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『逃げ上手の若君 第二期』第19話の副題は「ぼくのおじさん」。時行の叔父、北条泰家は言っていることと額に浮かぶ本音が一致しない男である。ところが関所では、その顔のまま哀れな侍になりきって突破してみせる。顔に出る男が、顔で嘘をつくのだ。そしてこの作品が肯定してきた逃げる才能の出どころが、この回で示される。一方の玄蕃は、天狗に技じゃないな手品だと言われ、凄みという宿題を持ち帰ることになる。




副題が「ぼくのおじさん」である
公式の副題は第十九回「ぼくのおじさん」。時行の叔父、北条泰家の登場回である。冒頭のナレーションからして、もうじき嵐を呼ぶ男である、と持ち上げる構えだ。
情報量が多い、という声が出ていた。実際、叔父の登場と足利方の忍びの正体と京行きの決定が一話に入っている。それでいて記憶に残るのは、叔父の顔だけである。
敵方の負傷兵のふりをして逃げた男
泰家は幕府の頂点だった高時の実の弟で、鎌倉陥落の際に時行を諏訪へ預ける手筈を整えた人物でもある。ではその本人はどうやってあの修羅場を抜けたのか。
答えが振るっている。敵方の負傷兵のふりをして、鎌倉から脱出したのだよ。一族が次々と死んでいくなかで、よくもそんな恥知らずな逃げ方を、と突っ込まれる。それに対しても、もちろん共に死のうと言われたさ、と受けたうえで、命など惜しくはないが、再び天下を取り返すことで皆の無念は必ず晴らすと言った、と胸を張る。
その二年が実際どうだったかも、本人の口から出る。東北を巡って北条の残党を集めて戦ってきたが、どこも負けて逃げてきた。そのうえで、そなたが最後の希望だ、と甥に言う。負け続けた人間が、負けたと認めたうえで次を口説きに来ている。この図々しさが、後半の関所でそのまま武器になる。
言っていることと、額に出ていることが違う
その立派な述懐の最中、額に本音が浮かんでいる。すかさず時行が指摘する。叔父上、死にたくなかったと顔に書いてありますよ。
この作品の変顔はいい、という評が的確だった。北条を哀れで上書きした泰家という言い方まで出ていて、額に浮かぶものが本人の意思で書き換わることまで押さえられている。
生き汚さを、時行は好ましいものとして語る
時行の評が、この回でいちばん優しい。叔父上は昔っから生き汚いんだ、下心丸出しであれこれ企み、権力や命に執着し、と並べたあとで、けど、それが全部素直に顔に出ると続ける。
締めが、武士の仮面で飾らない正直な人柄が、私は大好きだったよである。生き汚いことも、企むことも、命に執着することも、この子は欠点として数えていない。逃げることを恥としない主人公の作品だから、この評価が成り立つ。
天狗が一日で越後を巡った、という史実の謎
諏訪大社に何者かが侵入する。狐面の玄蕃が察知するのだが、相手は天狗の面をつけていて、しかも歯が立たない。
この回は泰家が兵を集めて扇動する場面もあり、密度の高い画面が続く。そして敵の正体を説明するくだりで、作品がいつもの持ち技を出す。
作り話と断ずるのは簡単だが
足利尊氏が京の幕府軍を全滅させたのが一三三三年五月七日。その翌日の五月八日、上野国で新田義貞が挙兵する。ところが当時、京都から関東まで一日で情報を伝えるのは不可能だった。
それでも新田のもとには二千の兵が集まる。理由がこれだ。一人の天狗がわずか一日で越後中を巡り、新田殿が鎌倉攻略に立ち上がると触れ回ったんです。
そしてナレーションが畳みかける。この天狗の知らせの話は当時の人が書いた太平記に記されている、作り話と断ずるのは簡単だが、日本史上初の東西同時クーデターは天狗でもいなければ説明できない離れ業であり、当時から謎に思われていたことを示している。
