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『令和のダラさん』第九怪の副題は「学校の七不思議」。毒島先生が語る不思議はどれも職員室ばかりで、しかも数が足りない。ところが五つ目に出てきた花子さんの怪談だけが本物だった。後半は一転して、駅から外れた古いレジャービルの怪異。誰にも語られなかった死のほうが、まるごと居残っている。そして助けに来たのはダラさんではなかった。しかも感謝は、助けた側とは別のところへ流れていく。




七不思議が、そろいもそろって職員室にある
第九怪の副題はそのまま「学校の七不思議」。文化祭の準備で夜まで学校に残っている日向たちのところへ毒島先生が差し入れを持ってきて、うちの学校に七不思議とかあるんかな、という話から始まる。あるぞ、と即答されるあたり、この先生はいつも乗り気である。
語られる中身がまた微妙にしょぼい。創立二十周年の像は建ってすぐ作り直されたのに、深夜零時に職員室の窓から見ると元に戻っている。午前四時四十四分に合わせ鏡をすると死に顔が映って魂を抜かれる、その鏡は職員室の出入り口。生徒側の感想が、深夜零時にそれが見れちゃう職場環境が怖いな、なので、怪異よりも先に労働環境が心配されている。
不思議の場所、偏ってんなぁ
動く解剖模型は、毎日跳ねては床でバラバラになるので片付けが面倒だとキレた宿直に処理されて終わり。物理解決、弱すぎる、と一蹴される。残る一つは黄昏時の校舎にスリッパを擦る音が響くというもので、鳴る場所はやはり職員室。不思議の場所、偏ってんなぁ、また職員室か、という突っ込みが二度出る。
そんな体たらくで七つも不思議出ると思ってるんですか、と詰められた毒島先生の返しが、七つあるとか言っとらんがである。悪い顔しよる、と評されるとおり、七不思議という枠を持ち出したのは生徒のほうで、先生は一度も数を保証していない。
五つ目だけが、本物だった
最後に出てくるのが花子さんである。ドアを三回ノックして花子さんと呼ぶと、なぁに、と村社花子先生が出てくる。怪奇現象じゃねえじゃん、花子先生のデスク扉に近いしな、で片づけられ、四不思議、語呂が悪い、と話は終わってしまう。
ところが同じころ、遠見をしているダラさんのほうは剣呑なことを言っている。中学校は遠見が通りにくい、ただでさえ得意な閉鎖社会、念の籠り方も同様に得意で霊的に不安定。歪んだ場は歪んだ界を呼ぶ。霊気に恵まれた日向が日没後にそんな場所にいれば、なんぞ引き寄せてしまうかもしれぬな、と。公式のあらすじが言う歪みはこれである。
情報に隠れ、記憶にたどり着けぬ隠形
先生たちが帰った後、ダラさんは種明かしをする。日向ですら見破れぬか、いや妙だと感じられるだけでご立派と言うべきか。隠形とは姿を隠すこと。だが中には五感からではなく、情報に隠れ、記憶にたどり着けぬ隠形もある。
その直前の日向たちの会話が、まさにそれを実演していた。花子先生ってどのクラスの担任だっけ、副担とか非常勤とちゃうか、明日聞いてみようか、と話しておいて、すぐに、この話前もした気がするんやけど、答えを聞いたっけ、そもそも質問したっけ、とほどけていく。まあいいよ、で流れてしまう。話題に出す回数は多いのに、答えだけがどうしても残らない。
職員室に不思議が集まっていた理由
そう分かってから振り返ると、不思議が職員室にばかり集まっていたことにも別の見え方が出てくる。噂の集中する場所に、当の本人が席を置いているわけだ。ネットの反応にも、実害はないタイプなのに職員室周りだけ噂が集中しているのはどうなのか、という指摘が出ていた。ダラさんの評は、人に紛れることしか能も興味もない、時代が変われば面白いやつも現れるものだな、そしてひとこと、わずか一年。
