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公式副題は第9幕「天(テングリ)」。この三十分で「テングリ」という言葉を口にするのは、トルイただひとりである。戦では嵐を呼ぶ石が使われ、天幕では毒消しの石が削られ、最後には兄の身代わりの器を弟が空ける。第6幕でシタラがドレゲネに誓った「石」と「嵐」が、この幕では別々の人の手で働いていた。




副題の「テングリ」を口にするのは、この幕を通してトルイだけである
十五万に囲まれた四万が、天に問いを出す
第9幕はモンゴルと金国の開戦から動き出す。トルイ軍は黄河を渡り、金国の都・開封から約130キロの丘のふもとに陣を敷いて援軍を待った。囲まれた陣中で交わされるのは「15万もいるそうですよ、敵軍」「味方は」「4万弱かと」という数の確認である。援軍が間に合わなかったらまずい、という声に、トルイは「間に合うんだから心配ない」と返す。
そのうえで彼が出すのが「よし、では運命をテングリに尋ねるのはどうだ」という一言だ。続けて、ジャダ石を扱える者を兵の中から探せと命じる。兵たちの反応は「ジャダ石って嵐を呼ぶんですよね」「トルイ様は何をする気なんでしょう」。雪が舞い風が出はじめると、トルイは「我らの願いを叶えてくれるか」とだけ言う。
ただし、そのすぐ後の命令が面白い。今すぐ塹壕を掘れ、嵐が来る前に人も馬も隠れろ、馬には覆いをかけて人もできるだけ着込め。天に運命を尋ねると言いながら、答えが出る前に生き延びる支度を終えている。嵐は三昼夜続き、四日目、寒さと疲れにさらされ続けた金国軍はモンゴル軍の攻撃になすすべなく壊滅した。
嵐を呼ぶ手は、呼んだ側に返ってきたことがある
勝った直後に、将軍の昔語りが挟まる。「チンギス・カンがまだ草原の王者たちと争っていた頃、敵がジャダ石を使ったことがあった」。ところが「嵐はチンギス・カンではなく、敵軍の上に降りかかった」。この手は呼んだ側に返ってくることがある、と勝ち戦の直後に、この幕は自分から釘を刺している。
将軍はそのまま「トルイ様を見ていると、まるで…」と言いかけ、続きを言わずに「そんな話、忘れてくれ」と自分で打ち切る。直前まで話していた相手はチンギス・カンだ。第8幕でソルコクタニが「力を持ちすぎると、恐れられ恨まれるもの」と案じていたのは、敵から向けられる話だけではないらしい。味方の将軍でさえ、言いかけて飲み込んでいる。
勝ったのは自分なのに、軍旗の持ち主を兄にした
都に間に合ったトルイに、オゴタイが「よくやってくれたね」と声をかける。返事はこうだ。「なんの。テングリが兄上の軍旗に味方したのです」。石を探させたのも、塹壕を掘らせたのも自分なのに、味方したのは兄の旗のほうだ、という言い方をする。オゴタイは「俺は良い弟を持って幸せだ」と受けた。
数え直すと、この幕で「テングリ」と口にするのはトルイひとりである。戦のとき、兄への報告のとき、ソルコクタニをなだめるとき、そして最後の祈りのとき。ほかの誰も、この言葉を使わない。副題は、この回の主題であると同時に、一人の人物の口癖として置かれている。
第6幕の誓いにあった二つの力が、この幕では別々の人の手で使われる
「私があなた様の新たなジャダ石となりましょう。嵐も起こせましょう」
第6幕でシタラがドレゲネに差し出した同盟の言葉が、これだった。石と嵐、二つの力を自分が引き受けるという宣言である。もとをたどれば、その石はメルキト族の長ダイルがドレゲネに渡した餞別で、「嵐を呼ぶ石だ」という説明がついていた。
第9幕は、その二つが別々の人の手で使われる幕になっている。嵐を呼んだのはトルイで、石を差し出したのはシタラだが、渡した相手はドレゲネではない。
石は毒消しとして、半分以上が削られる
大カアンが倒れたあと、ボラクチンに呼ばれたシタラは症状を見て「この症状は以前のボラクチン様と同じ、鉱山の埃の毒で間違いないようです」と診る。手の中の石を見ながら胸の内で数えるのが「もう半分以上使ってしまった」だ。そして手のひらの石を差し出し、「ボラクチン様、この石を砕いて毎日大カアンに飲ませてください」と言う。第8幕でジャダ石が「ペルシアではベゾアール石といって、れっきとした毒消しの薬ですわ」と説明された、その用法である。
続く一言が効く。「もし足りなかったら、別のジャダ石を探してください」「できれば、これと同じ色合いの石を」。足りるかどうかを自分で保証できないところまで、石は減っている。ボラクチンは受け取って「礼を言うぞ」と言った。
この一連の場面には、「私はあなた様の新たなジャダ石となりましょう」という言葉がもう一度置かれる。第6幕でドレゲネに向けて言った誓いと同じ文である。思い出しているのか、相手を替えて言い直しているのかは、この幕では判別できない。どちらだとしても、石が減っていることだけは変わらない。
