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第十二怪の副題は「年末年始の過ごし方」。同人イベントの売り子、ダラさんハウスの大掃除、三日がかりの初詣の予定と、この回はとにかく行事が続く。薫が熱を出すと、ダラさんは「わしのせいじゃな」と自分が離れる話を始めてしまう。映画館へ行けない神のために選ばれた上映会場は、封じてあった洞窟だった。そこに残っていた術の板から、忘れられていた名前が出てくる。




副題「年末年始の過ごし方」と、冒頭に置かれた過去
公式あらすじは行事の話しかしていない
第十二怪の副題は「年末年始の過ごし方」。公式サイトのあらすじは「千夜と薫が出かけてしまい、暇を持て余す日向はダラさんハウスへ。」で始まり、「薫は美和の同人イベントを手伝い、思わぬ人物たちに遭遇する。」と続いて、「やがて冬休みに入り、日向と薫は年末年始の行事にダラさんを巻き込んでいく。」で終わる。紹介されているのは行事の予定だけで、この回がどこへ着地するかは書かれていない。
冒頭は、名前を決める過去の場面
本編は過去の山から始まる。祟り神として祀る手続きが語られ、「オロチのなれの果てである」ものを「山の神となった巫女が抑え」「沈めておることとする」という筋書きが立てられる。ご神体には「お前と妹巫女の右腕から生まれた」「あのねじれ石」が選ばれ、「妹巫女殿と強い」つながりがあるので「ご神体としては申し分ない」とされる。祀る中身も由来も決まったところで、最後に残った空欄が名前だった。
「偽りでもなく誠でもない」名前を探す
名付けの理屈もはっきり語られる。直接ヤマタギマダラを崇めろと言えば「強い恐れを生み」「神格ではなく妖怪としての力を与えてしまう」。だから「そうした偽りでもなく誠でもない」「飾りが必要」であり、「祭り上げる神も」「偽りも誠でもない名が必要」になる。そこで十郎太に向かって「お前ならば知っておるのではないか」「妹巫女殿の名を」と問いかけられたところで場面が切れる。この問いの答えが、十二話の最後で現代の二人の前に出てくる。
同人イベントの売り子と、思わぬ人物たち
「今回の本は全年齢なんで売り子する」
薫は美和の同人イベントを手伝いに出かけている。電話で日向に説明する言い方が「今回の本は全年齢なんで売り子する」で、報酬は「お小遣いとご飯代出すよ」「やったぜ」。イベント後の会話も軽い。「イベント参加久しぶりだったけど楽しかった」「絵もうまくて話も面白いし」「美和さん人気あるのわかる」「完売したしすごいですよ」。怪異の話が何も出てこない場面から回が始まっている。
コスプレを勧められて全力で断る
礼を言われた流れで「お礼に後でホビーショップに買い物行こうね」「やったぜ」と話が進み、そこから「せっかくのお祭りなんだし」「美和さんもコスプレすればいいのに」と水を向けられる。返事は「きついし無理だし誰も得しないからそんなの」。それでも「うちは嬉しいけど」「うちはいいと思う」と押され、「何をさせる気なんや」と警戒することになる。神や祟りではなく、身内の思いつきのほうが怖がられている。
クラスメイトと鉢合わせる
会場では同じクラスの二人と出くわす。「そちらの方は」と聞かれて「お迎えの」美和を紹介し、相手の側も紹介される。「休日に一緒にお出かけする」間柄だと受け取られ、締めは「よろしくね」「何か面白くなってきた」。公式あらすじの「思わぬ人物たち」は怪異ではなく、学校の知り合いだった。
暇な日向と、ダラさんハウスへの行き方
「一人で暇やからダラさん家行こう」
一方の日向は留守番だ。「もしもしダラさん」「ああ日向かどうした」と電話をかけ、「お母さんがお山に入る仕事があるって言うて出かけたから」と事情を話す。禁足地へ勝手に行けば「見つかって叱られそうだし」という理由で、出した結論が「一人で暇やからダラさん家行こう」。返ってきたのは「なんでそうなる」だった。山へ行けない日の代案が、神の住まいへの訪問になっている。
送り迎えは「深い異界におる虫」
