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書類を届けてくれた礼にと、ユリウスがエルサを連れ出したのは新しく開いたばかりの植物園だった。女性の扱いには慣れているはずなのに、彼女の前でだけまるで立ち回れない。ヤルモの出現と降り出した雨に本心をかき消され、それでも返ってきたのは「私は雨音を聞くのも楽しかったです」という言葉だった。両親との記憶に濁っていた雨音が塗り替えられ、看病の末にユリウスは「俺には家族ができたのだな」とつぶやく。第5話「遠い雨音」を振り返る。




「好きか嫌いかで考えたことがなかったです」
何を着ていくべきか、で始まる第5話
第5話の入りが実にいい。画面に映るのは、鏡の前で装身具を手に取っては置き、また手に取る次期公爵の姿である。「エルサの服装はあまり派手なものではなく、シックなデザインが多いが、それに合わせるならシンプルすぎるとそっけなく感じるな」「やはり何かつけていくか。それとももう少し色合いを」…宰相補佐官として国政を回している男が、翌日の服装だけで完全に手が止まっている。
そこへ「明日はデートだな」と水を向けられ、「首尾を報告するように」とまで言われる始末。当日の朝も「ユリウス様、奥様が玄関前でお待ちですよ」と急かされて出ていくのだから、周囲の方が事情をよく分かっている。対するエルサの第一声は「楽しみでなかなか寝つけませんでした」で、こちらはこちらで嘘がない。ネット上でも「最初から最後まで予想以上にチキン過ぎて可愛いまである」と評されていたが、その気配は開始数十秒で出そろっていた。
「書類を届けてくれた礼がしたい」
行き先を決めるやりとりが、この回でいちばん静かな山場だと思う。ユリウスの切り出し方はこうだ。「書類を届けてくれた礼がしたい。君の好きなところへ行こう」「どこがいい?」…第4話でようやく口に出せた感謝が、そのまま次の行動になっている。
ところがエルサは即答できない。「えっと、どんな場所があるのか、あまり詳しくないのですが」…そこで「では、どういうことが好きだろうか」と問い直されて、返ってきた答えが重かった。「実家では、なるべく生活費を抑えるようにと、菜園も裁縫も家事も、物心がついた時から自然にやってきたことなので、色々なことを好きか嫌いかで考えたことがなかったです」。
没落貴族の暮らしぶりは第1話から描かれてきたが、それが本人の内側に何を残したのかは、この一言まで明かされていなかった。好き嫌いを選べるのは、選べる余裕がある人だけである。彼女はずっと必要だからやってきただけで、その中に好みという物差しがない。ユリウスの返しがまた良かった。「そうか。では今回の行き先は俺が考えておく」「これから色々なところへ行ってみるとしよう」…好みが分からないなら、これから見つけていけばいい。この回のデートは、そういう約束から始まっている。
植物園と、不思議な人
食虫植物の前でたじろぐ次期公爵
選ばれた行き先は「新しくオープンしたばかりの植物園」だった。理由も明かされる。園芸や植物が好きな彼女なら気に入るだろう、という読みである。「ここでは南の国の植物を育てているそうだ」と説明し、喜ぶ姿を見て「気に入ってくれたならよかった」…ここまでは完璧なエスコートだった。
崩れたのは食虫植物のゾーンである。「グロテスクな形が多いな」と漏らすユリウスの隣で、エルサはまったく違う感想を持っていた。「これは虫が一度にたくさん採れそうですね」…そして周囲に虫が飛んでいることに気づいたユリウスがたじろぐと、彼女は落ち着いて解説する。あれは花の蜜を吸うだけの、刺さない虫なのだと。そこで一言。「虫が苦手だったのですね」「ああ」…完全に守られる側に回っている。エルサ本人は「生まれ育ちが田舎でしたから、こういう施設は初めて見て楽しめました」と満足そうで、その温度差がそのまま笑いになっていた。
トリカブトと、毒草の見分け方