この石の来歴を並べると効きが分かる。第5幕では盗んだと疑われた濡れ衣の材料で、第8幕では毒消しになり、第9幕で二人目の命に使われて残りが心もとなくなった。誓いに出てきた二つのうち、嵐のほうは敵を倒すために別の人が呼び、石のほうはドレゲネが疑われている毒を消すために削られている。同盟の中身が、そのまま同盟の外側で働いている。
モゲが「毒だ」と言うのは二度目だが、今度は自分の目で見ていない
一度目は自分で見て、組み立て方だけを間違えた
第8幕のモゲは、ボラクチンが毒を盛られていると訴えていた。根拠は、医者が外丹の説明をする場で「実際に飲んだ者は皆、毒にやられて命を縮めました」と言うのを立ち聞きし、「その時、確かに毒って言ったんだ」と受け取ったことだった。危険性の説明を犯行の告白として読んでしまった形で、実際にはボラクチンが不老不死のために自分で飲んでいた。
つまりモゲは、自分の目と耳で材料を集め、組み立て方だけを間違えた人である。
二度目は、材料そのものを人からもらっている
第9幕のモゲはシタラを呼び出して「大カアンは毒をもられた」と言う。そして続けるのが「今度は私の思い込みじゃないよ。ボラクチンが言ったんだもの」だ。一度目を自分でも失敗だと分かっているので、二度目は自分の判断を根拠から外している。
ところが外した先が、いちばん確かめにくい相手だった。症状が前と同じであること、ボラクチンの持っていた鉱山の埃が無くなっていたこと、「あれがあそこにあるってこと、知ってる人は少ないよ」ということ。三つとも、ボラクチンの天幕の中でしか確かめられない事実である。一度目の反省が、そのまま二度目の弱点になっている。
それでもシタラは、この人にだけ勝てない
シタラが「誓って私はこの件何も存じません」と弁明を始めると、モゲは途中で「よかった、あなたじゃないね」と打ち切る。理由が「いいよ、聞いたって分かんないし」「でもね、私頭は悪いけど、嘘ついてるかどうかはなんとなく分かるんだ」だ。公式のキャラクター紹介でもモゲは「自らを『頭は悪い』と評しているが、無邪気で素直な性格」と書かれている(※2)。
そのうえで、シタラが胸の内で疑ったところに「あ、今本当かって思ったな」と当ててくる。理屈を組み立てない相手には、シタラの武器が効かない。第8幕でボラクチンを動かした手も、第7幕でドレゲネの秘密を預かった流れも、どちらも相手が考える人だったから成立していた。
ボラクチンが使ったのは、第8幕でシタラが使ったのと同じ手だった
第8幕でシタラがしたこと
第8幕のシタラは、嘘を一つもつかずにボラクチンを動かした。「以前チンカイ様は書記官が足りないと言っていました。どうしてでしょう」と質問だけを置き、「モンゴルが手に入れた知識人たちの多くが、トルイ家のものになっているからなのだ」という答えを相手の口から出させ、最後に「トルイ様も同じ思いでしょうか」と疑問符だけ残して帰った。帰り道の内心は「油断ならない人かと思ったけど、案外扱いやすいわね」である。
第9幕でボラクチンがしたこと
第9幕のボラクチンは、大カアンを助けてほしいとシタラを呼ぶ。「医者はドレゲネが接近したかもしれなくてな」「今は誰を信頼してよいかもわからないのだ」。そのうえで、シタラが「ドレゲネ様はどうして大カアンに毒など」と口にした瞬間から、話の向きが変わる。
「そうか、ドレゲネはお前の主人だったな」から始めて、「あの女は愚かだ」「以前から大カアンへの恨みを公然と口にしていた」「そこにお前という知恵を得て、この凶行に及んだのだろう」と積み、最後にこう置く。「きっと最後には、お前に全ての罪を着せ、逃げるつもりだったのだ」。
シタラが「まさか」と返し、ドレゲネは胸の内に抱いていたことも、かつて愛していた人たちのことも打ち明けてくれた、と言う。ここでのボラクチンの返しが断定ではないところが怖い。「本当にそうかな」「お前はソルコクタニのところからやってきた」「そんなお前をやすやすと信用するほど、ドレゲネはお人よしではない」。そして「思い出してみなさい」「あの女、怪しいところもあったのではないか」。
結論を言わずに、相手の記憶の中から結論を探させている。第8幕でシタラが使ったのと、まったく同じ形だ。違うのは、視聴者だけが答えを知っていることである。第7幕のドレゲネは、会ったばかりのシタラにメルキトへ嫁いだ過去という致命的な弱みを預けた人で、そのときのシタラの内心は「危なっかしい人だ」だった。「ドレゲネはお人よしではない」は、この作品がずっと見せてきた姿と正反対である。
シタラの伝言が、ソルコクタニの警戒をほどいてしまう
ソルコクタニは第8幕の時点で、手まで打っていた
第8幕、留守の天幕でソルコクタニはこう祈っていた。「私もトルイが戦いで負けるなんて思わないわ。けれど、災いは戦場以外にもあるかもしれない」「力を持ちすぎると、恐れられ恨まれるもの」。子に「なら母上も気をつけて」と言われて返したのが「私を気にする人なんていないわよ」である。
