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第8話の冒頭は道場ではなく、幼い天王寺美麗が両親に「天王寺家のためになりますか」と確認して回る回想から始まる。伊月の嘘を割ったのも美麗の推理ではなく母が持っていた業界の知識だった。そして結ばれた「嘘はなし」の約束は黙秘を許す形で、名前呼びまで嘘をやめる合図として使われる。勝つことが学院を出ていくための条件になっていたところまで、第8話「嘘はなし」を読み解く。




冒頭の回想が、義務を課したのは誰かを見せている
第8話は道場の対決から始まらない。開幕は幼い天王寺美麗が両親に向かって確認を取っている場面で、今回の見どころはだいたいここに畳んで入っている。
「天王寺家のためになりますか」と聞いていたのは幼い美麗のほう
「お母様、私が勉強を頑張れば天王寺家のためになりますか?」「お父様、私が有名になれば天王寺家のためになりますか?」。返ってくるのは「ええ、そうね」と「あはは、そうだな」で、どちらもずいぶん軽い。第7話で母が「無理に気負う必要はないのよ」と言い、第6話で父が「無論、美麗が良ければの話だが」と付け足していたことと、この回想はきれいに重なる。天王寺家は美麗に義務を課していない。義務のほうが先にあって、幼い美麗が「これは貢献になりますか」と親のところへ承認をもらいに行っていた。
だとすると、第6話の「私が私のために定めたルールですわ」という言い切りは、強がりでも照れ隠しでもなく、ただの事実報告だったことになる。誰も命じていないルールを、本人が親に追認させに行っている。
縁談相手への不満は「何もかもが完璧」だったこと
お見合いの帰り道、母に相手の印象を聞かれた美麗は「知的でいい方だと思いますわ」と答える。ところが続きが妙で、「とても常識的と言いますか」「大企業の跡取りらしくマナーも身についていて」と褒めながら、声のトーンがどんどん下がっていく。行き着く先が「何もかもが完璧ですと、私が何かを教える必要がありませんし、心配するようなこともないでしょうし」だった。
不満の理由が減点ではなく満点のほうにある。ここは第6話の「教えることは私自身のためにもなるようです」と正確に噛み合っている。美麗にとって相手の価値は、教える余地があるかどうかで測られてしまう。完璧な相手には自分の置き場所がない。お見合いの席で不足していたのは相手の中身ではなく、美麗が引き受けられる役割のほうだった。
「理想通りね」と言い当てたのは母だった
そこへ母が「ちなみに、友成さんと比べるとどうなのかしら?」と名前を出す。美麗は「な、なんでそこに友成さんの名前が出るんですの?」と慌てながら、聞かれてもいない評価を並べ始める。「友成さんはまだ拙いところが多々ありますし」「私が教えなければならないことも山積みで」「会食に同席でもしたら、つい色々と心配してしまいますわね」。
そして母の一言が「あらあら、理想通りね」。美麗が「完璧では困る」と挙げた条件を、そのまま満たしている人間を、美麗自身が例に出してしまっている。しかも本人は反論しない。第7話で「変ですわね、何でしょうか、この気持ちは」と自問していた人が、今回は気持ちの輪郭を母に先回りして言い当てられている。
嘘を割ったのは推理ではなく、業界の知識だった
跡取りに困っているIT企業は此花グループにない
同じ車内の会話が、そのまま伊月の身の破滅につながっていく。母が「友成さんのお家はどんなご職業なの?」と聞き、美麗が「此花グループの傘下でIT企業とのことでしたわ」と答える。ここまでは伊月が用意した設定どおりに進んでいる。ところが母が「その割には庶民的というか、気さくな方よね」と引っかかり、美麗が「ここだけの話、彼は私と同じ養子ですの」と明かしてしまう。
母の返しが的確だった。「それって、跡取りにするために友成さんを養子にしたということよね?」と確認したうえで、「此花グループのIT企業で跡取りに困っているところがあるなんて、聞いたことないのだけれど」。
伊月の嘘を割ったのは、美麗の観察でも推理でもない。天王寺家の夫人が持っている業界の見取り図のほうだ。第7話で美麗が「だってあなたも養子なのでしょう」と見抜いたときは、そこで話が止まっていた。それを外から動かしたのが母の知識で、母にその情報を渡してしまったのは、第7話で伊月が「ご内密にお願いします」と頼んだ相手だった。秘密を打ち明けられた側が、悪気なく秘密に穴を開けている。
