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『クレバテスII』第8幕「友の記憶」は、なぜ私は戦おうとしているのかというナイエの問いから始まる。出てきた答えが、子供の頃に読んだ勇者のおとぎ話だった。メリーメリーとレイの過去も差し込まれるが、メリーメリーの動機だけは憧れではない。そして終盤、レイにとって人生を変えた顔が、相手にとっては記憶する価値もない偶然だったと明かされる。




逃げる口実だった子供を、最後は口実抜きで守る
第8幕はナイエの回である。前回この人物を説明したのは、任務をきちんとこなしながら内心では魔獣王に会いたくないと思っている、という二重底の描き方だった。今回はその二重底が、そのまま反転する。
戦線の状況が、開幕の一言で分かる
尖兵が九体も来たということは、他の班はもう倒されている。一番頼りになるメリーメリーが真っ先に狙われたのが運の尽きだった。この二つの台詞だけで、戦況の説明が済んでしまう。倒しても倒しても湧いて出てくる相手に対して、こちらは魔力もスタミナも有限だ。
そのうえでナイエの内心が明かされる。この子を助ける名目で逃げたものの、それもここまで、と。生徒を守るという行為が、戦線から離れるための口実として使われていたことになる。前回の「それがA班の務めです」と同じ作りで、嘘は言っていないが本音は別にある。
「私だけならこれで逃げられます」
だから戦闘中、横が手薄になった瞬間に、あの隙間があれば私だけなら逃げられる、と本人が正確に計算する。逃げ道を見つけたうえで、それはないと自分で否定する。この一往復があるので、以後の奮闘が根性論にならない。逃げられると分かっていて残っている。
そこで出るのが、この回いちばんの問いである。なぜ私は戦おうとしているんでしょうか。あの子供が魔獣王だとは気づきようがなかった、あれに慈悲はないだろう、この状況でこの子に及んで、と条件を並べたうえで自分に問う。戦う理由を、戦いながら探しているのがこの回のナイエだ。
相手の性質も嫌らしい。倒しても倒しても湧いて出るだけでなく、討ち取った個体も再生する。術が解ける前に次を、と追われ続ける消耗戦で、こちらの手数だけが減っていく。勝ち筋がないと分かっている戦いを、逃げ道を見つけたうえで続けているという状況が、この回の緊張の作り方になっている。
倒れたメリーメリーへ向けた私はあなたを救えませんでしたという詫びも、この流れの中に置かれている。救えなかったと認めたうえで、それでも目の前の子供は離さない。残りの数を数えながら戦い続ける描写が続くので、憧れという動機の軽さと、置かれた状況の重さの落差がはっきり出る。
答えは「勇者のおとぎ話を読んだから」
問いに対する答えの出し方が、この作品らしくて良い。立派な使命感でも、教師としての責任でもない。
「いつだって勇者は、子供にとっての憧れだから」
なんでこんな風に思ってしまうのか。勇者みたいだから。たぶん子供の頃に勇者のおとぎ話を読んだからだ。いつだって勇者は子供にとっての憧れだから。理屈としてはそれだけで、しかもナイエ本人が自分の動機を子供っぽいものとして自覚している。
そこから話が広がるのが上手いところで、あの子たちも、あの先輩も、みんなそうだと続く。奥底の憧れが、戦う理由につながっている。この一般化が、今回のあとの展開すべてを縫い合わせる糸になる。視聴者からも、おとぎ話を読んだ皆の心の中に憧れの勇者がいるという回だった、という読みが出ていた。
副題の「幕」という数え方が効いてくる
この作品は各話を「幕」と数える。第8幕の副題は友の記憶で、公式サイトのスタッフ欄を見ると、絵コンテと演出を竹内雅人と横屋健太の二人が分担し、作画監督は七名が並ぶ。戦闘作画への評価が高かったのも納得の布陣である。
構成としても、ナイエの回想、メリーメリーの回想、レイの回想が順に積まれていく。戦闘の合間に三人分の過去が差し込まれる形で、しかもそれぞれ動機の質が違う。同じ戦場に立っていても、立っている理由は同じではないという作りになっている。
メリーメリーの理由だけが、憧れではない
今回もう一つの掘り下げがメリーメリーで、こちらの回想は舞台がまるごと違う。剣も魔獣も出てこない。出てくるのは遺産相続争いである。
大おばさまが残したかったもの
人間性の師であり憧れだった本家の大おばが、膨大な遺産をめぐる醜い争いに翻弄されていた。笑顔を絶やさないまま体は消耗していき、あなたには迷惑をかけてしまうわね、と言い残して翌日に息を引き取る。資産の七割をメリーメリーに相続させるという遺言を残して。
なぜ選ばれたのかを、誰も理解していない。機嫌取りが上手かったからだと思われている。だが本当の理由は、大おばが残したかったのは景色そのものだったからだ。穏やかに移ろう季節、風の匂い。それを理解できる人間が自分以外にいなかった、ただそれだけ、と本人が言う。
