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『鬼の花嫁』第九話の副題は「自覚」。これまでで最も短い二文字だが、胸の内を口に出すのは柚子だけではない。そしてこの回のすれ違いは隠しごとから起きていない。関わった全員が本当に見たものを正直に伝えていて、それでも全員がずれる。車の窓、写真、同人誌と続いた誤解をほどいたのは証拠ではなく、頭を下げた人から順に何かを受け取っていく並びのほうだった。




副題「自覚」は、柚子ひとりの話ではない
公式サイトに並んだ第九話の副題は「自覚」。二文字だけで、これまでの九本のなかでいちばん短い。「運命」「特別な存在」「決断」と来て、「花嫁への愛は永遠か?」のように問いの形になった回もあったが、この回はそのどれよりも素っ気ない。
柚子が玲夜への気持ちを言葉にする回だから「自覚」なのだろう、と読むのが素直だ。ただ本編を通して見ると、自分の胸の内を口に出すのは柚子だけではない。むしろこの回は、登場人物が順番に本心を白状していく構造になっている。
順番に本心を口にしていく
玲夜は「俺は何度も言ったはずだ。お前を愛していると」と繰り返しを主張し、柚子はついに「玲夜が好き」と言う。桜子は「私の勘違いにより悲しませるようなことを言ってしまい、申し訳ございませんでした」と誤りを認める。高道は「少しだけ羨ましかったのです」と嫉妬を認める。
玲夜ですら、自分の落ち度を先に口にしている。「最初からそうしていれば、柚子を悲しませることもなかったのに」「護衛を置いていれば大丈夫だろうと油断していた」。四人が四人とも、責められる前に自分から言っている。副題が二文字で済むのは、これだけの人数が同じ動作をするからだ。
この回、誰ひとり嘘をついていない
柚子と玲夜のすれ違いは、恋愛ものによくある「隠しごと」から起きていない。関わった全員が、自分が本当に見たものを正直に伝えている。それなのに全員がずれる。
車の窓と、写真と、同人誌
柚子が見たのは車の窓越しの一場面だ。玲夜の確認は「ちゃんと見たのか」「柚子からだと高道が背を向けていたはずだ」。答えは「でも、しているように見えたから」で、正体は「俺のネクタイについた汚れを高道が取っていただけだ」。玲夜の言葉を借りれば「お前の早とちりだ」。
桜子が突きつけた「証拠」も同じ理屈で崩れる。「これのどこが証拠になる」「そう見えるように撮っただけだろう」。同じ回で、角度のせいでそう見えたという話が二度出てくる。柚子は窓から、桜子はレンズから。どちらも実在するものを見ていて、位置だけが悪かった。
そして極めつけが、桜子が学園の漫画同好会に描かせたという冊子だ。見えたつもりが、ついに作品の形で量産されている。しかも桜子は「これはほんの一部です」と平然と言う。悪意ではなく、確信が生んだ生産量である。
最後に効いたのは証拠ではなかった
写真も冊子も否定した玲夜が、自分の潔白を示すために出したものは何もない。代わりに言うのは「俺と高道はただの主人と秘書の関係だ」「それ以上でもそれ以下でもない」、そして「信用しろ。お前が惚れた男を」。
目に見えるものが全部当てにならないと分かった直後に、目に見えないものを差し出して終わる。柚子の返事が「玲夜が好き」で、そこに「だと思う」が付いてしまい、「最後のは余計だ」と即座に削られるのも良かった。
誤解の材料を作ったのは、誤解された本人だった
この回でいちばん効いた説明は、玲夜でも高道でもなく、桜子の兄である桜河の口から出る。
責められるべきは妹だけではない
「そのことは一概に桜子だけを責められないっていうか、原因は玲夜様と高道にもあったりするんですよ」。理由はこうだ。「玲夜様って、どんな美女から声をかけられても見向きもしないじゃないですか」「しかも男性にも厳しいし」「けど高道だけは一緒にいることを許したり、接し方が優しいから」。
つまり玲夜が誰にも心を開かないという性質そのものが、たった一つの例外を恋人に見せていた。噂の出どころは第三者の悪意ではなく、本人の振る舞いの偏りだった。玲夜が「高道と桜子はあんな性格だったか」と驚けば、桜河は「玲夜様が人に無関心すぎるだけで、この二人は昔からこんな感じですよ」と返す。周りが変わったのではなく、見ていなかっただけである。
噂は間違っていたが、羨ましさは本物だった
終盤、高道は柚子に頭を下げたうえで、こう付け足す。「認めたくないですが、あまりにも玲夜様が優しい眼差しを向けられるので、少しだけ羨ましかったのです」。関係の中身は嘘でも、その材料になった感情のほうは実在していたという白状だ。
桜子の側も動機は悪くない。婚約者に選ばれた当時を思い出す場面で、「その背中は時に寂しく見えていた」と語られる。寂しそうな相手に支えができたと思ったから、見守ることに決めた。勘違いの出発点が善意だったぶん、玲夜の「二度目はない」がよけいに重い。
玲夜の手当ては、外側にしか届かない
冒頭の玲夜は、前回の一件の後始末に追われている。並べてみると、打つ手がひとつの方向に偏っているのが分かる。
護衛、結界、そして盗聴器