果たし状をラブレターだと思っていた
翌朝、静音が「視線を感じたのですが、気のせいでなかったらかなりの手だれですね」と漏らす。伊月はそれを聞き流し、下駄箱の封筒を見て「この時まではラブレターだ」と思う。「美男美女だらけ、大企業の社長候補がゴロゴロいるこの学院で、誰が俺に」と自分で打ち消すのだが、この自己評価そのものが、第6話で美麗に「あなた、この学院で劣等感を覚えていますわね」と当てられた場所である。中身は果たし状だった。伊月が読み違えたのは差出人ではなく、自分がすでに監視されていたという事実のほうだ。
道場で伊月が伏せたものが、一つだけ残っている
突きつけられたのは推測ではなく写真だった
道場に呼び出された伊月に、美麗はまず「友成さん、私に何か嘘をついていませんか」と聞く。「何のことか分かりません」と返されて「それが答えですのね」。そして出てくるのが写真で、「今朝、私の部下に撮影させました」。伊月の内心は「あの時か」だった。
続けて「今日の昼休み、あなたはどこで誰と過ごしていましたか」と畳みかけ、伊月が黙ると「その沈黙は肯定となっています」。この一行は終盤にそっくり戻ってくるので、覚えておいて損はない。そのうえで「構えなさい」「あなたのそのねじ曲がった心を叩きのめして差し上げますわ」と続く。第7話で「武道は心身を鍛えるのにいいですわね」「私も少々たしなんでいますわ」と言っていたのが、ここで回収されている。
話したのは二つ、伏せたのは一つ
打ち合いのあと、伊月は自分の境遇を明かす。IT企業の跡取り息子などではないこと。此花家の使用人として働いていること。そしてここで地の文がはっきり断りを入れる。ただ、雛子の本性だけは言わなかった。
「嘘はなし」の約束は、最初から一つ隠したまま結ばれている。美麗は「にわかには信じがたいですが、辻褄は合いますわね」と受け入れ、そのうえで「あなたは詐欺師ですわ」と言い、伊月は「おっしゃる通りだと思います」と認める。詐欺師という言葉は罵倒で終わらず、このあと二人のあいだの符牒になっていく。後日の勉強がやたら厳しくなったときの理由づけが「詐欺師に手加減なんてしませんわ」で、伊月も「何も言い返せない」と受け入れている。
美麗が引いた線は「全部話せ」ではなかった
隠し事は許すが、嘘は許さない
条件の出し方が、この回でいちばん美麗らしいところだった。「あなたは今後、私の前では嘘をつかないこと。言葉だけでなく態度もです」「その誓いさえ守るなら、許しますわ」。そして続きがこうだ。「隠し事があるのは仕方ありません。ですがこれからは、言えないことは言えないとおっしゃってください。嘘をつかないというのはそういうことですわ」。
全部話せ、とは言っていない。黙秘は認める、嘘だけを禁じる。線の引き方が実務的で、しかも相手の事情を分かったうえで引かれている。美麗は「結局あなたは此花家との約束で嘘を貫こうとしただけなのですから」と、伊月が嘘をついた理由まで先に整理してしまっている。おかげで伊月が雛子の本性を伏せたままでも、この約束は破れない。美麗は気づかないうちに、伊月が抱えている最後の秘密へ逃げ道を用意した。そのうえ「公平を期すため、私もあなたに嘘をつかないことにします」と、同じ縛りを自分にもかける。この一手が終盤で返ってくる。
「黙秘する」がその場で実演される
翌日、美麗は「昼休みは此花雛子と何をしているんですの」「誰もいない旧生徒会館に、別々に行っていますわよね」と切り込む。伊月の答えが「黙秘する」だった。
昨日決めたばかりのルールが、翌日に実演されている。しかも使ったのはルールを与えられた側で、美麗は「ほう」と受けるだけで追及をやめる。約束が機能しているというのは、こういう場面のことを言う。
口調まで条件に入れた理由
もう一つの条件が口調だった。道場で伊月の言葉づかいが一瞬崩れたのを美麗は聞き逃さず、「その話し方も演技ではありませんの?」「本当の口調で話してください」と要求する。ここから伊月は美麗の前でだけ素の言葉を使うようになり、「わかった」「もう天王寺さんの前では嘘をつかない」と返す。
態度も嘘のうち、という美麗の定義は徹底している。丁寧語は伊月が身分を偽るために着ている服の一部で、それを脱がせないと約束が完成しないと考えている。この作品で敬語をやめることは、親しくなることではなく嘘をやめることだ。次の見出しの名前呼びも、同じ規格で動いている。