祈っていただけではなかった。第9幕で凱旋の場に現れたシラがシタラに言うのが「しばらくトルイ様のそばにいろって、ソルコクタニ様が」だ。読むだけでなく、人を配置するところまでやっていたことになる。
打った手を、たった一つの伝言が外す
大カアンが倒れ、ボラクチンがカムを呼んで祈祷をすると聞いたとき、ソルコクタニは「待ってトルイ」「なんだか引っかかるわ、急な病なんて」と止めに入る。ここでシラが伝えるのが、外国の医者に頼ってばかりではよく思わない人も多いから、モンゴルの伝統にのっとって祈祷もしておきたい、というシタラの説明だ。添えられていたのが「ご安心ください。ボラクチン様は聡明で信頼できるお方ですわ」である。
ソルコクタニの返しは「確かに、ボラクチン・カトゥンは聡明な方だと聞くわ」。トルイも「心配しすぎだ」「祈祷だぞ、始めから疑ってどうする」「兄上は戦でもテングリが味方したお方。今度もきっとテングリがお守り下さるさ」と重ねる。ソルコクタニは「それもそうね」「ファーティマが言うのだから信じましょう」で引き下がった。
この伝言に嘘は一つもない。ボラクチンは実際に聡明で、祈祷の説明も筋が通っている。第8幕でシタラがボラクチンに使ったのと同じ「嘘のない材料」が、今度はソルコクタニの警戒を外す側に働いた。しかもシタラ自身は、その少し前に「何かしら、嫌な予感が」「何かが変な気がする」と胸の内でつぶやいている。予感を持ったまま、安心してくださいと伝えていることになる。仕掛けだったのか、それとも本心だったのかは、この幕では示されない。
まとめ──兄の代わりに器を空けた弟と、誰のものとも示されない笑う口元
身代わりの条件が「血縁」に絞られる
祈祷の場でカムが告げるのは「器の水に悪霊たちを封じました」「守護霊たちが申すには、病人を助けるために身代わりが必要です」「誰かこの水を飲み干してください」。名乗り出た者に対して、すぐに条件が足される。「身代わりは血縁の方がいいでしょう」「つまり大カアンのお母さんかお子様かお孫様か、あるいはご兄弟」。
火を囲んだ天幕には人が集まっている。その中でトルイが「なら俺だな」と受ける。先に手を挙げてから条件が付いたのではなく、条件が示された後で、それに当てはまる者として名乗り出たという順番だ。
神学の議論を一人で済ませてから、飲む
器を持ったトルイの祈りは、頼みごとではなく交渉になっている。「テングリよ、もし罪によって兄上の魂を連れ去ったのなら、あなたはもっと罪深い魂をご存じのはず」「兄上より多くの敵を殺し、多くのものを俺は奪った」。罪の量なら自分のほうがふさわしい、という理屈だ。
そこで自分から言い直す。「いや待てよ、テングリが才能を見込んでおそばに召したとも考えられるか」。そして笑いながら「まっ、その場合でも俺ですね」。罪でも才能でも自分が選ばれるという結論を、両側から自分で確かめてから飲んでいる。
飲み干したあとに漏れるのが「生きてえな」だ。ここまでの明るさが全部、決めるための助走だったと分かる一言である。第4幕でトルイは、慣習では自分が継ぐはずだった位を兄に譲り、「俺たち兄弟の結束こそモンゴルを真に強くする。それが親父の願いで、俺の一番の願いだ」と語っていた。譲るものが、位から命に変わっただけである。
脚本と演出の担当が、この読みを裏書きしている
公式サイトの各話スタッフを見ると、第9幕の脚本は井上美緒(※1)。この人が書いたのは第4幕「炉の主(オッチギン)」と第7幕「兄弟」、そして第9幕「天(テングリ)」の三本で、いずれもトルイが兄との関係の中で何を差し出すかを決める幕だ。全九幕のうち副題にカタカナの読みが付いているのは「炉の主(オッチギン)」と「天(テングリ)」の二つだけで、どちらもこの脚本家の回である。
絵コンテ・演出の松永浩太郎は、第6幕「メルゲンの民」で演出を務めた人(※1)。第6幕はドレゲネがダイルからジャダ石を受け取る幕で、第9幕はその石が使い切られかける幕である。作画監督は七人で、これは全九幕を通していちばん多い。
この幕には、誰のものとも示されないまま笑う口元のカットが差し込まれる。この幕は、誰が何を仕込んだかを一つも説明しない。分かるのは、嵐を呼ぶ手は呼んだ側に返ることがあると将軍が語ったこと、そのすぐ後で兄のための儀式が弟に向いたこと、そして公式のあらすじが「不審に感じたシタラは密かに様子を見に行くが……」で終わっていて、そこから先は一行も書かれていないこと(※1)だけである。
出典
※1 TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』公式サイト STORY 第9幕「天(テングリ)」(副題・あらすじ・各話スタッフ)公式 STORY
※2 同 CHARACTER(モゲの紹介文)公式 CHARACTER




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