呪腕の底に淀んでいたもの
過去編は、前回の続きで呪腕の始末にかかる。調べる側の問いの立て方がいい。あの方から切り離されたこの腕は、本当にあの惨劇の夜、無作為に祟りを振りまいたのやろうか。それならばなぜ、幼子や東西のいさかいに関わらなかった者らは助かったのか。無差別に見えて、選ばれていた形跡がある。
続けて、もしこの腕に怒りや恨み以外に、あの方が抑え込んでいた感情が宿っていたのなら、と踏み込み、呪腕よ、お前の底には何が淀んでおるのやと問いかける。祟りの正体を、恨みの強さではなく成分で調べにいく手つきである。
十郎太と共にありたいという、秘めた欲望
答えは、十郎太と共にありたいという秘めた欲望だった。勝手に叶わぬと思い込んでいた彼との縁。妹巫女が諦めていたその思いは、呪腕の中で歪な執着となって渦巻いていた、と語られる。前回、祠に祀られた左腕について、恨みよりもここを守りたいという意識が強かったのであろうな、と言われていたことを思い出したい。右も左も、恨みだけでできてはいなかった。
叶ったのに、人としては結ばれない
呪腕に引き込まれて右手を失った十郎太は、三日三晩高熱にうなされ、目覚めると何か生まれ変わったようだと語る。下された見立てが、呪腕に右腕を捧げ受け入れられたとするならば、十郎太、お前さん人を辞めたかもしれん。二つの山神が張り合って均衡していたところへ、それを崩す第三の存在になった、という説明も添えられる。
そのうえで語られるのが、山の神には嫉妬深い女の神が多く、気に入られた男は様々な加護を受ける代わりに女との縁がすっかりなくなる、山の神さんのもんには手が出せんてこった、という話である。共にありたいという願いは、たしかに叶っている。ただし叶い方が、生きた人間としては誰とも結ばれないという形をしている。祝福と呪いの区別がつかない。
語られなかった怪談のほうが、残っている
後半は打って変わって現代のホラーになる。映画の帰り、駅から外れた古いレジャービルに寄り道する流れだ。昔は屋内遊園地みたいな設備もあったが今はシャッターが閉まってゴーストタウンみたいになっている、見に行かへん、という軽さで入っていく。
中の描写がうまい。全然古い建物って感じやないのにガラガラ、ダンジョンみてぇ、案内図だと二店舗だけ営業している。それ、ビル側も店側もやっていけんの、という当然の疑問に、それでもここで店を開けているのはこだわりなんかな、と話が続く。
終わらせ損ねたねや。店も建物もな
そこへ現れるおっちゃんの一言が、終わらせ損ねたねや。店も建物もな。おらここで何年も雨露しのがせてもろうとったんや、という自己紹介の時点でもう普通ではない。この人物が語る来歴が、この回でいちばん怖い。ここがオープンしてすぐ死人が出た。スタッフの事故死ということで、新聞でも小さな記事にしかならなかった。死因は溺死。建物の中で溺れている。
俺を含め屋外では三人、建てる時にも死んでいる、と数が積み上がる。前半の七不思議が、語られて笑われて無害になっていたのと正反対で、こちらは誰にも怪談として語られなかったぶん、まるごと居残っている。同じ回の中に、語られた怪異と語られなかった怪異が並べて置かれている。
よりによってお守りを置いてきた日
しかも日向はこの日、お守りを家に置いてきていた。金具に引っ掛けたみたいだよ、という報告を受けたダラさんは、かまわんよ、じゃが少々心配じゃな、と言いつつ、友人と映画に行くくらいなら問題なかろうがと流している。学校を警戒していた神様が、警戒しなかった外出のほうで事故が起きる。何度も同じ通路に戻される場面の、なんなんやこれ、という声が効く。
助けに来たのは、ダラさんではない
