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『BLEACH 千年血戦篇-禍進譚-』第6話、通算第46話の副題は「THE END」。この回で明かされるのは、ジ・オールマイティが未来を見る力ではなく、未来を改変する力だということ。だから織姫が消えていない理由と、天鎖斬月が折れている理由が、まったく同じ操作から出てくる。そして希望の話を熱心にするのは、最後まで敵のほうである。前話で雨竜が突いた三秒の空白は、穴ですらなくなる。




副題が、聖文字と同じ形をしている
公式サイトが掲げる第46話の副題は「THE END」である。最終クールの並びを見ると、GOD OF THUNDER、SON OF DARKNESS、BLOOD FOR MY BONE、THE PERFECT CRIMSON、DEFEND YOU と来て、この回で THE END になる。前話だけが動詞から始まる命令形だったので、名詞句へ戻ったことになる。
ここで気になるのが、定冠詞つきの名詞句という形がこの作品では聖文字の名乗りと同じ形だということだ。ジ・オールマイティ、ザ・バランス、そしてこの回で明かされる雨竜のアンチセシス。どれも同じ作りをしている。副題だけが物語の終わりを指しているとは限らない、と身構えて見るのが正しい回だった。
終焉のほうが、これから始まる
実際、公式のあらすじは「すべての命運を握る『終焉』が、遂に始まろうとしていた」と書いている。終焉は結末ではなく、これから始まるものとして紹介されている。三界消滅そのものが名前を持った出来事として動き出す、という読み方をしておけば、この回の絶望の並べ方にも理由が付く。
ジ・オールマイティは、未来を見る力ではなかった
第46話でいちばん大きい情報がこれである。ハッシュヴァルトは雨竜に、ジ・オールマイティの真の恐ろしさは未来が見えることではない、と切り出す。そして戦いの終盤で答えを言う。ジ・オールマイティは未来を見る力ではない。未来を改変する力だ。
その前提として、戦いの途中で立場が入れ替わっていたことも明かされる。雨竜が仕掛けた一撃の直前に、ハッシュヴァルトと陛下の力は入れ替わっていた。本人いわく、陛下の力よりも自分本来の力のほうが戦いには向いていて、とくに誤りを正すべき相手にはそうなのだという。天秤は傾いた、と本人が言い切る。ところが同じ口が、なぜ貴様がいるのだ、そのような未来は存在しなかった、とも漏らしている。全知を預かっていた側が、目の前の相手が立っていることに驚いているのは第41話から続く綻びで、この回でも直っていない。
未来は一本道ではなく、ばらまかれた砂である
説明の仕方が丁寧で、しかも意地が悪い。未来とは一本の道の上にあるものではなく、ここより先にばらまかれた無数の砂のようなもので、その一つ一つが未来であり可能性でもある。未来を変えるとは、その砂粒の一つから別の砂粒へ飛び移ることに過ぎない。そして自分はその砂粒のすべてを遥か高みから眺め、鑑賞できる。
この言い方だと、未来が変わること自体は否定されていない。むしろ肯定されている。ただ、変えた先まで最初から見えているので、変えたことに意味が生まれないだけだ。希望を否定するのではなく、希望を認めたうえで無効にしているのがきつい。
第45話で見つけた穴が、穴ですらなくなる
前話で雨竜が突いたのは、未来視を一度使うと三秒間その力が使えない、という空白だった。たかが三秒だと言われて、されど三秒だと返した場面である。ところが第46話でハッシュヴァルトが投げるのは、私の能力の穴を探しているな、お前は思い違いをしている、という一言だ。穴の場所が違うのではなく、穴を探す前提のほうが間違っていたと告げられる。用語集が全知全能について、そこに理解と対策の介在する余地はない、と書いていたのは伊達ではなかった。
希望の話をするのは、敵のほうである
この回でユーハバッハが口にする言葉が異様に前向きなのも同じ理屈から来ている。私は希望の話をするのが好きだ。未来は変えられる。それは事実だ。希望に満ちた素晴らしい事実だ。本気で言っているのがたちが悪い。そのうえで、希望を持ち続けろ、今まで通り、運命や可能性と呼ばれる転がり回る砂粒の上を目を閉じたまま飛び移り続けろ、それが人間にとっての希望だ、と続く。
織姫が消えていない理由と、斬魄刀が折れる理由が同じ
冒頭、一護は井上が自らの魂と引き換えにユーハバッハを葬ったのだと聞かされる。ところが朝が来て見えたのは、そうなっていない世界だった。答えはハッシュヴァルトの説明の中にある。お前を守れなかった、それがその女の未来であり、それを改変したのだと明かされる。
そして終盤、卍解した一護に向かってユーハバッハが言うのが、恐るべき卍解だ、そう判断したから未来で折っておいた、である。希望の根拠と絶望の根拠が、同じ力の同じ使い方から出てくる。仲間が生きているのも、切り札が最初から折れているのも、まったく同じ操作の結果でしかない。この回の残酷さは、力の強さではなくこの一致にある。
さらに、その改変を仕掛けた側が新世界の中身をこう説明する。争いもなく、痛みも憎しみもない穏やかな世界。それこそが私が望む新世界であり、その女が望んだ世界でもあるのだと。願いの形まで同じだと言われてしまえば、否定の足場すら残らない。締めに置かれるのが、絶望してくれるな一護、絶望した息子を殺すことほど親にとってつらいものはないのだから、という言葉である。
