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『これ描いて死ね』第8話の副題は「タッチ~漫画で描きたい100のコト!!!」。島を巡ってネタを探す回に見えて、実際に動いているのは一冊のノートだけである。かつて手島が受け取り、百も埋められないまま筆跡を消したノートが、今度は安海へ渡される。返ってきたときには、百どころか千のネタで埋まっていた。そして刺激を受けて変わるのは、探しに行った側ではなく連れて行った側だった。




同じノートが、二度渡される回である
副題は「タッチ~漫画で描きたい100のコト!!!」。表向きは島を巡ってネタを探す回だが、実際に動いているのは一冊のノートだけである。
公式の紹介も、身近な場所から刺激を得るよう促す、という書き方になっている。ところが刺激を受けて変わるのは、探しに行った側ではなく連れて行った側だった。
レイちゃんには漫画描いててほしいんだ
冒頭は過去の一場面だ。誕生日おめでとう、ほーら受け取って、と手島にノートが手渡される。前はいっつもそれにネタ書いてたでしょ、という理由つきである。
そのあとの会話が短くて重い。勝手な話だけどさ、レイちゃんには漫画描いててほしいんだ。返ってくるのは、教員試験受けようと思ってる、である。そっか、そっか、と二度繰り返す相槌に、言い返す言葉を探して見つからなかった時間が入っている。
また湧き上がってくるのが、嫌すぎた
続く手島の独白が、この回の中でいちばん強い一行を含んでいる。私の腹の中にはマグマがあった、たとえ空になったように思えても、また湧き上がってくるマグマが、と来て、締めがこうだ。
嫌すぎた、である。マグマが尽きたから諦めた、ではない。尽きないから苦しかったと言っている。前話までの過去編で描かれてきた執念の、その後始末がこの一言に入っている。
空になったらまた入れ直せばいい、という同じ話
現在に戻ると、安海が次に何を描くか決まらずにいる。目標にしてたコミティアが終わって気が抜けちゃったのかな、という状態だ。
そこへ助言が入る。創作はインプットとアウトプットを繰り返す行為です。出して空になったらまた入れ直せばいいんですよ。次のコミティアは冬にする、まだ時間はあるのでこの島で刺激を探しては、と具体的な提案まで続く。
ここが仕掛けである。冒頭で呪いのように語られたことと、ここで技術として語られていることが、同じ現象を指している。空になってもまた溜まる。片方はそれを嫌すぎたと言い、もう片方はそれを繰り返せばいいと言う。
この差は、たぶん出す場所があるかどうかだけである。出す先が絶たれた人にとって、湧いてくるものは処理できない在庫でしかない。教員試験を受けると告げた人の腹の中で、それでもマグマが動き続けていたのだとすれば、あの短い独白は諦めの言葉ではなく、まだ終わっていないという告白になる。
島には、いつも見ている景色しかない
島巡りの前段が地味に効いている。地層大切断面は車で通るときにチラッと、切通しは写真でなら、裏砂漠は見たことないです、と、地元の子ほど地元を見ていないことが並べられる。
これは責められている場面ではない。身近な場所から刺激を得よ、という助言が成立するのは、身近すぎて見ていない場所が実際に残っているからだ。短すぎて気づいていないんじゃないですか、という指摘のとおり、通学路の途中にあるものは風景として処理されて記憶に残らない。取材とは遠くへ行くことではなく、見慣れたものをもう一度見ることだ、という筋がここで通る。
観光回として楽しい回でもあった。三原山に登りたいという提案が、夏に登ったら死ぬぞ、で一度止まり、熱中症対策したら大丈夫、帰りに温泉入れたら最高ですね、で復活する流れも良い。部活動の一環ですから、という建前が全部を通してしまうのがこの顧問らしい。
地層はバウムクーヘンになり、切通しは王国になる
面白いのは、名所の解説がきちんと入ることだ。地層大切断面はおよそ高さ二十四メートル、長さ六百三十メートル、道路の建設中に発見され、およそ百回の大噴火によって作られた、と客観的に説明される。
その直後に、こんな巨大なのを食べる人はどんだけ大きいんでしょうね、が来る。説明された事実が、その場で全部食べ物と物語に変換されていく。カンブリア紀は命が凝縮されて濃厚でうまい、白亜紀はしょっぱい、と、地質年代まで味になる。
切通しでは、百年に一度開く木の道の奥に樹人の王国がある、という話が即興で立ち上がる。杉が長老で、松の政治家がいて、柿、桃、栗は一般市民、それ以下の寿命の植物は支配されていて、人に大切に育てられた朝顔が人間のために立ち上がる。そこまで一息で出てきて、それ今考えたのかよ、と突っ込まれる。
妄想を語れる相手がいる、という贅沢
この場面に添えられる言葉が的確だった。溢れる妄想を語れる仲間、である。しかも聞いた側が、その調子でどんどん行こうぜ、と乗る。
創作意欲がどんどん湧いてくる様子を見ての反応が出ていた。実際、この回の安海は止まらない。ネタが出ないと悩んでいた本人が、島を一周する間に出しっぱなしになっている。
初めての祭り、初めての花火
夏祭りの場面では、光が全部初めてだと分かる。このひらひらした服何、に対して島の民族衣装だと嘘を教えられ、浴衣知らないとかある、と驚かれる。僕、お祭りって初めて、と本人も認める。
