この記事の作品:
第6話は、ライターのガスが切れたヤニねこが、火を絶やさないために吸い続けるところから始まる。飲み会でお手洗いに立ったはずのアルねこはそのまま江ノ島まで行ってしまい、迎えに走るのは大家とヤクねこだ。締め切り直前のおちんぽ達郎の部屋には派遣会社から三人のアシスタントがやってきて、修羅場の果てに涙が落ちる。そしてペンペンねこという新顔が現れる回でもある。




ライターのガスが切れた夜
「消したらもう吸えねえ」
開幕がもう詰んでいる。ライターが切れたにゃ。コンビニ行くのはめんどくせえし、と言ったところで代わりも無い。ガスも止められてるし、消したらもう吸えねえ。火の供給源が、いま指に挟まっている一本しかないという状況である。
そこで出てくる結論が実に潔い。頭いいにゃ。このまま朝まで吸い続けるにゃ。節約でも我慢でもなく、燃やし続けるほうを選ぶ。
公共料金が止まっていることを、火が無いという一点でしか気にしていないのがこの主人公だ。第1話からずっとそうなのだが、今回は開幕十数秒でそれを言い切ってくる。気持ちがいいくらい一貫している。
お手洗いに立ったはずが、江ノ島にいた
場面は飲み会へ。突き当たりを右っす、とお手洗いの場所を教えられたアルねこが、そのまま出口へ向かっていく。お客様、と店員に呼ばれても止まらない。大丈夫やろ、財布持っとるし、という見送りが致命的だった。
突き当たりを右、突き当たり、どこ。頭の中の指示だけを頼りにさまよった結果、たどり着いたのがタクシーで、気づけば江ノ島にいた。
朝日綺麗でしたよ、という報告に、つかなんで江ノ島まで行ってんねんと当然の突っ込みが入る。ボケのレベル高すぎて嫉妬しそうやわ、というのが結論だった。
お手洗いに行って帰ってこないだけなら笑い話で済むのに、行き先が観光地でしかも朝日つきというのがずるい。夜明けの海の絵がきちんと綺麗なので、余計に台無しで良かった。
迎えに行く側の話
軽トラのラジオと、位置情報
迎えに走ったのは大家とヤクねこだった。アルこのとこまであとどんぐらい、二十分ってとこですね、という会話が軽トラの中で交わされる。行方不明の酔っぱらいを、居場所を把握したうえで回収しに行っている。
視聴者からは、徘徊する老人と変わらない、という言われようだった。それでも遠くまで探しに行く側がいて、しかも慣れている。このアパートの人間関係が、こういう形で毎回示される。
道中で流れているのがお笑い芸人のラジオで、夜明け前の道路と軽トラとラジオという画の作りが妙に良かった。やっていることは酔っぱらいの回収なのに、絵だけ見ると別の作品である。
「お盆、親御さんとこに顔出したか?」
その車内で、大家がふいに聞く。お盆、親御さんとこに顔出したか。え、ああ、と言葉に詰まったヤクねこの答えが、帰ってないっすねぇ、だった。
理由は短い。なんか気まずくて。そこへ返るのが、顔出したら喜ぶだろう、いい人たちだし、という一言である。説教でも詮索でもなく、それだけ言って話は流れていく。
口は悪いが面倒見が良い、という設定がここで一番効いた。深夜に人ひとり拾いに行きながら、ついでのようにこの話をする。全体がふざけている回だからこそ、この数十秒が刺さった。
後頭部という名の物置き
毛量に比例して、しまえるものも大きくなった
今日はいつにも増して湿度が高い。おかげで髪がゴワゴワ膨らんで、という話から、カンサイねこのボケが一往復してアルねこの髪に話題が移る。
そこでヤニねこが取り出したのがタバコのカートンだった。毛量に比例して、しまえるものも大きくなったにゃ。ニャーはよく物をなくすから、ここに大切な物をしまっておくにゃ、関西も使ってみるといいにゃ、と勧誘までしてくる。
驚くのは持ち主の反応で、自分の後頭部を植民地化されて何ともないんかと聞かれて、別にいいかな、で終わる。ほんま断ること覚えな、という忠告も届かない。
さらに掘り返すと、ヤクねこの巣まで入っていた。置き場所探してたんで使わせてもらってます、そっか、戻しとくわ。人の頭部に詰め込みすぎやろ、人権侵害の新しいスタイルか、という総括が正しい。この作品の「持ち物が少ない人ほど場所を貸してしまう」感じが、こんなところにも出ている。
アルコールが毛先に蓄積して引火した、証明終了
そのあと、ヤニねこが吸っていたタバコを見失う。どっか落としたんちゃうか、よう探せよ、アパートすぐに全焼してまうぞ。そして、なんか焦げ臭くないっすか、と続く。