それに対する一護の返しが短くていい。あんたは希望も絶望も怖いんだな、と言う。全知全能と言っても心の中までは見えないらしい、と続けて、絶望が何かなら今まで何度も乗り越えてきたからよく知っている、と言い切る。未来を全部見られる相手に対して、見えない場所があると指摘し返している。ユーハバッハの答えが、この時のために私はお前を必要とした、我が息子よ、というものだった。呼び方だけは最後まで身内のままである。
秤の思想に、秤を使わない答えが返る
雨竜側の戦いは、最初から最後まで同じ言葉で進む。人は皆、秤の上を歩いている。己にとって何が正しく何が誤っているかを振り分け、振り分けられた正誤の破片が折り重なって人の姿を成す。それが自分自身だ。ハッシュヴァルトはそう説いたうえで、お前の姿が見えない、お前は何者だと問う。
問いに答えないことが、答えになっている
雨竜の返しは、ごたくが長いな、から始まる。僕が何者かだって、そんなもの答えられるもんか。それは君たちを倒してようやく分かることだ。秤にかけて自分を確定させることを、そもそも引き受けていない。仲間についての説明も同じで、黒崎はバカだから秤にかけられない、助けたいと思ったら助けに行くのだ、と言う。そこから仲間の名前が四つ並び、全員バカだと切り捨てられる。
そのうえで置かれるのが、この回のいちばん静かな一撃だ。天秤は選択だと言ったな、僕はその選択で彼らと共にいることを選んだ、だけどそこに利害はない、正解も不正解もない、僕らは友達だからだ。ハッシュヴァルトの返しが、何も捨てるつもりはないということだな、ならばせめて命を捨てろ、である。秤で測れないものを出されたので、測るのをやめて殺しにかかる。
その手前でハッシュヴァルトが試みた説得も、同じ物差しでできている。奴らと共にいてお前は成長したか、奴らといた数年よりも陛下に力を与えられた一瞬のほうが成長しているはずだ、互いを高め合うのが仲間ならば、お前が命を落とすべきは奴らではなく陛下だ、と。仲間の定義を、互いを高め合う関係だと限定してから、効率で友情を否定している。だからこそ、そこに利害はない、正解も不正解もない、という返しが刺さる。条件を外した関係の話をされると、秤は何も量れなくなる。
釣り合いという言葉が、三方向から出てくる
ハッシュヴァルトの聖文字はBで、名はザ・バランス。世界に起こる不運を幸運なものに分け与えることで調和を保つ、という力である。雨竜のアンチセシスは聖文字Aで、指定した二点の間にすでに起きた出来事を逆転させる。今回は自分と相手の傷を入れ替えてみせた。
逆転が、配り直しに負ける
ところが噛み合わない。傷を与えた幸運は同僚の不運として撃った側に降り、身に受けた不運はフロイントシルトへ移されてさらなる不運としてまた撃った側へ降る。逆転させても、その逆転ごと配り直されてしまう。二人とも起きたことを操作する力なのに、片方は入れ替えで、片方は分配である。ハッシュヴァルトが、起きたことを逆転させる力なら陛下に歯向かえるのはお前だけかもしれない、と言い添えるのが不穏だった。
同じ回で、三界の歪みに手を打つ側からも同じ語が出る。歪みは現世と尸魂界の魂魄のバランスが崩れているから広がっている、ならばこちらのバランスを取ればいい、という発想で虚圏への門を開く案が出る。敵の能力名と、味方の作戦名が同じ言葉になっている。この回はどの場所で何が起きていても、話題が釣り合いに戻ってくる。
敵が最後に、友を助けに行けと言う
決着のあと、ハッシュヴァルトは自分の立場をこう言い切る。悔しいと思うかと問われて、逆だと。陛下のお役に立てるのだから誇らしい、と。力を奪われたことを損失として数えていないのは、不運を配り直す能力の持ち主として一貫している。
最後まで、同じことしか言っていない
そして雨竜が迷っているのを見て言うのが、何を迷う、全てを秤にかけろと言ったはずだ、である。理由まで添える。秤にかけることもできず、迷いに追われて決めたことは全て後悔になるからだ。ならばそれも秤にかけろ、と。ここまでは説教だ。ところが結論がお前は友を助けに行くべきだになる。
この回のハッシュヴァルトは、最初から最後まで同じことしか言っていない。秤にかけろ、と。その思想を最後まで曲げずに使って、出てきた答えが敵を友のもとへ送り出すことだった。思うままに進むことに意味がある、という一言で締められる。秤を拒んだ男に、秤の信奉者が背中を押す形になっているのが、この回でいちばん効いた場面だと思う。
脚本は据え置きで、絵コンテと演出が替わっている
公式サイトの各話スタッフによれば、第46話は脚本が田口智久、絵コンテと演出が長井惟杜子、総作画監督が長谷川亨雄である。前話は総監督の田口智久が脚本と絵コンテと演出を一人で持っていたので、脚本だけ据え置きで画づくりの担当が入れ替わったことになる。総作画監督も前話とは別の名前だ。天鎖斬月が折れる場面のテンポの速さが話題になっているが、そのテンポは絵コンテの担当が替わったこの回のものである。




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