移動の手段も独特だ。「神隠し一丁おなっしゃー」と注文され、ダラさんは呼び名について「まあもうその呼び方でええわい」と受け流す。運ぶのは「深い異界におる虫でな」という相手で、説明は「生きた人間は食わんから安心しろ」。神隠しという言葉が、送迎の呼び名として日常の中に収まっている。
手土産はカステラとミルクティー
到着後のやりとりも普段どおりだ。「で今日は何しに来たんじゃ」と聞かれ、「じいちゃんが町内会でもらったカステラ奪った」「あとミルクティー」と答える。持ち込んだものの中には長い名前の模型もあり、読み上げられた名前に「なんだって」と返される。供え物と手土産の区別がないまま、いつもの訪問として描かれている。
冬休み、大掃除、そして初詣の順番
冬休みは「うちうちで満喫する期間であった」
語りは季節の違いを説明する。外へ向かう夏休みと違い、冬休みは普段であれば「うちうちで満喫する期間であった」。ところが「だが今は違う」と続き、二人は年末年始の行事にダラさんを引っ張り込んでいく。家の中で終わるはずの休みが、山の神を巻き込む予定表に変わっている。
「明日は家のやつやらんと怒られるから」
大掃除の場面では、ダラさんハウスの掃除を先に済ませようとする。理由が「明日は家のやつやらんと怒られるから」「今日しか来れんで」で、自分の家より先に神の家を片づけている。叱られない側の掃除を後回しにしているのに、行動としては神の世話を優先している。
初詣は三日がかりで、三日目が「ダラさん参り」
予定も具体的だ。「ちなみにうちら初詣は」と切り出し、「1日には家族で」神社、「2日には友達と」寺、そして「3日にはダラさん参り」と並べる。祠へは行かない理由が「山のほこらの方は行ったらあかん言われてるから」。決まりを破らない姿勢に「言うこと聞いてえらいね」と言われ、「そうかなそうかも」と返す。禁足地の掟を守ったうえで、神の住まいには三日目に参るという順番になっている。
薫の風邪と、ダラさんの水行
「咳も鼻も出とるではないか」
年明け前に薫が熱を出す。「今日お山行けなくてごめんね」と謝る相手に、ダラさんは「アホか」「咳も鼻も出とるではないか」「無理にしゃべるな」と返す。症状の説明は「鼻水」がゆるんだ飲み物のように出てくるというもので、喉の痛みも「ソニックブームで」と大げさに語られる。謝られた側が、謝るなと言い返すところから看病が始まる。
「わしのせいじゃな」と考えてしまう
ダラさんの受け止め方は重い。自分は「ほとんど暑さや寒さを感じぬ異形」であり、「わしのせいじゃな」と言い、「わしと関わることで体に良くない影響があるのやもしれぬ」と考える。そこから「やはりもっと強く」拒絶すべきではないか、「今度からすがたを表さぬようにしたほうがよかろう」とまで進む。風邪ひとつで、この神はすぐ自分が離れる話を始めてしまう。
「せめて形だけでも」
できることは多くない。「わしの知る医療の知識など」「今の時代では何の役にも立たぬ」「術も病に効果のあるものはない」と並べたうえで、「冷水を苦にせぬわしが水業をやったところで」「意味はないかもしれぬが」「せめて形だけでも」と水に入る。日向のほうは「すりおろしリンゴヨーグルトと」「ハチミツ入りホットミルク」を用意している。効かないと分かっている作法と、効く見込みのある差し入れが同じ回に並んでいる。
「まだおとなしいしとけや」と言った直後
回復後の展開も早い。「治ったから遊び行くけど」と電話が来て、「さすがに病み上がりやねんから」「まだおとなしいしとけや」と止められる。それでも山へ来てしまい、ダラさんが二本足の姿でいたことに興奮して「軽くぶり返した」。止める側の言い分が正しかったことを、止められた側が即座に証明している。
映画館の代わりに、洞窟で二百インチ
「映画館とか行ったことないんや」
話は映画に移る。友達と映画館に行った話から「ダラさんって基本この山から遠くに離れたらあかんねんやんな」と確認し、「うちの町にはあらへんから」「映画館とか行ったことないんや」と気づく。ダラさん自身も「仮に町内にあってもさすがに祟り神的に行けないかな」と続ける。行けない理由が二つ重なっていることを、本人より先に子どもが数えている。
