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第六番は、細川頼之の計らいで再戦が決まったところから動き出す。だが鬼夜叉は「私は舞いたくないのだ」とまで沈み、河原へ流れ着く。そこで再会したコガネと旅の僧の徳さんは、ともに南朝の者として住処を追われた側の人間だった。サブタイトルどおり、縁が人を助け、同時に人を縛る回である。




「勝負ですらなかった」と言うなら、もう一度
再戦を持ちかけたのは細川頼之だった
第六番は、前回の判定の直後まで巻き戻るところから始まる。「いやいやいや、これは見事な負けっぷり」という辛口の横で、「鬼夜叉君はそもそも獅子を舞ったことがなかったという。それは不利ではないかね」という声も上がっていた。
「でも勝負は勝負です」と押し切られかけたところに入るのが、「だが、新しい獅子が目の肥えた客に面白く映ったのもまた事実」という一言である。客席からも「俺はいいと思ったぜ」「私もいいと思っていた」と続き、空気が一方的な結論を許さなくなっていく。
そこで出てくるのが「勝負ですらなかったと言うならば、今一度改めて勝負の場を設けては」という提案だった。増次郎の答えは「私は芸人です。求められるならば」の一言。こうして第二回の舞比べが近日開催と決まる。
前回、増次郎が突き付けた「最初から勝負ですらなかった」という批評が、そのまま再戦の口実として拾い上げられているのが上手い。勝った側の一番きつい言葉が、負けた側にもう一度機会を与える理屈へ化けている。同時に、この時代の芸事が政の場でそのまま扱われていることも見えてきた。
「あいつの好きにさせろ」
知らせを持ち帰る側は真っ青である。「問題は、頭にどう伝えるかだ」「頭、怒るだろうな」と震え上がり、実際に「まさか、こんな大事になるとは」と謝る者まで出た。
ところが観阿弥の返事は「あいつの好きにさせろ」だけだった。座の者たちは「なんだ、意外な反応だな」「本当に大丈夫なんかね」と戸惑いつつ、「頭がああ言っているんだし、若を信じるしかないだろう」と落ち着く。
第4話で父子ではなく二人の芸術家として並び立つ関係になったことが、ここでそのまま効いている。口を出さないことが突き放しではなく信頼になっているのが、この父親の変化だった。
もっとも、当の本人はその信頼を受け取れる状態ではない。座が「若を信じる」と決めたその頃、鬼夜叉は稽古にも帰らなくなっていた。この温度差が、今回の物語をずっと引っ張っていく。
「俺が欲しいのは強い花だ」
将軍の苛立ちと、管領の一言
再戦を勝手に決められた義満は不機嫌だった。「ずいぶん勝手に決めたもんだ」という詰めに、頼之は「少々出しゃばりが過ぎましたかな」と受け流す。
義満の言い分ははっきりしている。「鬼夜叉は負けた。俺が欲しいのは強い花だ」、そして舞比べはそれを見極めるための手立てだった、と。「強くなければ生きられぬ。芸人も、将軍も。そう教えたのはお前ではなかったか、頼之」。
頼之の返しが重い。「下とされたものを良いとする者もいる。その者たちから出た不満は、御さねばなりません」。つまり、下と裁定された側を支持する客が必ず出るのだから、その不満を抑えるのも政の仕事だ、という話である。
将軍の一存で芸の優劣を決められない、という理屈は、そのままこの政権がまだ盤石ではないことの説明になっている。第5話の舞比べが「一般客を入れる」という発案だったことも、ここで別の意味を帯びてきた。芸を見る目が民の側にあるからこそ、上が勝手に裁定できない。
「あなたは、まだ弱いのです」
食い下がる義満に返ってくるのが「あなたは、まだ弱いのです」という一言である。場を和らげるのが業子で、「そうカリカリしないでくださいな。芸事はそうやすやすと上下をつけられるものではございませんわ」、そして「また今晩、一首読んで差し上げましょう。芸事に触れることこそ、心に彩りを与える一番の近道です」と続けた。