燃えていたのはアルねこの髪だった。燃え方えぐぅ、おもろいくらい燃えとるわ、つか平気な顔しとるけど熱くないんか。本人だけが動じていないのが一番おかしい。
ここでカンサイねこが推理を披露する。直火で炙ったならまだしも、タバコの火でこうなるか普通。こいつが普段飲んどるアルコールが毛先に回って蓄積され、それに引火して今火だるまになっとるんやな。証明終了や。
なんでそんな冷静なんですか、という叫びの横で、ヤニねこはその火でタバコに火をつける。ちょっと火借りるにゃ、いいよ、いいんですかお。焦げたところを切って元通りになるまでが一連の流れで、誰ひとり反省しないのがこの作品の平常運転だった。
スクリーンタイム見せてよ
妄想が四分五裂して、一日が終わる
創作が進まないと嘆く後輩の相談パートがある。最近創作活動がうまくいってなくて。頭の中でこう、パーッと物語の断片が生まれ出ては散ってを繰り返し、まとめようにも次から次へと来る。
そこからの熱量がすごい。時間っていくらあっても足りないですよね。作品は世に出して初めて認められます。でも形にする前に、私の中の孤独が無限に吐き出す妄想が四分五裂。気づいたら一日が終わっちゃって何もできないですよ。
大変だね、と流したヤニねこが差し出すのが最短の刃だった。ちょっとスクリーンタイム見せてよ。スマホ借りていい、どうぞ。そして、一週間で六十時間。
言い訳の量と、実際に消えている時間が同じ画面の中で突き合わされる。身に覚えがありすぎて笑うしかない。この後輩は前にも顔を出していて、視聴者からもなんか黒髪の子、前から居た、と首をひねられていた。
「いつものアシさんたち都合がつかなくてですね」
もう一方の締め切りはおちんぽ達郎である。いつものアシさんたち都合がつかなくてですね。そこで派遣会社に連絡して、アシスタント経験がある子たちを頼んだという。
大丈夫かなぁ、今週マジでピンチなんだよね。知らない子が3人も私の部屋に、大丈夫だよね。獣人さんて大らかな性格の人が多いし、と自分に言い聞かせる独白が続く。怖い人じゃないといいなぁ、という心配まで込みで、人見知りの描写が丁寧だった。
やってきた三人は、ベタ、トーン、背景と分担が振られる。悪い子たちではなさそうだなぁ、というのが第一印象で、この中にタバコを吸わない人って、という確認まで通る。
依頼する側もされる側も、悪意はどこにも無い。それでも修羅場は修羅場として進行していく。そのことがこの後、まるごと効いてくる。
てんやわんやの仕事場
ベタもトーンも背景も、危なっかしい
できたの、確認しますねー、どれどれ。嘘、まだ一コマ目のベタ。確かに一時間くらい作業してたはず、という計算が合わない。それでも達郎は、綺麗に塗れてるね、この調子でお願いねー、と褒める。
トーン担当は早いが少し荒い。しかもど真ん中から抜いて使っている。そんな豪華な使い方されたら、と言いかけて、いや言うまい、今はこの修羅場を乗り切ることが肝心よ、と飲み込む。
背景担当には、ごめん、窓一つ増やしたくて、と追加の注文が飛ぶ。返ってくるのが、大丈夫大丈夫である。そもそも私の絵って下手だし、味で乗りきれる。
三人とも一生懸命で、一生懸命なぶんだけ噛み合っていない。視聴者からも、へっぽこだけど観てて和んでくる、と評されていた。この和みが、次の場面をよけいに苦しくする。
「いちいち一コマごとに見せに来ないでさ」
限界は静かに来る。もう何時間寝てないんだっけ。目がかすんで頭痛い。そもそも私の絵が悪いんだよなぁ。何してるんだっけ、こんな紙に汚いシミをつけて私は。公式のあらすじが予告していた涙雨は、この紙の上に落ちる。
そして出てしまう。あのさ、いちいち一コマごとに見せに来ないでさ。せめて1ページ完成したらにしてくれないかな、時間がもったいないからさ。あと作業中はもう少し静かにしてくれる、声がうるさくて集中できない。
我に返るのも早かった。みんな、さっきはひどい態度とってごめんなさい。追い詰められたイライラをついみんなにぶつけてしまいました。もう絶対怒りません。
見送りまで含めて律儀である。みんな長時間ありがとうね、派遣会社にはA評価で伝えておくから、よかったらまた手伝ってね。残り3ページ、ペン入れと仕上げ、締め切りまであと2時間。人は一生で5回だけゲージを使えるという。一回を今ここで使う。