「騒がしいものを黙らせるためには、何者にも屈しない力がいる」
そこから導かれる結論が、私は穏やかなことが好きで、そうでないものは大嫌い、騒がしいものを黙らせるためには何者にも屈しない力がいる、私は力が欲しいである。彼女の術が、暴れる者に絡みつき絶対的な静寂を課すものであることまで、この動機と一続きになっている。
ナイエが憧れで戦っているのに対して、メリーメリーは静けさのために戦っている。今回は全員の底に勇者への憧れがあるという話をしながら、その例外を同じ回にきちんと置いている。だからこの回は、ただ勇者を讃えるだけの話にはなっていない。
その力の中身も、動機とまっすぐつながっている。彼女の糸は暴れる者に絡みつき、絶対的な静寂を課すものだと説明され、仕留めるときの言葉も穏やかに死ね、である。騒がしさへの嫌悪がそのまま術の性質になっていて、戦い方を見れば動機が分かるという作りになっている。
レイとシロ、歯車が噛み合った日
後半はレイの回想に切り替わる。クレンの顔をどこで手に入れたのかと詰め寄る場面から、話は一気に過去へ飛ぶ。
出会いはインチキ商売の現場だった
二人が出会うのは、魔剣と称した剣を売りさばく親子の商売の場である。刺しただけで魔獣が死ぬのは剣の力ではなく、仕込んだ猛毒のせいだと少年があっさり明かす。トリックだよ、誰にも言うなよ。真の勇者の話をする回の出発点が、勇者の道具を騙って売る現場だというのが皮肉が効いている。
そこから語られるのが歯車の話だ。運命には歯車がカチリとはまる瞬間があり、噛み合うと別の歯車も一斉に回り出す。この出会いはきっと世界を変えるよ、僕と君のいるこの世界をね。名乗り合った直後のほら聞こえた、歯車が噛み合う音という一言まで含めて、少年の側が完全に主導している。
勇者と、それを導く大賢者
二人の夢も対になっている。シロの夢は勇者で、商売と訓練で剣の腕には自信がある、そう遠くない未来におとぎ話のような本物の勇者になるのだと言う。それを受けてレイが選ぶのが勇者を導く大賢者である。賢者の方が勇者より偉そうだろ、という軽口まで付く。
レイの評価も重い。あいつの中に勇者を見た、生まれや育ちを超越した真の勇者の姿、あいつこそが世界で一番勇者になるべき人間だった。そして今年の勇者に挑戦すると宣言した直後、シロが留守番していた土地が魔獣王に襲われて全滅する。勇者になると言った日が、そのまま最期の日になっている。
その日の会話まで具体的に描かれる。父は剣の仕入れで別の街へ行き、自分はいつものように留守番をする。それでね、決めたよ、と切り出して、今年の勇者に挑戦する、応援してくれよなと続ける。挑戦を告げた場所が、そのまま襲撃を受けた場所になった。知らせを聞いたレイが、なぜそこへ行ったのかと繰り返す場面で回想が切れる。
まとめ、同じ顔が、片方には人生で片方には偶然だった
副題の「友の記憶」が、二重の意味で効いてくるのが終盤である。レイにとってその顔は親友の記憶だが、その顔を使っている側にとっては、まったく別のものだった。
「意図も思い入れも」ない
問い詰められた魔獣王の答えがこうだ。確かに殺した、と言っても狙ってではない、ただの巻き添えだ。どう死ぬに至ったのかも知らない。顔を真似ようとしたとき、たまたまその者しか顔を覚えていなかった。それだけで、意図も思い入れもない。
ここが今回いちばん残酷な部分である。レイにとって人生を変えた出会いと死別が、相手にとっては記憶する価値もない偶然だった。あの日に噛み合った歯車の音を聞いていたのは、片方だけだったことになる。ずっと注視していた理由を問われて、この顔に気づく者が現れたのは初めてだと返すあたりも徹底している。
「真の勇者に最も重要なピースは、友を思う心だ」
締めくくりに現れるヴォーデインの言葉が、この回の全部を回収する。人族を舐めすぎだと諫めたうえで、真の勇者に最も重要なピースは友を思う心だと教える。ナイエが逃げずに残ったのも、レイが戦い続けるのも、シロが挑戦を決めたのも、全部そこに帰る。
そう考えると、この回で唯一その条件を満たしていないのが魔獣王の側になる。顔だけを借りて、思い入れは持たなかったのだから。勇者伝承が偽りだったという大枠を扱う作品で、偽りでない部分を一つだけ指し示した回だったと言える。ちなみに戦闘の直後に口から何かが出てくる場面が挟まるなど、緊張の抜き方も相変わらずである。
戦闘そのものも見応えがある。加速と肉体強化を重ね、さらに加速を上乗せして食らいついていく。相手に化け物と言われる側がレイのほうだというのが、この作品らしい転倒だ。大賢者を目指していた男が、剣で殴り続けているのも、あの日の約束の片割れがもういないことの表れに見えてくる。




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