頼之はさらに祖父を引き合いに出す。「お爺様は和歌をよくたしなんでおられましたな」「まだまだお若いあなたが同じようになさるなど、無理な話です」。義満の反応が「怒ってる」で、正直すぎるのがいい。
そして一人になってからの本音が「何のための舞比べか。全て俺のためだろう。俺は将軍だぞ」である。権力を握っているはずの人間が、管領にも正室にも押さえ込まれている構図が、たった数十秒で描かれてしまった。
第5話までの義満は、飄々として底の知れない権力者だった。そこへまだ若く、まだ弱いという一面が足されると、芸能を欲しがる動機の切実さが一段上がる。国を束ねる道具として芸が要るという話が、今回いよいよ生々しくなってきた。
沈む鬼夜叉と、河原での再会
「何もかもが重いのだ」
一方の鬼夜叉は、完全に落ちている。「私は何をしているのだ。何も分からない」、「寝ても寝てもまだ眠い気がするのだ。瞼も足も腰も、何もかもが重い。重いのだ」。負けたショックが、そのまま体の重さとして出ていた。
そのまま河原で倒れているところを見つけられ、老いた僧に「困った困った。心の臓が止まっておる」と大真面目に心配される。「いや、生きているのだ」と本人が訂正するあたりで、この回の重さが少しだけ緩んだ。
僧は先祖の名を並べ、「おぬしの息を吹き返してみせようぞ」と怪しげな妙薬を飲ませてくる。「顔がカーッとなれ。バクバクドキドキ生き返るのじゃ」という祈祷付きだった。
鬼夜叉の返しが「それは酔ってるだけなんじゃないか」で、つまり飲まされたのは酒である。沈み切った主人公を、説教でも励ましでもなくいい加減な祈祷と酒で拾い上げるのが、この作品の懐の深さだと思う。
「お、久しぶりだな」
そこにいたのがコガネだった。鬼夜叉の「黙っていなくなって、と思っていた」という恨み言に、「いやまあ、そのつもりだったから」とあっさり返してくる。
コガネの側も驚いている。「まさかお前が将軍邸の身分になるとは思っていなかった」、そして「お前が増次郎とうまくやってるとは思えないけど」。ここで鬼夜叉が「なぜコガネ殿が増次郎殿を知っているのだ」と引っかかる。
答えが「ああ、俺も芸人だったから。田楽新座の」である。第1話から気安く話していた河原の少年が、実は増次郎の座にいた人間だったという開示が、ここでようやく落ちてくる。続く言葉は「ただまあ、いろいろと」だけで、理由は語られない。
第1話でコガネは、飢えと死が当たり前の世相を語り「みんな世界に飽き飽きしてんだ。踊らねえとやってらんねえんだろ」と言っていた。あの言葉が、外から眺めた感想ではなく芸の側にいた人間の実感だったと分かる。同じ台詞の重さが、後から書き換えられる作りが見事だった。
河原という居場所、河原という身分
白覆面に柿色の服の男たち
今回の河原は、ただの息抜きの場所ではない。公式が放送前に注意を促していたとおり、画面の端には白覆面で柿色の服を着た男たちが立っている。
差別された人々として扱われた者たちが、背景ではなく物語の一部として置かれている。第5話まで、この作品は舞台と稽古場の話だった。そこへ中世社会の影が一気に流れ込んでくる。
河原の暮らしぶりも具体的だ。「年貢だけ取り立てて」「納めてない奴が何言ってんだ」「お前もだろ」と笑い合い、「最近は戦がなくてつまらん」とぼやく男がいる。北も南もどちらでもいい、食えれば構わないという言い草が、当たり前に転がっていた。
鬼夜叉はここで初めて、芸の外側にある生活を目の高さで見ることになる。しかも本人はまだ、それを「気楽な場所」としてしか受け取っていない。その鈍さが、この回の後半で刃になって返ってくる。
「ここは楽なのだよ。何にも縛られぬ」
食事を振る舞われ、酔っぱらいに絡まれ、「えらい目に遭ったのう」と笑われながら、鬼夜叉はすっかりくつろいでしまう。口をついて出るのが「みんな良い人たちなのだ」「ここは楽なのだよ。何にも縛られぬ」だった。