怒った側も怒られた側も、どちらも悪くないのが一番きつい。帰り道の、先生いい人だったでござるな、次もっと役に立てるように特訓しようよ、という会話で救われた。やっていることは滅茶苦茶なのに、ここだけ妙に真っ当な職場の話になっている。
ペンペンねこという新顔
全てを捨て自然と共に生きるからこそ
後半に現れるのがペンペンねこである。河原らしき場所にテントを張り、いつも草を茹でている。理由を聞けば、金ないにゃ、と身も蓋もない要約が返るのだが、本人の言い分は違う。
社会的価値観に縛られてはいけないよ。全てを捨て、自然と共に生きるからこそ見えるものがあるのさ。でもテントとか使ってるにゃ、と指摘されると、これは拾ったものだからセーフさ、と即座に線を引き直す。
通りかかった野良猫への態度がまた良い。この辺りを縄張りにしてる子だねえ。こんなにちっちゃくても僕よりうんと先輩さ。風を感じ、大地を家とし、生きる意味の探索者。そういう意味での尊敬すべき先輩。
その先輩に引っ掻かれて血が出ても、感情には理由があるのさ。この痛みだって大切なものの一つだよと言い切る。血ドロドロ出てるにゃ、平気さ、たおやかな風が治してくれる。格好つけの純度が高すぎて、もはや清々しい。
「なんで隅っこ見てるにゃ」
ヤニねこがここへ通う理由は身も蓋もない。しけもくである。拾い集めているうちに在庫が尽きて、しけもくなくなったから帰るにゃ、と腰を上げる。
じゃあね、また欲しくなったらおいで。そこまでは普通の別れだった。ところが去りかけたヤニねこが戻ってくると、ペンペンねこが隅の方を向いている。
なんで隅っこ見てるにゃ、なんでもないよ、怪しいにゃ、こっち向けにゃ、やだよ。無理やり向かせた顔が濡れていて、違う、これはね、自然と一体になることで涙がさと言い訳が始まる。
ヤニねこの返しが、この回で一番やさしい嘘だった。まだしけもくがあったにゃ。また来るにゃ。寂しいとは言わせず、しけもくのせいにして居座る。こういうところがあるから、この作品は汚いだけで終わらない。
「ニャーの夏が始まって終わるにゃ」まとめと考察
無欲の生活を続けると、もはや何にも心揺らぐことはない
カエル捕まえに行くにゃ、と言い出したヤニねこに、ペンペンねこが長い講釈を始める。人類の歴史は食欲から始まったと言われてるんだ。そして物欲、性欲、支配欲。あげればキリがないけれど。
結論はこうだった。欲は常に争いのトリガーとして働いていた。僕がああいう生活をしているのは、人類がそういった甘く危険な欲に抗える存在だって証明したいからなんだ。
そして胸を張る。ごらん、無欲の生活を続けると、もはや何にも心揺らぐことはない。ヤニネコちゃんも執着を捨てることをお勧めするよ、カエルなんていつでも食べれるじゃないか。返ってきたのは、食べたくて捕まえるわけじゃねえにゃ、である。
この講釈の直前に、しけもくが無くなっただけで泣いていたのがこの人だ。持つものが少なくなるほど、残ったものへの愛着も執着も激しくなる。無欲を語る人がいちばん執着しているという構図が、笑いどころとして置かれながら、そのまま今回の主題になっている。
「大きめのゴミが流れています」
幕切れは容赦がない。テレビの台風中継が、濁流に飲まれ様々なものが流されています、と伝えている。この人も物欲を捨てられないからこんな仕事を、とペンペンねこが画面の向こうの記者を憐れんだ、その直後だった。
流れていたのは自分のテントである。お前の住処にゃ、という指摘と絶叫が重なり、中継の音声が大きめのゴミが流れていますと締める。何にも心揺らぐことはない、と言った口が、三分ももたなかった。
そして最後の一言が、夏も終わりにゃ。サブタイトルの「ニャーの夏が始まって終わるにゃ」を、他人の家が流れていく画で回収してくるのが本当に悪い。
今回は全体として音数が少なく、絵で持たせる時間が長かった。夜明けの江ノ島、軽トラのラジオ、河原のテント、そして落ちていた花火をタバコ代わりに咥えるヤニねこ。やっていることは相変わらず滅茶苦茶なのに、背景まで情緒たっぷりに描かれるとしんみりしてしまう、という感想が並んでいた。
ペンペンねこの扱いが、この先どうなるかは分からない。映像の主題歌部分にはまだ姿が無く、それでも一話まるごと持っていくだけの濃さがあった。夏が終わったこのアパートに、また一人増えるのかどうか。そこが次の楽しみである。




関連作品:


















コメント