締めの花火でも、あの空でキラキラしてるの何、と聞いて、打ち上げ花火も知らんのかいと返される。同人誌の世界で名を上げていた人物の抜けている部分が、こういう場面でだけ出る。
祭りの最中もネタは続く。りんご飴はなめる派かかじる派か、という雑談から、巨人たちの祭りでは宝石飴をどう食べるのか、そこに人間が迷い込むとどうなるか、と話が伸びていく。椿の姫と恋に落ち、朝顔が仲を取り持ち、すべてを破壊する龍が迫る。切通しで出た朝顔が、祭りの話にもう一度出てくるのがいい。
屋台で椿の花を選んで、食えるのにしようぜ、と言われる場面も、そこから金魚すくいへ話が飛ぶのも、全部そのまま次のネタに変わっていく。出発前には、今回も取材の一環として車を出したのです、くれぐれもただお祭りを楽しむだけでなく、という釘が刺されていた。遊んでいる場面と取材している場面の区別がつかない形で描かれるので、その釘だけが結果として一番守られている。
消された筆跡が残っている
島巡りの前に、手島は安海にあのノートを渡している。それによく漫画のネタを書いていました、いいネタの出るおまじないです、という渡し方だ。ノートの使い道、やっと見つかったよという独白が添えられる。
開いた瞬間の演出で涙腺が崩壊した、という声が出ていた。書かれていたのは、漫画で描きたい100のコトという見出しである。
なぜ消したのかは、誰にも分からない
しかもその筆跡は、一度消されている。何で消しちゃったんだろう、という疑問に、理由はわかんねーけど、としか返ってこない。
ここを説明しないのが上手い。百も書けなかったのか、書いたのに消したのか、始める前にやめたのか、どれとも取れる形で残されている。手島の側からその答えが語られることは、この回の最後までない。
そのぶん、渡すときの独白が重くなる。ノートの使い道、やっと見つかったよ、という言い方は、このノートが長いあいだ使い道のないまま手元にあったことを認めている。描くための道具として持っていたのではなく、渡すための道具になるまで持っていた。ずっと持っててくれたのね、という声が返るのは、その時間を知っている相手だけである。
100が1000になる
そして島を回り終えたノートが、どうなっていたか。
百個どころか千個びっしり、という受け取り方が出ていた。渡した側が百も埋められなかった枠に、渡された側は桁を一つ増やして返してきた。しかも本人はそれを、すごいことをしているつもりでやっていない。
その情熱に感化されて、引き出しにしまっていた紙を見る、という読み方も出ていた。渡したはずのものが、渡した本人に返ってきている形である。
泣いている理由が、周りには伝わらない
手島が泣く場面の描き方が、この作品らしい。泣いているのは部員たちを見てのことなのだが、外から見ると樹人の話や焼きそばで泣いている大人にしか見えない。弟子が焼きそばで泣いた、と言われてしまう。
直前に置かれる独白が、この回の答えでもある。この子は描きたいことがないんじゃなく、と始まる一行だ。悩んでいたのは在庫の不足ではなく、出し方のほうだった、と顧問だけが先に気づいている。
ついでに書いておくと、この回で安海は漫画を一本も描いていない。次に何を描くかも決まらないままだ。埋まったのは候補の欄だけで、作品の数は一つも増えていない。それでも見ている側が泣くのは、書かれた数ではなく、書ける状態に戻った、そのことのほうを見ているからだろう。
漫画たくさん描いてくださいね、趣味の範囲で
花火を見ながら手島がかける言葉が、この人の全部だと思う。漫画たくさん描いてくださいね。そして間を置いて、趣味の範囲で。
先生ほんまいい人だわ、という感想が出ていたが、この一言はただ優しいだけではない。第3話で示された三つの約束のうちの一つが、プロを目指さないことだった。自分が届かなかった場所を勧めない、という線を、この人はまだ引いたままにしている。
この作品の題を思い出すと、もう一段の意味が出てくる。趣味で描く漫画は、これ描いて楽しい、の側にある。商業で描く漫画のほうが、これ描いて死ね、の側だ。趣味の範囲で、という言葉は、題そのものから遠ざけておこうとする言い方になっている。自分が一度そこへ行って戻ってきた人間だからこそ出る、加減の効いた祝福である。
それでいて、ネタ帳は渡す。おまじないだと言って渡す。行けとは言わないが、道具は置いていく。副題のタッチという言葉が、絵柄の意味と受け渡しの意味を両方持たされているのは、たぶんこのためだ。
そしてもう一度、同じやりとりが置かれる
締めで、冒頭とほとんど同じ場面がもう一度流れる。誕生日おめでとう、またこのノート、という言葉に対して、今度はいや誕生日じゃないしという返事が入る。
理由は、最近楽しそうだから、ひょっとしてって、である。そして、やっぱりレイちゃんには漫画描いててほしいんだ、が繰り返される。同じ注文を、同じ人が、もう一度出している。
この回が渡していたものは、結局ノートではない。渡す側にも渡す人がいる、という事実のほうである。手島が安海にノートを渡した回の最後に、手島にノートを渡す人がもう一度出てくる。マグマがまた湧き上がってくるのが嫌すぎた、と言っていた人に向かって、である。




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