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『猫と竜』第9話の副題は「白猫とぐうたら少女」。シロタエの根気強い指導で、ガリーはついに爆炎以外の火の魔法を出せるようになる。ところが効いたのは理屈ではなく、羽のおじちゃんの背中を焦がしたという失敗談だった。そしてできた直後に、これが才能の問題ではないことがはっきりする。司祭が出す答えも教え方の工夫ではなく、いろいろなものを見せることのほうだった。




シロタエの一日は、全部が「仕事」として数えられている
第9話は孤児院に居ついたシロタエの一日をなぞる形で進む。おもしろいのは、その一日が最初から最後まで仕事として数え上げられていることだ。朝一番の仕事は子供たちを起こすこと。そのせいで毎朝もみくちゃにされる。午後の仕事は子供たちを洗うこと。魔法で水を出して手を洗い、ついでに自分も洗う。そして一日の最後の仕事が寝かしつけである。
一日の入口はスープの匂いである。ここ最近の自分の一日はスープの匂いで始まる、というナレーションから第9話は動き出す。第5話でこの猫の胃袋をつかんだのがガリーのスープだったから、この猫の一日は、自分を捕まえた匂いで毎朝始まっていることになる。食卓に出るのが昨日の残りでも、やっぱりおいしい、と言われる。ガリーが魔法の練習をあれだけ面倒くさがる一方で、料理だけは毎日きちんと回している事実が、ここで静かに置かれている。
第5話で森を出たときのシロタエは、まだどんな猫も見たことがない自分だけの縄張りを探していた。それが今では毎日水を浴びる猫になっている。本人も「まさかオイラが毎日水を浴びる猫になるなんて」とこぼす。縄張りを探しに出た猫が、他人の家の当番表に組み込まれているわけだが、その言い方に嫌そうな響きがまったくない。
寝物語が、第6話の一話ぶんだった
本人いわく一番きついのが寝かしつけで、しっかり遊ばせたあとにお話の時間が来る。そこでシロタエが語り出すのが、自分のいた森にも畑があった、猫じゃらし畑だ、という話である。第6話がまるまる一話をかけて描いた猫じゃらし畑の来歴が、ここでは寝物語として一往復で終わる。子供たちの反応は猫じゃらし、という聞き返しだけだ。同じ話が、聞く相手によって一話にも数秒にもなる。
狩りを引き受けているのは、教える側のほうである
ガリーが使える魔法は爆炎ひとつだけで、威力が強すぎるから獲物が残らない。だから狩りには向かない。この理屈は第5話からのもので、間違ってもいない。ところが第9話では、その理屈が労働から降りる根拠として運用されている。爆炎の魔法だと全部吹き飛んじゃうしさ、と言われれば反論できないので、狩りはすっかりシロタエの仕事になっている。
練習させるために、先に代金を払っている
それでもシロタエが引き受けるのは、条件を付けているからだ。必要な分の獲物が獲れたら魔法の練習、という取引である。教える側が獲物を獲り、その対価として練習の時間を買っている。しかも当のガリーは、その日の獲物を運ぶ荷物すら、白にゃんこは魔法が得意なんだからいいじゃない、と押し付けてくる。授業料を払っているのが先生のほうだ、という関係がずっと続いている。
ついでに書いておくと、シロタエの狩りの腕も完璧ではない。小鳥一匹捕まえられず、木から落ちて尻を打つ。うまくいくときは捕まえられるのに、と言い訳したところへ、うまくいったの見たことないけどね、と返される。教える側の権威が、その場でいちいち崩されている。
説明では動かず、失敗談で動いた
練習はまず知識の確認から始まる。人間の魔法は呪文や道具に力を通して現象を起こすもの、猫の魔法は力そのものを現象に似せるもの。ガリーはこれをすらすら答える。覚えていないのではなく、覚えたうえでやらないことが、開始三十秒で確定する。
一方で、教える側は準備をしている。シロタエは司祭に人間の魔法の練習法を聞き、それを自分の練習に取り入れている。畑仕事の時間に大抵寝ていたのが今では練習にあてられていて、本人も森を出たときより魔法がうまくなったと自覚している。猫の魔法を教えるために、人間のやり方を借りてきているわけだ。飽きないのかと聞かれても、魔法のいい練習になるからね、と返す。この回で外から何かを取り入れているのは、最後まで教わる側ではなく教える側のほうである。
魔力を集める、という言葉が通じない
手本を見せられても、出てくるのは火もどきである。ちゃんと熱いし光っているのに違う。ガリーの側からは「魔力を集めるっていうのが意味? いまいち分からないんだよね」という反応が返る。ここでシロタエが取れる手はもうない。手本は見せた、言葉でも言った、それでも届かない。
そこでガリーが投げるのが「火ってなんだろう」という質問だ。哲学的だね、と受け流されるが、続けて出てくるのはもっと具体的な疑問である。白にゃんこの魔法の火は火じゃないのに、どうして燃え移るのか。ここが分岐点になる。
効いたのは理屈ではなく、焦がした話だった
シロタエの答えは理論ではない。それなりに熱いものを押し付けると物は結構燃える、羽のおじちゃんの背中に木の棒を押し付けたら燃えたことがある、という自分の悪事の報告である。羽のおじちゃんって物騒なんだね、確かに見た目は物騒かな、という噛み合わない受け答えまで付く。ところがこの一件だけがガリーに刺さる。
