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第3話「黄色い栞」。講義後の空き時間に、冬月とテラスで過ごすのが空野の習慣になっていた。炭酸が飲めない冬月に頼まれてカップを飲み干し、初めてのカラオケでは苦手な歌を披露する——そんな距離の縮まりの中で、冬月が読む点字の本に挟まれた黄色い栞について尋ねると、その手作りの栞が強い風に飛ばされてどこかへ消えてしまう。後ろめたさから花火研究会に付き添った空野は、「花火を買いに行こう」という冬月の誘いを断れなくなる。




テラスの習慣と、炭酸ロシアンルーレット
売り切れの、いつものミルクティー
第3話は自動販売機の前から始まる。冬月小春が飲み物を選ぼうとすると、いつものミルクティーが売り切れていた。ボタンの位置を覚えて買っていたのに、その手段が使えない。そこで空野が「コーヒーとかジュースとか言ってもらえたら押すよ」と申し出るのだが、小春の返事は「適当なボタンを押してもらえますか。たまにはこういうことをしてみたいじゃないですか」だった。
空野の内心が正直だ。「そう言われても、目をつむって適当に飲み物を買おうなんて思ったこともなかった」。講義の後に時間が空くと冬月とテラスで過ごすのが習慣になっていて、前日に「よかったらテラス席でお茶しませんか」と連絡が来るので断りづらい、というのが二人の距離感である。
見えないことを不便としてではなく、「たまにはこういうことをしてみたい」という遊びに変えてしまうのが冬月らしい。その一言だけで、この回がどんな話になるのかが最初に示されている。
カップの縁の、リップの跡
受け取り口から取り出したカップに、小春は嫌な予感を覚える。案の定、中でシュワシュワと気泡が浮かんでいた。緊張した面持ちで口に運び、返ってきたのが「私、炭酸が飲めなくて。飲んだら喉が焼けそうになるんです」。ロシアンルーレットしなきゃよかったのに、という空野に、小春は「飲んでいただけないでしょうか」と頼み込む。
カップを手に取った空野が、ふと気づいて動きを止める。カップの縁にはリップの跡があった。「これ飲んでいいのか」「意識すれば負けな気がするし、気がつかないふりしても負けな気がする」——悩んだ末に、彼は一気に飲み干してゴミ箱へ捨てに行った。
見えている側だけが気づく小さな引っかかりを、音声解説つきの映像がわざわざ拾ってくるのがいい。冬月は何も知らないまま、空野だけが勝手にどぎまぎしている構図が、この二人の温度差として可笑しく残る。
初めてのカラオケ
行ったことのない場所へ
そこへ鳴海と早瀬優子が合流する。今日はもう講義もないし、みんなでどこか行こうという流れになった。ご飯でも、という話に、小春が「よかったらカラオケに行きませんか。前から一度行ってみたかったんです」と手を挙げる。行ったことがないと以前話していたのを、優子が覚えていた。
店に入れば、トップバッターの優子が達者に歌い、目を閉じてマイクを持つ鳴海もなぜか上手い。小春は「優子ちゃんって歌が本当に上手ですよね」と言いながら空野に近づき、二人の太ももが触れ合って空野が慌てる、という一幕もある。冬月はどうやって曲を入れるのか、と気にする空野に、優子が「私に言ってくれたら入れるよ」と応じた。
できないことを先回りして構えるのではなく、「誰かが入れればいいだけの話か」と受け流す小春の軽さが効いている。初めての場所を怖がるどころか楽しみにしている姿が、そのまま人物紹介になっている。
苦手な歌と、隣で笑う冬月
小春が選んだのは花火の曲だった。上手に歌い上げた後、次はと空野にマイクが回る。自慢じゃないが歌は上手くない、というか苦手だ——冬月の素晴らしい歌声の後では確実に場がしらける、と一度は「僕はパス」と逃げようとする。だが笑顔の小春に押されて腹をくくった。
歌いやすさを優先してなんとなく選んだ曲が、よりによってラブソングだった。「大切な君へ」「愛してると言える日々が」という歯の浮くような歌詞ばかりで、めちゃくちゃ恥ずかしくなる。見かねた鳴海がマラカスとタンバリンで盛り上げようとしてくれる。すると小春が「この曲、私も知っています」と耳打ちし、そっと一緒に口ずさんでくれた。
恥ずかしいのに、横で笑う冬月を見ていると歌うことが楽しくなっている自分がいた——という空野の変化が、この回の芯にあたる。壁に飾られた二頭のイルカがじゃれ合うように泳ぐ絵が光る演出も、二人の距離が縮んだ瞬間にそっと寄り添っていて上手い。
アンネの日記と、打ち上げ花火
点字の本と、黄色い栞
テラスに戻り、向かい合って座る二人。小春が読んでいる点字の本の正体が、ここで明かされる。「アンネの日記」だった。強く諦めずに生きた姿に「頑張ろう」と思える、とても好きな一節があるのでそこだけでも読み返してしまう、と小春は言う。点字を読むのは初めこそ時間がかかったが今は慣れ、自分で紙を撫でるのはオツなものです、とも。
緑色のカバーの本には、点字の書かれた黄色い栞が挟まっていた。小春が自分で作ったもので、何が書いてあるのかと尋ねると「空野くんにはぜひ読んでみてほしいですね」と笑う。気が向いたら解読してみるよ、という空野に、小春は「ああ、やっぱりそれやらないやつだ」と見透かしてみせた。
見えない側の読書を、不便としてではなく「紙を撫でるのもオツ」と語らせるところに、この作品の目線が出ている。栞に何が書いてあるかを明かさないまま先へ進むので、後でそれが飛んでいくことの重みが増している。