ここがこの回の妙味で、ダラさんは最後まで現場に来ない。代わりに動くのが、周に取り憑いて一緒に出かけていたおろちである。彼らは呪いに呑まれた苦悶の在身、ただただ己の受けた苦しみを他者へ撒き散らす悪霊よ、という見切りから始まって、いくら非凡な霊力があっても、この場この数は弾ききれまい、と冷静に戦力を数える。
日向を守るのかと思えば、口にするのは、呪い殺された小娘の魂は、ちゃんと我が腹に入れて持ち帰ってやるゆえなという物騒な独白である。守る気ではなく、獲物を横取りされたくないという理屈で動いている。小娘の魂に隠れて潜んでいた我ごと喰えるとでも思ったか、舐めるな、出てこい祟りのもとよ、と啖呵を切って引きずり出す。
淀みという、この作品恒例の設定講義
相手の挑発が、淀みも使えぬ若造が、まさに井の中の何とやら。ここで例によって解説が入る。淀みとは、土地に対して発生する所有権のない霊力の塊。古い拝み師が土地と縁を結ぶのは、これとの相性を良くして自分の力に強く乗せるためだという。怪異をただ怖がらせずに、成り立ちのほうを説明してしまうのがこの作品の持ち味で、今回もきっちり一枚挟んでくる。
たった五人とはいえ、信心を受けて
淀みを取り込んで一時的に受肉した蛇に当てられ、女子中学生たちは気を失う。ただしその直前に彼女らが抱いたのは、恐れや恐怖より強い感情だった、と語られる。なんかでけえ蛇が助けに来たの、やったぜ、という感謝や応援、尊び敬う心である。そして、今まで恐れだけを喰らって育った蛇は、今だけはたった五人とはいえ、信心を受けて顕現した。ネットの反応にも、信仰されたことで白くなった、という観察が並んでいた。
まとめ、信心の宛先がぜんぶずれている
目を覚ました後の場面が周到だ。こういうのよく夢だったのかとか言うけど、そんなわけあるかい、と否定して、全員で覚えてる内容チェックしまーすと検証を始める。前半で花子先生の話が何度もほどけていたのと、はっきり対になっている。忘れさせる怪異の回に、忘れないための作業が置かれている。
問題はそこから先で、感謝の宛先が見事に散らばる。うちの神社の神様は悪い蛇を退治したあと改心した蛇を使うという話がある、ダラさんが元々悪もんやないって伝わった部分がそうなったんかな、と話が転がり、日向は、友人に害のなさそうな蛇の神様みたいなのがついていたのを見たことがあるからあの子が頑張ってくれたんやろなぁと受け取る。締めは、こんなん誰も信じてくれへんやろうけど、ペットの蛇ちゃんに感謝感謝や、である。
力が集まっている先を、本人が知らない
当のおろちは、ゆくゆくはこの小娘どもを我の依り代にして現し世に置くのもありかもな、わずかとはいえ信心が流れ込んで力が蓄積されているのが分かるぞ、と満足している。ところが語りが最後に付け足す。ここでも気づかなかった、どちらかというとダラさんのほうが多く力を得ていることに。実際に助けた側ではなく、山の神として名前を知られている側へ、信心は勝手に流れていく。
こうして並べると、この回はずっとそう呼ばれているものと、実際にそこにあるものが噛み合わない話をしている。七不思議と呼ばれた四つ、怪奇現象ではないと笑われた本物、新聞に小さくしか載らなかった死、恨みだと思われていた腕、そして助けた者に届かない感謝。副題が学校の七不思議でありながら、その七不思議がいちばん無害だったという構成そのものが、そのまま主題になっている。
オチも抜かりがない。日向が家で、友達にちっちゃい蛇がついている、と何気なく報告してしまう。何かと蛇に縁のある土地じゃなぁ、と流されて終わるのだが、語りいわく普通に、存在はばらされた。隠れているつもりの側が、今度は雑談ひとつで表に引き出される。次回、この情報がどこに効いてくるのかが楽しみだ。




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