決め手になるのは、そこで起きた小さな爆発である。今のちっちゃな爆発を見たらなんか分かった、とガリーは言う。唯一使える魔法を小さくしたものが、そのまま次の魔法への橋になった。しかもガリーの言語化は「ギュッとしてシューって感じで最後にバーンって感じなの」で、シロタエには全然意味が分からない。教える側の説明も、教わる側の擬音も、どちらも相手に通じていない。それでも火は出る。
できた瞬間に、才能の問題ではないと確定する
火が出たあとのガリーの第一声は、じゃ帰ろ、である。シロタエは慌てて止める。その感じを忘れないうちに練習しなきゃ、何度も練習して体に覚えさせるのが上達への近道だ、と正論を並べる。返ってくるのは、白にゃんこ先生厳しい、の一言だ。
成功が問題を解決しない
できないから練習しないのではなく、できても練習しない。だからシロタエの内心も、上達を喜ぶ言葉ではなく、どうしたらやる気を出させてあげられるのかな、という同じ悩みに戻ってくる。この回の課題が才能ではないことが、いちばん成功した直後にはっきりする。
面白いのは、シロタエがそれでも褒めないことだ。夜に司祭へ報告するときも、頑張っていたことは認めたうえで、本人には言わない、言ったらすぐ調子に乗るしサボろうとするから、と釘を刺す。子供たちに魔法を見せたがるガリーにも、危ないからと即座に止める。持ち上げないという方針だけは、この猫の中で一貫している。
欲しくても手に入らなかった人が、要らない人を見ている
この回で最も重い一言は司祭のものだ。まず前提として、司祭はガリーの面倒くささを正確に把握している。才能豊かな子だが、ある程度できるようになるとすぐサボってしまう。読み書きや計算を教えたときにも同じだった。勉強という行為自体が面倒なのだろう、と言う。
健気さを疑っていた大人が、そうではないと認める
続く述懐がいい。はじめは教会のためにいろいろなことを我慢しているのかと思っていた、ですがあの子の場合は本当に面倒なようで、と司祭は言う。孤児院を支えるために自分を抑えているのだろう、という善意の見立てが、ただの面倒くさがりだったと訂正されている。厳しい話のようでいて、この確認はむしろ優しい。ガリーは我慢していない。
そのうえで司祭は自分の話をする。冒険者だった頃は魔法使いだったこと。ケットシーに気に入られない限り決して教わることの叶わない猫の魔法に、とても憧れていたこと。そして「私はその機会を得たなら、寝食を忘れて没頭したでしょう」。欲しくても手に入らなかった人が、手に入れたのに要らない人を見ている。惜しい、という言葉の重さがここで一段変わる。
見せれば動く、という同じ答えが二つの縮尺で出る
司祭が出す結論は、教え方を変えることではない。何か興味の持てるものを見つけられたら変わるかもしれない、いろいろなものを見れば自分から何かをしたいと思えるようになるかもしれない、という方向である。そこから学校の話になる。自分がやっているのはあくまで手習い塾で、学校はもっといろいろなことを学べる大きな施設だ、と区別したうえで、一番近いのは魔法学校だと教える。
同じ理屈が、お化けを怖がる子にも当てられている
この会話に、寝かしつけの場面が細かく差し込まれる。ベッドの下にお化けがいると言い張る子がいて、いないよ大丈夫、と言っても収まらない。子の言い分は、真っ暗だから見えないのだ、というものだ。そこで持ってこられるのがランプで、目を開けてごらん、と言われた子は、見えるよ、確認したよ、お化けいないよね、と自分で納得する。
つまりこの回は、見えないから動けないという問題を、見せれば動くという同じ答えで二度解いている。片方は暗がりのお化けで、片方は世界に何種類の魔法があるかを知らないことだ。言い聞かせでは動かないが、灯りを持ってくれば動く。司祭が魔法学校の卒業生としてさまざまな進路を並べるのも、宮廷魔術師、魔法の研究者、変わったところでは魔法で建築をやる人もいる、という具体の列挙になっている。
副題では、人間の側だけ言葉が足されている
公式サイトの副題を並べると、第4話「黒猫と王子」に対して第8話が「黒猫と冒険王子」、第5話「白猫と少女」に対して第9話が「白猫とぐうたら少女」である。猫の側は据え置きのまま、人間の側にだけ言葉が足されている。ところが足された言葉の向きが逆で、王子には冒険が付いて格が上がり、少女にはぐうたらが付いて格が下がった。中身では新しい魔法を覚えたというのに、呼び名のほうは悪くなっている。この落差が、そのまま第9話の可笑しさだと思う。
なお、四話ずれで対になる並びは第10話「悪魔と竜と母の日」で途切れる。第6話が「猫じゃらしの夜」だったことを思えば、対応する回に戻らないどころか、副題から猫が消える。シロタエの側は、まず学校のことを話してみると決め、明日は一緒に調べてみようと言って一日を終える。数日かかる道のりよりも、まず本人が行きたがらないという壁のほうが高いことは、当人がいちばんよく分かっている。




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