退学の手当ては、伊月が切り出す前に終わっていた
美麗はその夜のうちに此花家へ電話していた
帰宅した伊月は「正体がバレてしまった以上、俺はもうこの学院にいられないかもしれない」と覚悟して、静音に切り出そうとする。ところが静音の第一声が「奇遇ですね、私もです」だった。
「先ほど天王寺美麗様から、私宛てにお電話をいただきました」「要件は、あなたを退学させないでほしいとのことです」。加えて美麗は、自分が冷静さを欠いて伊月を勘ぐってしまったと詫び、伊月の立場については誰にも口外しないと約束していた。静音の評が「本当に律儀な方ですね」で、これは第6話に続いて二度目の「律儀」である。
順番を見ると、伊月が報告するより先に美麗が手を打っている。しかも使ったのは天王寺家の令嬢という立場そのもので、静音も「天王寺家の令嬢に懇願されては、此花家として無下にはできないでしょう」と言う。美麗が家の力を人のために使ったのは、これが初めてだ。「天王寺家に貢献する」としか言ってこなかった人が、貢献とは無関係な用途で家の名を使った。
雛子が聞いたのは経緯で、伊月が答えたのは理由
陰で聞いていた雛子が出てくる。「伊月どうなるの? まさかクビになったり?」と心配し、大丈夫だと分かると「心配させないで」と怒る。そして「でも、どうしてバレたの?」と聞く。
ここで伊月が返したのが「俺がこれ以上、天王寺さんに嘘をつきたくないと思ったんだ」「天王寺さんは俺を信頼してくれていると思って、俺も天王寺さんを信頼しているし」。質問は経緯を聞いていて、答えは理由になっている。実際の入口は母の疑問と部下の写真だったから、経過の説明としては噛み合っていない。
そして雛子が返したのは「伊月のバカ」だった。何に対する「バカ」なのかは説明されないし、伊月にも読み取れていない。第6話で雛子が静音に「私、変」と相談し、理由を聞かれて「なぜだろう」としか言えなかったところから続いている、名前のつかない不機嫌がここでも顔を出している。
名前呼びは親密さではなく、嘘をやめる合図だった
提案した本人が撤回する
翌日、美麗のほうから距離を詰めてくる。「せっかくですから、呼び方も変えてみましょうか」「二人きりの時は美麗と呼んでも結構でしてよ」。もっと光栄に思いなさい、まで付けておきながら、伊月が実際に「美麗」と呼ぶと返ってきたのは「や、やっぱりそれは無しにしましょう」だった。
面白いのは、撤回の理由を本人が口に出してしまうところだ。「わたくしが伊月さんと呼んだら、あなたは本来の口調で話してくれると思うのよ」。美麗が名前呼びを持ち出したのは、伊月の素の言葉を引き出すスイッチが欲しかったからで、自分が呼ばれる側に回ることまでは計算に入っていなかった。
結局「わたくしもあなたを伊月さんとお呼びしますわ」「それを、あなたと話すときの合図にしましょう」で落ち着く。呼び方は片側だけ変わり、意味は「親しくなった」ではなく「ここからは嘘なしの時間」になった。前の見出しの敬語の扱いとまったく同じ規格である。
雑談、食事、頭を撫でる、と差分を潰していく
そのあと美麗は「実は今日、あなたのことをこっそり観察させていただきました」と切り出し、伊月の従者ぶりを評価する。「常にさりげなくそばにいて、何かあればすぐに駆けつけられるよう準備している」「此花雛子は恵まれていますわね」。伊月が「正直俺はいっぱいいっぱいだけどな」と内心でこぼすのをよそに、美麗は「謙遜する必要はありませんわ」「本当に羨ましい」と続ける。ライバル視している相手のことを、恵まれている、羨ましい、と二度言っている。
そこから昼休みの詮索になり、伊月が此花家での距離感を挙げていく。二人で軽く雑談する、には「私もしていますし」。一緒に食事をする、には「それも私もしていますわね」。たまに頭を撫でる、で止まる。
続く一言が「私の頭も撫でなさい」で、理由が「この私が此花雛子に先を行かれるわけにはいきませんわ」。張り合いの形をとりながら、やっているのは差分を一つずつ埋める作業だ。そして第6話で「私と此花雛子の間に、何の因縁もありませんわ」と言い切った人が、いま名指しで一人の相手と比べて負けたくないと言っている。因縁がないという説明のほうが、そろそろ苦しくなってきた。
副題「嘘はなし」
「嘘はなしだよな」が黙秘を引き出す