ここがこの作品の一番おいしい部分である。史料に残る不自然な一点を、そのまま忍者組織の実在の証拠として使ってしまう。足利学校に忍びを養成する部署があるという噂、文献上最初に忍びを使ったのは足利家執事の高師直である、という補足まで並べて、天狗衆の輪郭が史実の隙間から立ち上がる。
討つべき敵も救うべき一族もいない、と言っていた男
この回の玄蕃は、実は降りることを考えている。役者が揃ってきた、大戦も目の前、そうなれば今まで以上に危険だ、と数えたうえで本音が出る。
坊は見ていて飽きない奴だが、命をかけて従うほどの理由があるか。坊と違って、俺には討つべき敵も救うべき一族もいない。この辺りで降りちまうのも一つの手だが、と続けて、ま、また今度考えっかで先送りにする。
天狗が強すぎて玄蕃が歯が立たない、という驚きが出ていた。ここで効くのが順番である。降りようかと考えた直後に襲われ、追い払われ、その結果として大手柄を立ててしまう。
降りる理由を探しているうちに、残る理由ができる
後半の玄蕃は、敵の忍を発見した手柄はでかい。俺がいなけりゃ諏訪は滅んでいたんかもなと自分で言っている。実際そのとおりで、大戦の計画が漏れずに済み、主君も逃げられた。
討つべき敵がいない、と言っていた男に、この回で討つべき相手ができる。抜けるつもりだった仕事に、抜けられない理由が一つ増えたという形だ。
技じゃないな、手品だ
敗因のほうも、はっきり言葉にされる。天狗の言い分が技じゃないな、手品だで、締めが風間玄蕃、噂ほどにもなしである。
この一言が刺さったまま、玄蕃は吹雪に助言を求める。奴と俺の違いはなんだと思う、である。
返ってくる答えが具体的だった。忍びの技は専門外だが、とにかく威力を追求した技を開発すべきかな。でないと君に凄みを感じない。
凄みが伝われば、真の意味で敵を縛れる
続きの理屈がいい。手品を生かして敵を縛る技は君の持ち味だが、皆が死を覚悟した戦場では、イタズラ程度では敵は止まらない。本気なら殺せるぞ、その凄みが伝われば、真の意味で敵を縛れる。
玄蕃の理解も早い。殺傷力の高い道具が開発できれば、隠し持っているだけでもハッタリが利くということか、と言い換える。殺さないための技術を強くするために、殺せる技術が要るという逆説が、この作品らしい形で置かれた。
火事で、逃がすのと証拠隠滅を同時にやる
頼重の予知は、時行がこのまま諏訪に留まっていたら死ぬ、なるべく遠くへ逃げるが吉、という内容だった。そこで京行きが決まる。
泰家が挙げる理由がもう一つあって、そちらのほうが面白い。天下人を目指す以上、時行様は一度京を見ておくべきだ、というのである。京の都はあらゆる文化の最先端で、帝や尊氏をはじめ、新田、楠木など敵ながら図抜けた英才が集っている。顔を合わせるわけにはいかないが、その空気から得るものは計り知れない。倒すべき相手の本拠地を、学びに行く場所として勧めている。
出発は今夜、という急な話になる。非常時の暗号がすでに動いていて、最近のおかずは、野沢菜漬けです、という会話に見える連絡が交わされるのも楽しい。奴はご飯泥棒だ、太らぬよう注意せよ、と続くのがまた真面目に聞こえる。
脱出の手は、侵入者で混乱している状況を逆手に取るものだった。逃がすのと証拠隠滅を同時に行うため、館に火を放つ。敵の側も、ただの失火か、失火に見せかけて乱の証拠書類を燃やしているのか判断できず、意図的とすればすさまじく打つ手が早いと唸ることになる。
振り返ってはなりませぬぞ、と言った本人がついてくる