さらに追い打ちが来る。「あちらに咲いている植物は、実家の領地でも見たことがあります」「よく近所のおじいさんと野草を集めていたのですが」…食べられる野草を採っていたのかと問えば、話はそこで終わらない。「こちらは有毒だから気をつけなさいと教えていただきました」「トリカブトという名前なんですよ」。
極めつきが実践的な知識だった。毒草かどうかは、手首か肘の内側に十五分ほど触れさせて、かぶれたり腫れたりしないかを確かめればいい…公爵夫人が語る内容ではない。ユリウスの感想が「君は不思議な人だな」で、エルサは「そうですか?」と本気で首をかしげている。
ここが上手いのは、笑わせながら同時に彼女の来歴を説明し切っているところだ。菜園も裁縫も家事も自分でやってきた人が、山で毒草の見分け方まで教わっているのは当然である。好き嫌いを考えたことがない、という直前の告白と、この妙にたくましい知識は同じ根から出ている。植物園という場所を選んだのはユリウスだが、そこで見えたのは彼女が何を失わずに生きてきたかの方だった。
邪魔者と、遠ざかっていく本心
ヤルモ・パルニラ、二度目の接触
そこへ現れるのがヤルモである。「ユリウス、久しぶりだね」「どうして君がここに」…返答は用意されていた。「この植物園は我がパルニラ家が出資をしていて、今日はその視察だよ」。そのうえで、わざわざ刺してくる。「セラフィーナから君宛に、ここのオープニングパーティーの招待状が届かなかったかい」…ユリウスは「仕事に関わる者以外は欠席の連絡をするようにしていたから、確認できていなかったな」とかわすが、ここでエルサが割って入った。「旦那様もここ最近お帰りも遅かったですし、私のせいで無理をなさったのでは」…本人にその気はないのに、夫の多忙を身内として引き受ける言い方になっている。
第4話のラルト城の庭に続いて、これで二度目の接触である。ユリウスの警戒は当然だった。「パルニラ伯爵家は近年あまりに急速に力をつけ、金の動きも怪しい」…息子であるヤルモにも不審な動きが見えるという。そのうえでの疑問がこれだ。「そのヤルモが、何の理由もなく彼女の前に現れるのか」。視察という説明は筋が通っているのに、二度続けば偶然とは呼びにくい。穏やかなデート回の中で、この一点だけが冷たい。
「なぜ彼女と過ごすときに限って」
エルサ本人は、まるで見当違いのことを気に病んでいた。「何か旦那様にご迷惑をおかけしているのでしたら、おっしゃってください」「私は社交に疎いため、至らない点も多いので」「この前ハンネスにも注意を受けまして」…弟にまで釘を刺されているらしい。ユリウスは即座に否定する。「エルサ、君には迷惑もかけていない」「ヤルモ・パルニラは学生時代同期だったが、あまり親交がなかったから、突然話しかけられて驚いただけだ」。
そして内心の吐露が来る。「女性をエスコートするときは、俺はいつももっと上手く立ち回れていたはずなのに、なぜ彼女と過ごすときに限って」…公式のあらすじが「女性の扱いには慣れているつもりのユリウスだが、なぜかエルサの前ではどうにもうまく立ち回れない」と書いていたのは、この独白のことである。慣れているからこそ、慣れが効かない相手に出会ったときの動揺が大きい。
この回のユリウスは、とにかく間が悪い。本心を告げようとするたびに、ヤルモが現れ、次は降り出した雨にかき消される。視聴者からも「大事なことを言おうとしてるのに邪魔するなよヤルモと雨」「本心から好きと言えないユリウスがもどかしい」と、ほぼ同じ嘆きが並んでいた。それでも一つだけ、彼が自分から動いた場面がある。エルサの手を、ユリウスの方から握ったのだ。言葉が最後まで届かなかった回で、そこだけが確実に伝わっている。
「私は雨音を聞くのも楽しかったです」
雨に降られて台無しになった、と思っていたのはユリウスだけだった。エルサの感想はこうである。「とても楽しかったです。ありがとうございます」…そして続けた。「恵みの雨とも言いますし、私は雨音を聞くのも楽しかったです」。