縁談の話が具体的になる。「先日の縁談のお相手は、ここから少し遠い場所で暮らしていますの」「お付き合いしていくためには、そちらの方へ私が住まいを移す必要があって」「縁談が成立次第、この学院を去ることになりますわ」。第7話では「放課後を一緒に過ごせなくなる」だったものが、学院を離れるところまで上がった。
伊月は同じ問いを重ねる。「本当にそう思っているのか」。いったん引いてから「質問を変えよう」「何度も聞いたけど、もう一度聞く。本当にその縁談をよく思っているのか」。そして最後に一言だけ足す。「嘘はなしだよな」。
美麗の答えが「黙秘しますわ」。伊月が「それはもう答えを言っているようなものだ」と返す。道場で結ばれた約束が、ここで初めて武器として使われる。しかもその武器を設計したのは美麗自身で、「言えないことは言えないとおっしゃってください」という逃げ道は、嘘をつくことだけを塞いでいた。よく思っていると言えない以上、黙るしかない。「公平を期すため、私もあなたに嘘をつかないことにします」と自分に足した縛りが、そのまま効いている。
そして道場で美麗が伊月に突きつけた「その沈黙は肯定となっています」が、そっくり本人へ返ってくる。副題の四文字が、一話のあいだに攻める側と守る側を入れ替えている。
「興味ないと言えば嘘になりますわ」
約束はもう一度効く。伊月が「明日の休日、一日だけ時間を作れないか」と誘い、「天王寺さんは幼い頃養子になったって言ってたよな。なら俺みたいな庶民の生活は全く知らないんだろう。興味ないか」と続ける。
美麗の返事が「興味ないと言えば嘘になりますわ」。断るための「興味ありません」が、約束によって塞がれている。そのうえで「ですが今は、此花雛子に勝つために集中しなくては」「これが最後の機会になるかもしれませんし」と抵抗するのだが、二つ目の理由がもう本音に寄っていて、伊月に「でも息抜きは必要だろう」と押し込まれる。
伊月が誘い文句に使った材料が、第7話で美麗が打ち明けた秘密だったことも見逃せない。赤ん坊の頃に天王寺家へ引き取られたから、庶民の暮らしを知らない。打ち明けられた秘密を、今度は連れ出す口実として返している。第7話で「胸が痛かった」と自分を責めていた場所が、一話またいで使えるものに変わった。
まとめ|勝つことが、学院を出ていくための条件になっていた
「残る理由をなくしてみせますわ」
今回いちばん引っかかったのは、美麗が縁談を説明したあとに続けた言葉だった。「ですから次の試験で必ず此花雛子に勝ってみせます」「それで、この学院に残る理由をなくしてみせますわ」。
第6話から積み上げてきた「打倒、此花」は、目標として置かれていたはずだった。それが今回、この学院を出ていくための手続きに変わっている。勝てば残る理由が消える。勝たなければ、縁談が決まったあとに悔いが残る。どちらに転んでも自分が損をする条件を、本人が組み立てて、しかも当然のことのように口にしている。第6話で「エイエイオー」までやって掲げた合言葉が、たった二話でこの用途になった。
ここで冒頭の回想がもう一度効いてくる。両親は一度も要求していない。要求しているのは、幼い頃から「これは貢献になりますか」と確認して回っていた本人だけだ。第8話は、その確認の癖がついに自分を追い出しにかかった回として読める。
助けてが言えない人に、伊月が渡したもの
伊月の見立ては正確だった。「この人は雛子や成香とは違う」「天王寺さんは心が強くて自分を抑えられる人だから、助けてがうまく言えないんだ」。
雛子は「伊月、どこにも行かないで」と言える。成香は「やはり私の味方は伊月だけだ」と言える。美麗だけが言えない。だから伊月がやったのは説得ではなく、助けてと言わなくても済む形を用意することだった。しかも「息抜きは必要だろう」という言い方は、その日の昼にクラスメイトが伊月へ投げた言葉そのままでもある。「大丈夫か友成」「なんとなくやつれてるが」「たまには息抜きしろよ」。第三者の何気ない一言が、そのまま手札になっている。
第8話で結ばれた約束は、嘘を禁じただけの単純なものに見えて、実際には黙秘を許し、口調を変えさせ、断り文句を封じ、最後に本音を吐かせた。約束を持ちかけた本人が、いちばんそれに縛られている。次の休日に美麗が何を見ることになるのかはまだ分からないが、少なくとも彼女はもう「興味がない」とは言えない。




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