コガネの返しが「じゃあ、ここにいればいい」。さらに「俺にとってここは自然だ」と続け、「居場所がないのなら、ずっとここにいればいい」と誘う。
ただし徳さんは釘を刺していた。また会いたいと言う鬼夜叉に「それはだめじゃ。お主も南の者と思われるぞ」。コガネの説明も具体的である。「河原で生活している人の中には、南北の動乱で住処を追われた人も多い」、だから幕府は警戒している、「将軍様の敵だからね」と。
「変な疑いをかけられたら、お前も舞えなくなるよ」という忠告に、鬼夜叉は「私は舞いたくないのだ」と答えてしまう。舞えなくなると脅されて痛くもかゆくもない状態が、この主人公にとってどれほど異常か。その空っぽさが、静かに怖い場面だった。
座に残された者たちと、高札に出たお題
「心の臓がおかしくなった」
鬼夜叉が河原にいる間、観世座には意外な客が来ている。第5話で大乱闘の引き金になった千晴である。石也の「なんでいるんですか」「嫌ですよ、また殴られたりするの」という警戒が正直でおかしい。
千晴の用件は「私は探りに来ただけ」。理由が「だってあいつの舞おかしいんだもん。変だ、すっごく変」で、極めつけが「心の臓がおかしくなった。あれから何日経っても忘れられない。あいつ何?」だった。
第5話の締めが「その目は確かに、静かに芽吹いていた」だったことを思い出すと、この場面がその答え合わせになっている。負けた舞が、勝った側の少女の中でまだ鳴り続けていた。
さらにいいのが石也の対応である。獅子の書物を読めと突き出されて「よろしければ読み書きお教えしましょうか」と申し出る。驚く千晴に「自分で読めるようになったら嬉しいですよ」と返し、「下手くそな教え方だったらブンブンしてやるんだから」と凄まれてもたじろがない。
敵座の少女に文字を教える、というささやかな縁が、サブタイトルの「結びつき」のもう一方の面になっている。縛る縁と、開く縁。同じ回に両方が置かれているのが丁寧だった。
高札に出た、まさかのお題
やがて「おい、高札が立った。演目が決まったぞ」と知らせが飛ぶ。内容が将軍その人を題材にした自由演目で、「面白いことを考えるもんだな」と誰もが呆れていた。
田楽新座の側は前回の勝利で緩んでいる。「よかったじゃねーっすか、俺らが勝って終わりで」、「今回も猿楽には、俺らが名を上げる出汁になってもらおうや」という調子だった。
それを止めるのが増次郎である。「気を抜くな。横しまな思いは捨てろ」と引き締め、同じ機会は二度と来ないと言い切る。座の中でこの人だけが、勝った翌日も勝負を続けていた。新座には、とがめられても「公平な舞比べにするためだ。それに、嫌な役回りとは思っていない」と返して鬼夜叉を手伝うつもりの者もいる。
お題が将軍というのは、露骨に踏み絵である。称えれば無難、外せば首が危ない。その上で鬼夜叉は今、将軍が誰の上に立っているのかを河原から見上げている最中なのだから、配置がえげつない。
土の音と、切られた縁
「静かに働きの音を聞け」
河原で鍬を振るううちに、鬼夜叉の様子が変わっていく。きっかけは「静かに働きの音を聞け」という声だった。「体の奥に響くその音に、ただ従う」と続く。
この声の主は、要所で現れては消える例の青年である。コガネにも見えているらしく、鬼夜叉が「ずっと妖怪か何かだと」思っていたことまで露見していた。第1話でも第2話でも、迷った鬼夜叉の前に出てきた相手である。
結果、鬼夜叉は土を掘ることに没頭してしまう。「夢中で気づきもしなかったか?」と言われて初めて時間の経過に気づき、「言われると急に、チカチカホワホワと」と身体の反応を語る。舞台でも稽古場でもない場所で、久しぶりに「よい」を拾い直した瞬間だった。
舞う理由を見失った人間が、働く音のなかに拍を見つけるという筋道が実に良い。第1話から続く「人はなぜ舞うのか」という問いに対して、今回は体が先に答えてしまうという形で返しているのが面白かった。
