボラクチンが「物の性質を知れば、武器でも薬でも望むものが作り出せるのだ」と受ける。
外丹は「とっくの昔に廃れた試み」として説明される
東側の説明が「その昔、道教には外丹という思想がありましてね」から始まる。硫黄や水銀などを調合して丹薬を作り、飲めば肉体が黄金のごとく不朽になる。不朽の肉体という言葉が、アル・イクシールの説明とそのまま重なる。材料も硫黄と水銀で共通している。違うのは、東では失敗と結論が出ていて、西ではまだ本の中に残っていることだけだ。ボラクチンは廃れたほうを飲み、シタラは残っているほうを読んでいた。
ジャダ石は、飲む薬だった
毒消しとして差し出されたのがジャダ石である。「ジャダ石は飲むものじゃないよ」に対して、「いいえ。ペルシアではベゾアール石といって、れっきとした毒消しの薬ですわ」と返す。モンゴルでは雨を呼ぶ呪具、ペルシアでは飲む薬。同じ石が土地によって用途を変えるという構図は、錬金術と外丹の関係とそっくりだ。「呪いなどかけてないだろうな」と疑われて「私がそんな邪に見えますか」と切り返すのも上手い。なお、この石が誰の持ち物だったのかは劇中で明言されない。シタラがドレゲネの功績として挙げたのはペルシア人の医者を探したことのほうである。
読める人と読まれる人を分けているのは、知恵の量ではない
この幕には、正しく先を読む人が二人出てくる。ソルコクタニとボラクチンである。それでも二人の立場はまったく違う。片方は読まれる側にいて、片方は読ませる相手を選べる側にいる。差をつけているのは頭のよさではなく、どこに立っているかだった。
返事のかわりに、使者が殺された
金国への侵攻が始まる。翌年、都である開封を包囲するため、トルイ軍は南宋に通過許可を求めるが、返ってきたのは使者の死だった。「引き返しますか」に対するトルイの判断が「いや、予定通り南へ進む。内容が何だろうと、返事は来たのだ」で、続けて「なら、南宋も征服すりゃいい」。第7幕で険しい山道を割り当てられたときも、この人は「兄上、きっと喜んでくれるぞ」と言っている。疑っていないからこそ成功し、成功するほど強くなり、強くなるほど危なくなるという配置になっている。
「災いは戦場以外にもあるかもしれない」
留守を守る天幕の場面は短く、そして重い。「神様、どうかトルイをお守りください」と祈る母に、子が「お祈りなんかしなくたって、父上は負けないでしょ」と言う。返ってきたのが「私もトルイが戦いで負けるなんて思わないわ。けれど、災いは戦場以外にもあるかもしれない」「力を持ちすぎると、恐れられ恨まれるもの」だった。子に「なら母上も気をつけて」と言われて返した「私を気にする人なんていないわよ」が、この幕でいちばん外れた一言になる。数分後、シタラは大カトゥンの前でこの人の名前を出している。
武器になったのは、質問ひとつだった
終盤の天幕で、シタラは講義の流れに質問を一つ混ぜる。チンカイが書記官不足を嘆いていた理由を尋ね、ボラクチンから偏りの説明を引き出したうえで、「大カアンのお力でどうにかならないんですか」と重ねる。「大カアンに弟の財産を着服させる気か」と返されると、「本当にそれでいいのでしょうか」「なんだか恐ろしいです」、そして「トルイ様も同じ思いでしょうか」で切り上げて帰る。結論を言わず、疑問符だけ置いていく。末子相続という制度上の当たり前が、兵だけでなく知識人まで一家に集めている、という事実の並べ方だけで、あとは相手が勝手に考える。ついでに書いておくと、公式の紹介によれば、最初に読み書きの人手不足を口にしたチンカイは帝国に仕えるウイグル人の元行商人である(※2)。モンゴルの内側の弱点を、いちばん先に言葉にしたのは外から来た人だった。
この幕にだけ、各話スタッフに「絵コンテ協力」の欄がある
公式サイトのストーリーページには、全八幕ぶんの各話スタッフが載っている(※1)。総監督は山田尚子、監督はAbel Gongoraで、シリーズ構成が加藤還一、演出チーフが藤倉拓也、アニメーション制作はサイエンスSARUである(※3)。監督にあたる二人を除いて担当の重なりを数えると、この幕にいくつか集まっているものが見えてくる。
配役も見ておきたい。シタラは関根明良、ソルコクタニは久野美咲、モゲは朝井彩加、そしてボラクチンはくじらである(※3)。ついでに数えておくと、スタッフとキャストのページに並ぶ配役は十六名で、キャラクターページのほうには二十二名が載っている。この幕でシタラを帳簿仕事に就かせたチンカイは、キャラクターページのほうにしか名前がない。