護衛は交代させ、祖父母の家には「あの家に結界でも張るしかないな」と自分で張ることにする。子鬼が戦闘力に霊力を回したせいで意思の疎通が細っていると聞けば、「アクセサリーに似せた盗聴器を用意しろ」まで行く。高道の「さすがに嫌がられると思いますよ」が、視聴者の代わりに一言添えてくれる。
ところがこの回で柚子を傷つけたのは、見張りでは防げないものだった。穴が開いたのは家の外周ではなく、車の窓から見えた一場面のほうである。守りを厚くする発想では届かない場所に、最初のひびが入っている。
強く出られない相手が続けて出てくる
祖父母の引っ越しは断られる。理由は「長年住んでいて愛着もあるし、柚子様との思い出も深い家を離れたくない」。玲夜の反応は「そう言われてしまったら、強くは出られない」。あやかしの頂点に立つ家の次期当主が、二度続けて力の通じない相手に当たっている。
同じことは実家の側にも当てはまる。会合で顔を合わせた父についての内心が「ふざけた言動をしているが、やはり鬼龍院家の当主」「見た目ではその力量は測れないという代表のような存在だ」。見た目では測れないという教訓を持っている当人が、この回では見た目で測られる側に回る。父の別れぎわの「今度は狐につままれないように気をつけるんだよ」も、ふざけた口調のまま前回の件を的確に刺している。
柚子が言ったのは「認めて」ではなく「教えて」だった
誤解が解けたあと、柚子は使用人たちの前で自分の立場を整理して話す。ここでの言葉の選び方が、この回でいちばん静かな山場になっている。
先に足りなさを数えてから頼む
「私はただ花嫁というだけで、皆さんに親切にしてもらっています」「皆さんが私に複雑な気持ちを抱かれるのは当然だと思います」。桜子の所作、高道と桜河の年季を数え上げたうえで、「それに比べて私は何の取り柄もないただの人間で、本当ならこんなすごい家とは全く縁のないはずでした」と続ける。
そこから出てくる要求が、「だから皆さんにもっと教えていただきたいです」だった。「この家のこと、あやかしのしきたりのこと、そして玲夜のこと」。花嫁という肩書きを盾にせず、知らないことを先に認めてから頼んでいる。前回の実家で「玲夜が私をどう思っていても関係ない」と前提を切り離した人と、同じ立て方だ。
第一話の副題が、疑っていた側の口から出る
これを聞いた高道の内心が「ああ、この子はやはり何も分かっていない」で始まるので、一瞬身構える。ところが続きは「何の取り柄もないただの人間などではない」だった。否定していたのは柚子の立場ではなく、柚子の自己評価のほうである。読者の身構えごと反転させる運びが上手い。
続く一節が「二つの孤独な魂が、まるで運命の糸に手繰り寄せられたように出会い、響き合った」。第一話の副題は「運命」で、その言葉がここで、いちばん最後まで柚子を認めていなかった人物の口から戻ってくる。そのうえでの「花嫁があなたでよかった」であり、「玲夜様が初めて心安らげる場所を見つけられた」である。
頭を下げなかったのは、最後の一人だけ
この回は、頭を下げた人から順に何かを受け取っていく。桜子は謝って許され、高道は嫉妬を認めて感謝され、玲夜は油断を認めて張り直し、柚子は分からないと認めて教わる約束を得る。そして最後に、下げない人が映る。
溺愛していた側が、詫びを頼みに来る
謹慎中の花梨のもとに両親が現れる。花梨は「心配して迎えに来てくれたのね」と受け取るが、用件は違った。「ちょうどよかった。柚子に謝ってくれないか」。狐月からの援助を切られ、遠くの地へ移るよう言われたので、柚子から話をつけてもらえというのである。
花梨の答えは「いやよ。どうして私がお姉ちゃんに頭を下げなきゃいけないの」。すると返ってくるのが「お前はいつもそうやってわがままばかり」「あなたがもっとしっかりしていれば、狐月に見捨てられることもなかったのに」だ。責める相手が入れ替わっただけで、言い方は一字も変わっていない。柚子に向けていた型が、そのまま花梨に向く。
数え上げの形が同じで、中身だけが逆
締めの独白で、花梨も自分の気持ちを数え上げる。「あんなに可愛がってくれたのに」「いつも周りに私のことを自慢して」「瑶太だって優しくて、私のお願いは何でも聞いてくれたのに」。前回、柚子が初めて口に出したのは「してもらえなかったこと」の一覧だった。花梨が並べるのは「してもらっていたこと」の一覧で、形は同じで中身だけが正反対になっている。
結論は「お姉ちゃんが花嫁に選ばれてからおかしくなった」「凡人のくせに。特別な私とは違うのに」。ただし変わり目を作ったのは、前回みずから瑶太に頼んだ一件のほうだ。瑶太は瑶太で「俺はお前が好きだ。お前の願いなら何でも叶えてやりたい」と本心を言いながら、「だけど撫子様に逆らえば、妖狐一族の中では生きていけない」と続けざるを得ない。
花梨の「花嫁は大切にされるんじゃなかったの?」は、まさにこの回で柚子が受け取っているものだ。同じ肩書きが、片方には教えてくれる人たちを連れてきて、もう片方には謹慎を連れてきた。違いは肩書きではなく、頭を下げたかどうかにある。副題が「自覚」で、最後の一人だけが最後まで自分を見ないまま終わるのは、そういう並べ方なのだと思う。




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