見送りの言葉は立派である。不確かな未来を根拠に送り出すのはいつも心が痛む、危険を乗り越え大きく育った我が子を見たい、親代わりの身としては厳しく突き放すこともまた愛なのです。そして、さあ行きなされ、振り返ってはなりませぬぞ、で締める。
ところが振り返ると本人がついてきている。あんたも来てどうすんだよ、と呆れられ、いや時行様は心配です、と言い張り、天狗に見られたら偽装工作が台無しですよ、と怒られる。厳しく突き放すこともまた愛です、の直後にこれをやるので台無しである。名残を惜しむ時間がないのがこの策の泣き所です、と自分で言っていたのに、結局いちばん名残を惜しんでいる。
この回、やたらと金の話をしている
京へ向かう道中は、意外なほど所帯じみている。飯屋でも入りますか、に対して、ここで無駄金は使いたくない、今日は何かと金がかかるらしいから、と返る。
若君の懐事情を茶化す声も出ていた。実際、父様のくれたお小遣いは多くはないから使いどころを気をつけなきゃ、という独白まで入る。天下を狙う一行が、宿場町で小遣いの残りを数えている。
その隣で、吹雪が金を無心している。手柄を立てたのだから大金にふさわしい、という前置きから、お金貸してくれないか、自分の金はとうに尽きてしまったんだへ落ちる。理由は、途中の宿場で買い食いしまくり、持ってきた食料もほとんど一人で食べ尽くしたから。自業自得だ、で切り捨てられる。
空腹を紛らわすために鍛錬する
面白いのは、その先である。差し入れをもらった吹雪は、空腹を紛らわすために竹藪で鍛錬している。見た玄蕃の感想が、なんつー飢えた目だ。こいつもまだまだ引き出しを隠してやがる。
凄みの話を玄蕃に授けた当人が、飯を抜かれただけで一段階仕上がって見えるという配置になっている。助言のほうが正しいのか、この男が異常なのか、判断がつかないまま場面が切り替わるのが上手い。
顔に出る男が、顔で嘘をつく
関所で行き詰まる。検査は厳しく、しかも泰家殿の顔に北条と書いてあるので絶対バレますという致命的な弱点がある。山越えは馬と荷を捨てなければ無理だ。
そこで泰家が半日の準備を要求する。時行の予想は的確だった。凄みと言うなら叔父上も凄いぞ。本心が顔に出ていようが関係ない。それを超えた凄みで無理やり突破するんだ。
実際にやったことは、半日飯を抜き、山の中を転げ回って、哀れな侍になりきることだった。上京して奉公先に間に合わなければ野垂れ死ぬ、母を亡くした子にやっと楽な暮らしをさせられる、と泣き落としを全力で演じる。額に浮かんでいた北条の二文字が、哀れで上書きされる。
なぜなら我らは天下の北条だからだ
突破後の一言が最高である。ひと時の哀れさで素性を隠すことなど、なんでもないぞ時行殿。なぜなら我らは天下の北条だからだ。誇りを守るために誇りを捨てる、という理屈を、まったく矛盾と思わずに言い切る。
ナレーションの締め方も気持ちがいい。幕府の中枢ではドロドロの権力抗争を演じ、幕府が滅べばちゃっかり逃亡し、逃げた先々で反乱を煽動し、さらには京に潜入して前代未聞の計画を立てる。そして、時行が持つ生命力は、病弱で無気力な父高時よりも、このおじに似たのかもしれないと結ぶ。
副題の「ぼくのおじさん」が、単なる紹介ではなくなるのはここだ。この作品が肯定してきた逃げる才能の出どころが、この回で示された。逃げ上手は父からではなく、額に本音が浮かぶこの叔父から来ている。
そして玄蕃の側も、締めで前を向く。凄みか。俺も何か凄いもん開発するか。天狗野郎の間抜け面を拝むためにも。降りようか考えていた男の口から、次の目標が出た。同じ回のなかで、凄みという一語が忍術の話から人柄の話へ渡り、また技術の話に戻ってくる。




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