この一言が効くのは、ユリウスにとっての雨音がまったく違うものだからだ。挟み込まれる回想では、幼い彼が魔術大会で成果を上げている。母は「今日の魔術大会はすごかったわね、ユリウス」と喜び、「お父様もきっとお喜びになるわよ。今夜のお食事の時にお話しして、びっくりさせなきゃ」とまで言ってくれた。ところが、そこに降り出した雨を前にした両親の口から出たのは、まるで別の言葉だった。「今日はひどい一日だな」「ドレスの裾が汚れてしまうじゃない」「外出なんてしなければよかった」…報告は、ついにされないまま終わる。
つまり彼にとっての雨音は、誰にも聞いてもらえなかった日の音なのである。そこへ「雨音を聞くのも楽しかった」と言う人が現れた。ネット上でも「両親との苦い記憶である雨音も、エルサの一言で良き思い出に転じる」「嫌な想い出をエルサが上書きしてくれてる感じ」と、同じ読み方が並んでいた。副題の「遠い雨音」が指しているのは、まさにこの遠ざかっていく記憶の方だろう。なお当のユリウスは帰りの馬車で寝落ちしており、従者いわく「デートに行くために連日睡眠を削っていらしたから」…告げられた診断は「風邪ですね」だった。
「遠い雨音」まとめと考察
「そばにいてほしい」
目を覚ましたユリウスに、エルサが状況を説明する。「植物園の帰りに、馬車の中でお倒れになって」…そして付け加えた一言で、倒れた理由が分かる。「私はあまりドレスも濡れずに済んだのですが」「旦那様のおかげで」。雨から彼女を庇って、自分だけ濡れていたのである。ドレスの裾が汚れると嘆いた両親の記憶が直前に置かれていることを思えば、この対比は意図的だろう。
そして、この回の一番が来る。何か持ってこようかと立ち上がりかけたエルサに、ユリウスがこぼすのだ。「そばにいてほしい」…そのまま眠り、次に目を開けたときも彼女はそこにいた。「エルサ…君は本当に…」「ずっとそばにいてくれたのか」。第1話で「きみを愛する気はない」と言い切った男の口から出る台詞としては、これ以上ないほど遠くまで来ている。
直後に空気を緩めるのがこの作品のうまさで、差し出されたのは実家伝統の体力回復の飲み物だった。「エルサ、この液体、材料は」と怯むユリウスに、「安心してください。すべて菜園で育てているもので作りました。手作りです」「これを飲めば、明日には元気いっぱいですよ」…一口飲んでの感想が「苦い」。それでも「ありがとう。世話をかけてすまない」と続き、返ってきたのは「いえ、すぐ元気になられて安心しました」。医者の薬はこの後ですよ、と釘を刺されるところまで含めて、完全に所帯じみている。
締めの独白が、この回の結論である。「想像していた結婚とは随分と違うけれど、俺には家族ができたのだな」…そして最後にもう一度、噛みしめるように「できたんだ、家族が」。第4話までのユリウスは、エルサに恋愛感情として認識されていないことを気に病んでいた。だがこの回で彼が手に入れたと感じたのは、恋人ではなく家族である。エルサの側はずっと「家族になるのだから」という前提で動いてきたのだから、実は彼女の方が先にその場所に立っていた。ようやく同じ言葉にたどり着いた、という順番になっているのが面白い。
こうして並べ直すと、この回は徹底して言えなかった話で出来ている。好きなものを言えないエルサ、本心を言えないユリウス、雨の日に報告できなかった子供のユリウス。それでも最後には、言葉ではないもの、つまり握った手と、庇って濡れた肩と、苦い手作りの薬湯が全部伝えてしまう。言えないままでも届くことがある、という回だった。公式の予告によれば、次回はアレクシスから命じられたパルニラ伯爵家の夜会に夫婦で参加するという。この回で二度目の接触を果たしたヤルモと、招待状の件を持ち出したセラフィーナ。穏やかな雨音の後に用意されているのは、間違いなく社交界の方の天気である。























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