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第9話の副題は「お嬢様の休日」。変装して現れた美麗が、その日のうちに、いつもの髪の色も口調も自分で作ったものだと明かす。変装を脱いだ先に素顔があるのではなく、いつもの姿のほうが作り物だった。そして夜、義務として背負ってきたはずのものが、実は逃げ場だったと本人の口で言い直される。断ったのは、家が決めた縁談のほうだけである。第8話までの重さが、ここで一気に解ける。




出かける前から、目的だけは決まっていた
仕事以外の外出は、これが初めてだった
第9話は伊月の独白から始まる。よく考えたら、お世話係になってから仕事以外で出かけるのはこれが初めてだ。庶民の息抜きを教えるという名目の外出が、当人にとっても未経験の行事だったことが最初に置かれる。誘ったときの返事は、そうですわね、せっかくですからご一緒させていただきますわ、である。乗り気に見えて、どこか片づけの手つきに近い。伊月はそこを聞き逃していない。せっかくですから、という言い回しは、次があると思っている人はまず使わない。
最後の思い出にはさせない、という前提
続く一行がこの回の設計図になっている。あれはまるで、貴皇学院を去る前に最後の思い出を作ろうとしてるみたいだった。そうならないように、俺は努めるだけだ。楽しませることが目的ではなく、この日を最後にしないことが目的だと、出発前に宣言されている。第8話で美麗が口にした、縁談が成立次第この学院を去ることになる、という予告に対する返答が、丸一日かけたこの外出そのものだ。
変装して現れた人が、素顔のほうを明かす
今の私といつもの私、どちらが好みですか
待ち合わせに現れた美麗は帽子をかぶり、いつもとまるで違う格好をしている。驚きました、変装ですわ。街の中で変に目立たないように、という理屈もきちんと用意されている。そして、今の私といつもの私、どちらが好みですか、と尋ねる。伊月の答えは、いつもの天王寺さんかな、である。理由として挙げたのが、そのほうが自然体な気がするから、だった。この一言が、数十秒後にひっくり返る。
髪も口調も、幼い自分が作ったものだった
その髪、本当は染めてるんだよな。二人の間に嘘はなし、だろ。第8話で結ばれた約束が、さっそくこう使われる。返ってきた答えが重い。幼い頃、どうすれば天王寺家の令嬢にふさわしくなれるかと考えて染めましたの。この口調もそうですわ。自然体だと言われたほうが、実は本人が設計した装いだった。今日の変装を脱いだ先に素顔があるのではなく、いつもの姿のほうが作り物だったわけだ。返しは、詐欺師ですわ、口が上手いこと、である。
庶民の遊びは、娯楽ではなく勝負として差し出される
一度も勝てないまま、最低の気分になる
ゲームセンター、ボウリング、カラオケ。全部行きますわよ、私が勝つまで逃がしませんわ、と宣言した結果が惨敗である。感想は、最低の気分ですわ。ゲームは一度も勝てず、ボウリングもボロ負け。カラオケだけは競り合ったのに、それでも満足できないと言い切る。ちなみに伊月がこの店に詳しいのは、ここでバイトをしていたからだ。私は初めて来ました、とても刺激的な場所ですわね、という感想が並ぶ。案内する側が働いていた場所を、案内される側が生まれて初めて訪れる。二人の距離が、そのまま店の中に置き換わっている。
楽しませるのではなく、悔しがらせている
負けっぱなしの一日を見て、伊月が言うのが、でも思った通りだ、天王寺さんは勝負事なら楽しんでくれるだろうって、である。この人に差し出すべき娯楽は、癒しではなく勝ち負けだと最初から見立てていた。おかげさまでこんなに血がたぎりましたので、という返事がその答え合わせになっている。第8話で此花雛子に勝つと宣言した人物に対して、勝てない相手をぶつけたわけだ。なお道中、伊月は前の高校の同級生を見かけて、声をかけずにその場を離れている。
楽しいだけでは、断る理由にならないのか
縁談を断れば、またいつでも続きができる
帰り際、今日はこのあたりにしておくか、という言い方に美麗が反応する。意地悪な言い方をしますわね。そこで置かれるのが、縁談を断ればまたいつでも続きができるぞ、である。一日の楽しさを、そのまま交渉材料に変える。美麗は、確かに楽しいひとときでしたが、縁談は天王寺家の将来がかかった重大なことで、と正論で押し返す。これに対する問いが、楽しいだけじゃダメなのか、それだけで断る理由にならないのか、だった。
天王寺家のためなら何でも捨てるのか
なるわけありませんわ、と声が裏返る。そこへ、縁談のために学院も辞める、それで本当にいいのか、と重ねられる。伊月が持ち出すのは重圧への同情ではなく、両親の見立てのほうだ。あの人たちはきっと、天王寺家ではなく天王寺美麗のことを大事に思っている。美麗の反論は、それは気のせいですわ、優しいから無理強いをしないだけです、本心では家のために生きてほしいはず、である。ここまでは第7話までと同じ壁だった。
決め手になったのは、朝に本人が明かしたことだった
金色の髪と、変な口調