「深い結びつきは人を助ける。だが時に人を縛りつけるぞ」
だが徳さんは、そこで鬼夜叉を突き放す。「鬼夜叉、もうわしらに関わってはならん」。理由が今回の核心だった。「深い結びつきは人を助ける。だが時に人を縛りつけるぞ。この場所に縛られていいのか?」。
続けて「お前の体は舞いたがっている。心は知らぬがな」と言い当てられる。土を掘って息を吹き返した直後にこれを言われるのだから、逃げ道がない。
徳さんは自分の来歴も明かす。「わしはかつて後醍醐帝のもとで足利方と剣を交えた」、一族郎党を殺されて出家し、「縁を切れば楽になると思ったが、彼らの声がいまだに聞こえる」。そして「言葉をなくした人がいる。縁の外で語られなかった者がいる。勝者の陰には大量の敗者がいる」。
同じ頃、コガネが新座を追われた事情も明かされていた。南朝の出身だったために、座は先に縁を切ることで自分たちを守ったのだという。そんな人間が一人いるだけで「誰かの首が落とされても仕方ねえ」時代である。コガネの「ただまあ、いろいろと」の中身が、ここで全部落ちてくる。
そして幕切れが容赦ない。徳さんが捕らえられ、止めようとしたコガネが「離せ、このクソガキ!」と振り払われる。そのさなかに投げられる言葉が「目を前に、心を後ろに置け」だった。叫ぶことしかできない鬼夜叉に、語りが被さる。「自分の生まれ、体、心がいかに恵まれているか。そしてそれがいかに無力であるか。少年は何も分かってなどいなかった」。
「結びつき」まとめと考察
助ける縁と、縛る縁
第六番は、縁という一語を四通りに並べてみせた回だった。観阿弥は口を出さないことで息子を信じ、石也は敵座の少女に文字を教えようとする。こちらは開く縁である。
一方で、新座はコガネとの縁を切ることで座を守り、徳さんは縁を切るために出家してなお声が聞こえると言う。こちらは縛る縁だった。同じ言葉が、守る道具にも切り捨てる口実にもなる。
面白いのは、鬼夜叉にとっての河原が「何にも縛られぬ」場所として始まり、最も強く縛られている人たちの場所として終わることである。楽だと感じていたその場所が、実は逃げ場を奪われた人間の吹きだまりだった。
徳さんが最後に鬼夜叉を突き放したのも、情がないからではなく、縁がこの少年を潰しかねないと分かっていたからだろう。「お前の体は舞いたがっている」という見立ては、本人よりも正確だった。
負けて沈んだ主人公を立て直すのに、励ましでも特訓でもなく他人の人生を見せるという手を選んだのがこの回の骨格である。しかもその人たちを、鬼夜叉は一人も救えない。無力さを突きつけて終わるのが、実に潔かった。
次の舞は、何を映すのか
考察として大きいのは、お題が将軍だという一点に尽きる。増次郎はおそらく、正統の作法で義満を称える舞を選ぶだろう。第5話の獅子舞がそうだったように、この人は伝統の側から外れない。
では鬼夜叉はどうするのか。手掛かりは徳さんの「勝者の陰には大量の敗者がいる」という言葉である。義満を称えるのではなく、その足元に積み上がったものごと舞うという選択肢が、この回で用意された。
もうひとつの手掛かりが「目を前に、心を後ろに置け」である。前回、鬼夜叉は客を見ずに自分に向けて舞ったことを増次郎に見抜かれて負けた。自分の背中まで意識に入れろというこの言葉は、その敗因にまっすぐ刺さっている。
そして働きの音である。河原で拾った拍が、次の舞にどう乗るのか。土を掘る音に「よい」を見つけた体が、将軍という題目とどう噛み合うのか。この二つが結び付いたとき、たぶん誰も見たことのないものが出てくる。
最後に残るのは、捕らえられた徳さんとコガネの行方だった。再会が別れとほぼ同時に来るという作りは相当に苦い。その苦さを抱えたまま、この少年がどんな舞を選ぶのか。次回がいよいよ楽しみになった。




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