「プロジェクター借りてきた」「200インチで行きたい」
代案の規模が大きい。「プロジェクター借りてきた」と言い出し、「うちでやれるサイズじゃ物足りないゆえ」「200インチで行きたい」と言う。上映場所の条件は「静かで暗くて」音を気にする必要のない場所で、注文の多さに「要求多い」と返される。神のほうが映写機を借りてきて、場所の条件まで出している。
会場は、封印を解かれた過去の場所
案内されたのは洞窟だった。「ここはひとまず不要になったゆえ」「一旦入り口を塞いで術でしか来れぬ」場所で、もとは小さな洞穴を「大掛かりな」術で広げたものだという。正体は「かつて」半身となったものの「洞が封じられておった場」であり、「わしにとっては」「忌まわしき過去の始まりの場所でもある」。映画の会場として選ばれたのが、自分が殺された場所の続きだった。
「長い時は怒りを風化させる」
二人は気にするが、ダラさんの答えは短い。「ごめんなそんな嫌な場所に」に対して「構わんよ」「以前も言うたじゃろ」「長い時は怒りを風化させる」と返す。続けて「お前らが気にやむことではない」と言い、「何ぞの時にまた使えるかもと残してある」場所として扱う。過去の場所を封じたままにせず、使い道のある部屋として残していたことが分かる。
呪文板に残っていた名前
「算数の計算式みたいなもんじゃよ」
洞窟には術の板が残っている。読めない文字について聞かれ、「お前らに分かりやすく表現するなら」「ほとんどは算数の計算式みたいなもんじゃよ」と説明する。要となる石は砕けているが、「これほど大掛かりな術であれば」「この呪文板にも」「責任者にあたる術者の名前が刻まれておるじゃろ」と続く。術の設計図に署名欄があるという理屈で、名前の話が動き出す。
「ダラさんの本名が分かるってこと?」
そこで二人が気づく。「ってことはもしかして」「ダラさんの本名が分かるってこと?」と聞かれ、ダラさんも「ああ」「わしの名が残っておるやもしれぬな」と認める。読み上げられたのは「木春」。日向は「ひらひろ神社の神様と同じやね」と言い、続けて「めっちゃかわいい名前」と笑う。百年単位で忘れられていた名前が、映画の前の雑談の流れで出てくる。
「念は魂に刻まれる」
名前が出たところで、忘れていた理由も語られる。「念は魂に刻まれる」という言い方に続き、「わしが己の名を思い出せなんだ」「理由」が示される。過去の場面では、姉である椿の名との関係も語られていて、「あの方は自分の名に呪われておられた」という見方が置かれている。名前を思い出せなかったことが、この回では失われた記憶ではなく刻まれた扱いの結果として説明される。
まとめと考察
行事の回に、名前の話がまるごと入っている
副題は「年末年始の過ごし方」で、実際に描かれるのは売り子、掃除、初詣、風邪、映画と、行事と日常ばかりだ。ところが冒頭には「妹巫女殿の名を」と問う過去が置かれ、最後には術の板から名前が出てくる。年末年始の予定表の中に、この作品がずっと伏せてきた名前の答えが差し込まれている。
名前を決めた側と、名前を奪われた側
過去の場面で決められたのは「偽りも誠でもない名」だった。祀るために付けられた名が広まり、本人の名は残らなかった。その名が残っていた場所が、封印されていた洞窟の術の板だったことになる。人が付けた名だけが世に残り、本人の名は忘れられた場所にだけ残っていた。
いちばん軽い場面に、いちばん重い答えが置かれる
この回のやり方は徹底している。掃除の理由は叱られるからで、初詣の三日目にダラさん参りが入り、映画は二百インチで見る。そんな流れの途中で、名前が出て、忘れていた理由まで語られる。行事に巻き込む遊びの延長で、神の側の失われたものが一つ返ってきた回だった。




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