そんなわけないだろ、と伊月が声を荒らげる。髪を金色に染めて、いつも変な口調で喋って、それが天王寺家のためになると本気で思っているのか。朝いちばんに引き出した告白が、そのまま夜の説得の武器になっている。第8話の約束は嘘を禁じただけの取り決めだったが、そこで出てきた本当のことが、ここで彼女を助ける材料に化けた。約束を作った側の想定にはなかった使い道だろう。
それでも両親は、何ひとつ文句を言っていない
続く一手が効く。それでも天王寺さんの両親は、何ひとつ文句を言ってないんだろ。髪も口調も家のためだと言うなら、家の側が何も注文していない事実の説明がつかない。あの人たちは何よりも天王寺さんの幸せを願っているはずだ、その思いとちゃんと向き合っているのか。第8話の冒頭で、幼い美麗が両親に貢献の可否を確認して回っていた回想が置かれていたが、あれの答え合わせがここで行われる。
義務は重荷ではなく、逃げ場のほうだった
止めていたのは親で、断っていたのは本人だった
笑ったあとに始まる回想が短くて強い。夜遅くまで勉強を頑張っているようだけれど、あなたはもっと自由に生きてもいいのよ、と母が言う。返事は、心配無用ですわ、これは私自身が選んだ道ですもの。父も、マナーを守るのはいいことだが、たまには気を抜いてもいいのだぞ、と言う。返事は、問題ありません、この程度はやってみせますわ。両親は二度とも止めていて、二度とも本人が断っている。
「そのほうが簡単ですから」
そして自己申告が出る。いつからか私は目を背けてばかりで、逃げていたのですね。二人の娘になる自信がなくて、天王寺家の令嬢になる道を選んだのですわ。そのほうが簡単ですから。テストでいい点を取ったりマナーを守るほうが、親の思いに応えることよりよっぽど楽だった、と続く。ここまで義務として描かれてきたものが、実は避難所だったと本人の口で言い直される。第7話の、私は自由に生きています、という言い切りの底が抜けた瞬間だ。
騙されてあげます、という受け取り方
詐欺師と呼び続けた相手に
どうして私にそこまで言ってくれるのか、と問われた伊月の答えは、俺も天王寺さんにはできるだけ幸せに生きてほしいからだ、である。今日の経験が家のためにならなくても、自分にとって貴重だと思うなら捨てないでくれ。それを受けた一言が、あなたに騙されてあげます、だった。第8話から続く詐欺師という呼び名が、ここで受諾の言葉に変わる。悪態のかたちを保ったまま、中身だけが降参になっている。
貴重だったのは、経験のほうではない
縁談は断りますわ、これだけ貴重なものを手放すわけにはいきませんから。伊月が、正直、今日の経験が本当に貴重だったかというと自信はないが、と照れ隠しを挟むと、訂正が入る。そうじゃありません、あなたが貴重なのですわ。誘い文句として使われた貴重という語を、対象ごと言い換えて返している。断りの理由が家でも将来でもなく、目の前の一人になった時点で、第7話から続いた名前のない気持ちには、もうほとんど名前がついている。
勝てなかったのに、学院に残る
実力試験の結果は満点が二人、雛子と美麗である。つまり第8話で立てた必ず勝ってみせますという宣言は、達成できていない。それでも学院を出ていく話は消えている。勝てば残る理由がなくなり、負ければ悔いが残るという、どちらに転んでも損をする条件を組んでいたのは本人だった。その条件を無効にしたのは試験ではなく、縁談を断ったほうである。伊月への評も、点数の伸び方なら断トツでは、あとは今後も努力し続ければいいだけですわ、と前を向いている。
断ったのは、家が決めた縁談のほうだけだった
天王寺の娘としてではなく、友人として
その夜、美麗は雛子と伊月を自宅に招く。理由を尋ねられての答えが、天王寺の娘としてではなく友人としてもっと親しくなりたいと思っただけですわ、である。第6話では因縁などないと言い、第8話では先を行かれるわけにはいかないと言った相手に、三度目でようやく友人という語が出た。雛子が選んで持ってきた花を受け取る場面まで含めて、両親がうちの子が成長していると涙ぐむのも無理はない。
父の打診と、必ず私を選ばせてみせますわ
父からは、天王寺グループに興味はないか、うちに婿入りする気はないか、と直球が飛ぶ。根拠は、どうやら美麗は恋愛結婚を望んでいるようだ、である。娘に叱られて引き下がったあと、美麗自身が言う。あながち冗談とも限りませんわよ。今の私にとって、あなた以上に仲の良い異性は存在しませんから。そして、もしそのような時が来れば必ず私を選ばせてみせますわ、で締める。断ったのは家の決めた縁談だけで、縁談そのものではなかった。
第9話のまとめと、次に見ておきたいところ
締めは雛子に移る。あの日何をしたのかを聞き出し、全部行く、と言い出す。第8話で美麗がやっていた差分を潰す作業を、今度は雛子がやっている。三週間後の競技大会は種目が自由で、成績には影響しない。それでも雛子が優勝すると言い出した理由が、父の指示ではなく、最近ちょっと丸くなったと言われたことなのが可笑しい。そこへ成香が助けを求めて駆け込んでくる。焦点は次の一人へ移る。




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