花火の人混みって、良くないですか
小春に打ち上げ花火は好きかと問われて、空野が地元の話をする。引っ越しが多く、最後に落ち着いたのが下関だった。海を挟んで下関と門司港の両岸から花火を上げる関門海峡花火大会があり、子供の頃に親と行ったが、日本で二番目に人が集まる大会とかで、人混みがすごくて花火が見えなかったという。
けど混むよ、という空野に、小春が返した言葉が忘れられない。「花火の人混みって良くないですか。みんなが夜空を見上げて、ワクワクして笑って、そんな人たちが周りにたくさんいるんです。そう考えると打ち上げ花火ってすごくないですか」。
面食らって言葉が出なかった、そんな見方をしたことはなかった、冬月の見ている世界はきっと僕とは違うんだろう——という空野の内心が、この回の主題そのものだ。同じ「人混み」を、避けたいものではなく喜びの集まりとして受け取る。見えないからこそ届く景色があると、説教くさくなく差し出してくるのがいい。
飛んでいった栞と、花火研究会
死ぬまでにやりたいこと、そして強い風
栞は大学生になってから作ったのだと小春が言う。「死ぬまでにやりたいことリスト」を作ったことはないか、と。空野の答えは「宝くじでも当てて、家に引きこもって本でも読んで暮らすこと」。それは死ぬまでにやりたいことというより、ただの欲望か——という自問に、小春が「人間、いつ死ぬとも限りませんよ」とにっこり笑い、すぐ「冗談です」と付け足す場面もあった。
空野が栞を本の上に置いた、その時だった。強い風が吹き、栞は宙を舞って建物の向こうまで飛ばされ、見えなくなった。立ち上がって追いかけた空野も、見失って肩を落として戻るしかなかった。「ごめん、しおりが風に飛ばされて」という謝罪に、小春は表情を変えずに答える。「いいですよ。しおりに書いてあったこと、覚えてますし」。
大切なものを失ったはずの当人がいちばん平然としているのが、かえって胸に残る。「人間いつ死ぬとも限らない」の直後に栞が飛んでいく並びは、明るい冬月の言葉にふと差す影を感じさせて、うっすら不穏でもある。
琴麦ゆういちと、腕の火傷の跡
小春が案内を頼んだのは花火研究会だった。キャンパスには航海士育成コースがあるためかポンドと呼ばれる船着き場があり、その前のプレハブで花火研究会が活動していると早瀬から聞いたという。栞をなくした後ろめたさもあって、空野は案内の誘いを断れなかった。
物置のようなプレハブの周りには、鉄製の筒がいくつも並んでいる。留守かと思ったところに現れたのが、すり竿とバケツを持った代表の琴麦ゆういちだった。「僕しかいないけど」と言う彼は、小春を見て「目が見えないのに花火に興味あるんだ」と応じる。近くで打ち上げ花火をやってみたい、という小春に、返ってきたのは「花火って危険だから。目が見えないと危ないよ」という言葉と、腕に残る火傷の跡だった。
テラスへ戻る道で、小春がぽつりと漏らす。「説明するのを諦められるのって、とても悲しいんですよね」。人間は情報の八割を視覚から得ているといい、アイコンタクトやジェスチャーができないと「どうせできないんでしょ」と諦められてしまう——。そのうえで立ち止まり、振り返ってこう言った。「諦めたくないな。花火やりましょうよ」。
琴麦の火傷は脅しではなく本物の警告で、彼が意地悪なわけではないのが分かる。それでも「危ないから」で線を引かれることの悲しさを、小春は静かに言葉にする。拒否する空野に「しおり、なくしましたよね。お願いします」と畳みかける押しの強さも含めて、この人の前向きさが一段深く見えた場面だった。
まとめ——電話越しに、意識する君
「一緒に買い物」を「デート」と呼ぶ人
その夜、寮の部屋で明日着る服を決めていた空野に、冬月から電話がかかってくる。待ち合わせ場所も時間も決めていなかったから、という用件なのだが、小春は「お話するのと電話って、こんなに違うんですね。すごく恥ずかしいです」と赤面してしまう。電話の向こうで照れている冬月を想像して、空野まで顔が熱くなる。
マンション前まで迎えに行くよ、という申し出に、小春が返したのが「それだとデートっぽくないじゃないですか」。明日ってデートなの、一緒に買い物に行くだけだよね、という空野に、「それをデートって言うんですよ」ときっぱり。愛宕橋のたもとに九時、と約束して、おやすみなさい、で電話は切れた。
大学であれだけ直接話しているのに、電話になると急に緊張が生々しくなる。その落差を丁寧に描くから、冬月がためらいなく「デート」と口にすることの意味が際立つ。枕に顔をうずめて耳の熱さを持て余す空野の姿が、この回の気持ちよい締めになっている。
冬月の見ている世界
第3話は、二人が少しずつ弱みを見せ合った回だった。炭酸が飲めない冬月と、歌が苦手な空野。見えないことで諦められる悲しさを打ち明けた冬月と、それでも花火の買い出しに付き合うと決めた空野。互いのできなさを差し出し合うことで距離が縮んでいく過程が、静かに積み上げられていく。
軸にあるのは、空野が「冬月の見ている世界」に惹かれていくことだ。花火の人混みを喜びとして語る冬月の見方に面食らい、点字を撫でる感触に興味を持ち、電話越しの声を意識する。一方で、明るい冬月が時折こぼす「いつ死ぬとも限らない」という言葉や、飛んでいったまま戻らない黄色い栞が、この物語にうっすらとした影を落としているのも見逃せない。次回はいよいよ、二人の「デート」である。




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