脚本は三人で回していて、この幕は「人物が開く幕」の担当
脚本の並びはこうだ。第1幕と第2幕と第5幕が加藤還一、第4幕と第7幕が井上美緒、第3幕と第6幕と第8幕が佐藤寿昭。佐藤寿昭の三本を並べると、第3幕はシタラが「ファーティマ」と名乗る幕、第6幕はドレゲネの過去が語られる幕、そして第8幕がボラクチンの内側が開く幕である。その人が何者かが開く幕に、同じ名前が並んでいる。
井上美緒のほうも面白い。担当は第4幕「炉の主(オッチギン)」と第7幕「兄弟」で、どちらも制度と兄弟の力関係の幕だ。そして第8幕でシタラが使った武器はオッチギン、つまり第4幕の副題そのものだった。人物が開く幕のなかで、制度の幕に置かれた道具が凶器として抜かれている。偶然かもしれないが、名簿の上ではきれいに揃っている。
演出チーフが各話に名前を出しているのは、三つの幕だけ
第8幕の絵コンテ・演出は村越麻海で、この名前が各話スタッフに出るのは第8幕が初めてになる。そして第8幕にだけ「絵コンテ協力」という欄があり、そこに演出チーフの藤倉拓也が入っている。藤倉拓也が各話スタッフに名前を出しているのは、第1幕・第2幕・第8幕の三つだけである。第1幕はシタラが勉強の意味を教わる幕、第2幕はそのすべてを奪われる幕、第8幕がその知識で人を落とす幕だ。
ひとつ注記がいる。日本語版のストーリーページでは、第1幕の欄に藤倉拓也の名前が無い。英語版の同じページを開くと、第1幕に演出助手にあたる欄があってそこに名前が載っている(※4)。日英で表記がそろっていないので、三つの幕という数え方は英語版のほうを採った。ついでに書いておくと、英語版の作品名は「Jaadugar: A Witch in Mongolia」で、題名のジャードゥーガルを魔女と訳している。
作画監督にも、石をまたぐ重なりがある
第8幕の作画監督は五人で、うち四人が前の幕にも入っている。なかでも堀江由美は第3幕・第5幕・第8幕の三本に名前がある。第5幕はジャダ石で濡れ衣を着せられる幕で、第8幕はそのジャダ石が毒消しとして効く幕だ。同じ石が呪具から薬に変わる二つの幕に、同じ名前が並んでいる。これも偶然の可能性は高いが、名簿の上ではそう並んでいる。
まとめと次回予想:見下ろす側に回った一幕
最後にボラクチンがモゲを外して「モゲが連れてくるまで、私はお前のような娘を見たことがなかった。お前は何者だ」と踏み込む。シタラの答えが「私はソルコクタニ様のもとにおりましたから」で、続けて「あの方は諦めておりません。トルイ様を大カアンにすることも、ご自分が大カトゥンになることも」。「なぜそれを私に打ち明けたのだ。次第によってはタダではおかないぞ」と凄まれても、「私は、オゴタイ様とあなた様に希望を見ました」「お二人の賢明さこそ、この世界を統べるにふさわしい」で受け流す。
帰り道の独白が、前の幕との差を出している
天幕を出たあとの独白が「油断ならない人かと思ったけど、案外扱いやすいわね」だった。第7幕では、別々の天幕にいる二人が同じ結論に達する、という描かれ方をしていた相手である。それが一幕で見下ろす側に回っている。読み違えているのか、本当に扱いやすいのかは、まだ分からない。公式の紹介文が「底知れぬ女性」と書いている以上、この独白のほうが油断に見えるという読み方も残る。
引きはオゴタイである。ドレゲネを呼び止めて「そう緊張するな、ドレゲネ」「お前に話したいことがある」で幕が下りる。ここから先は予想になるが、公式のオゴタイ紹介は「周囲をよく見ており思慮深く」で始まっている(※2)。よく見ている人が、名指しで呼び止めたという並びなので、次の幕で動くのはボラクチンよりオゴタイの側だろう。シタラが大カトゥンに置いてきた疑問符は、効くまでに時間がかかるように作られている。
出典
※1 テレビアニメ公式サイト ストーリー(第1幕〜第8幕のあらすじと各話スタッフ)/anime-jaadugar.com
※2 テレビアニメ公式サイト キャラクター(ボラクチン・ソルコクタニ・モゲ・チンカイ・オゴタイの紹介文)/anime-jaadugar.com
※3 テレビアニメ公式サイト スタッフ&キャスト(総監督・監督・演出チーフほか)/anime-jaadugar.com
※4 テレビアニメ公式サイト英語版 ストーリー(各話スタッフの英語表記)/anime-jaadugar.com




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